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2021年02月18日

祖母の遺伝

19:00
1977年秋の文化祭に、本当は配属は別の係だったのに、勝手に同じ新聞配達仲間が配属されたバザー係に潜り込むと、誰かが寄付してくれた、まだ新しいスイングジャーナル誌が、当然ながら全部売れ残り、当時の趣味だったイラスト描きの模写に利用できると思って、ほぼ全部をただで引き取ったことで自分のジャズ史が始まる。

その雑誌の中に、カラーで特集記事になるほどのジャズ喫茶が市内にあることを知って相当驚いた記憶がある。開店してまだ7年目位の頃で、そんなことも知らずに毎朝そのすぐ近くを自転車で新聞配達していたのだ。当時、始めて1年半位のときで、3年間続けて、3年目に盛岡の新聞社に表彰されに行き豪華な歓待を受けた。月の給料が7千円だった。

その中の記事の中に、ハービーハンコックさんとウエインショーターさんが既に熱心な学会員である紹介記事があった。昨日、チックコリアさんが2/9に亡くなったそうだと書いたが、それであれば自分の祖母と同じ命日だったことになる。あの百歳の双子として有名になったキンさんギンさんと同じ明治25年生まれの同級生だったが、95歳位で既に亡くなっていた。

この祖母も相当の頭痛持ちだったらしく、母親から聞いた話では、子供の頃お勝手場で、いつも火鉢の頭で頭をバシバシ叩いていたのを見たとか。多分この祖母の遺伝だと思うが、同じ頭痛持ちの孫としては、その気持ちがよく分る。自分も中年以降、頭の表面辺りが痛んで、何かで叩いたり思い切りつねったりしたくなるものなのだ。祖母は鎮痛薬がない頃の人なので、老婆になってもマムシの焼酎漬けを薬として飲んでいたとか。それが効いたらしいのだが、とても自分は真似できない自信がある。薬が一杯売られてる時代に生まれて良かった。

当家にも小学生の頃、流し台の奥にひっそりと置かれた、一升瓶に入れられたマムシがいた。大人になってから聞いた話では、生きたまま焼酎漬けにされたようで、一升瓶の底にトグロを巻いて確かに生きていたような気がする。滅多に見ることはばかったが、運悪く見てしまうこともあり只々怖かった。これは道の駅などで売ってる物ではなく、マムシ獲りの名人に頼んで、その人から買うらしい。これが頭痛薬というのなら、まだ頭痛の方がマシと思う自分が甘いのか、祖母はこれを効くと平気で飲んでいたようだ。昔の人は基本凄いので、こんなことくらい全然平気だし、鍛えられた体のつくりが土台違う。相当頑丈にできている。今の若者がこれを真似したら即入院死するレベル。

今、このブログを打っているヒザの上で、時折いびきのような鼻音を立てて寝ている、明治時代にいそうな白い猫がいるのだが、この猫とは同じ兄弟ながら、まるで同じ兄弟とは思えないジャニーズ系の、食べる物もカリカリが大好きな弟猫がいる。一方でこの老け顔の小柄な兄猫は、ウーと唸るほど野性味ある獲物系が好き。例えば、骨付きの唐揚げの骨とか見つけると、これはワイの物だと、まず咥えてウーと唸るし、焼き魚の骨でもそうだし、とにかく人工的に作られた餌以外に良く反応する。本当この辺も老け顔に似合ってる明治風の猫だ。

頭痛の主な原因として、肩こりなどから来る緊張型頭痛というタイプがあるらしいと数年前に知った。でも自分は土屋太鳳さんのような根っからの肩こりではないので、自分は違うタイプと思っていたけど、持病の頭痛から解放されてから分かったのだが、実は自分も緊張型頭痛だったのであり、よくパソコンがトラぶったりすると頭痛になったりしたのも、予期せぬトラブルによる「緊張」で頭に血が集中した結果、頭痛が起きたと思われるのだ。春の予想外の暑さも、体がまだ慣れてないためであり、想定外に体に緊張が走ったものと思われる。


