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2023年11月20日

左腕

母親の認知機能の喪失がもう一段階進んでしまったようだ。
毎日一緒に過ごしていたら同じようなモノ忘れにも慣れてしまうが、家を不在にしていた3日間で戻って接するとそう感じる。土曜日に父親の歩行器の契約に来ると前日にケアマネから電話があったようなのだが何時に来て何の用で来るのか忘れている。
その話をしていて暫くしたら混乱してケアマネが来るのではなく、訪問鍼灸が来ると思ったようで用意を始めている。
食事の用意などでも同じことを何度も聞くのだが、その頻度が多くなってきた。
良くなることはないのだ、それを自分がどう受け止めて対応するかなのだが、ついついキツイ言葉を投げかけてしまうことに反省の日々。

もう色んなことが出来ないいう前提で、相手に同調して接しなければいけないのだろう。
一方でそれを認めたくない、言えばちゃんと理解してやれるだろうという期待感を持ってしまう。だからキツイ言葉を投げかけてしまうのか。
こうやってここに書くことで贖罪を求めても仕方ない、自分がどう接するか、どう感情をコントロールしながら接するかだけなのだ。

土日はあっという間だ。ジム2回と英会話1回。こんなに時間をもったいなく費やして良いのだろうかと毎回反省するが、そう言っているうちはダメなのだろう。
土曜日に再び体組成計に乗った。木曜日に風呂で見る限りは左腕の上腕二頭筋が膨らんだように感じていた。これで左右差は縮まったと期待を持って。
結果は同じ。左腕の筋肉が200g少ないまま。左脚も100g少ない。見た目はほんの少しだけだ。
東京のジムの筋トレマシンが左右別々の荷重マシンで左腕だけ5キロ落として使っていた。それを同じ荷重にしたことと、左腕にいつも多くの鍼を打ってもらった。
それで特に意識することなく筋トレをしていたら左腕に筋肉が付いてきた。あと少しなのだ。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/850/0?1700443620

元々全く動かない時もあったのだ、左腕が動くだけ良いと思っていた。でもリハビリは欲がないといけない。これでいいなんて思った時点で回復はストップする。
左腕に筋肉が回復し始めると、左腕を使うようになった。そのころは右腕しか使っていなかった。
今でも普通に左腕を使っているかというとそうではない。筋肉が付いても少し使いづらい、もっと意識して使わないといけないのだろう。
何度か書いたが、リハビリ病院の病棟医のコトバ「右腕縛って生活すればいいんだよ」
確かにその通り。この医師は全く診察もしなければ、話をすることもなかった。2か月弱の入院中に巡回は2回だったか。それ以外はリハビリ中に退院勧告をしに来ただけだ。
このコトバは確かにそうなんだろう、ヒトの本能としてそうなるのだろうと妙に納得した。

さあ、明日は9時から歯医者。そしてスーパーへ買い物、英会話。
明日はゴルフの打ちっぱなしにでも行こうか。受傷した年は年間50数回のゴルフ、その年に右腕より左腕の方が筋肉が付いていたのに気づいた。ゴルフのスイングは左腕なのだ。
posted by shigenon at 13:04| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年11月17日

給酔活動で

月水金の出勤日の帰りは軽く呑んで帰る。呑んでからの駅からのバスが20時半、21時半、22時45分と3本。呑み始めるのは18時45分。
これまでの自分のパターンでいけば3時間くらいは1軒で過ごす。でも、それはその店の人やお客さんと会話のコミュニケーションがあってこそ。一人でスマホを見ながらだと1時間ちょっとが良い時間か。
これまで家の近くで呑むことが長年続いた。基本徒歩5分程度。いくら酔っても簡単に家にたどり着ける距離。ちょっと離れるとタクシーだが、タクシー料金に余分なカネを使うのももったいないので1500円以内のところが行動範囲だったか。

