東京に帰ってきたらめっちゃ晴れてるじゃないですか〜岡山でのあの雨の土砂降りは何だったのかというくらい…月曜日は途中も雨だったので京都での途中下車もやめてまっすぐ東京に帰ってきました。ジーンズ等お土産の荷物もいっぱいあって重かったのもありますが…
さて、今回は岡山児島の旅の番外編を冒頭でちょっとやってから、旅の道中に考えていたことを本題で振り返りたいと思います!
【この電車が今あったなら…】
これは初日の写真!鷲羽山を下って、下津井地区を抜けて、海岸線沿いをぐるっとまわって児島駅に戻る途中に、鷲羽山下電ホテルという建物が見えてきます!その敷地内に展示されている廃線になった車両。
ホテルの名前の由来でもあり、「下津井電鉄」という鉄道が下津井から、ちょうど岡山駅と児島駅の中間にある茶屋町駅を繋いでいた電車がありました。今はその路線は歩行者と自転車のみ通れる道になっているわけですが、この電鉄が今も稼働していたならレンタサイクルをわざわざ借りなくても済んだのにな〜というお話。
【おい!エサがないじゃねぇか!】
これは2日目の恒例の朝散歩をしていたときに漁港から撮った写真。何の鳥かわかりませんが、キョロキョロしていてエサの魚を探しているように見えた…この日は天候は大荒れで漁船はほとんど出航していないように見えましたけどね。
【秋の訪れ】
これも2日目でベディスミスジーンズからジーンズストリートへ向かう途中の「中山公園」という広い公園で撮った写真。大雨なのにわざわざ海岸線沿いの行きとルートを変えて、山側から戻りました。
木々がわずかに紅葉が始まってました!そりゃ寒いわけだ…
一泊なので番外編の内容はそんなに多くないですが、全体通してお楽しみいただけましたでしょうか?
では本題へ…
もちろん旅自体は楽しんでいましたが、非日常の空間に身を置くことでゆっくり考え事もできるというもの…
日々過ごしていると、施術スキルの向上や、来月半ばに差し迫った本業に関係する民間試験のことばかり頭でいっぱいになって将来的な考えに思いが至ることもないもので…
今回のテーマは「事業のリスクヘッジ」
最近までの記事の中で、会社から抜き打ちテストをやらされ不合格。再試験に回されて辛くも合格。マッサージの仕事が来年移行できるかどうかのクビをかけたテストに肝を冷やしたことは書いたと思います。
もちろん会社としても最低限の知識、技術はもっておいてもらわないと困るだろうというのは理解します。
ただ、せっかく脱サラして私の中ではスローライフをこの一年送れるようになってきて、資格試験もがんばってさぁこれから!というときに予想外の出来事だったのには違いありません。
このスローライフが薄氷の上に成り立っていることは理解しました。
このブログでも散々書いているけれど、サラリーマン時代は右翼の上司に退職届を握られ、どこぞのセリフを借りるけど私の「生殺与奪の権利を握られていた」わけです。結局最終的には解雇されましたし。
そういう積み重ねが嫌で脱サラをしたのに、結局同じことの繰り返しになっているのに嫌気がさしてきました。
それも仕方ないです。フリーランスといっても実質専属の下請け業務やっているようなものですから。
個人事業主となった以上、事業の継続性が必須になってきます。なのにこんな状況クビをかけた試練をまたいつ課されるかわからない状況で仕事をするほうが無理があります。
当然この辺は同僚でも意見が分かれているところで、私の両親世代のベテラン勢は定年無いといっても寿命的に逃げ切れるので、わざわざリスク冒してまで独立等して疲弊することもないと組織に今後も専属する決断をしています。もちろんそれも一つの選択でしょう?