2021年02月17日

ねこ喫茶開店

19:00
きょうから店内は、ねこ喫茶に模様替えをした。

伊東祐親の地元、伊東市には「ねこ博物館」があるが、そこのブサかわいいことで人気猫のナッツくんに会いに行って、珍しく嫌われて帰ったとのことで、ネコ界では一躍有名になった静岡の放送局の相場アナが、地元秋田に戻って最近、田沢湖畔の赤い鳥居を小走りにくぐった途端、やっぱり滑って転びそうになった。

箱根大学駅伝で創価大学が、20年振りで10区でトップから逆転されたのも、学会員が復路をスタートしてすぐ箱根湖畔の大鳥居をくぐったからではないのか、とすぐに都市伝説化されていた。どうも学会員は日蓮宗徒なのだから神道の鳥居の下を通ってはいけない戒律があるらしい。でも、あそこはコースになってるので鳥居を避けては通れず、それで最後の最後に、異教徒駒沢大の石川選手に抜かれる番狂わせが起きたのだろうとのこと。

創価大の最後の最後まで手に汗握る展開には、海の向こうのネット中継で観戦していたであろうか、ハービーハンコックさんやウエインショーターさんらも、もしや巻き込んだのかもしれない。「初歩のラジオ」という雑誌が昔あって、1974年頃、石丸電気のレコードランキングが載っていたのだが、ジャズ部門では、ハービーハンコックさんの「ヘッドハンターズ」というLPがずっと1位だったことを覚えている。

ジャケットのイラストがウサギ人間みたいで、ざら紙に活版印刷だったので、あんな派手な真っ黄色のジャケットとは全然知らなかった。前にも書いたけど、「不思議の国のアリス」をモチーフにした「マッドハッター」という当時一番よく聴いた大好きなLPで、「マッドハッターラプソデイ」という代表曲では、キーボードのチックコリアさんと掛け合うようにピアノを演奏していたのがハービーハンコックさんだった。マッドハッターとは、あのアリスが追い掛ける、せかせかした懐中時計を懐に入れたイカれたウサギのことで、チックコリアさんがジャケット写真で仮装までしている。

チックコリアさんが2/9に79歳で亡くなったというのだけど、何しろ山奥に住んでるので情報が遅くて、やっときょう書けた。うちにもウサギみたいな短いしっぽの、一見ブサかわいいオスの子猫がいる。どうにも見た目が老顔で、明治大正の頃の猫のように見える。それがチャームポイントでもある。逆にもう一匹は現代風で、平成風の顔でよく言えばジャニーズ風でもある。是非当店に見にいらしてください。

チックコリアさんは70年代に京都に長期滞在し、確か「銀閣寺」という曲をLPに吹き込んでいたと思う。金閣寺でないところが、ジャズミュージシャンらしくもある。


2021年02月16日

大地震に子猫が大脱走

18:30
昨日の午前中からの雨は実に50ミリ以上降り、12月からの大雪が氷の塊と化していて気温が上がっても中々減らなかった積雪が、6センチから一気に0センチになった。12月の最初の大雪がやっと消えた。ちなみに、山向こうの秋田県湯沢市ではちょうど100センチと、ついこの間も、こちらで27センチ、あちらで127センチと、依然100センチ差が維持されていることに驚く。

但し、やっと久し振りに0センチになったのも束の間、午後から雪が断続的に降り続いているので、これがまた根雪になりそうな気配であり、春はまだ遠い。アメダスで当市はきょう、久し振りに0センチに戻ってはいるが、実際はまだまだ凍った雪が田んぼに白く広がっている。

土曜日深夜に起きた地震は、当家に居候する三匹の猫たちにとっても生まれて初めての異常事態だったに違いない。特に当家で去年4月生まれた子猫(と言っても既に母猫より大きい)らにとっては天変地異の一大事だったに違いないのだが、いつもの寝場所の茶の間のコタツの中から飛び出してきて、パニックで座敷を走り回るなど大騒ぎするはずが、いたって冷静で全然鳴かなかった。これは予想外だった。母猫は3歳くらいなので、それなりに大なり小なり地震は経験済みだろうが、子猫らにとっては初めての大きな地震だったに違いないのに。

