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プロフィール

Koozy(コージー)
ヒプノセラピー、心理カウンセリング等、各種心理療法に加え、気功などを用いたセラピー、ヒーリングの分野で修業してます / メンタルケア&ボディケアの両面から、「再生」を行っていける、ヒーラー&セラピストとして、2011年に東京都内にてサロンを開業予定 / また元々プロのカメラマンと、小さなレコード会社在籍の作詞家をやってましたが、現在も『Koozy』の名で作品制作、発表をしてます/ テーマは、「街」「日常」「混沌」「愛あるモノ」「アジア」/ 海外1人旅(アジア中心)をこよなく愛していて、アジアで作品撮りもしています/ また写真と短編詞(作詞)をコラボした作品も制作してます/2010年3月に東京・池袋にて、初の個展「写真詞集展"Heart"」を開催/今後も個展開催、作品発表を行っていきます/ そんな好奇心旺盛ながら、実はちょっぴりシャイ私です。。 ※より詳しい情報は、以下の「プロフィールを見る」へ。
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2008年09月27日
仕事や日常、日々暮らしている中で、色々と泣ける出来事に遭遇する事
があります。
さすがに人前では決して涙は見せませんが、1人でいる時にこっそりと…。

感動したり、共感したりしての涙、そして嬉しくての涙、最近は減って
きましたが、自分が真剣に向かい合っている事でなかなかうまくいかな
かった時、自分の不甲斐なさに対して悔しくての涙。

年を重ねる毎に色々と出会う様になってきました。


そんな時、改めて今自分は幸せだなと感じます。

泣けるって事は幸せな事です。それが仮に悔しくての涙や悲しみの涙で
あっても…。


…私はある時期、涙を失った事があります。


私は自分の仕事(自営業)を通して、多額の借金を抱えていた時期が
何度かありました。
想定していた部分以外で、全く予定外の損失を被ったので、正直ダメージ
は大きかったです。

よく聞く様な「自分の経営する会社が倒産して、数千万円の…」って程
では、ありませんでしたが、

「クルマが何台買えるんだろう?」

って感じの金額です。

そうなってくると、人はホントに余裕がなくなってきます。つらいからといって
泣く余裕すらありません。絶望感もハンパないです。

やらなきゃならない事はマイナスをとにかく減らす事だけだし、悲しいかな…
考える事もそんな事ばかりです。

時に心折れそうになりますが、心折れても負債は消えませんので、折れる訳
にもいきません。
それでも折れたとしたら、その人に起こりうる事は最悪の結末です。

…実は私自身ホントにキツイ時期、何度かリアルに頭をよぎった事も
ありました落ち込み

でもなぜかそんな時でも涙は出ないんですよね。。


その頃こんな事を思った事があります。

「人はホントにキツイ状況では泣けないんだな。」

他にも法的な手段を取るって方法もありますが、それをやるのも
「何だかな…」って気もしたので、とにかく自分のケツは絶対に自分で
拭こうと思いました。

そして必死に自分の現実に食らいつき、結果的にその後、負債を完済
する事が出来ました〓

何とか自分の高い壁を乗り越えられた感じです拍手

ホントに全て無事に終わった時、それまで決して流れる事のなかった
涙が、とめどなく流れてきました。嬉し涙というより、安心感や達成感
からの涙ですね。

今振り返っても壮絶でした。でもそれがあったからこそ、より人間的に
自分がひと皮もふた皮も成長できたし、今の自分があるのだなと感じます。

このツライ出来事も自分にとっては、必然だったんだなとも思います。

そして今、ちゃんと泣ける自分でいられることが、何より嬉しいです笑顔

この体験も貴重な財産。何かの形で世の中へのお返しを出来たらと
思いますキラキラ

【このカテゴリーの最新記事】
2008年09月20日
願い
先週、京都・鈴虫寺に行った時の事。お寺の続く道にはおびただしい人
の行列が…。
約2時間待ちです困った

何でもここのお寺の有名なお守りを購入する為の行列だとか。お寺参りで
2時間も行列に並ぶのもどこか違う気がするので、私たちはお地蔵様に
手を合わせてここを立ち去りました。

