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2023年09月02日

廣福寺(こうふくじ)は、熊本県玉名市石貫にある曹洞宗の寺院

廣福寺(こうふくじ)は、熊本県玉名市石貫にある曹洞宗の寺院である。大本山・永平寺の直末寺。小岱山系観音岳の東麓に位置する。肥後西国観音霊場第24番札所。

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熊本県玉名市の廣福寺

歴史
創建の年代及び由来には諸説ある。

寺伝では、正平12年(1357年)、菊池武澄が、肥後国菊池郡の聖護寺より大智禅師を開山に迎え開基したという。

より正確には次のようなものである。大智が招かれていた聖護寺は僧尼未分離の寺であった。そのため、大智は僧尼が分離された寺の建立を望んでいた。菊池武重の母・慈春尼は、庶子の武澄にこれを伝え、正平11年(1356年)、武澄は、石貫寺という既存の寺を、大智を開山とする曹洞宗瑩山門派の寺にすることを発願する。しかし翌年死去。武澄の妻・了悟尼が武澄の遺志に従って寺地を寄進し、廣福寺が成ったという。

一方、『肥後国誌』には、大智禅師は聖護寺を開いたが、戦乱の際に大智が菊池武時を寺に匿ったことから、後に肥後を再び平定した武時が、このときの大智の恩に謝するため、元徳2年(1330年)、廣福寺を開基したとある。

寺は菊池氏代々の菩提所として栄えたが、菊池氏の衰退とともに寺勢も衰えた。 その後、肥後に入国した加藤清正が寺領を寄進し、寺は再興された。寛永17年(1640年)までは、大智禅師が開いた加賀にある祇陀寺の末寺であったが、同年、永平寺の直末となった。

菊池氏代々の菩提所であったことから、寺には菊池氏歴代の位牌や、菊池氏に関する古文書、寺宝が数多く残る。

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境内
御前水 - 寺の門前には小さな泉がある。これは豊臣秀吉が九州に下向した際に使った「御前水」と言われ、加藤清正以来、その後肥後を領した細川氏に至っても、藩主がこの辺りに出駕した際は、その度にこの水を用いたという。
山門 - 「小岱八十八ヶ所霊場」の札が掛かる
本堂 - 現在の本堂はかつての座禅堂を移したもの。往時は、100名もの僧がここに籠り、読経の声は近郊にまで響いたという。
開山堂(菊池一族位牌堂)
庫裡
仇討供養塔 - 日本最後の仇討の1つ[8]に挙げられる玉名市石貫の仇討[9]で敵の遺体が廣福寺裏手の墓所に仮埋葬され、現在は仇討供養塔が建つ。

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交通
九州自動車道菊水インターチェンジから車で約22分(11km)
玉名駅もしくは新玉名駅から九州産交バス南関上町ゆきに乗車し「廣福禅寺入口」下車、徒歩20分(1.6km)

所在地 熊本県玉名市石貫1379
位置 北緯32度58分06.3秒 東経130度33分15.9秒
山号 紫陽山
宗旨 禅宗
宗派 曹洞宗
寺格 永平寺直末寺
本尊 釈迦如来
創建年 元徳2年(1330年)または正平12年(1357年)
開山 大智
開基 菊池武時または菊池武澄
正式名 紫陽山廣やW寺
別称 紫陽山廣n
札所等 肥後西国観音霊場第24番札所
文化財 大智墨蹟ほか多数
posted by Kazu at 08:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 熊本県

2023年09月01日

南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山の寺院

南禅寺(なんぜんじ)は、京都市左京区南禅寺福地町にある臨済宗南禅寺派の大本山の寺院。山号は瑞龍山。本尊は釈迦如来。開山は無関普門(大明国師)。開基は亀山法皇。正式には太平興国南禅禅寺(たいへいこうこくなんぜんぜんじ)と号する。日本最初の勅願禅寺であり、京都五山および鎌倉五山の上に置かれる別格扱いの寺院で、日本の全ての禅寺の中で最も高い格式を持つ。

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南禅寺, 京都府京都市左京区

歴史
草創期
南禅寺の建立以前であるが、この地には、亀山天皇が文永元年(1264年)に造営した離宮の禅林寺殿(ぜんりんじどの)があった。「禅林寺殿」の名は、南禅寺の北に隣接する浄土宗西山禅林寺派総本山の禅林寺(永観堂)に由来している。この離宮は「上の御所」(上の宮)と「下の御所」(下の宮)に分かれていたが、弘安10年(1287年)に「上の御所」に亀山上皇が持仏堂を建立し「南禅院」と名付けた、これが南禅寺のそもそもの始まりである。後に持仏堂の南禅院は南禅寺の塔頭・南禅院となっている。