地震になってすぐに停電したが、NHKラジオは神奈川県などでも大規模停電してると伝えた。これは前回の大地震の教訓から、大規模なブラックアウトを避けるため安全策として、あえて電気を落としたらしい。幸いにも当家は停電から、ちょうど1時間後に復旧した。ラジオの当市の停電復旧情報とも一致した。

ちょうど物置から懐中電灯で探して出してきたポリタンクの二つ目に水を入れようとした時だったので、二つ目は空のままで、一つ目は余震に備えて、まだ水を入れたままにしてある。気象庁は今後1週間は余震に対して注意が必要と言ってるが、前回の大地震では大きな余震が、約1ケ月後の4/7に起きていて、しかも、じわじわ大きくなった3/11の地震と違って、真夜中にいきなり寝ていた背中を連打で蹴られるような凄い縦揺れからだったので、こちらの方が数段怖かったことを覚えている。

地震の1時間後、電気がついて分かったのだが、鍵を掛けておいた玄関の引き戸が、左右に振られたのか30センチばかり開いていた。それを目ざとく見つけたのだろう子猫2匹が、地震にまるで動じてないからこそ真っ先に真っ暗な寒い外へ脱走して行ったのだ。

今回の地震は当市では「5弱」だったので、余震が3/11の時ほど頻発しなかった。3/11に当市は「6弱」だったので、余震がひどく地震がこれでもかと次から次へと立て続けで、ゴーッと山鳴りが何度も聞こえるたび体が硬直した。その夜も大きな余震が何度も来るたび、座敷の布団から飛び起きては縁側から外へ飛びだした。外は寒さのせいで、やけに星空がきれいだった。

真っ暗で寒くて何も面白くもないはずなのに、子猫2匹は戻ってくる様子がない。それでも息子2匹がこの地震で急にいなくなったことに母猫が心配して、あっちこっちを行ったり来たりで、いつにないか細い声で「出ておいで〜」と呼び続けるのだ。きっと地震で段ボールの生き埋めにでもなったのかも、と心配したのでは。

そのうち、捜索を一時休止した母猫が寒さで布団に入って来たので、当方も戻るのを朝まで待たずに、そのまま寝ることにした。すると間もなく、停電からちょうど2時間後、電気がついてからは1時間後のこと、縁側の向こうから微かに子猫の鳴き声が聞こえたような気がして、慌てて縁側のカーテンを開けてサッシを開いてみると、やはり2匹一緒に行動していたようで、暗がりの中に匹の顔があった。

それでもまだ外にいたい様子で、すんなりと中に入って来ないので、こちらも奥の手で、餌の入ったプラスチックの袋をわざとガサガサと音を立てて、カラカラカラとわざと大きな音で容器に餌をばら撒くと、まだ食い気には勝てない子猫らが速攻で縁側に入ってきた。いつも脱走時にはこの手で捕まえているので、今回も大成功!。









2021年02月15日

地震の予兆

18:30
おととい(2/13)に起きた地震は23時7分に発生したが、当然ながらとっくの21時過ぎに寝ていて、背中にどんどん感じる地震に起こされ、これはあの3/11の地震のパターンと同じだな、と思いながら、そのうち止まるだろうと思ってたのに全然止まらず、逆にどんどん揺れが大きくなって慌てて跳び起きた。自分の感覚では1分位揺れてる感じがしたが、揺れてる最中に停電になったので、揺れが収まってから、いつも枕元に置いてあるダイソーの懐中電灯で被害をすぐに調べた。

台所の小型液晶テレビが台の上から横倒しに1メートル下の床に落ちていた。液晶を取り囲む枠部分が、ちょっと前の充電池交換ができるスマホのようにぱっかり二つに割れていて焦ったが、押すとパチンと閉まって、その後、停電が解消したら、ちゃんと映りやれやれ。

一旦、布団に戻って、これも常に枕元に置いてあるパナソニックの携帯AMラジオをつけてみた。NHKラジオでは当然ながら地震情報を放送していた。停電中なので非常に役立ち、すぐに当市が震度5弱で当市内の2.1万世帯が停電してることを知った。うちだけじゃなく大規模に停電してることを知り少し安堵した。数年前、突然停電したことがあり、当然ながら近所も含めた停電だろうと思っていたら、夜になっても当家だけが明かりがつかず非常に焦ったことがあった。このときは東北電力から派遣された人によれば、当家へ電気を流す電柱のヒューズが切れたとのこと。

