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2020年03月21日

「意識とはなんぞや」意識の量を増やせ! 著:斎藤孝

斎藤孝 光文社

意識の量を増やせば良いビジネスマンになれるという本。知識、思考のスピード、密度、周囲を見つめる目、整理能力、様々な分野から意識を増やすレッスンを推奨する。
ゆっくりうごいで体に動きをなじませる、人と合う事で意識を他者と交換するなど。

著者が自意識と自己肯定感のバランスが大事と言っているが、さっき読んだ意識高い系の研究がもろにこれだった…自己肯定感が足りない自意識過剰はダメと言っているが、ちょうど意識高い系ってこれなのかもね、私はよくわからないが。

意識の量とは何なのか…よくわからなかったが、意識のフック、心のフックの数を増やすことではないかと思う、人間知らないことにはうまく反応できない、周囲から情報をキャッチするには準備が必要。

人生を面白くする本物の教養 著:出口明治

出口明治 幻冬舎

この本、別のビジネス系新書である「意識の量を増やせ」著:斎藤孝、とセットに読んでます。なのでちょくちょくリンクしたり相反する主張というものがたたあります。

本物の教養とは何かと言う本、著者の生い立ち的に戦後の教養主義と海外での仕事が大きなウエイトを占めており、その時の影響から世界で通じる教養人とは何かを説く。
例えば各国の教養を持っているだけで各国人の反応が違う、学部が違えば教養も違う、その中でどんな教養を得たら良いのかというのを説く本。
会議はやりすぎても意味がないとか、日本の大学生は本を読まない等いろんな事が書かれている。


著者は「速読は良くない」と言う、自分の本が速読されたら怒るとも言う、これがセットで読んでいた意識の量の方だと「速読すれば意識が増える」と推奨している。
実はこれはあながちどっちも間違っていない、速読は情報収集寄りで反応している暇がない、思考は緩急有るが感情は等速…というのが私の経験上あり、速読は思考までは反応できるが感情が反応している暇がない、なので感情を反応させたくない本を読む時は速読のほうが良い。

著者は古典は無条件で良い、これはちょっと疑問、著者はエリートビジネスマンなので良くも悪くも「上澄み中の上澄み」限定の話として書いてるように見える、古典と言っても上澄みばかりが古典ではない。ただその上で言うと、孫子や論語や老子等、君主論や形而上学とか、こういった上澄み、このあたりの超ベタな奴は簡易版ではないちゃんとしたの読んどいて良いと思う。
ただ小説クラスには若干疑問が有る、この人エリートビジネスマンだし生い立ち的に戦後の教養主義の影響がすごいから「他愛ないもの」は多分考慮していない、なので著者と私の古典の範囲対する認識が違うのが原因。

著者は日本のエリートは海外のエリートと比べて学歴と教養がダメみたいなことを言って居ましたが、オタク目線でこれは割と同意できる部分あり。
因みに私は著者の歴史は一つと言う表現はうん、私の言葉なら同一のニュアンスで「史実は一つ」と言いたい。

「悲惨の一言」有る明治人の記録 会津人柴五郎の遺書 著:石光真人

石光真人 中央公論社

会津藩士の息子でありながら大将にまでなった軍人柴五郎(シバ・ゴロウでフルネーム)。その柴五郎の幼少期の受難の記録。
彼自信が記したものを彼の友人の息子である著者が清書したものらしい。

冒頭でいきなり家族の女が皆自刃、その後は青森の斗南藩として会津藩は生存するも貧しく食うものは犬の塩ゆで等かなり悲惨な食生活。クソ寒いのに障子は破れ家の中に雪、まさに地獄。そこから上京して幼年学校へ、幼年学校になんとか這入ると今度はフランス式の生活が待っていた、食事もフランス式、貧しすぎた柴五郎にとってはごちそうだったことも記されている。その後兄が西南戦争へ行ったことなどが語られている。
その後は著者との対談の記録がいくらか記されている。

2度の敗戦を経験した老軍人の最後の言葉であり、明治と言う時代に生きた一人の人間の凄惨な日々が記されている。書かれている日本語は戦中のもの(でいいんだよね)で古いが、読んでみてはいかがだろうか。

意識高い系の研究 古谷経衡

古谷経衡 文藝春秋

要は意識高い系は
スクールカースト上位になれずかと言って下位にもならなかった層が
リア充(作者はネットで使われている意味は間違いであるで徹底している、作者の言動であればイケメンかつ高学歴かつスクールカースト上位でかつ親の遺産が多い名士的な存在を指す)のマネごとをしている層
自身の欲望を綺麗事で包み隠して居る、また彼らの主張は何も残さない、人に良い影響を与えない、ただの承認欲求の塊

こんな感じの内容

また意識高い系特有の行動パターンを書き、果たしてどう動くかと言うテストも書かれている
私の場合意識高い系低い系と言うよりはオタクなんだなと言うことをこの本から理解した、私の行動原理とはまたかなり違う感じ

この作者の表現で気になるのがリア充について、彼の書き方だとネットスラングならリア充と言うよりう上級国民と言った表現のほうが正しいと思う



私的に今メインブログの方でオタク論を書いており、80年代産まれにはオタクバッシングの影響が大きいと言うスタンスをとっているのですが、82年生まれの著者もアニメージュをイケメンに奪われて散々足蹴にされたことが有るという、これはまさに私にとってかなり重要な資料だったり…資料集めのために読んだ本じゃないのでこれは良い収穫、補足ですね。

「若干刺激特化のタイトル」良い子に育てると犯罪者になります 著:岡本茂樹

この本、ややタイトルと内容にズレが有る、間違ってないんだけどやや誤解を招く感じ。

良い子に育てると言うか、抑圧して表面的にいい子っぽくなってそれに安心してると問題を見誤ると言った感じの内容。
要は子供が大丈夫って言ったら大丈夫じゃない的な感じ。
本書に出てくる子どもは必ずしも良い子に育てられてない、要は家に問題があってそれで抑圧された環境で育ってて、その中で表面的には上の立場の人間に従順な子供は、表面的には従順だけど別の所では悪い事してて、まして抑圧されすぎて感覚が麻痺しているから犯罪に対する抵抗感もない、そんな感じ。

なので私の感覚だとそもそも良い子に育ってない子が多い、だいたい虐待絡みとか離婚とか色々有る家ばかり。
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