2013年01月19日
横田めぐみさんが来日&拉致問題の犯人は別にいた
なんとも、いろんな情報がネットにはあります。
ただの料理人が北朝鮮の最高幹部に会えるはずないから、
藤本氏は、金正恩氏の養育係として宮内庁から出向した職員だとか、
いろんな噂があり、真相は何がなんだか...。
でも、横田めぐみさんは、皇室につながる血筋というのはありうる話。
李氏朝鮮の王族と日本の皇族のお種を北朝鮮にもたらすために、
横田めぐみさんは、連れ去られたのでしょう。
韓流ドラマみたいな筋書きで、北朝鮮の問題は興味深い。(*´ω`*)
素美女王のブログより転載
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http://ameblo.jp/sumi-jon/entry-11451210915.html
「大宇宙連合からの啓示」 (田村珠芳著)より
(一部掲載開始)
「日朝国交回復に横田めぐみさんが動く」
日本人の拉致事件が目的としたことは、主に「北朝鮮はテロ国家である」という烙印を押して、日本と北朝鮮を仲たがいさせる目的で行なわれましたが、横田めぐみさんにだけはある特別な理由がありました。
北朝鮮としては、自国に眠っている2万4000柱あまりの日本人の遺骨を日本に引き渡して、ついでに拉致被害者とされる268人の日本人の帰国を実現し、日本と国交を回復したいと願っています。
その交渉役には横田めぐみさんが動くという話もあります。
めぐみさんは2012年になって、秘かに来日しているようです。
それも1度や2度ではなく、情報筋がつかんでいるだけでも3度、来日しているという情報があります。
まず4月26日に麻布のホテルに宿泊し、次の5月21日に京都に宿泊、さらに7月3日から3日間、やはり京都に滞在しています。
5月21日は金環日食と東京スカイツリーの開業というダブルイベントに日本中が目を奪われているさ中でした。
その隙に秘かに公安関係者とも面会したという情報もあります。
その際に、「北朝鮮としては早く国交回復したいと願っているが、あなた方(公安)に任せていても一向に実現しないので、今後は宮家とやりとりをする」と伝えたそうです。
5月と7月に2度、京都を訪れたのは宮家との交渉のためと見られます。
すでに知っている人も多いと思いますが、横田めぐみさんの母である早紀江さんは皇族の血を引いているという話があります。
ということは当然、めぐみさんも皇族の系統に属しているわけで、彼女は日本と北朝鮮の交渉役にはうってつけの人物なのです。
めぐみさんの母方の祖母は昭和天皇の妃として第一候補になったこともある梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)様です。
結局、妃になったのは久邇宮(くにのみや)家出身の良子(ながこ)様で、方子様は朝鮮王朝世子・李垠(りぎん)氏に嫁ぎ、李方子様として終戦を迎えました。
第二次世界大戦後、韓国では皇室が廃止され、同時に日本の皇室も朝鮮半島における領有権を失ったために、方子様ご夫妻は民間の韓国人として生活を始めました。
その生涯を通じて、韓国では遅れていた障害児教育に力を入れた方子(まさこ)様は、李氏朝鮮の宮中衣装を使った王朝衣装ショーを、国内外で開催するなどして資金を集めながら、子どもたちの育成に尽力され、今では「韓国の母」と讃えられています。
その方子様の血を引いているのが横田早紀江さんだという見方があります。
つまり横田めぐみさんという人物は、日本の宮家と朝鮮王朝という「二つの王室の血」を継ぐ人物ということになります。
めぐみさんは、アメリカの謀略によって拉致されましたが、アメリカとしても北朝鮮にさまざまな意味で「貸し」を作りたかったと見えて、連れ去る人物を選んでいます。
北朝鮮としても、めぐみさんの価値は当然ながら知っていたので、「すぐ日本へ返せ」とも言えず、丁重に迎え入れたのです。
当初、日本に帰りたがっていためぐみさんでしたが、やがて自分の運命を悟ります。
祖母の方子様が日朝の架け橋になるために李王朝に渡ったのは、15歳の時でした。それはめぐみさんが北朝鮮に連れて来られたのとほぼ同じ頃です。
