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豆まめケアマネ
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2021年09月08日

攻略ゲーム





チームがうまく機能しないと、問題は増える




人間関係や報酬額、健康状態もあわせた環境が

チームの力と働きに影響を与える



今回の現場は乳幼児保育



一般常識とかけ離れた「保育観」による現場主義に

空いた口が塞がらない



職員の主観に頼る保育の実施は危険である



注意した事務担当者に

「保育士でないと、わからないんです」と反論したそうだが

そう言わしめた環境こそ、改善しなければならない



むかーしむかしの10年キャリアでは役に立たない保育職だが

現場を見た上で、やはりダメだと判断する




問題はここから



ワンストップの立場で指示することは簡単だが

全員に問題共有し、意見を聞いていくことにした



なぜ、そうするのか

何が問題なのか

他の方法はないのか、あればいくつあるのか

その中で良いと思う方法の具体的な試案



すべてを行う作業の中で

このチームの力動を見て、改善力をアセスメントすることにした



問題解決を目指すのではなく

問題解決のプロセスをしっかり体験することによって

流されないで、自分で考えることを学んで欲しいという狙いもある



エビデンスに基づいた自分の意見を、自分の言葉で伝えた上で

プロだと名乗って欲しい

そのための学びの機会に変えていく



問題が起こるたびに、やっつけ仕事で片付けるのではなく

学びの機会、チームビルドの機会に変える



困った事柄は、いずれ咲く花の種であり宝もの

問題解決することで、スキルが上がり、パワーアップする



ゲームの主人公のように


面白がって攻略しよう




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2021年09月07日

福祉とお金

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お金に対する誤解をずっと持ち続けていた



子どもの時、お小遣いをもらい、使い方を考えるのは楽しかったが

ある時から、お金のことを言ったり考えたりするのは

お行儀が悪いと考えるようになった


福祉の仕事に着いた直後は、措置制度のみの時代だったので

専門職に必要なのは知識と確かな技術だが、

崇高な仕事なので報酬やお金のことを考えるのは論外!という

空気の中で仕事をしてきた


結果、全くお金の勉強をしてこなかった







今、福祉とお金の関係は、切っても切れないことがわかる

福祉とは、人が生きる上での幸せであり

幸せは、最低限のお金がないと感じることは難しい

幸せの基盤に「お金」というツールは必ず存在するのである



一般的に「福祉」として使う言葉は、「お金」を指す


「福祉の世話にはなりたくない」という意味は

生活保護などお金の支給福祉施策を指すことがほとんどである



「お金」を伴わない訪問や公的サービスについては拒否しない人が

「生活保護」だけは嫌がるという明らかな矛盾

ここに、お金について学んでこなかった現実を感じる



対人援助を生業に、社会福祉事業に取り組む仕事をしているが

収益は上げて、必要なお金は、ためらわずに稼いでいきたい


どんなに高尚な理念を掲げても

その理念を実現するには、人が必要になってくるし

その人を守るためには、生活していくお金は必要である


サービスの対価として報酬を受け取ることは当たり前のこと

その報酬が多く集まれば、沢山の人員が社会の中で理念を実現させ

地域の持つ力が大きくなっていく



大切な人材を長期にわたって守ることで

地域の福祉が向上していくのである



医療や介護、福祉業界は「お金」の話をするのが下手である

けれど、人が幸せに生きていくために

お金の話を避けることはできない



だから、今は必ず大切なお金の話から入ることも多い



お金は必要なものを手に入れるための共通チケット

何にでも交換できるからこそ

本当に必要なものを手に入れるために使いたい



今までも、これからも

お金の話をきちんとできるケアマネジャーでありたいと思う





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2021年09月06日

人生ゲーム



実は、簿記の資格を持っている



中学当時は成績順で進学先を振り分けられた

上の下にいた私は、当時、進学校だったところへ決まり

中くらいということで、否応なしに商業科に進学させられた



子どもの頃の夢は、音楽家、小説家。

その後は、福祉の仕事をしたいと思っていたので、商業科目も

経営関係の授業も、苦痛でしかなかった



福祉の仕事を長年続け、年数を経たいま、

再び、お金の流れや経営、経済について

学ばざるを得なくなった



貸借対照表に損益計算書、懐かしいとしか思えないワードだが

実務に直結してしまっているため、

今回はしっかり学び直さないといけない



子供の頃、いやいや通った音楽教室での歌唱やピアノは

保育の仕事に大いに役立った



高校の時にいやいや取らされた経理関係の資格は

これからの業務の助けになってくれそう



こんな風に考えると

物事には理由があり、起きていることには原因と結果が

必ずあるのだと思えてくる


その時は、無駄だと思えた事柄が

結果的には有益に働く

そして

人は必ず、誰かと繋がり、何かに関連づけられているように思う




カラーバス効果とか、引き寄せとか言うけれど

全ての事柄が繋がり、関係しあっているように思う


そんな環境の中

自分が試され、導かれて、今ここにいる



果たしてクリアできるのか?

