2010年10月19日
「認知的不協和」と「俯瞰(ふかん)」(後編)
(〜前編より)
https://fanblogs.jp/koozy54/archive/274/0
前編でお話したコンビニのお茶の例は、非常に可愛らしい一例でしたが、実際問題、
この「認知的不協和」が、非常に大きな問題を引き起こす事も多々あります。
例えば、あなたが信頼していた人に巧妙にうまく言いくるめられて、お金を
貸した場合。
相手は最初からお金を騙し取るつもりで、話を持ちかけています
あなたも何となく、心の片隅で嫌な予感は薄々と感じながらも、同時に
「まさかあの人が騙す事なんてない。」
とも思って、お金を貸しています。
そして、しばらくはこの「まさか、そんなはずはないよね。」が続いていきます。
身近で見ている第三者は、すぐに「怪しい」と気付きますが、あなたはなかなか
騙されている事を認めようとしません。
そして、何か具体的に騙されている事を証明する物証が現れて、初めてあなたは
詐欺にあった事を認める事になります
似たような事が恋愛でもありますね
誰かをすごく好きになってしまうと、相手の性格や行動を全て都合いいように
解釈し、正当化してしまう。
端から見たら、問題ある相手とか、全然あなたに合っていないと思う相手でも、
あなたにとっては、理想の相手だと信じて疑わない
勿論、あなたも途中で薄々は気付いています。
でもなかなかそうだとは思えないんですよね
DVがあるのに、離れられない、別れられない夫婦やカップルの話をしばしば聞く
事があるかと思いますが、このような影響も少なからずあるかと思います。
第三者から見たら、
「ホント、あの人はしょうがないな(;^ω^」
と思えるのかも知れませんが、そう思っている第三者も立場がそっくり入り
替われば、同じ状況に陥ると思います。
これは仕方ありません。さっきも言ったように、「認知的不協和」は元々人間が
持っているメカニズムですから。
これに対処していくのは簡単ではありませんが、方法は少なからず存在します
第三者の視点では、ちゃんと真相が見えている点に着目してみて下さい
本人は物事に関わっている分、視野が狭くなりがちですが、第三者の通常の視野
ではちゃんと見えています。
要は「客観視」です
例えば、自分の陥っている全く同じ状況に別の人が陥ったら、自分がどのように
感じるか。
それを意識し、実践してみると、自分の置かれている状況が自ずと見えてきます。
もう1人の自分の視点で、外から自分を見ているとでも言いましょうか。
言わば「俯瞰」の視点です
自分自身の目から見ても、分からない事はたくさんあります。
でもあたかも自分が少し離れた位置にいて、相手共々、上から見渡す事が出来れば、
色々と見えてくる事があります。
「認知的不協和」を伴う場面は当然の事、その他自分が迷う時、悩む時など、
色々な場面で「俯瞰」の視点は、自分を助ける事にもなります
いきなり出来るモノではないと思いますが、少しでもこの「俯瞰」の視点を
意識してみるのも、いいと思いますよ
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