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2019年03月30日

希望はいらない。必要なのは〇〇

先日はコーチングと希望について考えてきたと書きました。

考えが行き着いた先は、『コーチングに希望はいらない』です。




『あれっ、前回と矛盾するではないか』と肩透かしを食らったかのように驚かれる方もいるかもしれません。

私も気が付いた時に同じような印象を受けました。





なぜ、希望はいらないのか?

その答えは希望の意味にあります。

一般的に希望とは今は良くないけど、将来は良くなるという願望にあります。




ポイントは今は良くないです。

感の良い方ならもうお分かり頂けると思いますが、無意識には時間の概念がありませんので、今は良くないと思えば未来永劫良くないです。



コーチングを運用していく上で大事なポイントは臨場感でしたよね。今は良くないと思えば、良くないという臨場感が高まって、ホメオスタシスもそこに追随します。

なので、どんなにアファメーションを頑張っても、ビジュアライゼーションをしても今が良くなければNGです。




逆に言えば、未来にゴールは達成しているのだから、既に私はゴールを達成していると確信する、またはゴールに向かっている自分を確信することが大事です。

そうなんです、大切なことは『もう既に達成しているという』の確信です。




とは言えここにも注意すべきポイントがあります。この確信はゴールを現状の外に設定するからこそ意味があります。現状の外というのは、普通にしていてはやってこない、何らかの構造的要因を変えなければやってこない未来です。

この構造的な障壁があるからこそ、ゴール側に向って行っている自分やゴールからみた今あるべき自分の姿というゴールのコンフォートゾーン(現状の内側とは異なるコンフォートゾーン)が生まれます。このゴールのコンフォートゾーンの臨場感を高めていくことがコーチングを運用するポイントです。



一方で、もし現状の内側、単なる過去の延長線上(ステップバイステップ)のゴールではでどうでしょう。そのゴールを設定してもコンフォートゾーン変わりません。なので、そのコンフォートゾーンの臨場感を強化しても、ホメオスタシスが現状を強化する方向に作用します。皮肉なことに無意識の力で、現状を維持してしまうのです。


もっとも意識の上では『何とかゴールを達成したいと』と力みます。しかし、いくら意識で無意識と勝負したところで負けることは明白です。『あれだけ頑張ったのに何も効果が無かった』といった結果になります。




話を希望に戻しますと、これは全くのスコトーマ(心理的盲点)でした。理論をあくまでも自分の体験談だけに当てはめていた悪例です。今まで何度も今が良くないと意味がない、そうでないと未来は変わらないと言ったり、書いたりしてきたのに、第三者から教えられるまで気が付きませんでした。本当にスコトーマは強固です。

私のように理論を長く学んできた身でも、こう言ったボタンの掛け違い的な初歩的なミスを犯してしまいます。そして、それに気が付かずに進んでしまいます。




では、コーチングでは希望の代わりに何が必要なのか?

それは先にも少し触れましたが確信です。確信が臨場感であり、そこにホメオスタシスがフィードバックします。


アファメーション、ビジュアライゼーションもゴールのコンフォートゾーンの臨場感を高めるためにあるのです。


2019年03月28日

全ては心(自我、ブリーフシステム)が創っている』 〜絶望に効くクスリA

先日は私が絶望していた理由を書きました。


絶望していた理由は社会からのレールから外れたと思い込んでしまっていたからです。もっとも社会のレールは有ると思えば有る、無いと思えば無い。またレールが自分に関係有ると思えば有る、関係無いと思えば無いが正解です。


これはどういうことかと言いますと、コーチングの理論的背景にある認知科学の知見によれば、自分でそう認識するから、そういった存在が生れます。

つまり、社会のレールがあるという認識(ブリーフシステム)が関数であり、その関数が、可能性宇宙の中から実際に社会のレールがあるという宇宙(存在)を(写像として)生み出します。もっとも仏教では既に『全ては心が創る』と言っていました。


しかし、コーチングを実践(パーソナルコーチングを受ける、それ以外は自分でセルフコーチングを実施する)した結果、ブリーフシステムは変わりました。



ブリーフシステムが変わるとは関数が生まれて、存在が生み出されるということです。自我が変わるともいいます。自我は他人や環境との縁起(関係性)によって形成されていますので、自我が変わるとは縁起(関係性)が変わることであり、それが生み出す存在(現実)も変わってしまうということです。


自我が変わる前は、『お金を増やすにはいい会社に入って、そこに長く務めて給料を貯める。かつ昇給をしてさらに受け取るお金を増やす。いわゆる年功序列に従って人生安泰が正解』でした。その結果、新卒で国家公務員になりましたし、その後も国家資格を取って、その資格を活かして大企業の子会社に就職したりました。


