何か身体の機能の進化を意識してマシンを動かすといったことになっていない。まさに淡々とルーティンワーク。中にはイヤイヤ動かすマシンもある。レッグプレスは疲れるので座っても動かすまでためらいがある。やはり体力が落ちたのだろうか。
ジムが変わって今の環境に悪い意味で慣れてきたこともあるか。前の東京のコナミよりは人は多いがお年寄りばかりなのだ。コナミも自分より年上が多かったがいつも来ている人たちはフリーウェイトの人で、それを見ていると自分も鍛えないとという気持ちになった。土日にはスタジオに並ぶお気に入りの女性もいたので気分的にも良かった。
それぞれの人がそれぞれ目的を持ってジムに来ていた。その空気感は感じられ自分のモチベーションも上がった。
今のジムはお年寄りが健康のために集っている。
それに加えて新たな身体の悩みが起きていないこともある。
かといって筋肉の維持はしないといけないと思っているから筋トレを継続しているという状態。これでは疲れるだけになるのは当たり前だろう。義務感。
‘元通り’への道を強く思っていたらそうはならないと反省する。じゃあ今の身体の状態、時々気になる箇所はあるが悪くもない状態に満足しているのかといったらそうではない。
筋トレは自分の目的が明確でその手段として実行していることなのだ、まわりなんて関係ない。
そう言い切ってしまいたいが強いようで弱い人間だ。
考えつくことは色々やった。多くが良い変化として現れた。
それはそうなのだろう、3年前は杖を持っていないと不安な身体だったのだ。良い変化が現れればモチベーションもアップする。
痛いとか痺れるとかの改善もあるが、生活そのもの、QOLが向上することも大きな目標だった。
しかし前にも書いたが身体の状態を評価する生活そのものがこの4月から変わった。今の生活環境は悪かった時に生活していないから良くなったかどうかも判断する基準がない。良くなったと実感することがあって脳は喜び次へのステップを思うのかもしれない。
まあ、そんなことを言っても、いや書いても仕方ないか。今の生活は始まっているのだ。
決して強い人間ではない、こうやって書くことで自分を奮い立たしているのでお許しを。
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