ただ、私のような現役世代は業務委託契約の突然の打ち切りでいつ路頭に迷うかわからない危機感は抱いている人は何人かいます。そして、既婚者ならまだしも、一生独身であろう私は特に食い扶持無くなったらそれは即社会的死を意味します。物理的にも死ぬかもしれませんが。
それを一つの専属で済ませてよいものかと考えると「否」だという結論を今回旅の中で割り出しました。
ただ、すぐに独立してなんていうポテンシャルもないし、現在は全国チェーンの看板を背負っているので集客も自分でする必要がない環境にいるのも理解しています。ただもともとベンチャーで働くことが多かった私にとって肩書はあまり意味を成さないことも感じてはいます。
以前、立川の蔵花屋を見た影響で敷地兼蔵を買って、その中でマッサージできたらいいなという話はしたかと思います。一応は最終的な目標は完全自営でそんなことやってみたいなと思うので、今回の旅はヒントを探していました。
初日の記事で下津井地区の観光窓口的なところの、むかし下津井回船問屋に立ち寄った話はしたかと思います。
実はここでヒントを一つ得ていて、もちろん蔵を改造してカフェなどをやられているので、一つの有効活用が出来ていると思います。使用中で見学はできなかったのだけど、実はそれとは別の蔵をレンタルスペースとして外部に貸しているのを知りました。
私が自営して365日働くとも思えないので(笑)休みの日は外部の人に貸して使用料をいただくのもありかなと。自分が働かなくても入る不動産収入のようなものですね。税制上は違う扱いになるかもだけど。
蔵花屋で思い出したけど、フラワーデザイナーの人を呼んでサロンを開いてくれてもいいかも。口コミで広まれば、自分の事業の営業も兼ねられるので。
まぁ、あくまで出来たらいいなくらいのイメージです。でもこのイメージ固めは馬鹿にできません。しっかりそこが固まれば、行動に移すことができるので、今後もアンテナは貼ろうと思います。
自営はちょっと〜なんていうけれど、脱サラするときのほうがよっぽど心理的ハードルは高いと思いますよ!給料という手っ取り早い安定を捨てることになるので。以降は成果報酬になるわけですから。
私も2年前に富山訪問まで散々悩んで結論が出ないままでした。いざ、私より年齢が下のフリーランスの女性講師の方にお会いして、自営業者も多かった受講者の方々との短い時間だったけど交流が出来て、脱サラ後のイメージががっちり固まってそのあとに行動に移せましたので…
まぁ、蔵でのマッサージ兼レンタルスペースは最終目標であってそれまでどう過ごしていくかというのは身の回りのヒントをかき集めている最中です。今回のことをきっかけになのかわかりませんが、副業を増やした人もいます。店舗業務と自営と二足の草鞋を始めた人も。
スケジュールに縛りを入れるわけではないのだけど、あくまで目標として
@残りの30代までの間で、かっこたる副業を一つ入れる。(アルバイトでもなんでもよし)
A40代で今の本業のマッサージを、実家付近でテナント借りて自営でやってみる。もちろん今の店舗業務も続ける。出張マッサージもいいかも。私は入社したてで声がかからなかったけど、過去に会社の企画で病院に出向いてコロナ対応に疲弊した医療従事者へサービスすることもしてたし。いまは母校の先生が指名で来ているから関係性が出来上がれば母校に出張サービスに行ってもよい。
B50代で完全独立。蔵or古民家マッサージ屋オープン
税理士からは新しく事業起こしたら報告相談するように言われているのでその辺はサポートしてくれるはず。
今の会社の勤務時間を増やしても使用料がその分高く取られるだけだし、クビのリスクと隣り合わせは怖い。そしてBの完全自営でリスクを全面で負う前に、Aで自分の腕試しができるのと、実は今や確固たる私の指名となったお客様の中には私の居住地に近いところに住んでいるという方がいて、仮に自営をした際に引っ張ってこれる可能性がある。店舗としてはその人じゃないとダメというお客さんは他の人ではうまく対応できないから、むしろ引っ張って行って欲しいという空気もある。特に会社の規定もない。
マッサンはよっぽど自信あるんだね?と思われる方もいるかもしれませんが、そんなことは全くありません。
自信がないからこそ、クビのリスクをいつも背負っているからこそ考えることをやめられないだけです(笑)
最終的には事業を安定させたいという渇望にも似た動機で動いています!
いきなり店構えるような大胆なこともできないし、今回の脱サラのように門戸が広かった、適性のあった業態のところから攻めているだけです。
皆さんは今後の生き方について考えておりますか?
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