こちらに戻ってからは会社帰りに一緒に呑む友達もいないし(基本、会社の人間とは呑まない)、手ごろな酒場のカウンターで文字通り“給酔”して帰るだけ。
週3を5軒の酒場で回している。予約しないといけないが、新鮮な魚が食べれる店を最近1軒増やした。
これまで家の近くで呑んでいたのは、酒の量を考えながら呑むということをしたくなかったから。その日に自分が満足するまで呑んでいた。それがバスで帰らないといけないとなると変わった。
バスの時刻もあれば車中で寝てしまうリスクもある。まだ寝過ごしたのは2回だが。

日常の外呑み事情でいうと、結局そんな生活を7か月過ごした。
もちろん一人呑み以外に45年来の友達と呑んだり、2か月に1回の同級生会はあったが。
もともと呑んだら饒舌に話すタイプだ。もちろん誰彼構わずではないが。人と触れ合わないことはコロナ禍で慣れっこにはなった。そしてSNSなどでその心の空白を埋めたのかもしれない。でも実際はリアルに人と触れ合うのが好きなのだ。
そんな人間には常連さんがいるような家庭的な居酒屋が必要なのだろう。今、月に2,3回行っているおばんざいの店はママさんが喋ってくれるし、常連のお客さんと話すことも何度かあった。
家の近くの居酒屋は好みの酒と美味しい肴があるが、店主はあまり話す人ではない。

前に健全な身体に健全な魂と書いたことがある。この思いはずっと変わらないし真実だと実感している。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1171/0?1700198318
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1224/0?1700198114
健全な魂でいるために必要なこと、それは自分の思うままのことをすること。ただ自分だけで完結できないことは人と関わる事か。
自分が求めていることはそういう行動をする。脳が求めていることは自然とそうなるものだ。
人との触れ合う機会が減ったようでも、SNSで知り合った友達と男女年齢差問わず会って呑んだりはしているのだ。
posted by shigenon at 15:24| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年11月15日

左脚の変化を期待

火曜日はジムも休館日なので長い時間他のことができるのだが、あっという間に1日が終わる。実家に戻ってからというもの、1日の充実感はこれまで以上に希薄なものとなっているような。
午前中は両親に鍼の訪問診療があり、それを見ている。気のいい女性の先生で、膝関節痛の父親が治療を受けている時にふだん気を付けることなどを聞いている。
どこにどう鍼を打つのかなと単なる関心で見ているのだが、見張っているようで先生もいい感じがしないかもしれないとは思う。

ちょっと母親の認知症がまた進んだか。
日曜日に買い物で月曜日の夕食のおかずとして魚を買っていたが食べていない。冷蔵庫のいつもの場所に入れていたのだが見つけられなかったようだ。
そして昨日、今日の夕食のおかずを作って置いておこうと炊飯器調理をするためにおかず調理用の炊飯器を開けると、先週の木曜日に作ったおでんが忘れ去られていた。東京に行く日に多めに作り、翌日の昼にも食べるようにしていた。
東京に行って自分がいないときは、それぞれの日の昼ご飯と夜ご飯を紙に書いていた。そして食材も一まとめにして袋に入れて冷蔵庫に入れていた。やはり紙に書いても見ていない、見たとしてもすぐに忘れるのだろう。
もうどうしようもないことなのだが。

土曜日の鍼で、左脚には5本ほどの鍼。右脚にはけっこうな量を打ってもらうが、左脚はいつも下腿の主要な部分だけ。その時も0.45mmの鍼は1か所だけ使った。
やはり太い鍼だと違うのだろうか、打って置いている間に左足の土踏まずの内側が攣った。
思い返せば去年の夏だったか、右足の土踏まずが夜によく攣ったことを思い出す。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/1076/0?1700022677
2か所鍼をを抜くと攣った土踏まずは収まった。センセイの打つ鍼の箇所が土踏まずに響く箇所なのだろうか。右足の土踏まずが攣るのは去年の秋ぐらいまでだったか、その後は無くなり、右脚全体が今の調子の良さになっている。
筋肉の流れはよく判らないが、足が攣ったと言ってもセンセイは当たり前のような様子だったことを思うと、狙った治療の狙った反応なのだろうか。

