新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2018年11月26日
『バイトの時給が1,000円超えした』問題にみる階級対立、そして資本主義のルール
(事実関係)
先日、ツイッター上で、下記の記事、とくに見出しに対しての批判投稿を目にした。
『バイト時給1000円超え 小売り・外食に重圧 レジや配膳、効率化急ぐ』
パート・アルバイト職の時給高騰が続いている。リクルートジョブズが15日発表した10月の三大都市圏の平均時給は前年同月比2.6%増の1047円と過去最高を更新した。慢性的な人手不足と10月の最低賃金改定を反映した。パート・バイトへの依存が強い小売りや外食産業では対応を急ぐが、自動化など生産性の向上が不可欠だ。「時給1000円」を前提に戦略を描けなければ生き残れない時代になってきた。
日経新聞11月16日 朝刊
『バイトの時給が上がったのは良いこ都なのに、なぜ重圧なのか?』と否定的なコメントが見受けられた。
(コメント)
1-1
まずはそもそも論から考えていきたい。
日本経済新聞(以下 日経)は誰のための情報媒体か?
ビジネスパーソンという答えが返ってきそうだ。
『ビジネスパーソンは日経を読んでおかねばならない』、筆者の就職中はそう教わった。きっと今でもそうなのだろう。
ということで、日経はビジネスパーソンのための情報媒体だとすれば、なるほど被雇用者であるビジネスパーソンにとって、バイト代や月給、日給などの賃金が上がれば嬉しい限りだろう。
その観点から分析すれば、当該記事の見出しは『ケシカラナイ』ことになる。批判のコメントは、ごもっとものように聞こえる。
しかし、本当は日経はビジネスパーソンのための情報媒体ではない。
その前に日本国家をはじめ多くの国々は資本主義経済を採用している。共産党が支配している中国でさえ実際は資本主義経済だ。
この資本主義経済の下では、大きく分けて資本家と労働者という二つの階級に収斂される。
資本家は道具・機械・建物生産手段、要するに、会社や工場を持つ人だ。この経営サイドに運転資金を出資する株主、土地を提供して地代を得る地主も資本家だ。雇われ社長という言葉が示す通り、資本家は効率よく利益を増やすために経営者も雇う。なので基本、経営者も資本家サイドの味方だ。この経営者がビネスパーソンを含めて労働者を雇うのである。
労働者とは、生産手段を持たずに自身の労働力を資本家に提供する、一方で、その見返りとして賃金で生活する人だ。資本家に雇われる側だ。
日経は資本家(含む経営者)のための回覧板だ。『弊社は新技術○○を開発しました。つきましては運転資金を出資してください』『この度、取締役会のメンバーが変わりました。今後とも末永くお付き合い下さい』『取引先に持っていく手土産は今は△△が旬です』などという資本家が経営戦略・戦術を策定、および情報共有をするための媒体だ。
もっとも、今の時代あまり露骨にやるとSNSで叩かれる恐れがある。したがって時に『女子社員(従業員)に働きやすい会社特集』『定時に帰れる会社特集』などの労働者に受けそうな記事も取り込みカモフラージュしている。
叩かれて、株価が下がれば大変なことになる。株価が下がるとは資本家の利益を損なうことになるからだ。
しかし本質的には、資本家の論理を労働者に共有させることが目的である。かつて、マルクスが指摘したとおり、資本家階級と労働者階級は対立関係にある。
でも、その前に資本家が作り出したゲームのルール(臨場感空間)を労働者に共有させてしまう。こうすれば階級対立は見えなくなり、労働者はそのルールの範囲内で、ルールを作り出した方に都合の良いゴールを設定してくれる。
