2010年10月19日
「認知的不協和」と「俯瞰(ふかん)」(前編)
「認知的不協和」
これは心理学用語ですが、今日はこの言葉にまつわる小話をしたいと思います。
まず、誰もが経験した事があるであろう、こんな場面をイメージしてみて下さい
あなたは、よく行く近所のコンビニ『A』に、お気に入りのペットボトル(500ml・140円)
のお茶を買いに行きました。
今日はラッキーな事に、このお茶を買うと、次回以降使う事が可能な、50円分の
弁当値引き券が付いてきます。
「普段、この店で弁当はほとんど買う事ないけど、まぁ今日はついているな」
そして、コンビニ『A』を出て、50メートル歩いたところ、ホントは一緒に買うはず
だった、お菓子を買い忘れた事を思い出します
コンビニ『A』に戻るのもいいのですが、目の前に別のコンビニ『B』があるので、
ここで買う事にしました。
そして目的のお菓子を手に取り、レジに行く途中、ふと飲料品の陳列棚に目を
やると、見てはならないモノを見てしまいました・・・。
何と、さっき買ったお茶と同じモノが、このコンビニではセール中で、120円で
売られていますΣ( ̄ロ ̄lll)
「しまった」
「損した」
すぐにそう感じるのが、誰もにとっての素直な感想だと思います。
「あ〜あ、このコンビニに先に来ていたら・・・」
とも思う事でしょうが、やがてこのような感情も芽生えてきます。
「待てよ お茶は確かに20円高かったけど、50円引きの弁当の割引券が
付いてたじゃないか。これはむしろ得をしているぞ」
「やっぱりコンビニ『A』でお茶を買って、良かったんだ」
・・・もし、コンビニ『A』で日頃、弁当をよく買うのであれば、その考えも
一理あるでしょう。
でも、もう1度思い出してみて下さい。
あなたはコンビニ『A』では、ほとんど弁当は買いません。
「長い目で見て」得をしたいのであれば、次回弁当を買わなければなりません。
そもそも今回の買い物は、お茶とお菓子だけです。お菓子の値段が同じだとしたら、
一般的に考えて、コンビニ『B』でお茶も買っておけば良かったと言う話になる
はずです。
しかし人間、自分の行動などで、間違いや矛盾点が生じた時、その不快感を軽減
するために、自分の行動や認知(感じた事)を正当化しようとする習性があります。
簡単に言って、これが「認知的不協和」なのですが、これは人間の持つメカニズムの
1つでもあります。
長くなりそうなので、続きは後編へ。
https://fanblogs.jp/koozy54/archive/275/0
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