近世以後
南禅寺の復興が進んだのは、江戸時代になった慶長10年(1605年)に以心崇伝が入寺してからである。翌慶長11年(1606年)には豊臣秀頼によって法堂が再建されている。

以心崇伝は徳川家康の側近として外交や寺社政策に携わり、「黒衣の宰相」と呼ばれた政治家でもあった。塔頭の金地院に住した崇伝は、江戸幕府から「僧録」という地位を与えられている。これは日本全国の臨済宗の寺院を統括する役職である。以後、金地院の住持は金地僧録と呼ばれ、絶大な権勢を誇った。慶長16年(1611年)には、豊臣秀吉が天正年間(1573年 - 1593年)に建てた女院御所の対面御殿が下賜され大方丈とされた。

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法堂

境内
法堂 - 慶長11年(1606年)に豊臣秀頼によって再建されたが、1895年(明治28年)にこたつの火の不始末で焼失した。現在の建物は、1909年(明治42年)に再建されたもの[6]。本尊の釈迦如来坐像を祀り、天井には今尾景年による幡龍が描かれている。
方丈(国宝)- 大方丈と小方丈からなる。大方丈は慶長の御所建て替えに際し、天正年間(1573年 - 1593年)に豊臣秀吉によって建てられた旧御所の建物を慶長16年(1611年)に下賜されたもの。「旧御所清涼殿を移築した」とする資料が多いが、清涼殿ではなく女院御所の対面御殿を移築したものである。接続して建つ小方丈は寛永年間(1624年 - 1645年)に建てられた伏見城の小書院とされる。
大方丈の間取りは六間取で、南側が西から順に花鳥の間(西の間)、御昼の間、麝香の間、北側が西から順に鶴の間、仏間(内陣)、鳴滝の間である。建物の東端は幅一間半の細長い部屋で、柳の間と呼ばれる。仏間を除く各室に桃山時代、狩野派の障壁画があり、計124面(附指定4面を含む)が重要文化財に指定されている。これらは旧御所の障壁画を引き継いだものであるが、建物の移築に際して襖の配置構成が大幅に変更されており、本来ひと続きの画面であった襖が別々の部屋に配置されているものも多い。欄間の彫刻は左甚五郎の作だとされている。小方丈の障壁画は狩野探幽の作と伝えられるが、作風上からは数名の絵師による作と推測されている。

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方丈(国宝)

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外から見た三門

国の史跡
境内

主な行事
本光忌 2月2日 中興開山以心崇伝(本光国師)の毎歳諱法要。正当は1月20日
南院忌 4月2日 創建開山・第二祖規菴祖円(南院国師)の毎歳諱法要。
亀山法皇御忌 9月12日 亀山法皇の毎歳諱法要。正当は9月15日
開山忌 11月12日 開山無関普門(大明国師)の毎歳諱法要。正当は12月12日

湯豆腐
湯豆腐は南禅寺周辺参道の精進料理が起源とされている。

山形県酒田市、鶴岡市では「南禅寺豆腐」というほぼ半球の形をした豆腐が名産。江戸時代に北前船に乗って京都から西廻り航路で伝わったといわれている。5月から8月中旬までの間の期間限定販売。

交通
蹴上駅(京都市営地下鉄東西線)下車。1号出口から徒歩5分。
京都市営バス5系統「南禅寺・永観堂道」バス停下車徒歩8分。急行100系統「宮ノ前町」下車徒歩10分。
京都市営バス「京都岡崎・都心循環バス(京都岡崎ループ)」(2015年9月19日から運転)「南禅寺・疎水記念館・動物園東門前バス停」下車徒歩6分。

所在地 京都府京都市左京区南禅寺福地町86
位置 北緯35度0分43.14秒 東経135度47分39.8秒
山号 瑞龍山
宗派 臨済宗南禅寺派
寺格 大本山
京都五山および鎌倉五山の別格上位
本尊 釈迦如来
創建年 正応4年(1291年)
開山 無関普門(大明国師)
開基 亀山法皇
正式名 瑞龍山 太平興国南禅禅寺
文化財 方丈、亀山天皇宸翰禅林寺御祈願文案(国宝)
三門、勅使門、絹本著色大明国師像ほか(重要文化財)
境内(国の史跡)
方丈庭園(国の名勝)
公式サイト 臨済宗大本山 南禅寺 公式サイト
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2023年08月31日