当市で大規模停電になったと知ると、急にあの大震災で水道が止まって苦労した時のことを思い出し、停電になっても水道が急には止まらないながらも、慌てて起きて物置に置いてある水道用に保管してあったポリタンクを探してくることにした。その時、いつもドアの下部を擦ってギシギシ言ってる裏口のドアが、何も擦らずにスムーズに開いたのにはビックリした。前回の大地震で、ドアの枠が変形しドア下部が擦るようになり、テコでドアを持ち上げること数回、毎度直しては重力には勝てず、そのうち擦るようになるを繰り返し諦めていた。

それが今回の地震の小刻みな大きな揺れで枠が元に戻ったのか、ドアが以前のようにスムーズに開閉できるようになった。実に10年振りだ。プロパンガスも自動停止が働かず、すぐについてよかった。前回の大地震では当然自動停止し、あれを解除するにも雪の残る外へ出なければならず、それなりに面倒なものだから。

今回も地震の10日前に灯油を100リットル、車のガソリンも満タンにしていたので、停電になったと聞いても当面は大丈夫だった。前回の大震災の時、風呂の浴槽に水が溜めてあって水道が復旧するまでの間、洗い物などに随分役立ったが、今回も浴槽には松原式節約入浴法により、シャワーでお湯が出るまでの間の冷水を、そのまま排水として流さず浴槽に溜めておいたので、きれいな水がフルタンク状態で安心だった。

ブログを再開してすぐに書いたけど、あの大震災の直前の2011年1月以来、10年振りでシャワーの切替弁が凍結で壊れたことで、ここで書きはしなかったけど、いや〜な予感がしてたんだ。1/10に水が止まらず出っ放しになって故障に気付き、すぐにネット注文もお取り寄せ商品だったので、ちょうど今回の地震の1カ月前となる1/14に届き、当日すぐに交換していた。

他にも、地震の前夜、座敷で寝ている自分の布団の周りをグルグルと何物かが回る、畳を擦るような音を感じていた。同じようなことは以前にも何度かあったが。かなり久し振りのことで、少なくとも3、4年振りだと思う。同じ布団内にいたネコ2匹は何も感じてないようで呑気に寝ていたが。

地震当日の午前中に飲んだコーヒーが濃かったのだろうか、胃の不快感で珍しくお昼はバナナだけでいいと思った。それは夜まで続き、夜もバナナだけでいいと思ったし、ここ最近、毎晩欠かさず飲んでいた焼酎割りも、この日の夜は飲まずに寝たら、その数時間後にあの大地震が来たというわけだ。

それに、いつもはポイント10倍目当てで、必ず日曜日にスーパーへ買い出しに行くので、ポイント加増のない前日の土曜日なんて、行った記憶がほぼないのだが、この日は体調が悪い割には、なぜか行っていた。行っておいて本当良かった。あの地震の翌日のスーパーといったら、地震で落ちた商品の片付けなどもあろうし、地震直後だから、あの物不足を嫌というほど経験しているから余計、お客さんらが大挙して押し寄せただろうから、本当に土曜日に買いに行って良かったと思う。これも地震の予兆がそうさせたのだろうか。

そのレジでのことを思い出したが、10倍デーの前日でもありスッと空いてるレジに並んだら、自分の前にはここら辺では滅多に見られない、まるで銀座のママのような金色の着物姿の中年熟女が会計中で、自分の目の前には最後の会計の小さな箱入りミカンが一つデンと置いてあった。会計合計7500円位で金持ちだなと思った。その翌日、偶然にもそのスーパーのチラシに静岡産青島三ケ日ミカンが3キロ箱980円で特売に出されていたので、その中年熟女は見るからに金持ちなので、それを見て「損した〜」とは悔しがらないだろうが、地震明けでさらに混雑する前に、高くても買えて良かったと同じように思っただろう。