途中でゲームオーバーになるのか

次のステージに上がることができるのか?




毎日がゲームのように目まぐるしくておもしろい

そう思える毎日に感謝しながら

この人生ゲームのコマを進めていくことにしよう





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2021年09月04日

考えよう




介護では、何をして何をやらないかを決めることが重要である

要介護状態にある利用者さんを前にすると、心優しい支援者たちは

「気の毒に。不自由だろうから、できる限りのお手伝いをしよう」と

意気込み、結果としてやり過ぎたり、自立を阻む場合がある




支援者たちの動機は

「できなくて困っているから、困らないようにやってあげよう」で

その根底には相手への思いやりとか優しさがつまっている



思いやりや優しさは支援者に必要な要素でもあり

人によってはその仕事をする動機であったりもするので

余計に始末が悪い



心優しい思いも、やろうとしていることも間違っていないけれど

ベクトルを向ける方向が違っている



専門職の支援は、「いま、ここ」だけの手当や一時しのぎではなく

今後、「これから、そう生きたいか」を見極め、

長期的な視点を持って働きかける必要がある



どうしたらこの人の持つ力を最大限に活かすことができるのか

手伝うことが必要なのか、手伝わずに見守る方が良いのか

本人の力を信じるのかどうか

信じて待っても大丈夫なのかどうか



やる場合にも、やらない場合にも

なぜ、そうなのかをきちんと整理し、説明できなければ、

専門職が関わる意味はない




お腹を空かせた人にパンをあげるのではなく

パンを手に入れる方法を身につけてもらうことが必要



これは、人を育てるときと同じ原則である



チームで仕事をしていると、ついやってしまう失敗に

できていなかったから、やっておきましたという親切の弊害がある



チームに迷惑がかかるから‥

できていないことに気がついたので‥

忘れているようだったので‥



チームの一員としてのサポートと善意は、純粋にありがたい

けれど、それが当たり前になっているのだとしたら

当人は、助けてもらうこと、してもらうことが当たり前になり

仕事の重要性も認識できず、責任も取れない



善意のサポートという名の元に

成長する機会も、失敗する権利も奪われてしまうのである



ヒヤヒヤしながら見守ることが

本人の育ちを助け、相手の力を信じることになる


人はいくつになっても成長し続け、成熟していく



手伝う方が早いし、安心だし、確実である

けれどそれは

本当に、相手に必要な手助けなのか?

自分が安心したいだけではないのか?

本当に相手の役に立つことなのか?