でも、ヒョンなことからそのルートから外れてしまいました。自我が崩壊して鬱のような状態になりました。これが絶望です。その絶望をなんとかすべくコーチ養成講座に赴きました。その初回に書き留めた私のゴールを見返すと、そのルートに復活すべく地元の某企業に就くことになっていました。


その後、コーチ養成講座の過程が進む中でゴールがもっと大きなものに変わっていました。最後の方には、自分のイメージとして、既にコーチとして現在進行形で活動している自分の臨場感が高まったので、気が付いたら本当にコーチになっていました。臨場感が高まると現実化します。



実は、コーチとして活動していた駆け出しの頃、私が先に書いた企業から内々で就職のオファーを受けました。しかし、私はその時はそのオファーを断って、コーチとして活動することを選んでいました。

これは自我が変わった動かぬ証拠であり、ブリーフシステムが書き換わったということです。一言で言えば、コーチングが効いたということです。




また、お金に対する認識も変わりました。もっとも人生安泰の陰には暗にお金の問題があるので当然です。今までは人の会社で雇ってもらって、そこから労働の対価として金銭を得ることしか頭にありませんでした。そのための必須条件が社会のレールでした。


しかし、『自分でお金を稼げばいい』に自我が変わりました。自我とは重要性評価関数であり、それは自分にとって重要なもので並び替えられた関数のことです。つまり、『社会レールに乗って雇われて、その対価を得ること』よりも、『自分で稼いだ方が早い』が重要になったという意味です。

この『自分でお金を稼げばいい』関数が走ったために、現実世界でも本当にお金を稼げるようになりました。





では、お金を稼ぐにはどうしたらいいでしょか?


その答えはお金を上手に使うことです。人は自分より上手にお金を使える人に、お金を渡します。



コーチの例で考えてみましょう。コーチの場合は、コーチング初心者が自分でコーチングの本を一万円札分買って勉強するより、同じ一万円分でもコーチの方が、その人により圧倒的な知識と技術を提供できるからお金が集まってきます。言い換えれば、そのコーチの方が独学よりも、高い付加価値を提供できる、人の役に立っているからです。


お金を上手に使うという関数が走るから、現実的に実際にお金が集まってくるというカラクリです。


これをストレートに言うと、活躍しているコーチは人の役に立つために、お金を上手に使う方法を一生懸命考えた。この思考が関数です。その関数が走ったゆえに、現実に人の役に立てて、回りまわってお金が入って来たという現実が生まれます。




余談として、先日引退されたイチロー選手のケースを当てはめてみましょう。彼の場合はヒットを打った(そのために試行錯誤した)。ヒットを打つ関数が走ったために、打席が多く巡ってきました(ヒットが撃てなければ競争の厳しいメジャーリーグでそもそも打席は巡ってきません)。



また引退の記者会見で『誰よりも野球を愛した』言っていました。この野球を愛するが関数です。その結果、彼もまた野球選手並びに関係者、そしてファン、さらには野球への愛が大きかったために野球とは関係のない人々からも愛されたのです。


以上、複雑かつ長くなりましたが、一言でまとめると『全ては心(自我、ブリーフシステム)が創っている』ということです。


続きは続編で

2019年03月26日

コーチングで希望を取り戻す方法 〜絶望に効くクスリ

人生に希望を持てないという人が多いようです。

とは言え、それでも人間は希望を持ちたいと思うもの。

希望とは将来に対する期待を意味します。


希望を持つためにまず考えるのが@お金を貯めることAそのためには安定した仕事に就くことBその仕事を続けていくために健康を維持することかも知れません。


日本では労働力不足で選ばなければ仕事そのものはあるようです。とは言っても、今後はどうなるのか分かりません。

労働力不足を補うために政府は外国人労働者を受け入れる施策を考えています。テクノロジーが進化すれば人工知能という選択肢もあり得ます。雇う側からしたら、同じ仕事の質や労働量が同じならば人件費が安い方にお願いするのが道理です。


かつてイギリスの運河に台船を浮かべて陸からロープで引っ張って荷物を運搬していたとされます。この時ロープを引っ張っていたのは労働者階級のご婦人方です。怪我や運河に落ちて死んでしまうことも多かったようです。

安全のためには、ご婦人方の代わりに馬や牛に引っ張らせた方が良いような気がします。でもなぜご婦人方が荷を引かされたのか?その答えはそっちの方が経費が安く済んだからです。




選ばなければありつけるという仕事は質を問わない単純労働がメインです。この場合、やることに高度な知識や技術、コミュニケーションを要しません。身体が動いて簡単な意思疎通が図れればいいです。別に日本語も不十分でも構いません。