自分が今、朝鮮半島にいるのは偶然ではないと知り、めぐみさんは日朝の架け橋になることを決意し、金正日の子どもを産んだと思われます。
そして生まれた男の子に、日本の目指した大陸の理想国家・満州国を再興するために力を尽くし、同時に「日本に正しく恩を返す者」という意味を込めて「正恩」と名付けたのです。
ですから「金正恩」は生まれながらにして、次期指導者として運命付けられていたのです。
対外的には、二人の兄である正男や正哲らと後継争いをしていたと言われていますが、実際には最初から後継者は正恩に決められていました。
正恩は生まれるとすぐに10人の乳母がつけられ、王室の深いところで育てられ、特別な教育を受けました。
金正日がまだ生きていた頃は自ら帝王教育を施し、正日亡き後は呉克烈(オグッリョル・元参謀長)、金己男(キムギナム・金正日の実兄)、関東軍参謀・瀬島龍三(陸軍中佐、元伊藤忠商事会長)の愛弟子である張成沢(チャンソンテク・金正日の義弟)といった実力者が引き継ぎ、北朝鮮の次期後継者として育成しました。
料理人の藤本さんは、十数年前から著書などで、「正恩大将は子どもの頃から特別教育を受けていた」「次期後継者は大将意外にはあり得ない」と公言していました。
金正日の料理人として知られる藤本健二さんが2012年7月、金正恩からの招待で11年ぶりに北朝鮮に渡り、最高指導者に就任した金正恩に再会しました。
その場には金正恩夫人や金正日の義弟で党ナンバーツーの張成沢(チャンソンテク)、その妻で金正日の妹である金敬姫(キムキョンヒ)と言った北朝鮮の権力中枢の主要人物がずらりと顔をそろえていました。
いくら金正恩が幼少期に藤本氏になついていたからとはいえ、一介の料理人で、しかも一度は北朝鮮を裏切って日本に逃げた人物を、北朝鮮は咎めるでもなく政権中枢の人物が勢ぞろいで盛大に歓待したのです。
当然ながらそこには、日本に向けたメッセージが込められているとみてしかるべきです。だからと言って金正恩が藤本さんに、「そろそろ南朝鮮に攻め込んで南北統一するつもりなので、よろしく伝えて」などと言うはずがありません。それとなくメッセージを持たせて帰国させるわけです。
藤本さんが帰国すると、恐らく公安などから聴取を受けたはずだし、政府高官も藤本さんに会って金正恩のメッセージを読み取ろうとしたはずです。
しかし藤本さんが9月に予定していた2回目の訪問に際して、北朝鮮から入国を拒否されたところを見ると、どうも日本へ向けてうまくメッセージが伝わらなかったようです。
彼は政治家でも活動家でもなく、料理人です。その藤本さんに日朝の架け橋になるエージェントの役割は、いささか荷が重かったのかもしれません。
とはいえそれ以前に問題なのは、当時の野田政権のお粗末さです。
藤本さんが命を賭けて北から持ち帰って来たメッセージを、何も読みとれなかったのです。
これは藤本さんの伝え方が悪いのではなく、むしろ読み取れない政府首脳がダメなのです。
藤本さんが予定より1週間も遅れて訪朝したことも、北朝鮮の心証を損なったようです。
藤本さんは2回目の訪問の時に、野田首相から親書を預かり金正恩に渡すつもりでしたが、野田首相がいつまで待っても親書を出さないので、彼はしびれを切らして空手で訪朝しました。そのために1週間も送れてしまったのですが、遅れたことはさして問題ではありません。
藤本さんが親書を持っていないことを知った金正恩は、野田首相に自分たちの意思が伝わらなかったことを悟り、交渉を打ち切ったというわけです。
当時の野田総理だけでなく、最近の政治家は腹の読みあいというか、外交上のキャッチボールが下手すぎます。
おそらく今回もアメリカの機嫌を極度に伺い、親書を出すのをためらったのでしょう。
せっかく北朝鮮からボールが投げられているのに、それを受け取れない首相ではどうしようもありません。
国交回復の条件として拉致問題の解決を挙げていますが、これもよく考えればおかしな話で、先に国交を回復してしまえばいやおうなく交流が始まり、人や物の往来が今より格段に活発化するはずです。
そうすれば拉致問題も自然に解決するのです。
それが逆に、国交がないために、北朝鮮としては拉致被害者たちを帰国させるルートがないので、帰したくとも帰せなくて困っているのです。
(掲載終了)