佐渡国分寺(さどこくぶんじ)は、新潟県佐渡市国分寺にある真言宗の佐渡島内最古の寺

佐渡国分寺(さどこくぶんじ)は、新潟県佐渡市国分寺にある真言宗の佐渡島内最古の寺。

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歴史
741年の聖武天皇の詔によって743年−775年の間に建てられたと考えられている。天平宝字8年(764年)、『最勝王経』、『法華経』が施納。正安3年(1301年)、雷火で七重塔が焼失。享禄2年(1529年)にも伽藍を焼失したが、享禄4年(1531年)には再建された。現在のものは元の伽藍の東に1674年までに再建されたもの。

文化財
佐渡国分寺跡(国の史跡)
薬師如来坐像(国の重要文化財) 平安時代前期の一木造りで、膝、両手首、衣文の折り返しなどを別材で作る。1529年の火災では焼失を免れた。
瑠璃堂(佐渡市指定有形文化財) 寛文6年(1666年)建立。

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所在地 新潟県佐渡市国分寺113
宗派 真言宗醍醐派
創建年 奈良時代
開基 聖武天皇
posted by Kazu at 08:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 新潟県

2023年08月30日

大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもと−)は、福井県越前市大滝町にある神社

大瀧神社・岡太神社(おおたきじんじゃ・おかもと−)は、福井県越前市大滝町にある神社である。上宮(奥の院)には大瀧・岡太両神社の本殿が並んで建つが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両神社の共有となっていることから、2つの神社の名前が併記される。国の重要文化財指定名称は「大滝神社」である。

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福井県越前市の大瀧神社・岡太神社

歴史
伝承によれば、養老3年(719年)、この地を訪れた泰澄が、国常立尊(くにとこたちのみこと)・伊弉諾尊(いざなぎのみこと)を主祭神とし、十一面観世音菩薩を本地とする神仏習合の社を創建し、大瀧兒(おおちご)権現を建立したという。後に明治時代の神仏分離令により、現在の大瀧神社となった。

岡太神社については、約1500年前、大滝町の岡本川上流に美しい姫が現れ、村人に紙漉きの技術を伝えたのが始まりとされている。この伝説の姫『川上御前』を、和紙の神様・紙祖神(しそじん)として祀ったのが岡太神社である 。延元2年(1337年)の足利軍の兵火で社殿が失われ、岡太神社の祭神を大瀧神社の相殿に祭った。さらに天正3年(1575年)、織田信長の一向一揆攻略の際、大瀧寺一山が兵火に遭い消失。再建時に大瀧神社の摂社として境内に祀られるようになった。

大正12年(1923年)、大蔵省印刷局抄紙部に川上御前の分霊が奉祀され、岡太神社は名実共に全国紙業界の総鎮守となった。

神社の格としては大瀧神社の方が上であるが、住民達が崇拝してきたのは川上御前であったため「大瀧神社・岡太神社」と並記していると考えられている。

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文化財
重要文化財(国指定)
大滝神社本殿及び拝殿[3](下宮本拝殿)
天保14年(1843年)建立、昭和59年(1984年)重要文化財に指定。
拝殿(入母屋造妻入)と本殿(大型の一間社流造)が一体となった複合社殿。
大久保勘左衛門(代表作は曹洞宗本山永平寺の勅使門)棟梁による、複雑な曲面を持つ積層した屋根が特徴。
県指定天然記念物
大滝神社のゼンマイザクラ
昭和39年6月5日指定。ゼンマイのとれる頃に花が満開となる、エドヒガンの大木。
大滝神社の大スギ
昭和39年6月5日指定。通称「おお杉さん」。神社の神木としてしめ縄がかけられ、柵で囲み保護されている。
大滝神社奥の院社叢
昭和61年3月28日指定。権現山(標高326m)山頂付近のブナの原生自然林。

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交通
JR武生駅から車で20分または福鉄バス和紙の里経由戸の口行乗車、終点
北陸自動車道武生インターチェンジから東へ約10分