ゆえに『日経を読まずはビジネスパーソンにあらず』と流布できる。もっとも、発行部数を伸ばして売り上げを上げることも同新聞の宿命だろう。このように日経は資本家の、資本家による、資本家のための新聞だ。事実、会社名も株式会社日本経済新聞社だ。
先にも書いたが株式会社は資本家の利益収集装置。資本家の職業的良心は資本を増殖させて、資本主義を拡大・発展させることにある。そのための情報発信部門が日本経済新聞というのが筆者の結論だ。
このように考えると『バイト時給1000円超え 小売り・外食に重圧 レジや配膳、効率化急ぐ』と日経が見出しを書くのは至極当然のことだ。
間違っても『ブラボー時給が1,000円に上がりました!ルンルン』という見出しにはならない。
1-2
批判をした人は労働者階級に属する人だと推測される。
これは推測だが、おそらく批判をした人が普段接している新聞・雑誌は『ブラボー時給が1,000円に上がりました!ルンルン』という論調の記事を上げているのだろう。
もしくは被雇用者の自分としては『ルンルン』の心境なのだろう。これをコンフォートゾーン
という。
詳細は省くが、人間はコンフォートゾーンの中にいると安心する。反対に、そこから外れると不安定になる。
批判をした人は『時給が1,000円を超えたのはめでたいことなのに、重圧とは何事だ!』自身のコンフォートゾーンを揺らがされたのだろう。
そして肝心なことは、この人は資本家の論理が見えなかった、日経が資本家の、資本家による、資本家のための新聞である事がスコトーマ(心理的盲点)に隠れていたのだ。
この人は当該記事に対して、自分を取り巻く世界だけで日ごろ目にする情報媒体の公式を当てはめようした。つまり自分のブリーフシステム(信念体系)に合わせようと無意識が動き出した。これが批判の正体だ。
さらに言えば、批判にした人のコメントが筆者のコンフォートゾーンを揺らがしたために、今こうやってブログ記事を書いている。
マルクスの階級対立論しかり、今回の記事しかり、世界はコンフォートゾーン対、コンフォートゾーンの闘いなのである。
1-3
もっとも筋金入りの労働者の新聞であれば、『衝撃!時給がたったの1,000円』が見出しになり、資本家がいかに労働者から搾取・収奪をしているのかという告発内容の記事になるだろう。
でも、実際は労働者の多くが目にする情報は『ブラボー時給が1,000円に上がりました!ルンルン』の類だろう。
そして、この情報発信の媒体も〇〇株式会社だ。
繰り返すが、株式会社の前提となる資本主義経済の下ゴールは資本家の利益を増大させることである。
労働者が、たかだか時給が100円上がっただけでルンルンになってくれて、その分何倍ものエネルギーを提供してくれれば、これほど美味しいことはないのである。
先日、ツイッター上で、下記の記事、とくに見出しに対しての批判投稿を目にした。
『バイト時給1000円超え 小売り・外食に重圧 レジや配膳、効率化急ぐ』
パート・アルバイト職の時給高騰が続いている。リクルートジョブズが15日発表した10月の三大都市圏の平均時給は前年同月比2.6%増の1047円と過去最高を更新した。慢性的な人手不足と10月の最低賃金改定を反映した。パート・バイトへの依存が強い小売りや外食産業では対応を急ぐが、自動化など生産性の向上が不可欠だ。「時給1000円」を前提に戦略を描けなければ生き残れない時代になってきた。
日経新聞11月16日 朝刊
『バイトの時給が上がったのは良いこ都なのに、なぜ重圧なのか?』と否定的なコメントが見受けられた。
(コメント)
1-1
まずはそもそも論から考えていきたい。
日本経済新聞(以下 日経)は誰のための情報媒体か?