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ただの料理人が北朝鮮の最高幹部に会えるはずないから、
藤本氏は、金正恩氏の養育係として宮内庁から出向した職員だとか、
いろんな噂があり、真相は何がなんだか...。
でも、横田めぐみさんは、皇室につながる血筋というのはありうる話。
李氏朝鮮の王族と日本の皇族のお種を北朝鮮にもたらすために、
横田めぐみさんは、連れ去られたのでしょう。
韓流ドラマみたいな筋書きで、北朝鮮の問題は興味深い。(*´ω`*)
素美女王のブログより転載
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http://ameblo.jp/sumi-jon/entry-11451210915.html
「大宇宙連合からの啓示」 (田村珠芳著)より
(一部掲載開始)
「日朝国交回復に横田めぐみさんが動く」
日本人の拉致事件が目的としたことは、主に「北朝鮮はテロ国家である」という烙印を押して、日本と北朝鮮を仲たがいさせる目的で行なわれましたが、横田めぐみさんにだけはある特別な理由がありました。
北朝鮮としては、自国に眠っている2万4000柱あまりの日本人の遺骨を日本に引き渡して、ついでに拉致被害者とされる268人の日本人の帰国を実現し、日本と国交を回復したいと願っています。
その交渉役には横田めぐみさんが動くという話もあります。
めぐみさんは2012年になって、秘かに来日しているようです。
それも1度や2度ではなく、情報筋がつかんでいるだけでも3度、来日しているという情報があります。
まず4月26日に麻布のホテルに宿泊し、次の5月21日に京都に宿泊、さらに7月3日から3日間、やはり京都に滞在しています。
5月21日は金環日食と東京スカイツリーの開業というダブルイベントに日本中が目を奪われているさ中でした。
その隙に秘かに公安関係者とも面会したという情報もあります。
その際に、「北朝鮮としては早く国交回復したいと願っているが、あなた方(公安)に任せていても一向に実現しないので、今後は宮家とやりとりをする」と伝えたそうです。
5月と7月に2度、京都を訪れたのは宮家との交渉のためと見られます。
すでに知っている人も多いと思いますが、横田めぐみさんの母である早紀江さんは皇族の血を引いているという話があります。
ということは当然、めぐみさんも皇族の系統に属しているわけで、彼女は日本と北朝鮮の交渉役にはうってつけの人物なのです。
めぐみさんの母方の祖母は昭和天皇の妃として第一候補になったこともある梨本宮方子(なしもとのみやまさこ)様です。
結局、妃になったのは久邇宮(くにのみや)家出身の良子(ながこ)様で、方子様は朝鮮王朝世子・李垠(りぎん)氏に嫁ぎ、李方子様として終戦を迎えました。
第二次世界大戦後、韓国では皇室が廃止され、同時に日本の皇室も朝鮮半島における領有権を失ったために、方子様ご夫妻は民間の韓国人として生活を始めました。
その生涯を通じて、韓国では遅れていた障害児教育に力を入れた方子(まさこ)様は、李氏朝鮮の宮中衣装を使った王朝衣装ショーを、国内外で開催するなどして資金を集めながら、子どもたちの育成に尽力され、今では「韓国の母」と讃えられています。
その方子様の血を引いているのが横田早紀江さんだという見方があります。
つまり横田めぐみさんという人物は、日本の宮家と朝鮮王朝という「二つの王室の血」を継ぐ人物ということになります。
めぐみさんは、アメリカの謀略によって拉致されましたが、アメリカとしても北朝鮮にさまざまな意味で「貸し」を作りたかったと見えて、連れ去る人物を選んでいます。
北朝鮮としても、めぐみさんの価値は当然ながら知っていたので、「すぐ日本へ返せ」とも言えず、丁重に迎え入れたのです。
当初、日本に帰りたがっていためぐみさんでしたが、やがて自分の運命を悟ります。
祖母の方子様が日朝の架け橋になるために李王朝に渡ったのは、15歳の時でした。それはめぐみさんが北朝鮮に連れて来られたのとほぼ同じ頃です。
自分が今、朝鮮半島にいるのは偶然ではないと知り、めぐみさんは日朝の架け橋になることを決意し、金正日の子どもを産んだと思われます。
