2015年12月04日
体育会系は、もういらない!
色々な所で、小学生のサッカー界における『機会平等』とか『結果平等』とか、『公平』について議論されたり、それぞれ指導者や親御さんが意見を述べています。
私は、この手の話に猛烈に『違和感』を感じ始めています。
子供達の事なんて、置き去り・・・そう言う感が否めないからです。
子供(プレイヤー)不在の議論を展開して来たのが、日本の少年サッカー界である事が解ります。
かく言う私も、その仲間だったに違いありません。(^^;
『JFA(日本サッカー協会)』が『8人制』を導入した意図の1つに、『全員に出場の機会を与える』と言うものがあります。
以下は、『8人制競技規則』からの抜粋です。
如何でしょうか?
『8人制』に限って言えば、『全員参加』を前提にしたルール設定となっている訳です。
その為の『自由交代』と言うシステムなのです。
GK以外は、特に制限無く交代が出来る様に配慮されています。
何度交代しても良いのですね。
にも拘らず・・・出場出来ないと言う声が、そこかしこで聞こえて来るのは何故なのか・・・。
実を言うと、検索ワードでもほぼ毎日目にするのは、『試合に出れない』系ワードなのです。
この『子供達の権利』を『阻害』しているのは、他ならぬ(私も含めた)『大人』です。
子供達は、単純に『サッカーがしたい』だけなのに、大人が色々な制約を勝手に設けて子供の権利を奪ってしまっていると言うだけなのです。
例えば、『能力のある子の出場機会が多くなるのは当然』と言う声が多く聞かれます。
一見、正論の様にも聞こえますよね。
多くの人がこの意見に賛同するのではないのでしょうか?
しかし、これだって大人が勝手にそう決め付けているだけです。
他の子と同じ程度の出場機会に留まる事に何の不都合があるのでしょうか?
また、『勝ちに行くから出せない』と言う声も非常に多く聞かれます。
全員出場で勝ちに行けば良いのでは?
なぜ、最初から全員出しては勝てないと決め付けるのか・・・小さ過ぎませんか?
あ〜だ、こ〜だと色々な『屁理屈』を並べて、子供達を納得させる事に力を注ぐ必要は全くありません。
どうせ『大人の事情』でしかないのですから・・・子供達は、分かった振りはしてくれますが・・・心の内は複雑なのだと思います。
子供達と話していると、そう言う事がヒシヒシと伝わって来ます。
私も反省しなくてはいけない所です。
まぁ、そんな訳で・・・平等とか公平とか・・・そんな議論自体、下らない意味の無い事なのだと思います。
試合当日には、どんな子であっても皆、ただサッカーがしたくて来ているのです。
そして来た以上は、試合に出場する権利を皆有している筈です。
そんな子達が、僅か1秒もピッチに立つ事を許されずに帰って行く事を「当然」だとか「仕方が無い」だとか考えるのは、大人の『奢り』以外の何物でも無い気がします。
限られた数人だけで獲得した勝利なんて、8人制に限って言えば『偽物』でしかありません。
誰かに取って貰ったメダルや賞状に何の価値も無い事を先ず大人が理解しないといけません。
『体育会系』な発想自体が既に『時代遅れ』となっている事に気が付くべきだし、世の中は既にそう言った考え方に『拒否反応』を示している事を理解しないといけません。
結局は、自分達がそう言った環境で育って来たから・・・と言う事に還元されてしまう訳で、何時まで経っても変わる事の出来ない小さな異世界を作り出してしまっているだけの様に思います。
それではダメだと言う事で、JFAもこの様な取り組みを始めたのだと思うのです。
ただこれは、『4種』に限った話です。
もっと上のカテゴリに行けば・・・つまり、大人に近付けば近付く程に、大人の世界の価値観に近付いて行き、またその各年代の価値観の中でスポーツに身を置く事となって来ます。