ビジネスパーソンという答えが返ってきそうだ。
『ビジネスパーソンは日経を読んでおかねばならない』、筆者の就職中はそう教わった。きっと今でもそうなのだろう。
ということで、日経はビジネスパーソンのための情報媒体だとすれば、なるほど被雇用者であるビジネスパーソンにとって、バイト代や月給、日給などの賃金が上がれば嬉しい限りだろう。
その観点から分析すれば、当該記事の見出しは『ケシカラナイ』ことになる。批判のコメントは、ごもっとものように聞こえる。
しかし、本当は日経はビジネスパーソンのための情報媒体ではない。
その前に日本国家をはじめ多くの国々は資本主義経済を採用している。共産党が支配している中国でさえ実際は資本主義経済だ。
この資本主義経済の下では、大きく分けて資本家と労働者という二つの階級に収斂される。
資本家は道具・機械・建物生産手段、要するに、会社や工場を持つ人だ。この経営サイドに運転資金を出資する株主、土地を提供して地代を得る地主も資本家だ。雇われ社長という言葉が示す通り、資本家は効率よく利益を増やすために経営者も雇う。なので基本、経営者も資本家サイドの味方だ。この経営者がビネスパーソンを含めて労働者を雇うのである。
労働者とは、生産手段を持たずに自身の労働力を資本家に提供する、一方で、その見返りとして賃金で生活する人だ。資本家に雇われる側だ。
日経は資本家(含む経営者)のための回覧板だ。『弊社は新技術○○を開発しました。つきましては運転資金を出資してください』『この度、取締役会のメンバーが変わりました。今後とも末永くお付き合い下さい』『取引先に持っていく手土産は今は△△が旬です』などという資本家が経営戦略・戦術を策定、および情報共有をするための媒体だ。
もっとも、今の時代あまり露骨にやるとSNSで叩かれる恐れがある。したがって時に『女子社員(従業員)に働きやすい会社特集』『定時に帰れる会社特集』などの労働者に受けそうな記事も取り込みカモフラージュしている。
叩かれて、株価が下がれば大変なことになる。株価が下がるとは資本家の利益を損なうことになるからだ。
しかし本質的には、資本家の論理を労働者に共有させることが目的である。かつて、マルクスが指摘したとおり、資本家階級と労働者階級は対立関係にある。
でも、その前に資本家が作り出したゲームのルール(臨場感空間)を労働者に共有させてしまう。こうすれば階級対立は見えなくなり、労働者はそのルールの範囲内で、ルールを作り出した方に都合の良いゴールを設定してくれる。
ゆえに『日経を読まずはビジネスパーソンにあらず』と流布できる。もっとも、発行部数を伸ばして売り上げを上げることも同新聞の宿命だろう。このように日経は資本家の、資本家による、資本家のための新聞だ。事実、会社名も株式会社日本経済新聞社だ。
先にも書いたが株式会社は資本家の利益収集装置。資本家の職業的良心は資本を増殖させて、資本主義を拡大・発展させることにある。そのための情報発信部門が日本経済新聞というのが筆者の結論だ。
このように考えると『バイト時給1000円超え 小売り・外食に重圧 レジや配膳、効率化急ぐ』と日経が見出しを書くのは至極当然のことだ。
間違っても『ブラボー時給が1,000円に上がりました!ルンルン』という見出しにはならない。
1-2
批判をした人は労働者階級に属する人だと推測される。
これは推測だが、おそらく批判をした人が普段接している新聞・雑誌は『ブラボー時給が1,000円に上がりました!ルンルン』という論調の記事を上げているのだろう。
もしくは被雇用者の自分としては『ルンルン』の心境なのだろう。これをコンフォートゾーン
という。
詳細は省くが、人間はコンフォートゾーンの中にいると安心する。反対に、そこから外れると不安定になる。
批判をした人は『時給が1,000円を超えたのはめでたいことなのに、重圧とは何事だ!』自身のコンフォートゾーンを揺らがされたのだろう。
そして肝心なことは、この人は資本家の論理が見えなかった、日経が資本家の、資本家による、資本家のための新聞である事がスコトーマ(心理的盲点)に隠れていたのだ。
この人は当該記事に対して、自分を取り巻く世界だけで日ごろ目にする情報媒体の公式を当てはめようした。つまり自分のブリーフシステム(信念体系)に合わせようと無意識が動き出した。これが批判の正体だ。
さらに言えば、批判にした人のコメントが筆者のコンフォートゾーンを揺らがしたために、今こうやってブログ記事を書いている。