人を支援することは

自分の感情や思い込みを確かめ、自分の傾向を知り自己覚知すること

相手の力を測り、可能性を見極め、不安とともに信じて待つこと

そのために、常に考えること



そして、考えて、

考えて、

考えて、行動すること

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2021年09月02日

精神疾患を学ぶ




仕事を始めた時、一番苦手だったのが精神疾患

ケアマネ一年生の時、気分障害の利用者さんにクビになって以来

「精神(疾患)は、自分には無理」と線を引くようになった


ターミナルや難病の方の経験を積ませてもらい

多くの利用者さんに育ててもらう中で

学ぶ機会はたくさんあったのに

いつも心のどこかで

「精神疾患は理解できない、支援は無理だし難しい」と思い

学ばずに逃げてきた



今は、精神疾患に対する自分自身の偏見に気づき

「苦手と思っているからこそ、学ばないといけない」に変わった



きっかけは

娘が社会人一年目で精神的に追い詰められた経験と

その後、見事に転身を果たした姿から得た学びである




今では、精神疾患やメンタルケアについてわからないことは調べ

偏見を持つ同僚に助言が出来る程度には勉強するようになった



それでも足りない時には、今では精神科に勤める娘に

アドバイスをもらう



不勉強で偏見だらけだった未熟なケアマネが

今では精神科領域担当ケアマネか?と言われるようになった



人は誰でも精神を病む


風邪をひくのと同じくらい、きっかけも原因も条件も様々で

誰もがなる病気なのである


それを知って、自分の前に引いていた線を消すことができた


学べたこと、学べる環境があったこと、学べる機会があったこと



この全てに感謝して

後に続くケアマネに

伝えていきたいと思う





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2021年08月31日

オンオフストック勤務のすすめ

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サラリーマンをしている


会社に所属しているし、拘束時間は9時から18時まで

休憩を入れて8時間勤務することがルールである

では、この時間内にきっちり仕事が終えられるかと言うと

なかなかそうはいかない



なので



時間を有効に使うため、オンオフストックで仕事をしている




オンオフストックは、造語である

中抜けや時間内での管理を自分で行い

その日の予定を自分のペースで片付ける働き方を指す



フレックス制とか時間休があるような職場なら

必要はないのかもしれないが

それがないうちの会社では、30分で済む用事のために

今まではみんな、有休半日を取っていた



もったいない

無駄使いである



時間は誰にとっても24時間しかないし有限である

後回しにできることは今する必要はないし

今しかできない事は、勤務時間内でも至急、優先事項なのである




今日1日を見てみよう

朝7時30分にタイムカードを押し、急ぎの書類を仕上げて調整面接、

8時40分には一旦仕事を終了、かかりつけ歯科医で定期検診を受ける

10時過ぎに仕事に戻り、直行で役所や施設、利用者モニタリング

昼食休憩後、プラン作成、デスクワーク。

14時30分からケア会議出席。

15時20分には利用者宅でケアプラン原案作成面接。

16時30分には、事務所に戻り記録入力と資料集め

17時には所内ミーティングをして、おしゃべり休憩タイムを取る

18時半まで事務所で作業をした後、併設施設へ出向き

ケア内容の点検と明日からの打ち合わせをして

19時半には終了する



内容だけ見ると、勤務時間が長くなっているだけじゃないかと

思われる節もあるだろうけど

実際には、朝、昼、夕に休憩をとりながら働き、

合間に自分の予定を済ませている



予定を全て犠牲にして勤務しても、通常これくらい働く

ならば、

ストレスを溜めず、自分の生活に必要な事を遠慮なく入れて

並行してやっていくほうが精神衛生上良いことに気づいたのである



親の介護とか、どうしても昼間でないと片付かない予定がある

一方で、デスクワークであれば、早朝でも日曜日でも可能なわけで

早朝や休日の方が電話が鳴らなくてはかどるメリットもある



デスクワークを日曜日に数時間行いストックしておいて

その時間分を平日の用事に当てる

こうする仕事時間管理ができると、心に余裕が生まれ、幸せになる



介護でも、業務が特殊なケアマネジャーだからこそ

できる働き方だとは思うが

この働き方のほうが緊急時の対応も可能で

自分と相手都合にも組み込める



柔軟に管理した方が、仕事の効率も上がるし

プライベートも充実する



うちの職場の優先事項は「辞めずに続けられる環境を作る」こと



そのためには、小さなストレスでも不満になるまで積み上げない事

お互いを気遣いながら仕事をする事



チームを効果的に機能させるためにも、休憩やお休みは

優先事項である



「休むことも、大切な仕事です」



2021年08月27日

ことばのちから



コミュニケーションに大切なのはノンバーバルと言われる


どんなに綺麗な言葉を使っても

表情や態度で伝えるメッセージがダイレクトに伝わってしまう


今日、代理で電話することがあった

利用者さんが怪我をして手当を受けていると病院から連絡が入り

家族に連絡がつかなかったとの報告を受けて

別居の娘さんへ電話をかけた



担当者はすでに退勤していた為、面識がない私が電話したのだが、



今までかけた電話の中でも、5本の指に入るくらい

冷風が伝わってくるかと思うような塩対応だった



後から考えて、

仕事中だったのだろうな、とか、

知らん人から電話がかかってきたら、嫌だろうな、などなど

モヤっている気持ちを整理するために考えてみたのだが



電話でのコミュニケーションの難しさを再認識するとともに

やっぱりあれは、あかんやろーという気持ちになった



基本的には、電話は嫌いである



仕事中はずっと電話に追われてしまうし

受けて、対応している最中ですら

「これは本当に電話でないとあかんのかなあ?」などと思っている



乱暴に言うと、電話は時間泥棒だと思っているので

きっと同じ考え方の人なのかもしれない



それでも、である


声の調子や間の取り方は、ストレートに感情を伝えてくる



「そんなことは聞きたくない、私は忙しいから」なのか

「そっちで何とかしてよ、言われても困る」なのかもしれない



