1977年秋の文化祭に、本当は配属は別の係だったのに、勝手に同じ新聞配達仲間が配属されたバザー係に潜り込むと、誰かが寄付してくれた、まだ新しいスイングジャーナル誌が、当然ながら全部売れ残り、当時の趣味だったイラスト描きの模写に利用できると思って、ほぼ全部をただで引き取ったことで自分のジャズ史が始まる。
その雑誌の中に、カラーで特集記事になるほどのジャズ喫茶が市内にあることを知って相当驚いた記憶がある。開店してまだ7年目位の頃で、そんなことも知らずに毎朝そのすぐ近くを自転車で新聞配達していたのだ。当時、始めて1年半位のときで、3年間続けて、3年目に盛岡の新聞社に表彰されに行き豪華な歓待を受けた。月の給料が7千円だった。
その中の記事の中に、ハービーハンコックさんとウエインショーターさんが既に熱心な学会員である紹介記事があった。昨日、チックコリアさんが2/9に亡くなったそうだと書いたが、それであれば自分の祖母と同じ命日だったことになる。あの百歳の双子として有名になったキンさんギンさんと同じ明治25年生まれの同級生だったが、95歳位で既に亡くなっていた。
この祖母も相当の頭痛持ちだったらしく、母親から聞いた話では、子供の頃お勝手場で、いつも火鉢の頭で頭をバシバシ叩いていたのを見たとか。多分この祖母の遺伝だと思うが、同じ頭痛持ちの孫としては、その気持ちがよく分る。自分も中年以降、頭の表面辺りが痛んで、何かで叩いたり思い切りつねったりしたくなるものなのだ。祖母は鎮痛薬がない頃の人なので、老婆になってもマムシの焼酎漬けを薬として飲んでいたとか。それが効いたらしいのだが、とても自分は真似できない自信がある。薬が一杯売られてる時代に生まれて良かった。
当家にも小学生の頃、流し台の奥にひっそりと置かれた、一升瓶に入れられたマムシがいた。大人になってから聞いた話では、生きたまま焼酎漬けにされたようで、一升瓶の底にトグロを巻いて確かに生きていたような気がする。滅多に見ることはばかったが、運悪く見てしまうこともあり只々怖かった。これは道の駅などで売ってる物ではなく、マムシ獲りの名人に頼んで、その人から買うらしい。これが頭痛薬というのなら、まだ頭痛の方がマシと思う自分が甘いのか、祖母はこれを効くと平気で飲んでいたようだ。昔の人は基本凄いので、こんなことくらい全然平気だし、鍛えられた体のつくりが土台違う。相当頑丈にできている。今の若者がこれを真似したら即入院死するレベル。
今、このブログを打っているヒザの上で、時折いびきのような鼻音を立てて寝ている、明治時代にいそうな白い猫がいるのだが、この猫とは同じ兄弟ながら、まるで同じ兄弟とは思えないジャニーズ系の、食べる物もカリカリが大好きな弟猫がいる。一方でこの老け顔の小柄な兄猫は、ウーと唸るほど野性味ある獲物系が好き。例えば、骨付きの唐揚げの骨とか見つけると、これはワイの物だと、まず咥えてウーと唸るし、焼き魚の骨でもそうだし、とにかく人工的に作られた餌以外に良く反応する。本当この辺も老け顔に似合ってる明治風の猫だ。
頭痛の主な原因として、肩こりなどから来る緊張型頭痛というタイプがあるらしいと数年前に知った。でも自分は土屋太鳳さんのような根っからの肩こりではないので、自分は違うタイプと思っていたけど、持病の頭痛から解放されてから分かったのだが、実は自分も緊張型頭痛だったのであり、よくパソコンがトラぶったりすると頭痛になったりしたのも、予期せぬトラブルによる「緊張」で頭に血が集中した結果、頭痛が起きたと思われるのだ。春の予想外の暑さも、体がまだ慣れてないためであり、想定外に体に緊張が走ったものと思われる。
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