話は変わり…、私は8年来の間、毎月お参りし続けている神社があります。
あまり大きくもない神社で、数年前まで閑散としていましたが、ここ最近
異変が…。

絶えず女性ばかりの行列が出来る様になりました (;^^


私は元々、ここが伊勢の分社と言う事でお参りを始めましたが、実はこの
神社、世間一般には縁結びで有名です。

急に神社などに人が集まり始めたのは言うまでもなく、昨今のスピリチュアル
ブームによるモノだと思います。

…ちなみに先の鈴虫寺は、恋愛成就など願いを叶えてくれる事で有名みたい
です。


お参りする事自体は良い事ですが、実際にお参りに来ている人や行った人の
話を聞いていると、どこか違和感を感じます。


「お参りすれば、願いが叶うキラキラ

「お参りすれば、彼氏(彼女)が出来るキラキラ


意外とそう考えている人が多いですし、逆に参拝したのに願いが叶わなかった
と、不満を言う声もチラホラと聞きます (;^^

1度や2度お参りしただけで、その人の状況が急に一変する事は、まず
ありません。
かと言って、10回行けばいいと言うモノでもありませんが…。


…世の中、そんなに甘くないですね (;^^


神社で手を合わせる事は、神様に自分の目標の成就をお願いする意味合い
が強いですが、もう1つ、自分自身への決意表明の意味もあると思います。
自分の叶えたい目標に対し、自分がこれから行動し、努力していくという
宣言を。


大切なのは、お参りした後のその人自身ですね。日々願いに向けた行動と
努力をし続け、あとひと押しで…と言うところで、神様はそっと手を差し伸べて
くれます。

神様はなかなか動きません。でもしっかりと見てるところは見ています。
そんな神様が、

「この人のために動いてもいいかな」

と思わせるだけの努力をした人には、最後の最後でしっかりとしたひと押し
があるのかなと思います。

願いと言うのは神様が叶えてくれるのではなく、そのほぼ全ては自分自身
の手で掴むモノですね。

最後のひと押しを神様がしてくれる様に、日々行動し続けていきたいモノ
です力こぶ

2008年09月16日
関西へ


この3連休の間、大阪・京都に行ってました。
以前仕事で、大阪へはちょくちょく来てましたが、久々の関西です。
今回は、親友で、同郷の幼なじみのTETSUくんに会いにやって来ました。

夜行バスで早朝に大阪へと到着。
相変わらず夜行バスは眠れません…(*´д`)

TETSUくんと会う前に、大阪の他の旧友とも久々に再会しました。
最近、色々と大変な事がありながらも、何とか元気でやっている姿を、
じかに見る事ができたので、それだけでも来て良かったなと感じます。


その後TETSUくんと合流し、初日は大阪を色々と回りました。
…と言っても、大阪へは今まで随分来ているので、観光地巡りと
言うよりも食べ歩きです料理

串カツ、タコ焼き、ホルモン焼きを食べました。
ホルモン焼きは鶴橋で食べましたが、かなり部位が細かく分かれていて、
どの部位を食べても新鮮なせいか予想外に美味しかったです。





韓国へ行った時、牛の内臓やら血を使った料理をよく食しましたが、
さずがコリアンタウン。本土の味にかなり近かったと思います。


2日目は京都へ。京都も過去に何度も来ています。今回は嵐山を中心に
散策しました。

トロッコ列車、天龍寺、鈴虫寺、車折神社、龍安寺、仁和寺、祇園、
八坂神社を回りました。








私は普段も神社や寺院巡りをしていますが、京都は由緒ある神社や
寺院が多く、何だか見てて血が騒いで(?)きます(;^^


今回感じましたが、京都は至る場所に強い結界が張られています。
この結界が、京都と言う偉大な場所の歴史を守ってきたのだなと
感じます。

帰りも行きと同じく夜行バスで京都から帰京。
やっぱり眠れない…(*´д`)


今回TETSUくんと一緒に色々な場所に行きつつ、たくさん話をしました。
観光よりも、それが今回の最大の目的でしたが、いくら付き合いが長くても、
電話で話すのとじかに会って話すのでは、まるで違うモノだなと感じました。