マルクスの階級対立論しかり、今回の記事しかり、世界はコンフォートゾーン対、コンフォートゾーンの闘いなのである。
1-3
もっとも筋金入りの労働者の新聞であれば、『衝撃!時給がたったの1,000円』が見出しになり、資本家がいかに労働者から搾取・収奪をしているのかという告発内容の記事になるだろう。
でも、実際は労働者の多くが目にする情報は『ブラボー時給が1,000円に上がりました!ルンルン』の類だろう。
そして、この情報発信の媒体も〇〇株式会社だ。
繰り返すが、株式会社の前提となる資本主義経済の下ゴールは資本家の利益を増大させることである。
労働者が、たかだか時給が100円上がっただけでルンルンになってくれて、その分何倍ものエネルギーを提供してくれれば、これほど美味しいことはないのである。
2018年11月23日
カルロスゴーン逮捕と側近の裏切り
【事実関係】
東京地検特捜部は(11月)19日、仏ルノー・日産自動車・三菱自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン容疑者(64)を金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕した。報酬を約50億円過少申告した疑い。日産は同日、『複数の重大な不正行為』があったとして、同会長らの解任を取締役会で提案すると発表した。
日本経済新聞11月20日付 朝刊
日産の会長カルロス・ゴーンが逮捕された。カルロス・ゴーンは、1999年、筆者が高校生の頃に策定・実行された日産リバイバルプランにてかつて瀕死の状態にあった日産自動車を回復させた。
とても有名な青い目の経営者だ。当時は英語が公用語になるという話もあった。
そのゴーン氏がこの度、東京地検特捜部によって自身の報酬を低く申告した容疑で逮捕された。その後、同社会長の地位も解任させられた。
逮捕された日の夜に、日産は記者会見を開きゴーン氏の不正を追及した。
日産の西川広人社長は19日夜の記者会見で、ゴーン会長の主な不正行為として@実際の報酬よりも少ない金額を有価証券報告書に記載したA私的な目的で投資金を支出したB私的な目的で経費を出した――3点が確認されたと述べた。
日本経済新聞11月20日付 朝刊
記者会見においてゴーン氏を厳しく追及した西川社長はゴーン氏に極めて近い位置にいたようだ。
『ゴーン後』のかじ取り役を担う西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)は、生え抜きの実務家だ。ゴーン元会長の改革を支えた「ゴーン・チルドレン」の代表格だった。物静かな人柄で、関係者の多くが西川氏を「堅物」と評する。
日本経済新聞11月23日付 朝刊
ゴーン氏にとっては、まさかの側近から裏切られた形となった。
本件は平成30年11月23日現在、世間からの高い注目を集めている経済犯罪だ。
コメント
1-1
ゴーン元会長と西川社長との関係はネガティブラポールだと推測される。
ネガティブラポールとは、日本語で陰性転移感情という。反対の感情は、いわゆるラポールであり、これは陽性転移感情と呼ばれ、好意に結びつく。
ただ本質的には同じものだ。良い方に作用すればラポールであり、悪い方に作用すればネガティブラポールになる。
この感情は一つのリアリティの共有、距離が近い者同士で強い感情の共有から生まれる。
カルトなどで、古くからの側近がある日突然、強烈な裏切りを働くのは、陰性転移が原因とも言えるだろう。
苫米地英人 『洗脳護身術』P136。
日産はもちろんカルトではなく立派な株式会社だ。しかし本件を分析する上で苫米地博士の理論は役に立つ。
ゴーン氏と西川氏は、日産自動車株式会社空間の中の、経営空間というリアルを共有していた。その近さは、新聞報道にあるようにゴーンチルドレンと呼ばれていた。当然、両者は近い関係にあったので強烈なラポールが生じていたと考えるのが筋だろう。
カルトの信者は、教祖が生成した変性意識のもとで強化された依存性で精神が支配されています。しかし、教祖があまりにも強く信者を惹きつけすぎると、逆効果も生まれます。
苫米地英人『洗脳』P115。
この逆効果がネガティブラポールだ。ネガティブラポールは最終的には側近の裏切りを引き起こす。
上の引用のカルトを日産、教祖をゴーン氏、信者を西川氏以下日産社員及び従業員に置き換えると分かりやすい。
