2008年08月21日
日韓の約束 (第3話<最終話>)
セヨンが帰国した2週間後、私は初めて韓国・ソウルにやってきました。
ソウルには4日間滞在するが、セヨンと会えるのは1日だけ。
それ以外の日は1人で色々 出歩き、韓国を体感しました。
ソウルは東京と比べても遜色ない大都会ですが、どこか郷愁を感じます。
近代的な高層ビルが建ち並ぶエリアでも、少し裏通りに行くと、小さい頃
見てた街の光景が広がっています。
当時は2001年でしたが、60,70年代の日本を見ている様で、何だか
ノスタルジックな気分にさせられます
そしてセヨンと会う日になり、再会。
これまでずっと日本で会ってたせいか、韓国で会うのは何だか不思議な
感じがします。
しかし普通に母国語を使って、人と話している姿を見ると、やはり韓国人
なんだなと改めて感じました。
この日は1日中、ソウル市内の観光スポットや、彼の通っていた高麗大学
のキャンパス等、彼にゆかりのある場所などを案内してもらいました。
その際、食事代、交通費、その他等々…、
この1日のありとあらゆる支払いは、全額彼が出してくれました
私は奢ってもらったりするのはあまり好きではないのですが、セヨンから、
「今日は全て自分に支払わせてほしい。」
と強い申し出がありました。最初は私も断りましたが、彼なりの、韓国へ
来た私へのもてなしと感謝の気持ちを感じ、その行為に甘えました。
朝から1日かけて色々回りましたが、今日で彼とも一旦お別れになるか
と思うと、何だか
「このまま時間が止まればいいな…」
と途中思ったりもしました。
最後、高麗大学のすぐ近くにある彼の行きつけの民俗酒場(居酒屋)で、
お別れ会をしました
これまでの思い出話や今後の自分の夢など話す事は尽きなかったです。
そして遂に帰る時間になりました。最後は地下鉄のホームで別れる事に。
「今までありがとう。また会おうよ。」
とお互い最後のあいさつを交わし、私は1人で地下鉄に乗り込み、ドアが
閉まる瞬間、 セヨンが、
「ずっと忘れないよ」
と私に向かって叫んでくれました。
地下鉄が動き出し、彼の姿が見えなくなった時、私の目からホロリと、
こぼれ落ちるモノがありました。
そして翌日私は帰国し、彼との出会いも1つの区切りとなりました。
その直後も彼とは連絡を取り合ったりもしましたし、私は作品撮り(写真)
で何度も 韓国を訪れ、再会も果たしてきました。
しかし彼は大学卒業後、日本よりも超多忙な韓国企業の企業戦士となり、
当時私自身も、色々忙しい時期を過ごしていて、だんだんと連絡の回数も
減り、今では全く疎遠となってしまいました…
時間(とき)の巡り合わせでしょうか。。
話は少し戻りますが、実はソウルでの最後のお別れ会で、お酒を酌み
交わしながら、私たちはある約束をしました。
「今から10年後に、お互い自分の夢を叶えて、自分のなりたい姿と
なって、再会しよう」
…更にお互い国際志向だったので、
「日本と韓国以外の国にお互いそれぞれの仕事で来ていて、そこで
再会したいね。」
とのおまけ付きです
正直お酒の席での会話だし、程良くいい気持ちになっていた状態だった
ので、彼が覚えているかどうかは分かりません
…と言っている私自身も、たまにふと思い出すくらいです(;^ω^
ただ私はこの約束を今でも忘れずにいます。
この約束を交わした2001年から今までの私自身は、決して順風満帆
とは程遠く、相当な挫折と苦難を味わってきています。
今でも決して満足のいく結果は残せていません。
もう約束から7年が過ぎてしまっているし、そもそも「10年後に再会」
そのものが果たされるかどうかも分かりません。
しかし私は仮に可能性が低くても、交わした約束が果たせる様に、
しぶとく諦めず、2011年に「なりたい自分の姿」にだけはなっておこうと
思います
ちなみに彼の近況は今は分かりませんが、大学卒業後に入社した
企業は、あの世界的企業「サムソン」のグループ会社です。
そこで日本との貿易関連の仕事をしていました。
日本で学んできた日本語も駆使して…
よく
「日本との懸け橋になれる仕事を…。出来れば通訳になりたい。」
とセヨンは話していましたが、半分は実現しています
私は当時の夢は半ばにして叶いませんでしたが、今はそれ以上の
目標があり、少しずつ実力も付けてきているので、今の自分なりの
「なりたい姿」になって、輝きを見せられたらと思います
約束の日まであと3年…。
まだまだこれからです
完(全3話)