改めて自分がそこに実際に身を置く事の大切さを学べました。


TETSUくん、2日間の同行ありがとうOKキラキラ


今後自身の活動を通じて、関西へはちょくちょく行く機会もあるかと
思います。
縁があれば、もっと色々な方々に会えたら嬉しいですドキドキ小

まだ次は未定ですが、次回の関西来訪も楽しみにしています。












2008年09月11日
運命の人?
「運命の人が男と女だとは限らない」


そんなキャッチコピーの缶コーヒーのCMがあります。
このCMではサラリーマン扮する坂口憲二が、得意先の人と、街中の行く
先々で何度もバッタリ出会っていきます。最近のCMで、1度くらいは見た事
ある方も多いかと思いますが、このCMを見る度に、私は思わず苦笑いして
しまいます (;^^


…私にもそんな体験が、かつて日本の裏側でありました。


昔、私は1ヵ月以上に渡り、地球半周の1人旅をした事があります。貧乏旅行
なので、宿泊地は飛び込みで行くドミトリー(相部屋)の安宿ばかりです。

ロンドンにいた時、オックスフォードにある安宿に泊まりました。4人部屋の
ドミトリーだったのですが、同じ部屋には、私よりひと回り年上の日本人男性
が、先に泊まっていました。
名前はOTさん。遠路はるばるヨーロッパへとやって来た1人旅の日本人同士。
挨拶がてら少し話しました。


その後、私はロンドン観光へ。色々な場所を回り、宿から少し離れたスーパー
で買い物をしていた時、店内でバッタリOTさんと遭遇。


「おぉ〜。偶然だね〜。」


2日後、私は次の都市へと向かうため、宿をチェックアウトする事に。
OTさんとは軽い雑談はしてましたが、特にすごく親しくなる程でもなく、

「ではお気をつけて」

とだけ言い、このままお別れとなりました。

その後4日間、私はリバプール、再びロンドンを回り(この時は別の宿に
宿泊)、 パリへと向かいました。

パリでは、クリシーにある安宿のドミトリーへ泊まる事に。

私が部屋でくつろいでいた時、この部屋に宿泊しているであろう別の男性
が戻ってきました。
どうやら東洋人っぽいです。

私は挨拶だけしようとして立ち上がり、お互い顔を見合わせた時です…。


「Hi,Nice to me…  びっくりびっくり


何とその人はOTさんでした。


OTさんに至っては私を見るなり、驚いた顔をして、

「何だ、君は!」


と、「変なおじさん(※)」ばりのツッコミを私に入れました (;^^
(※昔、志村けんがそんなコントをやってました)


3度目の遭遇だけに、さすがに私たちは意気投合しました笑顔

ロンドンもパリもかなり広いし宿もたくさんあるのに、すごい巡りあわせです。
しかもこの宿には100部屋くらいの部屋数があります。

特にお互い行き先を話していた訳でもないんですけどね。。

…ちなみにこのクリシー滞在中、パリの街中のとあるビストロ(レストラン)へ
1人で入った時、そこにはやっぱり…、


私「・・・」


OTさん「・・・」


…出会ってしましました (;^^


ちなみにそれ以降10年近く経ちましたが、


…OTさんとはあれ以来の飲み友達ですジョッキ


神様のちょっとしたいたずらですねOK


…しかしこれが男性と女性だったら、本当にキラキラと輝いた運命の出会い
だったのかも知れませんねドキドキ大



英語─上達しないのは努力不足が原因ではなかった!



2008年09月07日
Universal Love 東京ツアー(グループセッション) & ノア武道館大会観戦


昨日、私が参加させていただいているコミュニティ「Universal Love」の
東京ツアーに参加させてもらいました。

前回7月に初めて参加し、個人セッションを受けさせてもらいましたが、
(詳細は7月の記事に掲載してます)
今回はグループセッションの方に初参加しました。


今回のグループセッションは、チャネラーでもあるRieさんの霊感ナビに
従い、過去世など、その方の参加者にまつわる場所を回り、天から
メッセージをいただくモノでした。