急ぎ過ぎる必要は全く無いのだと思います。
子供、特に4種の小学生は、『小さな大人』では無いのですから・・・その小さな心と身体は、非常に壊れ易いのです。
『鍛える』つもりで、壊している事も少なく無いのです。
『教える』つもりで、傷つけている事も少なく無いのです。
もう、スポーツ界でも大人が子供に『独裁的』に振舞う事が許される時代は終わりにしないといけない様に思います。
公平だの平等だの、暇な大人の『言葉遊び』に子供達が左右される事の無い少年サッカー界に少しずつでも変わって行けるのなら、結果としてサッカー界全体も発展して行けそうな気がします。
結局、急務なのは・・・大人の側の『意識改革』と言う事なのかな・・・と思ってしまいます。
自分で書いていて、耳が痛い・・・そんな話なのでした。(^^;
私は、この手の話に猛烈に『違和感』を感じ始めています。
子供達の事なんて、置き去り・・・そう言う感が否めないからです。
子供(プレイヤー)不在の議論を展開して来たのが、日本の少年サッカー界である事が解ります。
かく言う私も、その仲間だったに違いありません。(^^;
『JFA(日本サッカー協会)』が『8人制』を導入した意図の1つに、『全員に出場の機会を与える』と言うものがあります。
以下は、『8人制競技規則』からの抜粋です。
日本サッカー協会(JFA)では、サッカーをプレーしているすべての子どもたちに試合に出場する機会を与え、試合を通して選手として成長する機会を与えるために、「8 人制サッカー」を導入することにしました。
仲間と練習しているメンバー全員が試合に出て、試合を通して練習で身につけた技術や戦術を試してみる。試合の中で見つけた課題を練習してみる。このことが何より子どもたちを成長させることになります。
「8 人制サッカー」は多くの子どもたちが試合に出場できるようにするために、ピッチを大人のサイズの半分にし、自由にいつでも交代できるようにした、この年代においては最適な試合形式だと考えています。
U-12 の子どもたちが試合を通して、サッカーを楽しみ、サッカーを通して規則や規律を学び、仲間を大切にする心を養うことができると信じています。そのためにはこの年代に携わる指導者・審判員・保護者が一体となり、サッカーを通して「フェアプレー精神」や「リスペクトの心」を培っていきたいと思っています。
如何でしょうか?
『8人制』に限って言えば、『全員参加』を前提にしたルール設定となっている訳です。
その為の『自由交代』と言うシステムなのです。
GK以外は、特に制限無く交代が出来る様に配慮されています。
何度交代しても良いのですね。
にも拘らず・・・出場出来ないと言う声が、そこかしこで聞こえて来るのは何故なのか・・・。
実を言うと、検索ワードでもほぼ毎日目にするのは、『試合に出れない』系ワードなのです。
この『子供達の権利』を『阻害』しているのは、他ならぬ(私も含めた)『大人』です。
子供達は、単純に『サッカーがしたい』だけなのに、大人が色々な制約を勝手に設けて子供の権利を奪ってしまっていると言うだけなのです。
例えば、『能力のある子の出場機会が多くなるのは当然』と言う声が多く聞かれます。
一見、正論の様にも聞こえますよね。
多くの人がこの意見に賛同するのではないのでしょうか?
しかし、これだって大人が勝手にそう決め付けているだけです。
他の子と同じ程度の出場機会に留まる事に何の不都合があるのでしょうか?
また、『勝ちに行くから出せない』と言う声も非常に多く聞かれます。
全員出場で勝ちに行けば良いのでは?
なぜ、最初から全員出しては勝てないと決め付けるのか・・・小さ過ぎませんか?