作業に関する簡単なマニュアルがあって、それに基づいて仕事をしてくれればいい。むしろクリエイティブ性を発揮してもらっても困ります。仕様と違う製品ができたら困るからです。

そうなってくると重ね重ね日本人を雇う必要はありまえん。安い給料(年収100万円台)でも文句を言わずに働いてくれる外国人労働者の方が何かとありがたい。その根底はイギリスの運河で台船を引かされたご婦人方と同じです。



ただ経営者の中には、『単純作業でも日本人労働者の方が勤勉で安心だ』と考える人がいるかも知れませんが昨今のバイトテロを鑑みるにその日本人ブランドも揺らいでいることでしょう。



もっとも普通の経営者であれば同じ仕事量をこなすのであれば必要経費が掛からない方を選ぶでしょう。もしそうでなければ株主から叩かれます。


加えて昨今のデフレマインドに慣れた大多数の顧客も、必要経費を安くして一円でも製品を安くしてくれた方がありがたいと思うことでしょう。事実、働く人の賃金は約20以上、あまり上昇していないというデータもあります。https://toyokeizai.net/articles/-/267883



一方で、同じ雇われて働く人でもクリエイティブ性や高度な知識を求められる職種では高い給料をもらえるようです。例えば、ITエンジニアでは年収一千万円がザラのようです。そういった記事が新聞を賑わしています。


最近特に働く人の間に格差が生じています。私が大学生の頃に『希望格差社会』という言葉がキーワードになりました。簡単に言うと正規社員としてスキルアップやそれなりの給料を与えられる人は自らの選択で将来に希望が持てる。

一方で、そこから落ちた人はまるで運命に翻弄されるかのように、その多くは不本意ながら好きではない仕事をさせられて絶望の淵に立たされる。やがてその絶望が社会を引き裂くという論です。そのキーワードの社会が現実に到来しています。そして実際に後者の人は人生に絶望を抱いているように思います。



私はこの絶望を抱いた人がどうやって希望を取り戻せるのか、それを一環としたテーマに考えてきました。なぜならば私自身がかつては先が見えない絶望に苦しんだ経験があるからです。



その原因は日本社会には、とくに男性には見えないレールがあり、そのレールに乗ってさえすれば安定した生活が営めるが、一方でそこから外れてしまったらアウトという論理です。かつては私もその原理を頑なに信じていました。信じていたからこそ、それが私にとっての真実でもありました。


どのくらい真実かというと、せっかく大学まで出たのにレールに乗れていない事態=犯罪に近い、とくに田舎で長男でもあるのでまさに戦犯の類です。自己イメージがそうでしたから自己評価も極端に低かったですし、そのせいで神経症という病にも苦しみました。

もっとも今考えれば全くもって誰も得をしない、まるで宗教で異端認定された人みたいな思考パターンですが、あの時はマジでした。ちなみに、思考パターンのことをブリーフシステムと呼びます。今自分で書きながら洗脳って凄いなと思いました。



さて、私はこのブログでも謳っているようにコーチングに従事しています。そのコーチングを学ぼうと思った理由は、上の苦しみから抜けたい、楽になりたいと思ったことが理由です。

さらに言うと、私は苫米地式コーチングというのを習ったのですが、その苫米地式コーチングを創った苫米地さんは脱洗脳家なので、もしかしたらその脱洗脳の方法で楽になれるのではという淡い期待を抱いていました。


そのことから鑑みて絶望を引っくり返す方法は、結論から言えばゴール設定、これにつきます。他にも抽象度という言葉もキーワードになります。もちろんお馴染みのエフィカシーという言葉も同じくです。

抽象度とは専門的な説明は抜きにして、簡単にいうと次元の高さのことです。なので、抽象度の高い思考とは次元の高い思考だと思ってください。

エフィカシーとは、ゴール達成における自己能力の自己評価のことです。


私はコーチとして活動して4年経って分かったことがあります。脳は器質的な損傷がない限り、キチンとした手順を踏めばコーチングに答えてくれるということです。別に年収がどうこうとか、出身地がどうこうといった区別はしません。もっともコーチングが効きやすい脳というのはあります。それが抽象度です。ただし、その抽象度だってキチンとトレーニングをすれば結構すぐに上がります。


なお、その抽象度を高めるためには好きなことに取り組むことが大切です。好きなことに取り組んでいる時は身体もリラックスしています。このリラックスというところがポイントで、この状態では思考も冴えますし、ヤル気に満ちてきます。

安心して未来への希望に繋がります。いわゆるノリノリの状態です。この状態は高パフォーマンスを発揮できる状態なので、当然仕事の評価も上がり、給料の上昇に結びつくケースもあります。