そんなことがあった左脚、その日の夜は足首の前方に変化があった。筋トレをして疲労感があるようなズンっとした感覚がある。そして足首がこれまでよりも前傾ができる。
実はその状態が今も続いている。少し足が軽やかだ。理屈をいまいち理解できていないが、良い兆候だと思っている。
右手首の捻挫、これは治りかけていたのだが、センセイが手首を回した時に少し痛みを感じた。その痛みが続いている。これは申告しない方が良かったかもしれない。

まだ水曜かと思うのだが、週3勤務の自分が言うことではないか。
明日は英会話、ジム。毎晩のおかずにも悩むようになった。
posted by shigenon at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年11月13日

東京での鍼治療〜小旅行

木曜日の夜行バスで東京へ。当初は費用のこともあり夜行バスを使おうと考えたが、早朝に着くという利便性が一番だ。1日の始まりに到着するというのは何か得した気分にもなる。費用の面では夜行バスまでの時間を呑んで過ごすため、結局費用は新幹線と同じになってしまうが。
金曜日に着いてファミレスでモーニング、10時になると以前行っていたジムへ。いつも鍼の前は筋トレをした後だったので、同じ状態でセンセイに診てもらった方が良いかなと思っている。
ジム後はいつも行っていた洋食屋でランチ。夜に行ける時は行かないが、今回は他の予定を入れている。

洋食屋は夫婦で営業している。シェフとママ、どちらも行けば歓迎してくれる。出会って行くようになって1年で東京を離れたが、1年間ほぼ週に1回行ってワインを1本空けていた。
https://fanblogs.jp/shigenon/archive/996/0?1699840985
ランチとビールで喉を潤し、酔いが醒めてから鍼へ。
毎週の鍼治療から6,7週間に1回の鍼になったが、特に大きな不調を感じずに過ごせている。これが不思議だ。東京にいる時は鍼に依存していたのだろうか。少しでも調子が悪ければ土曜日に鍼に行けば解消できるという安心感があったのは否めない。
東京を離れる時の不安は色々ある中で、一番は鍼だった。地元に帰って新しい鍼灸院を見つけるという気はなかった。

もうAセンセイに慣れてしまった。鍼の腕前っていうのは打ち方の優劣ではないと自分は思っている。治療はコーチと選手の関係だと言ってくれ、治療中はいつも色んな話をした。打ってもらった全ての鍼が効果的という訳ではないが、1本1本センセイが思うことを狙って打ってくれるのだ。
不自由になり、自分なりに知識を付け、色んなことをやった中で、こちらの気持ちに応えてキャッチボールしてくれる治療は他にはなかったし、それをこれから見つけるというのは不可能くらいに思った。
もちろんそういう治療家は多くいるのだろうが、それを探すことはなかなか難しい。
行って治療を受けないといけない。そうなれば比較をしてしまう。
こと、鍼に関しては自分はベテランの患者になっている。鍼の打つ箇所、打つ深さ、そこに何のために打つのかを初めての治療院の先生に聞くわけにはいかない。
そんなことを治療中に思うだけで治療の効果はない。

毎週の鍼に行けなくなったのに身体に不具合を感じないのは、脳がそれを理解して他の修復作用を指示したのだろうか。
それともこちらでの生活習慣の中に悪化しない何かがあるのだろうか。思いつくのは階段。自分の部屋は2階なので毎日数回の昇り降りを繰り返す。その中で自分なりに良い感覚なのが、裸足で階段を降りる時に足の指から足裏全体を使っているということ。
家の階段の幅は狭いのでナナメに降りている。踏み外さないよう壁に手を添えてゆっくり降りていたらそのような足裏の使い方になる。東京にいた時に無かった動きはこれくらいなのだ。

この日はセンセイが新しい鍼を手に入れたという。国産で0.45mmの良い鍼を見つけたという。
センセイが良く言うのは、硬く太く長い鍼が良いという。硬ければ狙ったところに打ちやすく、太い鍼を深く入れれば効果も高い。狙うのは表層ではなくもっと深い箇所なのだろう。
この日はその0.45の鍼を打った。センセイガ打って感触を確かめたかったと思う。太い鍼を打っても大丈夫な人は限られるし、どんな鍼でも受け入れられる患者は少ないようだ。

