逆にものの見方が分からなくなってしまう経験をされたことはありませんか?
そこには客観的にみて正しいことがあるはず、という思い込みがあることによって
逆にそれだけ多くの視点があることに気がつくことで
どこまでいっても客観的にみる視点は存在しないことにも
気が付かさせられるところもありますよね。
そこであなたが持つ問題意識があったとして
目の前にみえているものでも
そこでそれぞれが違った風景を
見ていることを知ることに意味があります。
これはいわゆるメタ認知の話に通じるものがあります。
・自分の視点を捨てる
・相手の視点に立つ
・両者を俯瞰する目を持つ
出口汪さんの使える論理力の本の中で
ケーススタディとして、具体例が紹介されていましたが
時間の認識という点でも
特に共感するものがあります。
例えば、自分視点でいることによって
ビジネスでの会議での5分の遅刻の持つ意味の違いには大きなものがあります。
そこで自分が会議の進行や発表者だとして
個人にとっては些細な5分であったとしても
何十人と集まる人にとってみれば
1人の時間の意識の欠落が
その会議全員分の何時間という単位で時間を奪っていること。
時間の泥棒はタチが悪いと言われたこともありますが
物事を俯瞰してみるということには
自分視点でいるときには、どうしても見えてこないものがあります。
どこまでいっても最終的には
相手の視点を持つといった人としての気配りがあるうえで
自分の意見を通していくことが大切になってきます。
正解のないものを作り出していくプロセスでは
とくに視点をズラしてみることが出来て
そこに良い関係性も生み出されるものだと感じさせられます!
新品価格 |
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image