ちなみにどこを回るかは、リアルタイムにRieさんの霊感ナビに従うので、
どこに行くのかはその時々にならないと分かりません。


地下鉄日比谷線「三ノ輪」駅に朝10時に18名の方々が集合し、そこから
スタートしました。
私はRieさん以外の方々とは初対面でしたが、何だか初対面と感じない
どこか不思議なつながりを感じました。

Rieさんの話によると、今日は皆様にゆかりのある4ヵ所の場所を回る
との事です。


吉原神社 → 花園公園 → 浅草寺 → 浅草神社 と2時間以上かけて
回りました。


ちなみに1ヵ所目の吉原神社。名の通り、あの遊郭街「吉原」にある
神社です。
私も含めて今回の参加者は皆さん、この地にまつわる過去世を持って
いる様です。


吉原にまつわる過去世…と聞けば、何となく察しがつくかと思います…。。


ここで哀しい過去世を聞かされましたが、実は現世の私の行動で1つ
つながる部分があります。

また1つ、点が線になりました電球

2ヵ所目の花園公園は関東大震災の慰霊碑などがあり、どこか哀しい
「気」が漂う場所でした。
でもどこかからか「来てくれてありがとう」の声も聞こえてきましたキラキラ

3,4ヵ所目の「浅草寺」「浅草神社」は言わずと知れた浅草の代表的な
存在です。
私は今まで知りませんでしたが、ここは龍にまつわる場所みたいです。
今回の参加者は、龍が守り神として付いている方々ばかりで、それで
この場所に案内されました。








私自身ここには何度も来てるし、龍が私を守ってくれているのは、以前
から自覚はありましたが、この場所がそうだとは露知らずでした。。


最後、Rieさんから1人1人に今後へのメッセージをいただきましたが、
私は力強いメッセージをいただき、より一層自信と自分が向き合う事
への自覚が芽生えてきました力こぶ力こぶ力こぶ


そして夜は全く別のイベントへ。プロレスリング・ノアの武道館大会を、
親友のSと観に行きました。

ちなみにここでも若干Rieさんが関係があり、今回のチケットはRieさん
が、ノアのレスラー(小川良成選手)を通じて手配してくれました。
Rieさんはプロレス関係の仕事もしていて、ノアのレスラーとも仲がいい
そうです。

席自体はいつも観ている2階スタンドでしたが、今回の席は抜群に
観やすく、前の方の席でしたドキドキ小

全10試合でしたが、メインではノア所属のGHCヘビー級の王者で
あった森嶋猛が、他団体所属の佐々木健介に敗れ、GHCヘビー級
のベルトが初めて他団体レスラーの元に渡ってしまう事となって
しまいました落ち込み





ノアファンの私としては、正直見たくない光景でしたが、こうして今回も
観に行けた事だけでも感謝ですキラキラキラキラ


今回はグループセッションでお会いできた方々、そして朝から夜まで
色々とお世話になったRieさん、そしてチケットを手配していただいた
小川選手、本当に皆様ありがとうございましたドキドキ小
感謝ですドキドキ大

本当に充実した1日でしたキラキラキラキラキラキラ





英語─上達しないのは努力不足が原因ではなかった!







2008年09月03日
日本熱帯化

全国の多くの地域でそうだと思いますが、8月下旬から毎日の様に、
大雨が降っています。
それも晴れていたのに、突如として曇り、5分後には局地的におびた
だしい量の雨が降ってきたりで傘

東京はここ2,3日は、晴れが続いていますが、天気予報泣かせな
日々で、出かける時は晴れていても、折りたたみの傘が手放せません。

ちなみに誰が呼び出したか、最近の局地的な雨は「ゲリラ豪雨」とか
呼ばれていますね。

あまり馴染みのない気象現象だから、こんな造語をつけたのだと
思いますが、これは紛れもなく「スコール」です。


乾季以外の時期に、東南アジアに行かれた事のある方なら、体験は
あると思いますが、この雨の降り方は正にスコールそのものです。

しかし問題は熱帯地方特有の気象現象が、日本で起こっている事
です。
地球温暖化は周知の問題ですが、この様なところにも、姿を現わして
きているのかと思うと、改めてその深刻さを感じます困った

夏が大好きな私ですが、今年とか去年の夏の暑さはちょっと厳しい
です。
特に東京の都市部は、大地の大半がアスファルトに覆われていて、
気温も湿度も余計に上がります汗

