2013年03月05日
古代日本は唐に占領された(2)
「ヒエタノアレモコロサレキ」(稗田阿禮も殺されき)
古代日本は唐に占領された ― 漢字文化に抹殺された眞實 より転載
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http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/848.html
どうやら中国においても、『史記』以前の記録のすり替えが行なわれたことは間違いないようだ。
いってしまえば、漢の武帝が紀元前一〇八年頃、司馬遷に書かせた『史記』とは、とんでも
ないクワセモノということになる。
司馬遷は『史記』の執筆中、獄につながれていた。完成後には解放される約束であったにも
かかわらず、まもなく殺されてしまった。
これはちょうど、『古事記』の編纂に携わった稗田阿礼が、やはり『古事記』完成後に殺さ
れたという事情とよく似ている。
両者は偶然の一致とは思えない。日本の太古史と中国の古い歴史を抹殺しようとした勢力が、それぞれの背後にあったことは間違いない。
紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
私はその正体を追ってみた。その結果私が得た結論は、さきの『契丹古伝』に記されたとお
りだった。『契丹古伝』が語るところを引用してみよう。
その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変
わってしまった。
この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆
起)、南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成)……。
尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包まれ、禹(う)は洪水の後始末に追われた。
ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首
の鬼を祀るものが、西から東へ次々とやって来て、我らの地に住みついた……。
前述したように、『契丹古伝』はここで、紀元前の中国大陸のもともとの主人公は今の中国
人ではなかった、と述べている。
現在では漢民族が最初から中国五干年の歴史の主人公であったかのように説かれているが、それは事実ではないらしい。
紀元前の中国の歴史は、西から来た人々によって書き換えられてしまった、というのである。
その先をもうすこしみてみよう。
彼らはみずからを我ら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、伏犠(ふくぎ)や神農(しんの
う)、黄帝(こうてい)、
少昊(しょうこう)なる人物を、我らの王の祖先に仕立てあげ、その系図に自分たちの祖先をつなげて、
これら偽りの神と王に対する崇拝を我らに強制して、みずからを聖帝の子孫なりと誇らし
げに語っている。
ここに書いてあることは非常に重大である。
私たち日本人と契丹人は東大古族≠ニいわれていたが、西から侵入してきた人たちが、自分たちこそ東大古族の神の子孫であると偽り、系図や歴史まで自分たちのものとしてでっちあげたというのである。
さらに先がある。
けれども彼らは、みずからの祖先と思っていた尭と舜が、彼らの思惑に反して、東大古
族の王であったことをはたして知っているのだろうか。
西から中国の地に移住して帰化した人々が、我らの王に仕えたのは、尭・舜のときでは
なく、その後久しく續いた夏王朝の創始者たる禹のとき以来のことである。
彼らは禹を、あたかも彼ら中国人の王であり、中国大陸だけを治めた王であったかのように記しているが、これはとんでもない間違いだ。
これらのことがもしも事実だとすると、これはゆゆしきことである。
つまり、中国大陸のもともとの主人公は、いまの中国人の祖先ではなく、東大古族といわれていた日本人と契丹人の共通の祖先だった、ということになるからだ。
さらに『契丹古伝』はこう語る。
『史記』に記された禹は、大洪水を生きのびてティルムンの楽園に住んだシュルッパクの
王、ウトナピシュティムをさしている。
彼の治めた地域は、息子のギルガメシュが活躍したメソポタミアのウルクだけでなく、
全世界に及んでいたのである。
我ら東大古族の王である禹は、中国だけの王ではなく世界全体の王であったことが、西
族の伝承によっても確かめられるのである。
ここに「西族の伝承」と記されているのは、中国大陸に西から侵入したアッシリヤ人(漢
人)が今のイラクあたりに残した粘土板文書に登場するシュメール伝説をさしている。
しかし私たちは、そのシュメール伝説のティルムンの王がはたして我々日本人とどんな関係
があるか調べてみなければ、ここに書いてあることをにわかに信じるわけにはいかない。
私はさっそくアッシリヤの歴史を調べ、「西族」の宮殿跡から出土したといわれる粘土板文
書にあたってみた。すると……。
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日本の歴史が改ざんされたように、司馬遷に書かせた史記もデタラメの創作物だったのか!