2021年02月14日

昨夜の大地震

19:30
これも毎日DHA+EPAを飲んでるせいなのか、最近ひどい空腹でもすぐに寝られるようになった。以前だと絶対無理で、空腹で布団に入り全然寝れないと何か食べに起きたものだが、今はどんなに空腹でも寝られる自信があるので、寝入るのを余裕で待っていられる。夕食を17時には食べ21時には寝るので、どうしても腹が減って寝られないと、焦ってきて何か食べるしか方法がなかった。そこにこの「技」が身についたお陰で、食後すぐに寝るという悪習慣がなくなり、体重管理に貢献してるはず。

悪玉コレステロールや中性脂肪が高くて良かった。もし、正常値だったとしたらDHA+EPAを飲む必要がなかったのだから、長年わずらっていた頭痛が生涯改善することはなかったはずだ。何が幸いするかわからない。若い頃からつい10年位前まで健康診断の血中脂質などは特に問題はなかったので、当時あったのかは知らないけれど、DHA+EPAを飲む機会がなかったことで慢性頭痛が解決せず、最近まで長引いた。

これを諺に当てはめるなら、「人には添うてみよ馬には乗ってみよ」だろか。人生何が幸運するか分からないもの、という例え。

五十肩の次の移動先の候補だろうか、この冬の大雪の最後の雪かきをした辺りから、足の親指の付け根に少し違和感がある。靴下を脱いで見た限り、特に異常はない。ただ、階段を降りるときなど、そこに体重が掛かるので気にはなる。

昨夜23時07分に発生した大地震で、当市は震度5弱だったが、自分の感覚では1分位揺れているような気がした位、あの3/11の地震のように長く感じた。この地震で震源に近い福島県で震度6強の揺れが起こり、郡山市の60代女性が階段から足を踏み外し「足の付け根を骨折」したというのだが、今朝のテレビによると、この人がこの大地震での最大の重傷者のようだ。ところで、足の付け根とはどの部分を言うのだろう。




2021年02月13日

痛みの大移動

19:30
きょう、無線マウスの方は電池を交換したら、モニター画面上をうるさく動きまわる羽虫現象は出なくなった。やれやれ。これからは5か月ごとに交換だ。

そうは簡単にいかないのが生身の体で、去年突然五十肩になって半年、当初よりかは少しは良くなったかんじがするが、いつになったら元通りになるか見当がつかない。それでも、あの毎年冬になると何かを腰に刺されるような激しい痛みに悩まされてきたことを思えば、こんなの天国にいるようなものだ。どちらを取るかと言えば、当然五十肩の方が大歓迎だ。

この冬の大雪で当然何度も雪かきをしたのだが、幸いにも例年の激腰痛にならなかったお陰で、毎度毎度の雪かきには全く支障が出ずに済んだ。この大雪の年にあの腰痛で雪かきをしなければならなかったとしたら、もう本当に神も仏もない地獄だった。これは多分だが、今まで通年でも、いつもあった腰まわりと大腿骨辺りの鈍い痛みが、なぜか左肩に突然移動してきたような気がしてならない。それでこの冬はいつもの腰痛にならずに済んだのだ。いくら何度も雪かきしても全然腰痛になる気がしなかった。

当然雪かきは五十肩である左肩も多用したのだが、こちらも特に痛みがひどくなるでもなく、これまで通りの範囲内で済んでくれたし、逆にこの冬はついていたのかもしれない。とにかく、芥川賞作「苦役列車」を読みたくさせる、あの超激痛の腰痛になると、特に冬だから布団の重みが、何でこんなに重い布団を体に載せていたのかと相当こたえたし、寝返り打つだけで1ミリ単位で超慎重に動かさなければならず、布団から起き上がるにも、こうしたらこうしようという事前の頭の中のリハーサルが必要だったくらいだから、今の左肩を下にして寝てる時に感じる痛みなど、本当に取るに足らないとしか思えない。そう思えば五十肩になったのも悪くはない。

自分は若い頃から頭痛持ちで、すぐに頭痛になっては中々治らなかった。ちょっと何かパソコンでトラブって頭を集中させたり、ブログで込み入った話に集中したりしてもだし、春に急に暑くなったりしても、すぐ頭痛になった。若い頃から頭痛薬を飲みすぎたせいか頭痛薬も効かなくなっていたので、一旦頭痛になると最低3日間は頭痛が続き、ひどいと1週間も続くので1カ月で1週間は頭痛という状態を、つい数年前まで繰り返して来た。とにかく、当方の頭痛ときたら、あの「モグラ叩き」と同じで、こっちが治っても今度はこっちという風に、痛みが頭蓋骨表面のあちこちを転々として続くのだ。おそらく、これが今度は骨の痛みとして起きるようになった、のではと推測される。