反対に、緊張をしている時は自分が好きではないことをしている時です。言い換えれば、嫌な気分な状態で精神的に不安や恐怖にも苛まされています。この状態がベースになっていれば未来に希望をもつどころではありませんよね。先の例であれば、安い賃金でこき使われて、こんな状態がいつまで続くのだという不安や、将来のことを考えた時の恐怖です。


絶望は抽象度が下がっている時に感じやすいものです。抽象度が低い=目の前に写っている世界しか認識できないからです。一方で希望は抽象度の高い時に覚えやすい認識パターンです。それは高い視点から未来の可能性を見渡せるからです。


長くなりそうなので、続きは次回に改めます。

2019年03月16日

謎の中国人と影の軍隊

先日ある組織についての本を読んだ。

その組織とは陸上自衛隊 運用支援・情報部別班、通称『別班』と呼称されるらしい。

らしいと書いた理由は、表向きは日本にはそんな組織はないことになっているからだ。いわゆる陰の軍隊だ。




その別班とやらは何をする組織なのかというとスパイ活動をする組織だ。

例えば、陸上自衛隊においては駐在防衛官として外交官身分で対象国大使館に赴任して、情報を収取するオモテのルートがある。一方で、主に非合法で対象に潜入又は対象国の人員をコントロールして情報を収集するウラがある。

別班はウラに該当するらしい。



そう言えば何年か前、6年くらい前に新聞の一面で別班に関するスクープが報じられた。









では、なぜ別班について書くのか?

この本を読んである中国人との交流を思い出したからだ。

2002年夏、筆者は米国カリフォルニア州モントレーへ語学研修で赴いた。モントレー国際大学大学院の英語プログラムに短期留学した。モントレー国際大学は語学研修で、英語の特訓を受けていた。





余談だが、近くには米国防総省語学学校もあった。なので、いつも通学のバスで同じになる海軍の兵隊さんと顔なじみになってしまった。

もっとも後で知ったことだが、この時期の米国防総省語学学校は、前年に起きたアメリカ米国同時多発テロの余波や、翌年に控えたイラク戦争との絡みでアラビア語の通訳兵の養成を急ピッチで進めていたらしい。

あの兵隊さんは今ちゃんと生きているのだろうか・・・。






話を民間の語学学校に戻すと、同じ大学から一緒に参加したある中国人から別班について聞いたことを思い出した。

その方を仮にWさんと呼ぶことにしよう。




Wさんは日本語が達者で一見すると日本人のようだった。なので、われわれ日本人と同じグループでの学習となり、次第に仲良くなった。

大学においてはそれまでほとんど面識がなかったが、米国で同じ臨場感を共有することで仲良くなった。

後日サンフランシスコの中国人街で迷子になった時に、中国語で道を聞いていた姿を目撃して『ああWさんは国人だったんだなぁ』と思ったものだ。




そんな彼と国際関係の話をしている時に『斎藤さん、私は昔、日本のスパイだった人に会ったことがあるんですよ。その人は自衛隊の人で、長年ロンドンにいて、ヘリコプターも操縦できるそうです』と言っていた。

その時の筆者の回答は『Wさん、馬鹿なことを言っちゃいけないよ。敗戦国の日本にそんな組織があるわけないでしょう』と全く信じていなかった。


やがて日中友好を深めるこちらの言葉ではピンク、あちらではイエローについての話に場の臨場感は切り替わり、その話題は立ち消えになった。






それから幾星霜、先にあげた別班の記事を読んでWさんが言っていた日本のスパイ組織の人のことを思い出した。




記憶というのは普段、重要なこと以外は意識に上がってこない。それはすべてのことを思い出したらキャパシティーオーバーで何かと不都合が生じるからだ。

がしかし、その瞬間、その瞬間において重要なことは意識に上がってくるようになっている。

裏を返せば、体験した出来事は、それ自体は脳内にバラバラに素材として格納されている。あるきっかけを発端に、その素材が統合されて一つの記憶として思い出される仕組みだ。






ただ、バラバラになった素材を思い出して統合するので、もしかしたらAという出来事に対して、BやCといった出来事の素材が紛れることもある。

つまり、記憶は間違っている可能性もあるということだ。

事実、Wさんがその日本のスパイに中国で会ったのか、ロンドンで会ったのか、それは分からない。




もっとも中国で、そのような経歴の日本人がいれば必ず当局にマークされるし、何よりも正体を暴露するには危険すぎる。

そう考えるとWさんがロンドンで会ったと考える方が自然だろう。その話自体が作り話の可能性すらある。しかし、もしかしたら、Wさんが会った人は本当にないことになっている別班の人だったのかもしれない。


いずれにせよ真相は闇の中だ。



その前にWさん『あんたいったい何者だったんだ(笑)』
posted by 斎藤貴志 at 21:57| コーチング
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