所在地 福井県越前市大滝町23-10
位置 北緯35度54分22秒 東経136度15分10.7秒
主祭神 大瀧神社:國常立尊・伊弉諾尊
岡太神社:川上御前(岡太大神)
御神体山:権現山
社格等 県社
創建 (伝)養老3年(719年)
例祭 春期例祭(5月3-5日)
秋期例祭(10月11-13)
主な神事 式年大祭 三十三年毎(本開帳)
御神忌 五十年毎(中開帳
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2023年08月29日

荒城神社(あらきじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社

荒城神社(あらきじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社。

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荒城神社本殿 国指定の重要文化財

式内社であり、延喜式神名帳の飛騨国内八社の1つである。旧社格は県社。本殿は国の重要文化財に指定されている。同じく本殿が2016年に日本遺産「飛騨匠の技・こころ / 国府盆地の中世社寺建築群」の一つとして認定された。

毎年9月7日の秋の例祭には、「荒城神社鉦打・獅子舞」(岐阜県重要無形文化財指定)が行われる。秋の例祭は2016年より9月の第一日曜日となった。

由緒
一般的には創立年紀不詳とされるが、神社明細帳には「創立は遠く上代」とあり、日本三代実録には「清和天皇貞観九年(867年)10月5日庚午、授飛騨国五位下荒城神従五位」と記される。室町時代以降は河伯大明神と称されていたが、江戸時代の文化年間に荒城神社であることが調査で判明した。

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正面鳥居

主な文化財
重要文化財(国指定
本殿 - 国の重要文化財建造物である現在の本殿は1390年(元中7年)の建立である。三間社流造杮葺の本殿は、明治42年(1909年)に、古社寺保存法に基づく特別保護建造物(国宝保存法により「国宝」、現行法により「重要文化財」に移行)に指定された。昭和38年(1963年)には棟札7枚が重要文化財の附(つけたり)として追加指定されている。
県指定重要文化財
荒城神社神像(2躯)
随身(2躯)
鰐口(1口)
面(4面)
県指定重要有形民俗文化財
獅子頭 9箇
県指定史跡
荒城神社遺跡 - 境内からは4基の縄文時代住居跡、および縄文土器(縄文中期 - 後期)、石器(打製石斧、石鏃、磨製石斧、石刀、石冠、石皿など)が発見されており、「荒城神社遺跡」として岐阜県史跡に指定されている。

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拝殿

祭神
主神
大荒木之命(高御牟須比命の13世の孫)
国之水国分神
彌都波能売神
末社
秋葉神社
稲荷神社
津島神社
荒神社

交通
高山本線飛騨国府駅より約5km
中部縦貫自動車道・高山ICより道程約15km、車で25分

所在地 岐阜県高山市国府町宮地1386
位置 北緯36度13分7.82秒 東経137度15分34.19秒
主祭神 大荒木之命
社格等 式内社 県社
本殿の様式 三間社流造
例祭 9月7日(秋の例祭)
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2023年08月28日

江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社

江島神社(えのしまじんじゃ)は、神奈川県藤沢市江の島にある神社である。旧社格は県社で、現在は神社本庁の別表神社。日本三大弁天の一つに数えられる。

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祭神
宗像三女神を祀る。島の西方の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命、北方の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命をそれぞれ祀り、「江島大神」と総称する。

江戸時代までは弁財天を祀っており、江島弁天・江島明神と呼ばれた。

現在の祭神は明治の神仏分離の際に改められたものである。辺津宮境内の奉安殿には八臂弁財天と妙音弁財天が安置されている。

歴史
社伝によれば、欽明天皇13年(552年?)、神宣に基づき欽明天皇の勅命により、江の島の南の洞窟に宮を建てたのに始まると伝える。神仏習合により当社は金亀山与願寺と称する寺となった。『吾妻鏡』によれば、寿永元年(1182年)、源頼朝の命により文覚が島の岩屋に弁財天を勧請したとあり、これをもって創建とすることもある。歴代の鎌倉幕府将軍・執権や、代々の領主から崇敬を受けた。江戸時代には弁才天信仰が盛んになり、多くの庶民が参詣するようになった。