つい数年前まで40年以上、頭痛薬が殆ど効かない状態だったので、いろいろ飲み方を研究して、いかに自分に効くようにするか工夫していた。それが数年前から、あの頭痛持ち自分が突然頭痛持ちでなくなった。これは多分、悪玉コレステロールや中性脂肪などの数値を下げるためにたまたま飲み出した「DHA+EPA」の錠剤の「副作用」と思っている。はるばる沖縄から月110円程度のサプリを飲んでるだけで、一生治らないと思われた頭痛体質が完全に簡単に治ってしまったのだから、本当に驚きだ。

ちなみに、それを気のせいじゃなくちゃんと証明しようと、軽く二日酔いで頭痛状態になったときに、いつもは毎日2錠飲んでるそのサプリを1錠足して3錠飲んでみたら、午後気が付くとすっかり治っていた。ある時は、頭痛薬の代わりとして新規で2錠飲んでみたが、すぐに頭痛から回復したので間違いない。これは薬ではなく、あくまで青魚等の「食品」なので、1日2錠でも4錠でも全然構わない。本当、一生治ることない持病がひょんなことから突然治るようになって、このことだけでも本当に人生がすこぶる快適になり有難さで一杯だ。

最近では頭痛の代わりに、あのさんまさんと同じく頭皮神経痛に悩まされるようになった。ちょっと頭を集中させ過ぎるとなるようだ。但し最初の仙台陸軍幼年学校クラスは滅多にならないので、せいぜい半年に1回1日程度、耳の裏辺りが痛くなる程度なので、これくらいならこっちの方が相当マシだから、これでこのまま行って欲しい。




2021年02月12日

五十肩

19:00
1年ブログを休んでいたのでネタは一杯あるのだが、一つのネタが大きすぎるので、手を付けるだけでも大変で、手を付けたら最後、途中でやめられない大変なことになることがわかっているから、現在何にも手を付けられない糞詰まり状態。

投資以外のブログに方向転換したい。投資のことはここで何か言っても、当たっても外れてもどっちにしても疲れるからしたくない。外れて構わないのなら書けるけど、そういう無責任なことはしたくないし、ずーっと頭のどこかで気になっていて、寝てる間も含めて落ち着けないから。例えて言うと、スマホがいつも待ち受け状態で枕の横に置いて寝てなければならないのと、電源をすっかり落として安眠できる状態で寝るのとの違いみたいな。

この間もゆったけど、このキーボードが押すたびにカスカス言って、本当に硬いボタンを押してるかんじの抵抗力があって、押したらもしや戻ってこないかんじも。マウスはダイソーの300円のマウスで、初の無線マウスだけど、これも電池が消耗してるのか知らないが、ここ2.、3日モニター画面の上をマウスポインタが小刻みにあっちこっちに勝手に動くのでイライラしてる。

去年後半から突然五十肩になり、左腕が自由に動かせない。例えば、腕が上がらず真上には痛くて上げられなくなった。体の後ろにも自由に曲げられないし、多分これが世間で聞く五十肩なんだろうなと思ってわけ。それまで草刈り機の作業jでは、すぐに右肩が痛んでくるので、痛む右肩をカバーして左肩一本で草刈り機を左右に振り回し、左肩に相当に無理させていたせいで、突然、去年の後半あたりから無理に動かすと肩に激痛が走るようになった。

それまで痛むと言っても右肩は草刈り作業などをする時だけ痛んでいたので、この左肩痛からしてみれば問題になるようなレベルでは全然なく、こんなことなら左肩に無理させるんじゃなかったと後悔している。ふだんはまだ痛まないのが救いだけれど、突然腕を動かすことになったりすれば肩に激痛が走る。夜寝てて、肩が開くとじんわり痛むし、寝返りを打って肩に体重が載ると、これもじんわり痛むが我慢するしかない。自分であれこれやってみたけど全く効果なく半年が過ぎてしまった。