そして生まれた男の子に、日本の目指した大陸の理想国家・満州国を再興するために力を尽くし、同時に「日本に正しく恩を返す者」という意味を込めて「正恩」と名付けたのです。
ですから「金正恩」は生まれながらにして、次期指導者として運命付けられていたのです。
対外的には、二人の兄である正男や正哲らと後継争いをしていたと言われていますが、実際には最初から後継者は正恩に決められていました。
正恩は生まれるとすぐに10人の乳母がつけられ、王室の深いところで育てられ、特別な教育を受けました。
金正日がまだ生きていた頃は自ら帝王教育を施し、正日亡き後は呉克烈(オグッリョル・元参謀長)、金己男(キムギナム・金正日の実兄)、関東軍参謀・瀬島龍三(陸軍中佐、元伊藤忠商事会長)の愛弟子である張成沢(チャンソンテク・金正日の義弟)といった実力者が引き継ぎ、北朝鮮の次期後継者として育成しました。
料理人の藤本さんは、十数年前から著書などで、「正恩大将は子どもの頃から特別教育を受けていた」「次期後継者は大将意外にはあり得ない」と公言していました。
金正日の料理人として知られる藤本健二さんが2012年7月、金正恩からの招待で11年ぶりに北朝鮮に渡り、最高指導者に就任した金正恩に再会しました。
その場には金正恩夫人や金正日の義弟で党ナンバーツーの張成沢(チャンソンテク)、その妻で金正日の妹である金敬姫(キムキョンヒ)と言った北朝鮮の権力中枢の主要人物がずらりと顔をそろえていました。
いくら金正恩が幼少期に藤本氏になついていたからとはいえ、一介の料理人で、しかも一度は北朝鮮を裏切って日本に逃げた人物を、北朝鮮は咎めるでもなく政権中枢の人物が勢ぞろいで盛大に歓待したのです。
当然ながらそこには、日本に向けたメッセージが込められているとみてしかるべきです。だからと言って金正恩が藤本さんに、「そろそろ南朝鮮に攻め込んで南北統一するつもりなので、よろしく伝えて」などと言うはずがありません。それとなくメッセージを持たせて帰国させるわけです。
藤本さんが帰国すると、恐らく公安などから聴取を受けたはずだし、政府高官も藤本さんに会って金正恩のメッセージを読み取ろうとしたはずです。
しかし藤本さんが9月に予定していた2回目の訪問に際して、北朝鮮から入国を拒否されたところを見ると、どうも日本へ向けてうまくメッセージが伝わらなかったようです。
彼は政治家でも活動家でもなく、料理人です。その藤本さんに日朝の架け橋になるエージェントの役割は、いささか荷が重かったのかもしれません。
とはいえそれ以前に問題なのは、当時の野田政権のお粗末さです。
藤本さんが命を賭けて北から持ち帰って来たメッセージを、何も読みとれなかったのです。
これは藤本さんの伝え方が悪いのではなく、むしろ読み取れない政府首脳がダメなのです。
藤本さんが予定より1週間も遅れて訪朝したことも、北朝鮮の心証を損なったようです。
藤本さんは2回目の訪問の時に、野田首相から親書を預かり金正恩に渡すつもりでしたが、野田首相がいつまで待っても親書を出さないので、彼はしびれを切らして空手で訪朝しました。そのために1週間も送れてしまったのですが、遅れたことはさして問題ではありません。
藤本さんが親書を持っていないことを知った金正恩は、野田首相に自分たちの意思が伝わらなかったことを悟り、交渉を打ち切ったというわけです。
当時の野田総理だけでなく、最近の政治家は腹の読みあいというか、外交上のキャッチボールが下手すぎます。
おそらく今回もアメリカの機嫌を極度に伺い、親書を出すのをためらったのでしょう。
せっかく北朝鮮からボールが投げられているのに、それを受け取れない首相ではどうしようもありません。
国交回復の条件として拉致問題の解決を挙げていますが、これもよく考えればおかしな話で、先に国交を回復してしまえばいやおうなく交流が始まり、人や物の往来が今より格段に活発化するはずです。
そうすれば拉致問題も自然に解決するのです。
それが逆に、国交がないために、北朝鮮としては拉致被害者たちを帰国させるルートがないので、帰したくとも帰せなくて困っているのです。
(掲載終了)
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