鍼を終えて呑み会。SNSの友達と大井町で浴びるほど呑んだ。
翌日は焼津へ。初めての町、あまり見るところはなく時間を持て余した。昼は寿司、夜は居酒屋で刺身。
日曜日はそのまま浜松へ。本場の鰻を食べたかったのだ。
自分が好きなことって何だろうと思った時に、食べることと呑むことなのだ。健康でなければ何もできない、今は不自由さがあってもそれを感じないし健康なのかもしれない。
posted by shigenon at 13:27| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年11月08日

死と生

また悲しい知らせが来た。
友人のお通夜の翌日、同級生3人と呑んだが、その1人の奥さんが亡くなったという知らせ。
F君は中学・高校・大学と同じだった。大学が同じだったというのを知ったのはかなり後でだったのは、彼は2浪していたからだ。SNSで繋がったのはここ10年以内だったか。
早くに結婚したようで、SNSには孫と一緒の写真などをアップしていた。3月にこちらに戻ってきたときに喜んでくれた一人でもある。2回目の同級生会の後に2人で呑みに行ったこともあった。
最近の同級生会は欠席だった。仕事が忙しいと聞いていた。
それは違って、奥さんがガンで末期だったと聞いたのは先週。もう終末医療だと涙を流しながら話していた。

知り合いそのものが亡くなる悲しみは喪失感、知り合いの身内が亡くなるのは、その知り合いの喪失感を思っての悲しい気持ち。どちらにせよ心の中がジンジンとした痛みになる。
最近は死を意識することがなかった。身の回りの人が死んで死を意識する、同時に生きているということの喜びを改めて感じさせてくれる。
自分自身も、もう少し強い衝撃であれば死という状態だったかもしれない。
そう思ったのはかなり後になってからだった。だから入院中も、急性期に見られる症状に苦しみながらも生死について思いもしなかった。
頚髄損傷という診断名を聞いても解っていなかったのだ、寝ていれば治る病気しかしたことがないし、そう思っていた。

退院してから2人の友人の死に直面した。東京から関西まで自分の結婚式に来てくれたのは3人。
当時ほぼ毎日飲んでいた居酒屋Sのマスター、Aさん、山ピー。この3人が東京の兄貴なのだ。
Aさん https://fanblogs.jp/shigenon/archive/160/0?1699409681
山ピー https://fanblogs.jp/shigenon/archive/53/0?1699409445
誰かの死に直面した時に自分の生を感じる。それは葬式で坊さんが良く話すことでもある。
受傷した12月24日を何度も自分のもう一つの誕生日と書いている。
それは自分が死なずに生き永らえたからでもあるが、それまでとは違って“不自由な身体”という自分に負荷された元年ということもある。
生に対する考え方は人それぞれだろう。生きていること、健康であること、好きなことができること、優先順位は色々あるだろうが、生きているということ自体に感謝するべきなのだろう。

身体の調子は特別良くもなければ悪くもない。
火曜日はジムの休館日、特にケアもせずにダラダラ過ごす。生を無駄にしているのだろうか、いや、これも生きているからこその幸せだと言い訳しながら。
谷村新司、もんたよしのりと青春時代のシンガーが最近亡くなった。一人でカラオケに行って歌った。
持ち込みハイボールで良い酔いだった。
posted by shigenon at 11:37| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年11月06日

突然の連絡

10月30日の午後に突然連絡が入った。
中学の同級生のI君が亡くなったと。10月14日に同級生会をして、一緒に2次会に行ったばかりだ。
I君は今年初めの還暦同窓会で会ったのが中学卒業以来だった。
同窓会でなぜかとても親しげに声をかけてくれ、2次会・3次会も一緒。彼は同級生会の中でも中心で、彼のことをもじって親分の会と銘打った会だった。
こちらに帰ってきてから2か月に1回の親分の会で親しくしてくれたおかげで、他の同級生とも話すきっかけになった。

