廣福寺(こうふくじ)は、熊本県玉名市石貫にある曹洞宗の寺院である。大本山・永平寺の直末寺。小岱山系観音岳の東麓に位置する。肥後西国観音霊場第24番札所。
熊本県玉名市の廣福寺
歴史
創建の年代及び由来には諸説ある。
寺伝では、正平12年(1357年)、菊池武澄が、肥後国菊池郡の聖護寺より大智禅師を開山に迎え開基したという。
より正確には次のようなものである。大智が招かれていた聖護寺は僧尼未分離の寺であった。そのため、大智は僧尼が分離された寺の建立を望んでいた。菊池武重の母・慈春尼は、庶子の武澄にこれを伝え、正平11年(1356年)、武澄は、石貫寺という既存の寺を、大智を開山とする曹洞宗瑩山門派の寺にすることを発願する。しかし翌年死去。武澄の妻・了悟尼が武澄の遺志に従って寺地を寄進し、廣福寺が成ったという。
一方、『肥後国誌』には、大智禅師は聖護寺を開いたが、戦乱の際に大智が菊池武時を寺に匿ったことから、後に肥後を再び平定した武時が、このときの大智の恩に謝するため、元徳2年(1330年)、廣福寺を開基したとある。
寺は菊池氏代々の菩提所として栄えたが、菊池氏の衰退とともに寺勢も衰えた。 その後、肥後に入国した加藤清正が寺領を寄進し、寺は再興された。寛永17年(1640年)までは、大智禅師が開いた加賀にある祇陀寺の末寺であったが、同年、永平寺の直末となった。
菊池氏代々の菩提所であったことから、寺には菊池氏歴代の位牌や、菊池氏に関する古文書、寺宝が数多く残る。
境内
御前水 - 寺の門前には小さな泉がある。これは豊臣秀吉が九州に下向した際に使った「御前水」と言われ、加藤清正以来、その後肥後を領した細川氏に至っても、藩主がこの辺りに出駕した際は、その度にこの水を用いたという。
山門 - 「小岱八十八ヶ所霊場」の札が掛かる
本堂 - 現在の本堂はかつての座禅堂を移したもの。往時は、100名もの僧がここに籠り、読経の声は近郊にまで響いたという。
開山堂(菊池一族位牌堂)
庫裡
仇討供養塔 - 日本最後の仇討の1つ[8]に挙げられる玉名市石貫の仇討[9]で敵の遺体が廣福寺裏手の墓所に仮埋葬され、現在は仇討供養塔が建つ。
交通
九州自動車道菊水インターチェンジから車で約22分(11km)
玉名駅もしくは新玉名駅から九州産交バス南関上町ゆきに乗車し「廣福禅寺入口」下車、徒歩20分(1.6km)
所在地 熊本県玉名市石貫1379
位置 北緯32度58分06.3秒 東経130度33分15.9秒
山号 紫陽山
宗旨 禅宗
宗派 曹洞宗
寺格 永平寺直末寺
本尊 釈迦如来
創建年 元徳2年(1330年)または正平12年(1357年)
開山 大智
開基 菊池武時または菊池武澄
正式名 紫陽山廣やW寺
別称 紫陽山廣n
札所等 肥後西国観音霊場第24番札所
文化財 大智墨蹟ほか多数
2023年09月02日
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