昔、タイとカンボジアに、1年で1番暑く湿気の多い時期に行った事が
ありますが、今年の
東京となら、体感的にあまり差はないかも知れません悲しい


自然現象はきっと地球からのシグナルですね山


1人1人が出来る事は小さくても、シグナルに応える事が、地球への
恩返しだと思います。

私も出来る事から少しずつ始めていきますクローバー















FXは安定したシステムのマネックスFXで

2008年08月31日
深夜のサザンオールスターズ

深夜の日記です月

私はサザンオールスターズの大のファンです。
ソウルオリンピックの年からのファンなので、ファン歴が今年でちょうど
20年です。
私の人生の半分以上の間、サザンは常に私のそばにいました。

今年湧き上がった解散騒動は、あまりに有名で皆様も知っているかと
思いますが、その中で先々週、先週と4日間、新横浜の日産スタジアム
でライブが行われました。

このコンサートは「見納め?」って思惑も相まって、かなりの注目を集め
ました。
私も絶対に見に行くつもりでしたが、スケジュールの関係で、残念ながら
行けませんでした落ち込み

一応最終日(24日)の深夜、テレビでもやってましたが、今日(31日)の
1時〜2時半の間、全国の民放FM全53局をジャックして、最終日の全曲
に渡る中継を行いました。

さっきまで聴いてましたが、泣けましたドキドキ小

…ラジオで泣けるのもある意味凄いです。。

20年分の思い入れも思い出も詰まっているせいでしょうか。

気付いていたら、今回のライブで歌われた曲全曲、ラジオに合わせて
自然に口ずさんでいました。おそらくサザンの殆どの歌を歌えます。

桑田さんがライブの途中で倒れたとしても、おそらく途中から、私が
ピンチヒッターで歌えるくらいです音符


…まぁ他のファンが許さないでしょうけどダメ


聴きながら色々な思い出を思い出しました。


高校時代、桑田佳祐のラジオを聞いて洋楽にはまり、音楽に目覚めた自分。


10代後半にプロを目指してギター片手に、ストリートで歌ってた頃の自分。


自分の恋愛の節目のタイミングでは常に、サザンの曲が関わっていた事。


過去も今も自分が頑張る時には、いつもサザンが励ましてくれた事。。


…もう思い出いっぱいですキラキラキラキラ


桑田さんがライブの中で「また帰ってくる」と言ってくれた事が嬉しかったですOK

次に帰ってくるのは、何年後か分かりませんが、サザンが充電して帰ってくる
までの間に発展途上の私は、今自分が向き合っている分野で目一杯の成長
と、目に見える結果を残そうと、新たな目標を抱きました笑い


…さて、また今日から気持ちを新たに突っ走っていきます走る







2008年08月29日
幸福の木

最近、色々と鉢植えのお花や観葉植物を育てていますが、昨日「幸福の木」
を買ってきましたドキドキ小





正式名はドラセナ・マッサンギアナ。

近所のお花屋さんで、前々から400円で売られているので、気になっては
いましたが、昨日、お花屋さんの前を通りかかった時、ふと呼び止められた
気がしたので、これは連れて帰るしかないなと思い、元気の良さそうな子を
買って帰りましたドキドキ大

私はいつも植物を選ぶ時、植物に手をかざし、気の質で識別しています。
より自分に近い気の質だと嬉しいですね笑顔


うちは狭い部屋なので、ミニチュアサイズばかりですが、少しずつ部屋に
彩りが加わっている感じですキラキラ

彩りだけでなく、湯水が溢れるかの如く、文字通りの「幸福」をたくさん
運んできてくれる事を願っていますクローバー

2008年08月21日
日韓の約束 (第3話<最終話>)
セヨンが帰国した2週間後、私は初めて韓国・ソウルにやってきました。
ソウルには4日間滞在するが、セヨンと会えるのは1日だけ。
それ以外の日は1人で色々 出歩き、韓国を体感しました。