ソウルには4日間滞在するが、セヨンと会えるのは1日だけ。
それ以外の日は1人で色々 出歩き、韓国を体感しました。
ソウルは東京と比べても遜色ない大都会ですが、どこか郷愁を感じます。
近代的な高層ビルが建ち並ぶエリアでも、少し裏通りに行くと、小さい頃
見てた街の光景が広がっています。
当時は2001年でしたが、60,70年代の日本を見ている様で、何だか
ノスタルジックな気分にさせられます
そしてセヨンと会う日になり、再会。
これまでずっと日本で会ってたせいか、韓国で会うのは何だか不思議な
感じがします。
しかし普通に母国語を使って、人と話している姿を見ると、やはり韓国人
なんだなと改めて感じました。
この日は1日中、ソウル市内の観光スポットや、彼の通っていた高麗大学
のキャンパス等、彼にゆかりのある場所などを案内してもらいました。
その際、食事代、交通費、その他等々…、
この1日のありとあらゆる支払いは、全額彼が出してくれました
私は奢ってもらったりするのはあまり好きではないのですが、セヨンから、
「今日は全て自分に支払わせてほしい。」
と強い申し出がありました。最初は私も断りましたが、彼なりの、韓国へ
来た私へのもてなしと感謝の気持ちを感じ、その行為に甘えました。
朝から1日かけて色々回りましたが、今日で彼とも一旦お別れになるか
と思うと、何だか
「このまま時間が止まればいいな…」
と途中思ったりもしました。
最後、高麗大学のすぐ近くにある彼の行きつけの民俗酒場(居酒屋)で、
お別れ会をしました
これまでの思い出話や今後の自分の夢など話す事は尽きなかったです。
そして遂に帰る時間になりました。最後は地下鉄のホームで別れる事に。
「今までありがとう。また会おうよ。」
とお互い最後のあいさつを交わし、私は1人で地下鉄に乗り込み、ドアが
閉まる瞬間、 セヨンが、
「ずっと忘れないよ」
と私に向かって叫んでくれました。
地下鉄が動き出し、彼の姿が見えなくなった時、私の目からホロリと、
こぼれ落ちるモノがありました。
そして翌日私は帰国し、彼との出会いも1つの区切りとなりました。
その直後も彼とは連絡を取り合ったりもしましたし、私は作品撮り(写真)
で何度も 韓国を訪れ、再会も果たしてきました。
しかし彼は大学卒業後、日本よりも超多忙な韓国企業の企業戦士となり、
当時私自身も、色々忙しい時期を過ごしていて、だんだんと連絡の回数も
減り、今では全く疎遠となってしまいました…
時間(とき)の巡り合わせでしょうか。。
話は少し戻りますが、実はソウルでの最後のお別れ会で、お酒を酌み
交わしながら、私たちはある約束をしました。
「今から10年後に、お互い自分の夢を叶えて、自分のなりたい姿と
なって、再会しよう」
…更にお互い国際志向だったので、
「日本と韓国以外の国にお互いそれぞれの仕事で来ていて、そこで
再会したいね。」
とのおまけ付きです
正直お酒の席での会話だし、程良くいい気持ちになっていた状態だった
ので、彼が覚えているかどうかは分かりません
…と言っている私自身も、たまにふと思い出すくらいです(;^ω^
ただ私はこの約束を今でも忘れずにいます。
この約束を交わした2001年から今までの私自身は、決して順風満帆
とは程遠く、相当な挫折と苦難を味わってきています。
今でも決して満足のいく結果は残せていません。
もう約束から7年が過ぎてしまっているし、そもそも「10年後に再会」
そのものが果たされるかどうかも分かりません。
しかし私は仮に可能性が低くても、交わした約束が果たせる様に、
しぶとく諦めず、2011年に「なりたい自分の姿」にだけはなっておこうと
思います
ちなみに彼の近況は今は分かりませんが、大学卒業後に入社した
企業は、あの世界的企業「サムソン」のグループ会社です。
そこで日本との貿易関連の仕事をしていました。
日本で学んできた日本語も駆使して…
よく
「日本との懸け橋になれる仕事を…。出来れば通訳になりたい。」
とセヨンは話していましたが、半分は実現しています
私は当時の夢は半ばにして叶いませんでしたが、今はそれ以上の
目標があり、少しずつ実力も付けてきているので、今の自分なりの
「なりたい姿」になって、輝きを見せられたらと思います
約束の日まであと3年…。
まだまだこれからです
完(全3話)
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image