現役時代はとても時間に余裕を持った毎日だった。自分の裁量で仕事をしていたので、何か用事を思いついたらその日に済ませていた。
今は常に活動的に行動していないから、思いついたことをすぐにやらない。そして忘れることが多くなった。例えば年賀状を買うとかということも、東京では年賀状売り出しの広告や出店で売っている光景を目にして思い出していたが、今はそれがない。
昨日は歯医者。低い噛み合わせの変更を進めていく。
右の上下詰めている奥歯が取り外された。今の噛み合わせと修正すべき姿を、自分の歯型の模型で見せてくれての説明は判りやすい。噛み合わせだけでなく長年使っている詰めた歯はボロボロだ。ブリッジの歯を外したら、その横の歯は簡単に崩れ落ちた。
それと歯槽膿漏。かなり歯茎が弱っているようだ。歯槽膿漏を指摘されると自分が小汚い老人のように感じてテンションが下がる。意気揚々とした気分で歯医者に行けなくなった。
歯医者だけでなく、役場に行ったり銀行に行ったり、そして買い物をして調理。
母の認知症はまた進んだか。見た目や対応はちゃんとできる。しかしモノ忘れだけでなく目の前のことに対する判断力がずいぶんとなくなっている。家にいる時は自分が作らないと安心できない。もうおふくろの味というものは存在しなくなった。
昨日は今日の夕食にとおでんまで仕込んだ。
身体の調子は悪くない。でもジムが休みの火曜日は身体の爽快感がない。やはり上体下体と動かした後とは違う。多少右足裏の痺れが強くなったとか、両手の指の動きが良くないとかあるが、それは一番良いときの状態と比べて。多少の不具合は許容の範囲だ。
以前は極端に悪く感じる時があった。気圧とか身体の血流とかが要因だったか。
悪くなるには何か原因があるのだ、それを知ることが大事なのだがなかなかその原因ははっきりしない。同じように良くなった時に良くなった要因を知ることも重要。それを繰り返せばずっと良い状態が続くかもしれないのだ。
週の真ん中。普通に働いている人にとっては疲れのピークだろう。自由に仕事をしていた時でも、まだ水曜日かとよく思った。今はその感覚はない。今日が終われば次は金曜日なのだ。収入よりも時間的な余裕。その余裕をもてあそばしているが。
入院中に中枢神経障碍者は10年寿命が短くなるという記載を何かで見た。それは何の根拠だったのだろうか。その頃はあまりにもネガティブな情報しかなく、それを知っても衝撃よりも悲しみが気持ちの上に乗っかっただけだ。そんなことよりも身体を動かす方が先決だった。
その潜在化した気持ちが定年後に働こうという意欲を阻害した。高齢化した親のために実家に戻るということもあったが。
今日はどこに呑みに行こうか。それが日々の楽しみだ。
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