1999年に、古いしがらみや慣習に囚われていた日産にメスを入れるために、ゴーン氏が日産の社長に起用された。そのくらい氏はカリスマ性があり、日産社員のみならず、多くの日本人を惹きつけた。
誰か一人に対して、周囲の人間が強烈なラポールを抱く状態をハイパーラポールという。
ハイパーラポールが有効に機能していれば、カリスマとして君臨できる。
しかし、ハイパーラポールがラポールの段階にまで弱まり、かつマイナスの出来事が入れば、それは途端にネガティブラポールに繋がることがあるようだ。
ゴーン氏が変節したのは仏ルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)についた2009年以降。ルノーでも日産でも文字通り頂点に君臨した時期とあわせるように報酬の虚偽記載に手を染めたとみられる。
11月8日午後、日産本社で開かれた取締役会にも議長役のゴーン氏の姿はなかった。ゴーン氏が来日して日産本社を訪れるのは2カ月に1度ほどにまで減っている。
『・・・中略・・・』
『CEOの西川氏が日産のトップだ』。6月26日に開いた定時株主総会。ゴーン氏は検査不正問題の責任を追及する株主に対して、西川広人CEOの名前を強調することで自らの責任を否定した。総会後の新取締役との懇談会も途中で退席した。日産幹部は『どこの会社の代表なのか全く分からない』とあきれる。
日本経済新聞 11月20日 朝刊
この記事を読む限り、日産社員のゴーン氏に対する感情に全くの尊敬が感じられない。むしろ6月の株主総会でのゴーン氏の発言や態度がネガティブラポールに繋がったのではないか。
遅くとも、この頃からゴーン氏を追い詰める策略が水面下で始まったと推測する。
東京地検特捜部は(11月)19日、仏ルノー・日産自動車・三菱自動車の会長を兼務するカルロス・ゴーン容疑者(64)を金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で逮捕した。報酬を約50億円過少申告した疑い。日産は同日、『複数の重大な不正行為』があったとして、同会長らの解任を取締役会で提案すると発表した。
日本経済新聞11月20日付 朝刊
日産の会長カルロス・ゴーンが逮捕された。カルロス・ゴーンは、1999年、筆者が高校生の頃に策定・実行された日産リバイバルプランにてかつて瀕死の状態にあった日産自動車を回復させた。
とても有名な青い目の経営者だ。当時は英語が公用語になるという話もあった。
そのゴーン氏がこの度、東京地検特捜部によって自身の報酬を低く申告した容疑で逮捕された。その後、同社会長の地位も解任させられた。
逮捕された日の夜に、日産は記者会見を開きゴーン氏の不正を追及した。
日産の西川広人社長は19日夜の記者会見で、ゴーン会長の主な不正行為として@実際の報酬よりも少ない金額を有価証券報告書に記載したA私的な目的で投資金を支出したB私的な目的で経費を出した――3点が確認されたと述べた。
日本経済新聞11月20日付 朝刊
記者会見においてゴーン氏を厳しく追及した西川社長はゴーン氏に極めて近い位置にいたようだ。
『ゴーン後』のかじ取り役を担う西川広人社長兼最高経営責任者(CEO)は、生え抜きの実務家だ。ゴーン元会長の改革を支えた「ゴーン・チルドレン」の代表格だった。物静かな人柄で、関係者の多くが西川氏を「堅物」と評する。
日本経済新聞11月23日付 朝刊
ゴーン氏にとっては、まさかの側近から裏切られた形となった。
本件は平成30年11月23日現在、世間からの高い注目を集めている経済犯罪だ。
コメント
1-1
ゴーン元会長と西川社長との関係はネガティブラポールだと推測される。
ネガティブラポールとは、日本語で陰性転移感情という。反対の感情は、いわゆるラポールであり、これは陽性転移感情と呼ばれ、好意に結びつく。
ただ本質的には同じものだ。良い方に作用すればラポールであり、悪い方に作用すればネガティブラポールになる。
この感情は一つのリアリティの共有、距離が近い者同士で強い感情の共有から生まれる。
カルトなどで、古くからの側近がある日突然、強烈な裏切りを働くのは、陰性転移が原因とも言えるだろう。
苫米地英人 『洗脳護身術』P136。
日産はもちろんカルトではなく立派な株式会社だ。しかし本件を分析する上で苫米地博士の理論は役に立つ。
