2015年04月05日
張り合いが無い
依然として、『試合に出られない』と言う検索ワードが毎日の様に目に付きます。
子供の事を思って・・・だと思いたいのですが・・・そうとばかりも言えない様です。
『張り合いが無い』と言う意見を耳にします。
「たまの休みに応援に行っても、自分の息子が試合に出ていないのでは・・・」と言うのです。
気持ちは分かります。
低学年の内は毎回の様に練習や試合に足を運んでいたのに、我が子が試合に出られなくなった時を境に来なくなってしまった親御さんと言うのもいる様です。
ちょっと寂しい気がします。
子供がどんな状況に置かれていようとも、それを精一杯応援してくれる存在・・・それが唯一親御さんであるべき・・・言い過ぎでしょうか?
我が子の『唯一人のサポーター』が親でないのなら、誰が我が子を応援してくれるのでしょうか?
もちろん、練習場や試合会場に足を運ぶばかりが、応援する事ではありません。
色々な応援の仕方があるのだと思います。
試合に出られない我が子には、『全く関心が持てない』と言う事であれば、非常に残念な話だと思います。
今の子供は、私達が子供の時と違って『親に見て欲しい』と言う欲求が強い様に思います。
学校の授業参観や運動会、発表会と親が学校に足を運び子供を観る機会も昔に比べたら非常に多くなっています。
そんな環境で育ってきた子達ですから、見られる事が励みとなっています。
何もしなくても良いのでしょう・・・ただ、そこにいて観てくれてさえいれば・・・。
子供達からしても親が見に来てくれないのなら『張り合いが無い』のだと思います。
これは、日頃から子供達を観察しているコーチ陣には、非常に良く分かります。
親が観に来ている時とそうでない時では、『動き』も『積極性』も違う子が多いのです。
まぁ、逆効果の子もいないではないのですがね。(笑)
親が子供に張り合いを求めるのも仕方の無い事だとは思います。
しかし、誰の為のサッカーなのか・・・ちょっと考えてもらいたいのです。
親に『満足感』を与える為のサッカーではないはずですし、 親も子供に『見返り』を求めて道具を買ったり、月謝を払ったりしている訳では無いはずです。
しかし、いつの間にか親の為のサッカーになってしまっていたとしたら・・・考え直す必要があるのかも知れません。
親が子供に期待する事は、全く問題は無いのだと思います。
しかし、それが期待外れだったとして、子供に感心すら無くしてしまうのでは、ちょっと子供達が気の毒な様に思います。
親として出来る事はそんなに多くは無いのかも知れませんね。
でも、何も出来なくてもただ見ていてくれさえしたら・・・子供達は幸せなのかも知れません。
子供達の記憶には、何時までも残るはずです。
何時も親に見守られていた事が・・・。
子供の事を思って・・・だと思いたいのですが・・・そうとばかりも言えない様です。
『張り合いが無い』と言う意見を耳にします。
「たまの休みに応援に行っても、自分の息子が試合に出ていないのでは・・・」と言うのです。
気持ちは分かります。
低学年の内は毎回の様に練習や試合に足を運んでいたのに、我が子が試合に出られなくなった時を境に来なくなってしまった親御さんと言うのもいる様です。
ちょっと寂しい気がします。
子供がどんな状況に置かれていようとも、それを精一杯応援してくれる存在・・・それが唯一親御さんであるべき・・・言い過ぎでしょうか?
我が子の『唯一人のサポーター』が親でないのなら、誰が我が子を応援してくれるのでしょうか?