ソウルは東京と比べても遜色ない大都会ですが、どこか郷愁を感じます。
近代的な高層ビルが建ち並ぶエリアでも、少し裏通りに行くと、小さい頃
見てた街の光景が広がっています。
当時は2001年でしたが、60,70年代の日本を見ている様で、何だか
ノスタルジックな気分にさせられます犬


そしてセヨンと会う日になり、再会。

これまでずっと日本で会ってたせいか、韓国で会うのは何だか不思議な
感じがします。

しかし普通に母国語を使って、人と話している姿を見ると、やはり韓国人
なんだなと改めて感じました。


この日は1日中、ソウル市内の観光スポットや、彼の通っていた高麗大学
のキャンパス等、彼にゆかりのある場所などを案内してもらいました。
その際、食事代、交通費、その他等々…、
この1日のありとあらゆる支払いは、全額彼が出してくれましたお金

私は奢ってもらったりするのはあまり好きではないのですが、セヨンから、


「今日は全て自分に支払わせてほしい。」


と強い申し出がありました。最初は私も断りましたが、彼なりの、韓国へ
来た私へのもてなしと感謝の気持ちを感じ、その行為に甘えました。


朝から1日かけて色々回りましたが、今日で彼とも一旦お別れになるか
と思うと、何だか


「このまま時間が止まればいいな…」


と途中思ったりもしました。


最後、高麗大学のすぐ近くにある彼の行きつけの民俗酒場(居酒屋)で、
お別れ会をしましたジョッキ

これまでの思い出話や今後の自分の夢など話す事は尽きなかったです。


そして遂に帰る時間になりました。最後は地下鉄のホームで別れる事に。


「今までありがとう。また会おうよ。」


とお互い最後のあいさつを交わし、私は1人で地下鉄に乗り込み、ドアが
閉まる瞬間、 セヨンが、


「ずっと忘れないよびっくり


と私に向かって叫んでくれました。
地下鉄が動き出し、彼の姿が見えなくなった時、私の目からホロリと、
こぼれ落ちるモノがありました。


そして翌日私は帰国し、彼との出会いも1つの区切りとなりました。


その直後も彼とは連絡を取り合ったりもしましたし、私は作品撮り(写真)
で何度も 韓国を訪れ、再会も果たしてきました。


しかし彼は大学卒業後、日本よりも超多忙な韓国企業の企業戦士となり、
当時私自身も、色々忙しい時期を過ごしていて、だんだんと連絡の回数も
減り、今では全く疎遠となってしまいました…落ち込み


時間(とき)の巡り合わせでしょうか。。


話は少し戻りますが、実はソウルでの最後のお別れ会で、お酒を酌み
交わしながら、私たちはある約束をしました。


「今から10年後に、お互い自分の夢を叶えて、自分のなりたい姿と
なって、再会しよう」


…更にお互い国際志向だったので、


「日本と韓国以外の国にお互いそれぞれの仕事で来ていて、そこで
再会したいね。」


とのおまけ付きです汗


正直お酒の席での会話だし、程良くいい気持ちになっていた状態だった
ので、彼が覚えているかどうかは分かりません落ち込み


…と言っている私自身も、たまにふと思い出すくらいです(;^ω^


ただ私はこの約束を今でも忘れずにいます。


この約束を交わした2001年から今までの私自身は、決して順風満帆
とは程遠く、相当な挫折と苦難を味わってきています。


今でも決して満足のいく結果は残せていません。


もう約束から7年が過ぎてしまっているし、そもそも「10年後に再会」
そのものが果たされるかどうかも分かりません。


しかし私は仮に可能性が低くても、交わした約束が果たせる様に、
しぶとく諦めず、2011年に「なりたい自分の姿」にだけはなっておこうと
思いますひまわり


ちなみに彼の近況は今は分かりませんが、大学卒業後に入社した
企業は、あの世界的企業「サムソン」のグループ会社です。

そこで日本との貿易関連の仕事をしていました。

日本で学んできた日本語も駆使して…山


よく

「日本との懸け橋になれる仕事を…。出来れば通訳になりたい。」

とセヨンは話していましたが、半分は実現しています拍手


私は当時の夢は半ばにして叶いませんでしたが、今はそれ以上の
目標があり、少しずつ実力も付けてきているので、今の自分なりの
「なりたい姿」になって、輝きを見せられたらと思いますキラキラ