ゴーン氏と西川氏は、日産自動車株式会社空間の中の、経営空間というリアルを共有していた。その近さは、新聞報道にあるようにゴーンチルドレンと呼ばれていた。当然、両者は近い関係にあったので強烈なラポールが生じていたと考えるのが筋だろう。
カルトの信者は、教祖が生成した変性意識のもとで強化された依存性で精神が支配されています。しかし、教祖があまりにも強く信者を惹きつけすぎると、逆効果も生まれます。
苫米地英人『洗脳』P115。
この逆効果がネガティブラポールだ。ネガティブラポールは最終的には側近の裏切りを引き起こす。
上の引用のカルトを日産、教祖をゴーン氏、信者を西川氏以下日産社員及び従業員に置き換えると分かりやすい。
1999年に、古いしがらみや慣習に囚われていた日産にメスを入れるために、ゴーン氏が日産の社長に起用された。そのくらい氏はカリスマ性があり、日産社員のみならず、多くの日本人を惹きつけた。
誰か一人に対して、周囲の人間が強烈なラポールを抱く状態をハイパーラポールという。
ハイパーラポールが有効に機能していれば、カリスマとして君臨できる。
しかし、ハイパーラポールがラポールの段階にまで弱まり、かつマイナスの出来事が入れば、それは途端にネガティブラポールに繋がることがあるようだ。
ゴーン氏が変節したのは仏ルノーの会長兼最高経営責任者(CEO)についた2009年以降。ルノーでも日産でも文字通り頂点に君臨した時期とあわせるように報酬の虚偽記載に手を染めたとみられる。
11月8日午後、日産本社で開かれた取締役会にも議長役のゴーン氏の姿はなかった。ゴーン氏が来日して日産本社を訪れるのは2カ月に1度ほどにまで減っている。
『・・・中略・・・』
『CEOの西川氏が日産のトップだ』。6月26日に開いた定時株主総会。ゴーン氏は検査不正問題の責任を追及する株主に対して、西川広人CEOの名前を強調することで自らの責任を否定した。総会後の新取締役との懇談会も途中で退席した。日産幹部は『どこの会社の代表なのか全く分からない』とあきれる。
日本経済新聞 11月20日 朝刊
この記事を読む限り、日産社員のゴーン氏に対する感情に全くの尊敬が感じられない。むしろ6月の株主総会でのゴーン氏の発言や態度がネガティブラポールに繋がったのではないか。
遅くとも、この頃からゴーン氏を追い詰める策略が水面下で始まったと推測する。
1万円の弁当と500円のコンビニ弁当から分析するコンフォートゾーン
(事実関係)
先日、東京駅地下にて、1万円の弁当が売られていた。その弁当が売られているということは、それを買う人がいるということだ。
一方で、1万円の弁当を売っている場所から10メートルも離れていない場所で、コンビニの500円弁当が売られていた。こちらもそれを求める人が絶えなかった。
(コメント)
1-1
1万円の弁当を買う層と、コンビニ弁当を買う層の違いはコンフォートゾーンから分析できる。
コンフォートゾーンとは心地よい空間や環境・状態を表す。
人間の脳の情報処理の性質上、基本コンフォートゾーンの中でしか、ものごとを認識することができない。コンフォートゾーンの外側を認識することは莫大なエネルギーを消費してしまう。もしすべてが認識できてしまったら、消費エネルギー過多で、その瞬間に人間は餓死してしまう。
そのためにコンフォートゾーンの外側は、心理的盲点(スコトーマ)の陰に隠す仕組みになっている。
1-2
1万円の弁当を買う層にとっては、電車内での昼食に経費を1万円掛けること、それがコンフォートゾーンだ。
例えば、普段から、通常のランチで、同じ価格帯のお店に行っている場合が多いだろう。
反対に、500円のランチが昼食の選択肢として選ばれるという認識には上がらない。
500円の弁当を買う層は、同じく500円を掛けることがコンフォートゾーンなのである。
今日はFコンビニ、明日はRコンビニ、7コンビニ、もしくは500の弁当を売っているスーパーや弁当屋が昼食として選ばれる。
もっとも500円の弁当がコンフォートゾーンの人でも、1万円の弁当がある事を人から聞いたり、テレビで見たりした経験があれば、知識としてそれが存在することは知っているだろう。
ただし、昼食の選択肢としては選ばれないハズだ。
1-3
両方の弁当を買い求める人の身なりにはそれほど大差がなかった。外見上はほとんど同じ。
しかし、コンフォートゾーンは違う。もっと突き詰めれば、脳の情報処理が人それぞれ違うことを垣間見た。
1-4
では、1万円の弁当も美味しく、500円の弁当も美味しく味わうにはどうしたらいいだろうか?