娘さんの反応が悪く、ザラつきが残ったので

2人目の緊急連絡先に電話をかけて、対応をお願いした



その後、経過報告のために娘さんへショートメールを送る




すると、メールにはすぐに返信が返ってきた

丁寧な、ごく普通のメールだった




電話は、好きではない

けれど

使い方は重要だと改めて思う




言う言葉も、書いて伝える言葉も

強い力を秘めている



電話も、おしゃべりも、書き言葉も、聞き言葉も

ことばの力をしっかり理解した上で



大切に、丁寧に

つきあっていきたいと思う



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2021年08月25日

育つこと、育てること



娘が小さかった頃、遊びに来た親戚が

「大きくなったら面倒みてよ」と言った軽口に憤ったことがある

この子の人生はアンタのためでも私のためでもなく

この子自身のものなんだから!と



職員が育たない、とよく周りから相談される


介護業界は職員が定着しにくい

転職率は高く、同じ地域で職場を転々としている人もよく見かける

一定のスキルとライセンスさえあれば、転職は簡単である


転職されると新たな職員を入れて、不慣れな職員が増える

ようやく慣れてきたかと思うと、また条件の良い職場へ転職され

結果、人は定着せず、育っていないと言う悪循環が繰り返される


人材確保の面で言えば、報酬を上げるとか福利厚生を充実させる、

複数事業所が登録制で人材を確保するなどの方法が考えられるが


一番の問題は、

「人材の育成」である



欲しい人材は、勝手に育つわけではない

職員が育っていないのは、「育て方が間違っている」からであり

「育つ環境になかった」事を忘れてはならない



職員の対応に腹を立てる上司を見るたびに

仕事は出来ても、人を育てられない上司は多いと感じる


本人は利用者さんからの信頼も厚く、スキルも高いけれど、

部下や後輩モチベーションを下げがちな指導方法しか出来ないとか

そもそも、自分が「出来る」から、出来ない人の気持ちも

指導方法もわからない人が多い



そんな人に限って

「私は出来るのに、何で出来ないの」とか

「何でそうなるの?理解できない」と言ったりする


そして、そう口にした時点で

「私は、育てることをやめました」と宣言しているのである


育つはずの種が目を出さないのは、

そもそも種の選定が間違っていることもある


陸生植物を水の中に入れると、根を張る前に流されるし

水生植物は、乾燥した土地では育たない


「育たない」のではなく、「育てるためのアセスメント」が

はじめから間違っていることに気付かなければならない



今まで、たくさんの育ちに関わり、巣立たれ、飛び立たれ

何度もがっかりしたこともある


けれど、ここに留まらなくても

同じ仕事を続けてくれているのであれば、

半分は成功しているのではないかと思い直すことにした



育ちのための環境設定や条件を整えるためのアセスメントをして

考えながら、問いかけ続けて、自分の頭と心で考えられるように

ひとり立ちできる支援を行う



もしも次のステージに行く時には

決して執着しないこと



育てることは、育つことをサポートすること



育ちは自分のためのもので

誰かのために育つのではない

心したいと思う








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2021年08月24日

しあわせはあきらめない



「負け癖がついてる」と聞いて驚いた

弱気な言葉に、なぜそう思うのかと問い直す



私から見れば、社会的にも成功者で、尊敬に値する人の言葉である



「最後まで勝ちきれない、もういいわと思ってしまう」という

社会的にどう評価されようと、数字やデータで見た時に

自分の思う成功とは程遠い、同じ所で足踏みしているのだ、と



自分の思う成功のレベルには至っていないと言う不全感が

そう言わしめている



昔から知っている私からすると

はるかに成長し、高いところまで昇りつめていると思うが

本人にはそうではないところが

本当に興味深い



人の幸せや満足感は、他人からは図り知れない

本人が、良いと思わない限り

幸せも満足感も得ることはできない



これは全ての人や事柄に共通する



幸せも満足度も、全ては自分の主観である

お金を持っている人が幸せと思っているわけではないし

病に苦しむ人が、人生の幸せを語ってくれることも多い


人は、自分の思いで幸せと不幸せを決める

ならば、自分は、いつも幸せでいたいと願う


それでも、これで良しと甘んじるのは

少し違うような気もするので


もう少し、幸せ度合いをじっくり感じられるよう

努力をしてみようと思う



自分の幸せだけは

決してあきらめないように

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2021年08月21日

油断大敵




離れて住む息子と電話で話した


ようやく来週、ワクチンを打つ予定と聞いて、安心する

側にいないので不安は増すが、一緒に暮らしていても不安はある

口酸っぱくなるほど感染予防を促し、後は祈るしかない




今日から12日間の集中研修が始まった




こんな時期なので気が抜けない

万全の感染予防を講じてはいるが、1人でも感染者が出れば

全ての受講者や関係者、利用者にも影響が出る



かなりリスクの高い研修であることは間違いないが

全ての受講者がワクチン接種者であることが

唯一の救いかも知れない



感染予防に検温、フェイスシールド、マスク、消毒の徹底

1時間おきの換気、昼食時の配置と黙食の徹底、



セッション毎のアナウンスも行うが

油断するとフェイスシールドを忘れている人がいる

間髪入れずに、声をかけると、

「あっ!すみません!」と慌てて装着



これほど「高齢者、障害者」の「命」に関わる人達でさえ

ふとした時に、注意が途切れてしまうのである

一般の人たちでは、なおのこと、できないのかも知れない



人は間違える生き物である



集まらないという生活様式に変えていくしか

環境を変えていくしか、方法はないのかも知れない




要介護者の環境設定と同じ

できないことはきちんと受け止め、

その中でどう配慮し、環境を変えて自立につなげるか




本当に真剣に


考えていかなければならない

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