つまり、中国4千年の歴史も日本の出雲の歴史やあちこちの歴史をつぎはぎして、
デッチ上げたものだってことか。(´・ω・`)
海外に出てみると、いろんな史実を知り、経験が広がる。
古代日本は唐に占領された ― 漢字文化に抹殺された眞實 より転載
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http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/848.html
どうやら中国においても、『史記』以前の記録のすり替えが行なわれたことは間違いないようだ。
いってしまえば、漢の武帝が紀元前一〇八年頃、司馬遷に書かせた『史記』とは、とんでも
ないクワセモノということになる。
司馬遷は『史記』の執筆中、獄につながれていた。完成後には解放される約束であったにも
かかわらず、まもなく殺されてしまった。
これはちょうど、『古事記』の編纂に携わった稗田阿礼が、やはり『古事記』完成後に殺さ
れたという事情とよく似ている。
両者は偶然の一致とは思えない。日本の太古史と中国の古い歴史を抹殺しようとした勢力が、それぞれの背後にあったことは間違いない。
紀元前の中国史を書き換えた西から来た人≠ニは何か?
私はその正体を追ってみた。その結果私が得た結論は、さきの『契丹古伝』に記されたとお
りだった。『契丹古伝』が語るところを引用してみよう。
その昔、地球は大異変に見舞われ、恐るべき洪水が発生して、海と陸の形はすっかり変
わってしまった。
この異変で地軸が傾いた結果、大地は中国の北西部で縮んで盛り上がり(ヒマラヤの隆
起)、南東部で引き裂かれて沈没した(フィリピン海溝の形成)……。
尭・舜の時代に地球の全土は戦火に包まれ、禹(う)は洪水の後始末に追われた。
ところが、このような戦争と異変の混乱に乗じて、人身牛首の神を祀るもの、蛇身人首
の鬼を祀るものが、西から東へ次々とやって来て、我らの地に住みついた……。
前述したように、『契丹古伝』はここで、紀元前の中国大陸のもともとの主人公は今の中国
人ではなかった、と述べている。
現在では漢民族が最初から中国五干年の歴史の主人公であったかのように説かれているが、それは事実ではないらしい。
紀元前の中国の歴史は、西から来た人々によって書き換えられてしまった、というのである。
その先をもうすこしみてみよう。
彼らはみずからを我ら東大古族の神の子孫と偽ったばかりでなく、伏犠(ふくぎ)や神農(しんの
う)、黄帝(こうてい)、
少昊(しょうこう)なる人物を、我らの王の祖先に仕立てあげ、その系図に自分たちの祖先をつなげて、
これら偽りの神と王に対する崇拝を我らに強制して、みずからを聖帝の子孫なりと誇らし
げに語っている。
ここに書いてあることは非常に重大である。
私たち日本人と契丹人は東大古族≠ニいわれていたが、西から侵入してきた人たちが、自分たちこそ東大古族の神の子孫であると偽り、系図や歴史まで自分たちのものとしてでっちあげたというのである。
さらに先がある。
けれども彼らは、みずからの祖先と思っていた尭と舜が、彼らの思惑に反して、東大古
族の王であったことをはたして知っているのだろうか。
西から中国の地に移住して帰化した人々が、我らの王に仕えたのは、尭・舜のときでは
なく、その後久しく續いた夏王朝の創始者たる禹のとき以来のことである。
彼らは禹を、あたかも彼ら中国人の王であり、中国大陸だけを治めた王であったかのように記しているが、これはとんでもない間違いだ。
これらのことがもしも事実だとすると、これはゆゆしきことである。
つまり、中国大陸のもともとの主人公は、いまの中国人の祖先ではなく、東大古族といわれていた日本人と契丹人の共通の祖先だった、ということになるからだ。
さらに『契丹古伝』はこう語る。
『史記』に記された禹は、大洪水を生きのびてティルムンの楽園に住んだシュルッパクの
王、ウトナピシュティムをさしている。
彼の治めた地域は、息子のギルガメシュが活躍したメソポタミアのウルクだけでなく、
全世界に及んでいたのである。
我ら東大古族の王である禹は、中国だけの王ではなく世界全体の王であったことが、西
族の伝承によっても確かめられるのである。
ここに「西族の伝承」と記されているのは、中国大陸に西から侵入したアッシリヤ人(漢
人)が今のイラクあたりに残した粘土板文書に登場するシュメール伝説をさしている。
しかし私たちは、そのシュメール伝説のティルムンの王がはたして我々日本人とどんな関係
があるか調べてみなければ、ここに書いてあることをにわかに信じるわけにはいかない。
私はさっそくアッシリヤの歴史を調べ、「西族」の宮殿跡から出土したといわれる粘土板文
書にあたってみた。すると……。
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日本の歴史が改ざんされたように、司馬遷に書かせた史記もデタラメの創作物だったのか!
つまり、中国4千年の歴史も日本の出雲の歴史やあちこちの歴史をつぎはぎして、
デッチ上げたものだってことか。(´・ω・`)
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