それは両方をコンフォートゾーンにすることである。
1万円の品も500円の品も、一段抽象度を上げれば同じ弁当だ。別の角度から考察すれば、お昼ご飯だ。
この視点から、提供されて食事を、黙って美味しく頂くという姿勢が大切なことが分かる。
先日、東京駅地下にて、1万円の弁当が売られていた。その弁当が売られているということは、それを買う人がいるということだ。
一方で、1万円の弁当を売っている場所から10メートルも離れていない場所で、コンビニの500円弁当が売られていた。こちらもそれを求める人が絶えなかった。
(コメント)
1-1
1万円の弁当を買う層と、コンビニ弁当を買う層の違いはコンフォートゾーンから分析できる。
コンフォートゾーンとは心地よい空間や環境・状態を表す。
人間の脳の情報処理の性質上、基本コンフォートゾーンの中でしか、ものごとを認識することができない。コンフォートゾーンの外側を認識することは莫大なエネルギーを消費してしまう。もしすべてが認識できてしまったら、消費エネルギー過多で、その瞬間に人間は餓死してしまう。
そのためにコンフォートゾーンの外側は、心理的盲点(スコトーマ)の陰に隠す仕組みになっている。
1-2
1万円の弁当を買う層にとっては、電車内での昼食に経費を1万円掛けること、それがコンフォートゾーンだ。
例えば、普段から、通常のランチで、同じ価格帯のお店に行っている場合が多いだろう。
反対に、500円のランチが昼食の選択肢として選ばれるという認識には上がらない。
500円の弁当を買う層は、同じく500円を掛けることがコンフォートゾーンなのである。
今日はFコンビニ、明日はRコンビニ、7コンビニ、もしくは500の弁当を売っているスーパーや弁当屋が昼食として選ばれる。
もっとも500円の弁当がコンフォートゾーンの人でも、1万円の弁当がある事を人から聞いたり、テレビで見たりした経験があれば、知識としてそれが存在することは知っているだろう。
ただし、昼食の選択肢としては選ばれないハズだ。
1-3
両方の弁当を買い求める人の身なりにはそれほど大差がなかった。外見上はほとんど同じ。
しかし、コンフォートゾーンは違う。もっと突き詰めれば、脳の情報処理が人それぞれ違うことを垣間見た。
1-4
では、1万円の弁当も美味しく、500円の弁当も美味しく味わうにはどうしたらいいだろうか?
それは両方をコンフォートゾーンにすることである。
1万円の品も500円の品も、一段抽象度を上げれば同じ弁当だ。別の角度から考察すれば、お昼ご飯だ。
この視点から、提供されて食事を、黙って美味しく頂くという姿勢が大切なことが分かる。
2018年11月12日
時間の流れと霊の存在と自己イメージは同じ
時間の流れは常識的に過去→現在→未来に流れると考えられている。しかし、コーチングでは時間は未来→現在→過去に流れると捉える。
ただ、一段抽象度を上げれば時間は流れていないとも言える。時間は幻想という考えだ。
つまり、常に在るのは、この瞬間とそれを認識する私たちがいるだけで、意識が時間という幻想をつくりだしているに過ぎない。
しかし、冒頭に書いたように全世界の圧倒的大多数の人々は、何の疑いもなく時間は過去から流れていると捉えている。否、捉えさせられている。
これと同じ現象がある。
それは霊だ。
霊の存在を信じている人は、声高に(または内緒に)霊はいると叫ぶ。
科学的に考えれば、霊がいたとしてもエントロピーの法則により、それこそ時間が経過すれば霊はバラバラに分散されなければならない。
しかし、霊がいる派には、そのような常識は通用しない。
霊は存在する。あるものはある。いるものはいるという理屈だ。
では、どこに存在するのか。
それ霊を信じる人々の心の中だけに存在する。
その人たちにとって霊が存在するという臨場感が強ければ、他人にも伝染する。
時間の流れも同じだ。時間の流れを過去→現在→未来に流れる人の臨場感を、お互いに共有させられて伝播しているのだ。
そしてまた私たちの自己イメージも同じだ。
自己イメージとは、私たちの自分に対するイメージのことだ。
私たちの人生はこの自己イメージによって決まる。
この自己イメージも『自分は他人からどう思われているのか?』という他人の認識よって形づくられる。