告別式が11月1日に行われた。
駐車場に入るのに30分近く道路で停まったままだった。参列者が多いのは、現役の社長ということもあるだろうが、彼の人徳なのだろう。最後に顔を見るのにも多くの行列になった。
遺影はにこやかな顔でビールを掲げている姿だった。彼の死因は心不全だった。
その日は同級生と献杯をしたい気分だったのだが、車でもありそのまま帰宅。帰って空腹を満たすためカップラーメンを食べたものの、遺影の乾杯姿を思い出して一人で近所に呑みに行った。
なぜ、あんなに親しげに接してくれたのだろうか、中学時代に何か親しく接した経緯があったと思うのだが思い出せない。これでもう解ることは無くなってしまった。

告別式に参列することもあり、1日の午後から休んだ。木曜は出勤日でないので、4連休半となった。
とはいえ何か予定があるわけでもない。
2日は同級生3人と小さく偲ぶ会で集まった。かなり酒を呑んで最後はあまり記憶がない。翌日は二日酔いだった。オンライン英会話の予約を入れているのをすっかり忘れていたのでキャンセル。午後からも何もやる気がおきずジムすら行かなかった。
後半の土日はいつものルーティン。親の買い物に行ったり、ジムにもちゃんと行った。

寝る時は横を向いて寝るのだが、最近深夜目が覚めた時に肩に痛みを感じる。
疼痛のような感覚ではあるが、それほど神経からの痛みではないようだ。起きて動き出すと痛みは消える。
自分の実感なのだが、肩の筋肉が太くなったようなのだ。そのため横になるとこれまで以上に肩に体重がかかって痛く感じるのではないだろうかと。
右だけの筋トレも1ヶ月が過ぎたし体組成を測ってみる。残念なことに右腕が200g多い筋肉量は変わらなかった。腕の筋肉量は1ヶ月前に比べて100gづつ増えている。太くなったのか。

果たしてどうなのだろう。本当のところは判らない。体重は1キロ増えているのだ、その体重からの腕への配分で100g増えているのかもしれない。
鏡に映る見た目はなかなかカッコよい上半身になった。腹は少し出てはいるが。

今週は木曜の高速バスで東京行き。鍼とSNSの友達との呑み。呑み会も2日間予定していたが、2日目の呑み会が流れた。
けっこう会社で時間があるときは旅のシミュレーションをしている。ホテル・交通費を安く済ませて飲み食いを充実させる旅。
その中で東京の帰りに焼津に泊まって魚を食い、翌日は浜松で鰻を食って帰るプランをシミュレーションしていた。浜松の滞在時間は2時間の鰻を食う時間だけ。
これを今回は決行してみよう。
posted by shigenon at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年10月30日

痛みを感じるのは大事だが…

土日とジム。左腕・左脚の筋肉量が右に比べて少ないため、左だけでマシンを動かすことを始めて3週間。1ヶ月後にどう変化するかチェックしようと思っていたが、実は待ちきれず先週体組成計に乗った。
結果は腕は変化なし、脚は同じになっていた。
筋肉は1ヶ月くらいしないと付かないとは思うのだが、なんか口惜しく左腕の筋トレに力が入る。
こういった目標がルーティンになったジムでの筋トレでもモチベーションが上がるのだろう。
右手首の痛みは地面に着けても痛みが感じられない動きが増えた。
にもかかわらず、寝て目が覚めた時に手首に痛みが感じられる。

寝ている間はもちろん手首を動かさない。動かしていて痛みを感じないのに、動かさないと痛みを感じるということはどう理解していいのだろう。
まあとにかく自分でできることは超音波治療器か。超音波治療器で血流が良くなり痛めた靭帯の回復を手伝うらしい。
土曜日に超音波治療器を使ってみる。痛く感じる箇所は右親指の付け根から指1本分くらい下の骨の部分か。親指と人差し指の間のツボ、合谷から親指側の手首まあで温める。
下腿にしか使ったことがなかった超音波治療器、下腿の痺れは強いので温熱を感じない箇所が多いが、手首の痺れはそれほど強くないのですぐに温熱を感じる。