約束の日まであと3年…。


まだまだこれからですOK



完(全3話)



2008年08月19日
日韓の約束 (第2話)
日光のユースホステルに1泊し、同部屋に泊まっていた韓国人「セヨン」
とも別れる事に。
彼は埼玉県内にある大学に交換留学で来ていて、当時私の住まいから
も、それ程遠くはない場所に住んでいたので、旅行から帰ってからも、
また会おうという事になりました。


実際に旅行後も、ちょくちょく会いました。

セヨンは、日本語をある程度は話せるとは言え、出会った頃は来日して
2ヵ月くらい。
彼とのやり取りは、日本語、英語とボディランゲージ交じりのモノでした。

彼は日本について学びに来ていたので、私は裏表含めて(?)日本の
色々な事を話したり、様々な場所に連れて行ったりもしました。

レンタカー借りて、2人で数日間、伊豆・箱根に旅行したなんて事も自動車


ただ隣国同士とは言え、お互いの文化や考え方、生活習慣に違いが
あり、時には意見をぶつけ合う事も…炎

でもそんな事があっても不思議とウマは合いました。


実は、私は元々韓国に対して、いい印象は持っていませんでした。

戦争の影響で、私が生まれ育った場所は、他の地域以上に韓国や
朝鮮と因縁があり、好意的に思っていない土地柄でした。

また私がそこで実際に暮らしていた70年代〜90年代初頭は、今ほど
日韓関係が身近なモノではなかったので、周りからは韓国・朝鮮に
ついて、あまりいい話を聞いた事がありません。

その名残からか、私にとっても韓国人との接触は、当初は抵抗がある
モノでした。


…でも、セヨンと会っているうちに、それは全くの思い込みだと気づき、
私の考えも変わりました笑顔


正に、

「百聞は一見にしかず」

です。


セヨンが来日して半年くらい経った頃、彼がホームシックになった事が
ありました。
日頃は毎日学校に通っていましたが、ちょうど学校が春休みに入り、
慣れない外国で普段と生活スタイルが変わったせいもありました。

休み期間中だけ韓国に帰ろうにも、休み中も学校の予定が、週に数回
あって帰れません。

その頃、しきりに彼は、

「何を今すればいいのか、分からない…。」

と言っていました。


そんなある時、私はセヨンを東京タワーに連れて行きました。
展望台から見える東京の夜景を見て、彼は感激していましたドキドキ小


「こんな場所があるなんて知らなかったキラキラ


埼玉で暮らしていたのもありますが、セヨンはこれまで東京に出てくる事も、
あまりなかった様です。


夜景を見ながら私は言いました。


「セヨン。今見えてる場所のほとんどに行った事ないよね?

セヨンが今まで見てきたのは、まだまだ日本のごく一部だよ。

セヨンが日本に来たのは、日本を少しでも多く知るためだよね。

日本にいられる時間は限られているんだから、今セヨンがやらなきゃ
ならない事は、たくさんあるはずだよ。」


私は特別深い考えがあって、この言葉を言った訳ではありません
でしたが、彼の心に大きく響いた様で、翌日から行動が変わりました。


時間が許す限り、色々な場所に出かけたり、ボランティアにも参加
したりして、とにかく日本で数多くの事を体験する様になりました。


後日談ですが、彼曰く、

「とにかく日本と言う国を自分の身に刻みたかった。」

そうです。


そしてそのキッカケとなったのが、私の言葉だったそうで、それを聞いた
私もすごく嬉しかったです拍手


…そして更に半年が経ち、ついに彼の交換留学の期間が終了する時が、
やってきました。

最後お別れ会を東京でやる予定でしたが、彼も私も同時期に、身内に
不幸があったりして、結局予定が合わず、会う事もなく、そのままセヨンは
帰国となりました落ち込み


…しかしセヨンを見ているうちに韓国が好きになっていた私は、今度は
自分が韓国を訪れてみようと言う気になり、セヨンの帰国直後に、初めて
韓国に行く事になりました飛行機


そして、東京で実現出来なかったお別れ会は、ソウルでやる事となりました乾杯



…第3話(最終話)に続く





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