当社には岩本坊・上ノ坊・下ノ坊の3つの別当があり、それぞれ岩屋本宮(現在の奥津宮)・上之宮(現在の中津宮)・下之宮(現在の辺津宮)を管理していた。その中で岩本坊は総別当とされ、江島寺とも称した。慶安2年(1649年)に京都・仁和寺の末寺となってからは、岩本坊のみ院号の使用が認められて「岩本院」と称するようになった。三坊は競って当社の縁起を説いて回り、参詣者を集めた。そのうちに利権争いが起こり、寛永17年(1640年)、岩本院は幕府からの朱印状を得て上ノ坊を吸収した。後に下ノ坊も支配するようになり、岩本院が全島の権益を握ることとなった。

明治元年(1868年)の廃仏毀釈により三重塔の他多くの仏教施設や仏像などが破壊された。明治6年(1872年)には、仏式を廃して神社となり「江島神社」へ改称、県社に列せられた。同時に僧侶は全員僧籍を離れて神職となり、岩本院は参詣者の宿泊施設としても利用されていたことから、旅館となり「岩本楼」へ改称した。

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江島神社 境内

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中津宮

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辺津宮

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奥津宮

所在地・交通
神奈川県藤沢市江の島2-3-8

最寄駅:小田急江ノ島線片瀬江ノ島駅、江ノ島電鉄江ノ島駅から徒歩約15分。湘南モノレール江の島線の湘南江の島駅からもアクセスできる。
辺津宮から中津宮への移動には江の島エスカー(上り専用)が利用できる。

位置 北緯35度18分02秒 東経139度28分47秒
主祭神 多紀理比賣命
市寸島比賣命
田寸津比賣命
社格等 県社・別表神社
創建 (伝)欽明天皇13年(552年)
本殿の様式 権現造(辺津宮・中津宮)、入母屋造(奥津宮)
札所等 鎌倉江の島七福神(弁財天)
例祭 4月最初の巳の日
posted by Kazu at 09:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 神奈川県

2023年08月27日

鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市吉野町にある神社

鶴嶺神社(つるがねじんじゃ)は、鹿児島県鹿児島市吉野町にある神社。鎮座地は仙巌園の中。

島津氏の先祖を祀る為に明治2年(1869年)に創祀された神社である。江戸時代後期から明治時代初期に流行した藩祖を祀った神社のひとつ。

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仙巌園鶴嶺神社

祭神
島津氏初代忠久公以降の歴代当主とその家族、及び分家筋の玉里家歴代当主とその家族を祀る。就中、16代当主義久公の3女である亀寿を祀る神社として有名で、また歴代当主を祀るという性質上、時勢や江戸幕府への対応について百八十度意見を異にしたために不仲であったとされる斉興公と斉彬公父子も共に祀られている。

由緒
幕末の頃から廃仏毀釈運動の煽りを受けて薩摩藩領内の寺院を廃止する機運があったが、明治2年3月24日、島津忠義の正室である暐(てる)姫が死去した際、葬儀を神式で行うことが決まったことをきっかけとして薩摩藩領内の寺院の排斥が一気に進行、かつて島津氏歴代当主の菩提を弔っていた福昌寺も廃絶の憂き目にあった。その代わりとして同年11月に忠義が鹿児島郡坂本村山下鶴峯(現鹿児島市照国町)に祖先を祀る神社を創建しこれを竜尾神社と号したのに創まる。なお、同時に従来の菩提寺で保管していた歴代当主の肖像画や宝物などは竜尾神社をはじめ他の神社へ移される。

明治6年(1873年)に県社に列し、大正6年(1917年)に島津氏歴代の別館地であった事から祭神とも縁が深い現鎮座地を当時の当主忠重から寄進されて遷座、神社名を鶴嶺神社と改称した。因みにこの名称は旧鎮座地に由来する。

西南戦争の際、島津家は中立を保っていたにもかかわらず、当神社は官軍の強奪被害に遭い、多数の貴重な文化財を失った。これらの宝物の消息は現在に至るまで不明であり、鹿児島県が現在に至るまで文化財過疎県である一因となっている。

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所在地 鹿児島県鹿児島市吉野町9698-2
位置 北緯31度37分5.7秒 東経130度34分35.0秒
主祭神 島津忠久公以下歴代島津家当主
社格等 旧県社
創建 明治2年(1869年)
本殿の様式 流造
例祭 3月1日・10月1日
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2023年08月26日

明石城(あかしじょう)は日本の城

明石城(あかしじょう)は日本の城。所在地は兵庫県明石市明石公園。旧明石藩の政庁と藩主の居所が置かれた。別名、喜春城(きはるじょう、きしゅん-)、錦江城(きんこうじょう)とも呼ばれる。