これも価値観を伝播させられている。
※もっとも本当は、あの人は自分のことを、このように思っているに違いないと他人の目線を意識しすぎて、勝手にそう思い込んでいるに過ぎないのだが。
最後にまとめると、時間の流れと霊の存在と自己イメージは同じ幻想だ。
幻想であれば自分に有利な幻想を創り出せは良いだけのことだ。
ただ、一段抽象度を上げれば時間は流れていないとも言える。時間は幻想という考えだ。
つまり、常に在るのは、この瞬間とそれを認識する私たちがいるだけで、意識が時間という幻想をつくりだしているに過ぎない。
しかし、冒頭に書いたように全世界の圧倒的大多数の人々は、何の疑いもなく時間は過去から流れていると捉えている。否、捉えさせられている。
これと同じ現象がある。
それは霊だ。
霊の存在を信じている人は、声高に(または内緒に)霊はいると叫ぶ。
科学的に考えれば、霊がいたとしてもエントロピーの法則により、それこそ時間が経過すれば霊はバラバラに分散されなければならない。
しかし、霊がいる派には、そのような常識は通用しない。
霊は存在する。あるものはある。いるものはいるという理屈だ。
では、どこに存在するのか。
それ霊を信じる人々の心の中だけに存在する。
その人たちにとって霊が存在するという臨場感が強ければ、他人にも伝染する。
時間の流れも同じだ。時間の流れを過去→現在→未来に流れる人の臨場感を、お互いに共有させられて伝播しているのだ。
そしてまた私たちの自己イメージも同じだ。
自己イメージとは、私たちの自分に対するイメージのことだ。
私たちの人生はこの自己イメージによって決まる。
この自己イメージも『自分は他人からどう思われているのか?』という他人の認識よって形づくられる。
これも価値観を伝播させられている。
※もっとも本当は、あの人は自分のことを、このように思っているに違いないと他人の目線を意識しすぎて、勝手にそう思い込んでいるに過ぎないのだが。
最後にまとめると、時間の流れと霊の存在と自己イメージは同じ幻想だ。
幻想であれば自分に有利な幻想を創り出せは良いだけのことだ。
2018年11月04日
本物のコーチは情報発信だけで書き換える
コーチを続けて3年、気がついたことがある。
それは優秀なコーチはブログ、YouTubeなどの情報発信だけで、読んだ人、見た人のマインドを書き換えるということだ。
そのコンテンツの裏には、コーチの高い抽象度世界が存在している。
むしろ、高い抽象度を表す一部分として情報発信がある。
高い抽象度のコーチが言語を使ったブログやYouTube で言葉を使って話すことでエネルギーが生まれる。
抽象度は高いところから、低いところに落とすとエネルギーが生まれる。
かつ、その人の記事は至ってシンプルであり、ムダがない。
その理由は、抽象度が高まるとは、=シンプルになることだからである。
必要なエッセンスがコンパクトにまとまれている。
余談だが、大学生の頃に、優秀な人の文章は極めてシンプルである。しかし、膨大な量の情報が凝縮されていると教えられた。
今思えば、これは抽象度について語っていんだなと15年経って、その意味が理解できた。
これだというコーチの発信を見つけたら、しばらく追ってみることをおススメする。
それは優秀なコーチはブログ、YouTubeなどの情報発信だけで、読んだ人、見た人のマインドを書き換えるということだ。
そのコンテンツの裏には、コーチの高い抽象度世界が存在している。
むしろ、高い抽象度を表す一部分として情報発信がある。
高い抽象度のコーチが言語を使ったブログやYouTube で言葉を使って話すことでエネルギーが生まれる。
抽象度は高いところから、低いところに落とすとエネルギーが生まれる。
かつ、その人の記事は至ってシンプルであり、ムダがない。
その理由は、抽象度が高まるとは、=シンプルになることだからである。
必要なエッセンスがコンパクトにまとまれている。
余談だが、大学生の頃に、優秀な人の文章は極めてシンプルである。しかし、膨大な量の情報が凝縮されていると教えられた。
今思えば、これは抽象度について語っていんだなと15年経って、その意味が理解できた。
これだというコーチの発信を見つけたら、しばらく追ってみることをおススメする。