翌日目が覚めると痛みは感じなかった。やはり効果があるのだろうか。
痛みがあるというのはそこを損傷しているという信号だ。痛み止め配合のシップを使用してもいいのだろうが、それは痛みを感じないだけで治療ではない。温めることで血流が良くなり治癒効果があるというのは説得力のあることだ。
その日のジムでは特に強い痛みは感じず、少し可動域を広げてみた。
そしてその日も超音波治療器。それは昨日のこと。

今日はなぜか痛みを感じる。この前と同じ個所に超音波治療器を使用したのだが。
とある接骨院のサイトに、超音波治療器を使用した後に動かした方が良いと書いてあったのでそうした。
それも理にかなっているなと思ったのだが、もしかしたら動かさない方が良かったか。
右手首のどこがどうなっているのか、レントゲンでは分からないだろうな。やはりMRIか。いきなりMRIなんて撮ってくれないだろうなとか考える。まあしばらくは素人療法になるが超音波治療器を続けてみよう。

身体は悪くない状態が継続している。
もちろん健常な状態ではないのだが、自分のこれまでの中では良い状態だろう。昨日の午前、肩の疼痛と腕の痺れを久しぶりに感じた。もうそんな症状の起伏も気にはならない。
ジムに着いて筋トレを始める。いつもは腕系を2つから。そうすると肩の疼痛も腕の痺れも感じなくなる。筋肉の刺激の方に脳が向かったのか。改めて痺れや痛みは脳が感じているだけなのだなと思う。幻想痛というやつか。
もちろん脳がそう感じる感覚はとても大事で、本当に損傷している時に感じないと困るが。
posted by shigenon at 10:54| Comment(4) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年10月27日

作業でリハビリ

週3の勤務でいったい何をメインで仕事をしているかというと「社内報」の編集業務。
これまでのキャリアとは何の関係もない業務。ただこれまで企画業務やらなんやらで業界紙に記事を書いたり、商品名を考えたりキャッチコピーを創ったりしていたので、そんな苦はない。
実際、忙しいのかというとそうでもなく、十分ブログを書く時間もある。
年に何回か‘挟み込み’という作業が生ずる。何かお知らせ的な1枚のペーパーを社内報の真ん中のページに挟み込む作業。

左手で社内報の中ページを開ける。今回の社内報は表紙を入れて8パージなので4ページと5ページの間。表紙から紙2枚をめくる。右手は1枚の英会話案内を束から取って社内報の中ページに入れる。
紙をめくるという機能は指の動きもそうだが、指が紙を感じるという感覚も必要。
1枚をめくる強さと2枚めくる強さは感覚によるものだ。受傷後、これが出来ないというよりもやりたくないことだった。指の感覚というよりも動き辛い指を小さく動かすということがイライラを募らせるからだったと思う。
それで本を読むという習慣が無くなった。これは老眼が進んだことも関係しているが。
ただ新聞は毎日読む。新聞なので多少乱暴に指でつかんでも気にしない。そうやっているうちに慣れてきたのか紙をめくる機能が回復した。

受傷後、左人差し指に難があった。その指だけ伸ばす時に遅れる。力も入り辛かった。
この理由は判らない。ただその指を司る神経がうまく働いていないのだろうと想像できる。この状態があったからこそ神経の働きをより考えるきっかけになった。
克服するために常にグー・パー。水の抵抗があった方が効果があると思い風呂に浸かっている時に50回、もう何年も続いている。
その効果なのかどうか、グーから手を伸ばした時に少し遅れるくらいのスピードで伸ばせるようになった。

社内報挟み込みの作業は良いリハビリになった。
印刷上がりたての紙はくっついているので1枚をピックアップするにも微妙な力加減が必要。社内報と挟み込む紙の紙質の違いで力加減が変わることも指先は判断しないといけない。
何人かでやったが自分のスピードは遅い。受傷前はこういった単純作業は誰よりも早く正確にできる自信があったが過去のこと。
200部近くをやっただろうか。終えると左の前腕筋が張っている。筋肉が張っているとよく動かしたという満足感がある。
今はさほど変わらないが、昨日は指の動きが良かったように感じた。