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坤櫓(左)と巽櫓(右)

沿革
江戸時代
1617年(元和3年)信濃松本藩主より明石藩主となった小笠原忠真は、明石城の西方、明石川河口西岸にあった船上城に入城した。譜代大名たる小笠原氏10万石の居城として城郭を建設するよう、同年に第2代・将軍徳川秀忠より築城命令された。この時の様子を『本田家記』によると、

元和六年午の春明石ニ新城を築可申旨、上意ニ而本多美濃守殿右近様御相談、地形見立言上可被成との儀ニ而美濃守明石ヘ両度御方々御見分塩見分塩屋与申処浜ニ少し入江有之ニ一所、亦明石より西かまか坂与申処高き岡あるに一処、又明石人丸山ニ一所御見立有之、御相談之上人丸山ニ極リ
− 本田家記(小笠原文庫蔵)

と記されている。この文中にある「元和六年」とは「元和四年」の誤記ではないかと思われ、「本多美濃守殿」とは当時姫路城の城主であった本多忠政の事である。この『本田家記』によると、徳川秀忠より築城命令があり、本多忠政と小笠原忠真は相談しながら(忠政は忠真の義父にあたる)、築城から町割りまで行った。当初検討された地は三ヵ所、塩屋町(現在の神戸市垂水区塩屋町周辺)、かにが坂(現在の明石市和坂周辺)と人丸山(赤松山)が検討されたが、人丸山には大きな池があり城の防備に役立つとして人丸山に定まった。徳川秀忠は旗本の都筑為政、村上吉正、建部政長らを普請奉行として派遣し、築城費として銀一千貫を支給した。

人丸山の地の利を利用し、三木城、高砂城、枝吉城、船上城の木材を使用し着工され、坤櫓は伏見城、巽櫓は船上城の遺材が使用されたと伝えられている。また細川忠興書状には、忠興から忠真へ中津城天守を贈ったとあり、この部材も転用された。元和5年(1619年)正月から作事が始まり、元和6年(1620年)正月には小笠原忠真が船上城から移り住み、同年6月から城内の建物関係の工事が開始された。このとき天守は台石まで積まれたが、建てられなかった。

築城と並行して城下町の町割りも実施され、当時小笠原忠真の客分だった宮本武蔵が指導したと『赤石市中記』『播磨鑑』『播州明石記録』『小笠原忠真一代覚書』など各史書に記録されている。

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城の天守台

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船上城からの移築とされる巽櫓

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伏見城からの移築とされる坤櫓

櫓見学と交通
坤櫓は奇数月、巽櫓は偶数月に一般公開される。いずれも公開は1階部分だけで土日祝限定で天候によって中止されることもある。

電車でのアクセス
JR西日本 神戸線 明石駅
山陽電気鉄道 本線 山陽明石駅
徒歩約10分
車でのアクセス
第二神明道路 大蔵谷IC → 兵庫県道21号 → 兵庫県道52号 → 国道2号
周辺に有料駐車場多数有

別名 喜春城、錦江城
城郭構造 連郭梯郭混合式平山城
天守構造 なし(天守台はあり)
築城主 小笠原忠真
築城年 1618年(元和4年)
主な改修者 松平直常
主な城主 松平氏(越前系)
廃城年 1874年(明治7年)
遺構 櫓、石垣、堀、移築門
指定文化財 国の重要文化財(巽櫓・坤櫓)、国の史跡
再建造物 土塀
位置 北緯34度39分10.07秒 東経134度59分30.47秒
posted by Kazu at 09:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 兵庫県

2023年08月25日

安芸国分寺(あきこくぶんじ)は、広島県東広島市西条町吉行にある真言宗御室派の寺院

安芸国分寺(あきこくぶんじ)は、広島県東広島市西条町吉行にある真言宗御室派の寺院。山号は金嶽山、院号は常光院。本尊は薬師如来。

奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、安芸国国分僧寺の後継寺院にあたる。

1280px-Aki_Kokubunji,_hondou.jpg
安芸国分寺 本堂

境内
現在の主要伽藍のうち本堂は、2004年(平成16年)の再建。堂内の厨子内に本尊の薬師如来坐像(東広島市指定重要文化財)と日光・月光菩薩立像を安置する。

本堂前に位置して西面する護摩堂は、江戸時代後期の18世紀後半-19世紀初頭頃の建立。堂内の祭壇で護摩木を燃やして不動明王に祈願する建物である。正面三間・奥行二間で、南北5.9メートル・東西6.9メートル。唐様を主体として、柱上の肘木や小組格天井などには和様が取り入れられる。広島藩主の浅野家の祈祷所として建てられたため、正面向拝や来迎壁には浅野家の家紋である「違鷹羽」紋が掲げられている。当地域では最大規模の護摩堂であり、東広島市指定重要文化財に指定されている。