あ〜だ、こ〜だと色々な『屁理屈』を並べて、子供達を納得させる事に力を注ぐ必要は全くありません。
どうせ『大人の事情』でしかないのですから・・・子供達は、分かった振りはしてくれますが・・・心の内は複雑なのだと思います。
子供達と話していると、そう言う事がヒシヒシと伝わって来ます。
私も反省しなくてはいけない所です。
まぁ、そんな訳で・・・平等とか公平とか・・・そんな議論自体、下らない意味の無い事なのだと思います。
試合当日には、どんな子であっても皆、ただサッカーがしたくて来ているのです。
そして来た以上は、試合に出場する権利を皆有している筈です。
そんな子達が、僅か1秒もピッチに立つ事を許されずに帰って行く事を「当然」だとか「仕方が無い」だとか考えるのは、大人の『奢り』以外の何物でも無い気がします。
限られた数人だけで獲得した勝利なんて、8人制に限って言えば『偽物』でしかありません。
誰かに取って貰ったメダルや賞状に何の価値も無い事を先ず大人が理解しないといけません。
『体育会系』な発想自体が既に『時代遅れ』となっている事に気が付くべきだし、世の中は既にそう言った考え方に『拒否反応』を示している事を理解しないといけません。
結局は、自分達がそう言った環境で育って来たから・・・と言う事に還元されてしまう訳で、何時まで経っても変わる事の出来ない小さな異世界を作り出してしまっているだけの様に思います。
それではダメだと言う事で、JFAもこの様な取り組みを始めたのだと思うのです。
ただこれは、『4種』に限った話です。
もっと上のカテゴリに行けば・・・つまり、大人に近付けば近付く程に、大人の世界の価値観に近付いて行き、またその各年代の価値観の中でスポーツに身を置く事となって来ます。
急ぎ過ぎる必要は全く無いのだと思います。
子供、特に4種の小学生は、『小さな大人』では無いのですから・・・その小さな心と身体は、非常に壊れ易いのです。
『鍛える』つもりで、壊している事も少なく無いのです。
『教える』つもりで、傷つけている事も少なく無いのです。
もう、スポーツ界でも大人が子供に『独裁的』に振舞う事が許される時代は終わりにしないといけない様に思います。
公平だの平等だの、暇な大人の『言葉遊び』に子供達が左右される事の無い少年サッカー界に少しずつでも変わって行けるのなら、結果としてサッカー界全体も発展して行けそうな気がします。
結局、急務なのは・・・大人の側の『意識改革』と言う事なのかな・・・と思ってしまいます。
自分で書いていて、耳が痛い・・・そんな話なのでした。(^^;
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この記事へのコメント
練習の参加率や態度等考慮すべき所は多々あるかと思います。
そう言う事を加味して、出場時間に差を付ける事はあっても許容される範囲なのだと思います。
問題なのは、出場機会を全く与えないと言う場合なのだと思います。
どんな理由を付けても、やはり「大人のエゴ」以外の何物でもないのです。
この問題、「教育を受けさせる義務」を持っている親と、「教育を受ける権利者」である子供の関係と似ていると思いませんか?
指導者個人の気持ちなんて関係無いのです。
JFAに所属している団体である以上、全員に出場の機会を与える事に勤める必要があります。
それが嫌なら、JFA主催の大会に参加しなければ良いだけの事です。
JFAも勝利に拘る事を否定してはいません。
むしろ、勝ちに拘る事を求めています。
ただ、勝つ為に試合に出場出来ない子を作ってはいけませんよ〜と言っているだけなのです。
まぁ、指導者側からすれば、上手い子だけで戦う方が楽な方法ではあります。
しかし、その陰で多くの子供がサッカーをする事を許されないでいる訳です。
この辺が、サッカーが日本に文化として根付かない原因の1つでもあるのかと思います。
不遇な子供時代を過ごすサッカー少年が多過ぎるのですね。
また、その子達が指導者になった時、同じ事を繰り返してしまうのです。
何処かで断ち切らないと・・・そう考える人達が増えて来たとは言えますが、まだまだ旧体制の壁は崩せてませんね。
30年前・・・私達がサッカー少年だった頃に比べると、今の子はかなりの技術を持っています。
しかし、当時と試合に挑む姿勢は全く変わっていない・・・そう言えるチームもまだまだ多いのです。
私達の時代は、3人交代の縛りがあったのですが、今は自由交代に緩和されています。
それでも、変われないのは・・・なぜ?
子供が悪いのでしょうかね?
勝利至上主義の弊害だと思いますね
f(^^;
ただ、しかしです。
練習はサボり気味&リスペクト精神は希薄、だけど試合だけは出場したいな子供や保護者に対して、
同等な試合参加の機会を与えてあげるのは、私は疑問を感じ得ません
(^^;
今日、三年生の我が子を連れて四年生以上のトレセンを見学に行ってきました
どの子も楽しくそして真剣に挑んでました
この子供逹にはチームに帰ると誰も皆、試合に出場して欲しいと思いましたね
(^_^)