もちろん、練習場や試合会場に足を運ぶばかりが、応援する事ではありません。
色々な応援の仕方があるのだと思います。
試合に出られない我が子には、『全く関心が持てない』と言う事であれば、非常に残念な話だと思います。
今の子供は、私達が子供の時と違って『親に見て欲しい』と言う欲求が強い様に思います。
学校の授業参観や運動会、発表会と親が学校に足を運び子供を観る機会も昔に比べたら非常に多くなっています。
そんな環境で育ってきた子達ですから、見られる事が励みとなっています。
何もしなくても良いのでしょう・・・ただ、そこにいて観てくれてさえいれば・・・。
子供達からしても親が見に来てくれないのなら『張り合いが無い』のだと思います。
これは、日頃から子供達を観察しているコーチ陣には、非常に良く分かります。
親が観に来ている時とそうでない時では、『動き』も『積極性』も違う子が多いのです。
まぁ、逆効果の子もいないではないのですがね。(笑)
親が子供に張り合いを求めるのも仕方の無い事だとは思います。
しかし、誰の為のサッカーなのか・・・ちょっと考えてもらいたいのです。
親に『満足感』を与える為のサッカーではないはずですし、 親も子供に『見返り』を求めて道具を買ったり、月謝を払ったりしている訳では無いはずです。
しかし、いつの間にか親の為のサッカーになってしまっていたとしたら・・・考え直す必要があるのかも知れません。
親が子供に期待する事は、全く問題は無いのだと思います。
しかし、それが期待外れだったとして、子供に感心すら無くしてしまうのでは、ちょっと子供達が気の毒な様に思います。
親として出来る事はそんなに多くは無いのかも知れませんね。
でも、何も出来なくてもただ見ていてくれさえしたら・・・子供達は幸せなのかも知れません。
子供達の記憶には、何時までも残るはずです。
何時も親に見守られていた事が・・・。
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この記事へのコメント
うちと似た様なものですね。(^^;
長女は、卓球をしていましたが、応援と言う応援は無かった様な気がします。
この辺では、強豪と言えるのですが・・・サッカーとは、大分趣が違うのです。
逆にサッカーの方は、応援の熱が尋常では無い気がします。
団体競技と個人競技の差なのでしょうかね。
うちの団は、やはり自分の子も人の子も関係無く応援する癖が付いています。
運動会でも、マラソン大会でも、目に入れば声援を送ります。
子供達も嬉し恥ずかしな感じですかね。
これはこれで、地域の目と言う物に見守られている訳で、今となっては貴重な環境なのかも知れない・・・そう思っています。
街中で顔を合わせても、気軽に声を掛け合える田舎臭い関係ではありますね。(笑)
> 子供には常々仲間を大事にしろ、サッカーは1人では出来ないと教えています。
良いと思いますよ!
サッカーからどんな事を学び感じるか、そしてそれを生かすのか・・・それは、携わる人がそれぞれに見出せば良いのだと思います。
この辺は、リフティングの練習に似ています。
単に、サッカーの技術を身に付けるだけなら、実りの少ない幼少期となってしまうのかも知れません。
うちの子は、少年団に所属しているので、今後中学はもちろん、社会人になってからも関係は続いて行くであろう大事な仲間達です。
そう言った者達との関係を育んで行くのにも、今やっているサッカーは、一役かってくれるのかなとも思います。
うちの息子達も今週末から全日本の予選を兼ねたリーグ戦が始まります。
6年生になって最初の大きな大会です。
息子は、今年はベンチを暖める日々が続く事になりそうですが、それでもチームの応援は精一杯する事になるのでしょう。
もはや、息子が出る出ないは、どうでも良い事の様に思います。
むしろ、1年生の時から、指導したり、応援したりして来たこのチームが何処まで行けるのか見届けたい・・・チーム全体が我が子の様な変な気になっています。
きっと泣くのだろうな・・・最後は・・・そんな気が今からしています。
サッカーに限らずですが、最近の保護者は…
と思う事が多々有ります。
私にはサッカーとは全く無縁だった18になる長男がいます。
サッカーしている三男とは10才差ですが、長男が小学生だった頃と明らかに保護者の質が違います。
顕著なのが運動会の時で、我が子が出場となると皆さん宜しく(笑)
一斉射撃の如く、ハンディカムや望遠カメラを我が子に向けます。
無言で我が子だけを黙々と撮影し、我が子の競技が終わると自分のテントに帰ります。
それが決して悪い事だとは思いませんが、何か違う…と、いつも感じてなりません
長男の時代は我が子以外でも知ってる子や、同じ地域の子が出たら声を掛けていたもので
ましてや私自身の小学生時代では、運動会ともなると親同士の宴会場に変わり、同じ地域の子供が出ると
恥ずかしいくらいな応援をしてくれてました。
話しがサッカーに戻りますが、個の技術向上も大事ですが個とはチームあっての事だと思っています
子供には常々仲間を大事にしろ、サッカーは1人では出来ないと教えています。
明後日は公式戦の予選が始まります、公式戦故に三年生の我が子には出場は、まずあり得ませんが
試合を見学させるのも練習の一つだと思い、親子共々試合に同行します。
頑張れ六年生!(^-^)