また寺域南正面の仁王門は、室町時代の天文16年(1547年)の建立。間口三間・奥行二間の典型的な八脚門で、東西5.4メートル・南北3.1メートル。柱はすべて円柱で、上に舟肘木を載せる簡素な様式である。当初の屋根は茅葺または杮葺と推測される。また門内の両脇には仁王像が安置される。棟の祈祷札に天文16年(1547年)銘を有する。広島県で現存する中世期の仁王門としては唯一のものであり、東広島市指定重要文化財に指定されている。

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仁王門(東広島市指定文化財)

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護摩堂(東広島市指定文化財)

現地情報
所在地
現国分寺:広島県東広島市西条町吉行2064(字伽藍)
古代国分寺跡:広島県東広島市西条町吉行(安芸国分寺歴史公園内)

交通アクセス
鉄道:西日本旅客鉄道(JR西日本)山陽本線 西条駅(徒歩約10分)
車:山陽自動車道 西条インターチェンジから約2分

所在地 広島県東広島市西条町吉行2064(字伽藍)
位置 北緯34度26分3.25秒 東経132度44分55.50秒
山号 金嶽山
宗派 真言宗御室派
本尊 薬師如来
正式名 金嶽山常光院国分寺
札所等 広島新四国八十八ヶ所 第38番札所
文化財 薬師如来像(広島県指定文化財)
護摩堂・仁王門・薬師如来像(東広島市指定文化財)
posted by Kazu at 09:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 広島県

2023年08月24日

神谷神社(かんだにじんじゃ)は、香川県坂出市にある神社

神谷神社(かんだにじんじゃ)は、香川県坂出市にある神社。式内社で、旧社格は郷社。

Kandani_Shrine.jpeg
本殿(国宝)

概要
坂出市東部、五色台の一峰・白峰山の麓に鎮座する。「神谷」と呼ばれる谷間に位置し、境内の北方を神谷川が流れる。

本殿は造営年代が明らかな流造社殿の中では最古のもので[1]、国宝に指定されている。国宝の社殿を持つ神社ではあるが、境内は比較的小さい。そのほか、重要文化財の木造随身立像などの神宝を現在に伝えている。

祭神
主祭神
火結命 (ほむすびのみこと)
奥津彦命 (おくつひこのみこと)
奥津姫命 (おくつひめのみこと)

相殿神
春日四神
経津主神 (ふつぬしのかみ)
武甕槌神 (たけみかづちのかみ)
天児屋命 (あめのこやねのみこと)
姫大神 (ひめおおかみ)

神谷神社_正面鳥居.JPG
正面鳥居

境内
本殿は、鎌倉時代初期の建保7年(1219年)に荘官の刑部正長により旧本殿より再建された三間社流れ造りの社殿である。建造年の明らかな神社建築としては日本最古であり、国宝に指定されている。

また、社殿裏手約50mの地には、「影向石」と呼ばれる巨岩が立つ。当地では古代に磐座として祭祀が行われていたという。

神谷神社_拝所.JPG
拝所

文化財
国宝
本殿 - 昭和30年(1955年)2月2日指定。
重要文化財(国指定)
木造随身立像 2躯
阿・吽一対の立像。鎌倉時代初期の作品とされる。昭和41年(1966年)6月11日指定。

現地情報
交通アクセス
坂出駅(JR四国予讃線)から、琴参バス(王越行き)で「高屋南」バス停下車(所要約15分、下車後徒歩20分)

所在地 香川県坂出市神谷町621
位置 北緯34度19分29.47秒 東経133度55分00.32秒
主祭神 火結命
奥津彦命
奥津姫命
社格等 式内社(小)
旧郷社
創建 (伝)弘仁3年(812年)
本殿の様式 三間社流造
posted by Kazu at 08:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 香川県
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