2021年02月11日

ネコブログ

21:00
投資ブログとしてスタートしたはずだったが、知れば知るほど無理とわかってきた。このブログの1行目を打つまでに3時間以上要しているとは、時間の無駄過ぎる。そこで投資ネタはやめてネコブログに模様替えしたいのだが。それと、ここに字を打ち始めても、短くても長くても30分以内で切り上げるようにしたい。そうでないと凄く時間を取られてしまうもので。






2021年02月10日

空白期

.21:00
ゆくゆくはこのブログをネコ喫茶ブログに変えようと思っているが、字だけのネコブログほどつまんないものはない。写真がないネコブログは基本つまんない。投資というものは15年やってても、何にやってたのか記憶に残らない、人生にとって最も空虚な時間の過ごし方かもしれない。

旅行というのはお金が掛って、後でそこに行った思い出しか残らないのだから、何て無駄なことかと思うのだが、投資ほど自分がその間何をしてたのか思い出せないような時間の過ごし方は、もっと虚しいことだと思える。15年間自分が何をしてたのか、殆ど記憶がないのと同じだから。自分の中の空白期とする。

例えば、自分が舗装工事の土方だったら、その道路が形となって記憶に残るものだけど、投資というのは数字だけだから、何をしてたのか全然思い出せない。自分は15年間何をしてきたのだろうと、人生の特に貴重な残り時間の少なくなる時期に、こんなことに時間を費やしていたことが、今となっては大変残念な気がする。






2021年02月09日

正月は駅伝ばかり見た

20:00
あと一つ「鷹」さえ揃えばよかったのに、という惜しい初夢を見た元日のこと、毎年、元日の午後は岩手放送のアナウンサー総出演の正月生番組を見るのだが、それまではいつも何かテレビがついていて、仕方なく暇つぶしに見てたかんじ。ところが今年は「ニューイヤー駅伝」という群馬県を実業団チームが走るレースを、途中、テレビをつけた3区からゴールまで見てしまった。例年だと、その岩手放送の生番組が始まるまで、所々見ていた程度だったのが、今年はしっかり最後まで見た。こんなの初めて。

翌日の箱根大学駅伝も、いつもスタート直後の1区と山登りの5区に、帰路のスタートの山下りの6区と、滅多にないがゴール直前で競っていれば10区も見たのだが、今年は元日から「ニューイヤー駅伝2021」を、なぜかゴールまで見てしまった流れのせいなのか、箱根大学駅伝はスタートから往路も復路も全部見た。こんな年初めてかも。

やっぱり何か嗅ぎつける嗅覚が発達してるのか、10区にタスキが繋がるまで、2位に安全圏と思われる3分以上のリードを保っていた創価大学が、箱根大学駅伝出場3回目にして初優勝するという可能性が高まっていたというのに、10区の創価大学のアンカーが、コース中盤から監督もまさかの区間ビリから2番目の超スローペースの苦しい走りとなり、1位から3分差のトップを走る創価大の背中を目標に必死に追い上げてきた駒沢大学のアンカーに一気に逆転されてしまい、まさかの2位でゴールする劇的な展開となった。それで前日から実業団駅伝から見ていたのかもしれない。

この劇的な大逆転劇のせいで、箱根大学駅伝中継の視聴率としては過去最高を記録し日テレとしてはウハウハだったはず。この結果、優勝した駒澤大学よりもゴール直前で大逆転された創価大学の方に、よりスポットが当たり駒澤大学の監督は久し振りの優勝なのに何かしっくりこないでいた。普通は何のスポーツでも逆転勝ちした方にスポットが当たりがちなのに、今回に限り、情けなく負けた創価大の方になぜか印象強さ注目度をさらわれてしまったかんじ。勝負では負けたが、記憶に残った創価大学。負けるが勝ち。

創価大学には相当な宣伝効果をもたらした。区間ビリから2番目のアンカーだったとしても、最後までゴールしただけで大変な価値があった。もし途中棄権してたら、往路優勝はしたとしても、復路や総合記録も参考記録としてしか残らなかったし、来年のシード権すら失ったのだから。







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