入院中、指を動かすことはイヤだった。もちろん力が入らないからだ、当初はナースコールを押す力さえなかった。OTさんの時間、ボードにスティックを差し込むリハビリがあった。これがイヤだった。こんな細々な動きなんてやってられるか、もっと力になるリハビリがしたいというのが当時思ったこと。
その他のリハビリも細かなことばかりでやってられなかった。
今から思えば大事なリハビリなのだろうが、そのリハビリをするような状態でも気分でもなかった。若い競馬好きなOTさん、ずっとオセロをしたことを覚えている。それはこちらの提案。
オセロも指を使うから良いと思ってくれたのだろう、楽しいことでないと気分が乗らない精神状態だった。

水曜日に良くなった右手首、少し痛みは出るのだが、痛みの少ない可動域が増えた。手首を地面に着いても痛くなる方向が限られてきた。
ただ感覚として完治までにはまだ時間がかかりそうな予感。超音波治療器を使おうと思いながら忘れていたので、この土日はやってみないと。
posted by shigenon at 14:09| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年10月25日

無理に動かすこと

日曜のゴルフ後、右手首の痛みが少しマシになるとともに可動範囲が広がった。
鍼治療でマシになったと何度も書いていたが、動かす角度によってマシにはなっていたものの痛みは続いていた。この前書いたように、手を地面につけるとかなりの痛みがあった。
実際にまだ地面に手をついてはいないが、手首を外に反る動きが少し大きくなった。グルグル手首を回すこともできる。この動きは痛めてから怖くてすることはなかった。
月曜日に手首を回し始めるとボキボキ音がした。動かしていなかったからだろうか。
手首をグルグル回すと痛みを感じる方向はある。いまだドアノブを回す時には痛みがあるから時計回りに動かす時の筋肉を傷めているのだろうか。

ゴルフで手首を使って負担をかけたのに良くなったのが不思議なのだ。
痛みを感じながらもそこを鍛える的な考えで痛みを我慢しながら動かことは多い。痛いところを無理やり動かすとロクなことはない、痛い箇所は動かさないようにするべきだと思っている。
それは間違いないことだと思うのだが、動かさないままだと機能が喪失したままになる。動かすタイミングはどうなのだろうか。今回の手首で言えば自分で推し量ったタイミングではない。ゴルフという機会があったからそうなっただけなのだ。

痛みの原因にもよるのだろう。
父親のように膝関節痛の場合、無理をすれば軟骨をよりすり減らすだけだったのだろう。筋肉や靭帯や腱などの場合はある程度回復したら動かす必要があるのだろう。
受傷後、左腕が動き辛かった。全く動かない期間は40日だったが動くようになっても力が入らなかった。
ある程度動くようになっても左腕は右の肩先まで届くのがやっとだった。
これを左半身の麻痺のせいだと思っていた。左腕は痙攣とか色んな症状が感じられるときだったので、左腕が十分に可動しないのも神経からくる麻痺の影響だと思っていた。
退院してからも変わらなかった。身体を洗う時、右腕の裏に手を伸ばす時は左肘を押して届かせていた。

その左肩が伸びない状況をAセンセイに言うと無理やり伸ばした。それはいつだっただろう、2018年からAセンセイに診てもらっているのだが、かなり経ってから言ったような気がする。
えっというふうに思ったのを覚えている。力で無理やり伸ばして数か所に鍼。でもそれから左腕は右肩の後ろまで回せるようになった。受傷から5年近く経っていた。
神経からの影響ではなく、単に動かしていないことによるものだったのだろう。それが靭帯を動かさなかったことにより固まっていたのかと想像はつくのだが、詳しい理論は判らない。
とにかく動かさないと動かなくなるということは経験しているのだが、どこを意識してどう動かせばいいのかが素人には判らない。また、痛みがあった場合にどのタイミングで動かしていいのか。
今回はまだ痛かったのだが、結果的に良くなった。靭帯が伸びたのだろうがよく判らない。

靭帯損傷を調べていて、その治療の中に超音波治療器が入っていた。
そういえばしばらく使っていない。痛みがある箇所に当てれば良いのだろうか。やってみる価値はありそうだ。そして痛みを感じない程度まで動かしてみよう。
posted by shigenon at 13:37| Comment(0) | TrackBack(0) | リハビリ

2023年10月23日

終盤に気づく

日曜日はゴルフ。今日、改めてゴルフ後の歩きの快調さに新鮮な感動がある。
走りだせそうな状態。痺れなどの症状は変わらないのだが、可動が良い。これまでゴルフ後の歩きの調子が良いのは足首を使ったからだと気づいてからは、今はストレッチで常に行っている。そのため前よりは可動は良く感じていた。
それ以上に良い感覚。地面に足が吸い付き、それぞれの歩く筋肉が使えているのを感じ取れる。
それと歩いた時にこれまで再教育してきた正しい歩き方である踵を付いて親指で蹴るといった動きも正しく出来ている。
プレー中、これまでは歩けてはいるのだがちょっと努力して歩いているという感じがあったのだが、昨日はけっこう歩いた割には疲れはいつもより少なく感じた。
脚の状態自体が良いこともあるのだろう。

ちゃんと打てない。スイングのチェックをして練習場では良くなっていたのだが。
これまでとそんなに変わらない‘振り’をしているつもりなのに当たらない。修正のしようがなかった。練習場では打つのが目的だからスイングチェックなどを考えながら打つが、本番では狙ったところへ打たないといけない。頭の中の命令の終戦順位が変わる。
4ホールを残した最後に気づいた。
右手首を全く使っていなかった。親指方向に手首を折ることをコックというのだが、そのコックが全くできていなかった。右手首の捻挫の影響だ。
練習では感じた右手首の痛みを昨日のプレー中には感じていないので気づいた。

コックをしなければキレイな円軌道のスイングにはならない。コックが出来ていないイメージで言えば楕円形で、ボールに十分な力も伝わらない。ずっと当たりそこないのショットだ。
右手首を捻挫したのは4月19日。それからマシになったとはいえずっと違和感がある。特に手首を折って内側に回すと痛い。シートベルトをする時の動き。
それと手首を地面につくことができなくなっていた。とても痛いのだ。ストレッチの時にマットに座って片足を折りもう片足を伸ばして広げるストレッチ。この時に身体が硬いので上体が反り返るために手で支える。手のひらを地面につけて上体を支えると痛みが走るのでグーで地面につけていた。
この状態がずっと続いていて、それに慣れてしまっていた。

ふつうは身体の使い方が変わればすぐに気づく。それが気づかなかったのは痺れの影響がある。
痺れて感覚が麻痺しているので、身体を動かすためには大きな筋肉を大まかに動かすことが大事だ。歩くことを例に挙げると、上腿と下腿を動かすことが先決で足裏の着地角度まで考えれるようになったのはずっと後だ。複数の動作は意識しないとできない。
スイングでは腕の動かし方を痺れながらも思うだけで、手首をコックしていないという違和感を感じ取れなかった。コックに気づいてからはショットは格段に良くなった。最後の4ホールだけ楽しめた。
知らない人から見たら全くの健常人に見えるのだ、この3回のゴルフを一緒にした人たちからはヘタくそなオッサンと思われただろう。
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2014年クリスマスイブのプレゼントは最悪でした。 「頸髄損傷」というケガなのか病気なのか・・その症状との戦いの記録と現在の日々をアップします。 (2018年4月追加) 不全の頸髄損傷は「健常な人」に見えます。“ふつうに見える”様に努力をしています。が、反面、「もう良くなったんだ」と思われがち。 骨折とは違い、中枢神経の損傷は完全回復はしないという現実。 「健常に見える」「もっと良くなるよう努力する」「もう治っているんでしょ」の狭間で何とか毎日を過ごしています。
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