アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

筋トレ 脳トレ

筋トレ 脳トレ


筋トレは分かりやすい、筋肉痛になるし、だんだんと大きくなっていく筋肥大や、こなせる回数、上がる重量など可視化できる部分が大きく、やった分、サボった分がすぐに現れるので、続ける上で励みになる。

ところが、動きの質を変えたり、動作をなぞったり、技を覚えたりの武術的動きは脳の変化が伴うので脳が、自身をモニターできないので分かりにくい。この分かりにくさが鍛錬を続けるのに障害となる。
変化や反応の手ごたえが無いことを、人はずっと続けることが出来ない。

自動化が邪魔になる


普段は意識しないが、人間はほとんどの動作を自動化して行っている。

歩く、つかむ、食べる、よけるなど、特に動かす筋肉を意識しなくても、ちゃんとできる。しかし、どの動作一つとってもとてつもなく複雑な運動をやっているのだ。 

コップをつかみつぶさず、顔に水をぶちまけずに飲むことが出来るのは、一連の動作を自動化して脳が行ってくれているおかげだ。いちいちつかむ強さや動かす速さを考えずともきちんと動いてくれる。

しかも、指先には素晴らしく高性能な触覚センサーがついていて、大量の情報を脳は瞬時に処理している。おかげで触ったとたん、それが、硬いのか、もろいのか、厚みがあるのか、中身があるのかまで、何となく分かる。

ニワトリの卵とダチョウの卵を持っただけで殻の厚さが予想出来てしまうほどの情報処理を脳は自動的に行っている。

一時期はやった脳トレとは違うが武術は究極の脳トレーニングなのではと思う。

しかし、高性能に自動化された動きが、武術の動きを習得する場合邪魔になるようで、もう一度脳を再プログラムしないと、動けるようにならない。

足はどう動くのか、手はどう動かすのか、再度意識しながら動かしていかなけばならなくて、最初は動きの統合が取れずいたずらに筋肉を緊張させて固い動きになってしまう。

達人の脳に入れ替えれば強くなるか


では、素人の体に達人の脳を移植したら、強くなるだろうか、映画「マトリックス」の中に出てきた格闘技の技術を脳にダウンロードする、というような考え方だ。

筋肉の柔らかさや神経伝達の速さの違い、関節の可動域などで同じ動きは無理だろうが、かなり強くなるのではないだろうか。肉体を鍛えなくても脳の情報が変わるだけで強くなることはありえるかもしれない。
思考実験だがPCのソフトウェアのアップデートで性能が上がるように、ハードではなくソフトの強さが武術なのかもしれない。

今のところ、脳にダウンロードできないので、武術的動きの習得を脳にさせる過程で体も鍛えられていくということなのだとすれば、ソフトを伝える手段が型なのか。

人間の体は不思議だ、解剖学的には何もないはずの下胎に丹田と名付け生命エネルギーの気が宿る、といい、物理現象を超えた力を模索したり、複雑に制御されて統合した機械として人間の体をとらえて、精神現象も脳のネットワークが生み出す活動だとしてみたり。

どちらも、興味深くいつも私は揺れ動いてしまう。

悲しいことに、達人達のように究極の一なるものを掴んでいない凡人の私はいくつになっても、筋トレと型稽古を迷いながらやっている。


人間はなぜ走る?

人間はなぜ走る?

つくづく思うのだが、人間の運動能力はすごく低くて中途半端だと思うのだ。運動能力が高いと、かえってそれに頼って進化は停滞するだろうし、自由度が高いとも言えるから、これでよかったのだろうけど。

ほかの生物と比べるとあまりにも能力が低くて、ほぼ野生を消失した家猫の身ごなしでさえ、人間の動きと比べると、人間はあまりに不器用で、平地で転んだり階段を踏み外したり、コンビニの商品棚に体をぶつけたりしている。

認知革命、農業革命、産業革命のおかげで体の運動能力に頼らなくても生存を脅かされない文明を築き、繁栄を謳歌しているが、そもそもこんな能力でよくも生き延びて種として認知革命を起こして協力し合うようになるまでに滅びてしまわなかったなぁと思う。

サバンナの落ちこぼれ

今でこそ天敵がいない状態で70億まで増えて地球を支配しているが、サバンナに降りた頃は、下から数えた方が早いぐらいのザコで他の動物の餌だった。サーベルタイガーの歯形にびったり一致するかじられた頭蓋骨とかが見つかっているので、多くの肉食動物の格好の餌だったのだろう。

すごく、捕まえやすくて食べやすい。逃げ足は遅く動物の中では最下位、木登りもサルに劣り、厚い皮も無いし、硬い角も無く、鋭い爪や牙も無くて毒も無い、肉食獣から見れば魚肉ソーセージ並みに食べやすい獲物だったのではないだろうか。

人間の走る能力は高かった?
ずっとこんな風に思っていたが、「ボーントゥーラン」に衝撃的なことが書いてあった。それは、人間の走る能力は高いと言うのだ、にわかには信じられなかったが、それは速度はそれほど早くないが、全身に発達させた汗腺のおかげで汗をかき、体温を下げることのできる能力により他の動物より長距離を走ることが出来るのだと言う。

それにより、獲物を追いかけ、追いつき、追いかけ続け、ついには走れなくなった獲物を捕らえることが出来たと。
人間と違って体温調整のための汗腺を持たない動物達は速度は皆人間より早いが、しつこく、追いかけづつけると、ついには上昇した体温を下げることが出来なくなって動けなくなり捕まってしまう。

この狩猟方法は実際に実験して成功したと本にはある。

この実験にちょっと感動して、ランニングを日課にしていた頃は、想像の中で幻の鹿を追いかけて走る、イメージランニングをやっていた、なかなか追いつけなくて、一度も走り勝てなかったが。ARとスマホとウエアラブが進化すれば、ARの鹿を追いかけながら走ることもそのうち出来そうだ。

「ボーントゥーラン」では走るということは人間の本能に根差した活動だから、誰でも走らずにいられないのだ、と結んでいて、事実、私も影響されて、裸足で走っていたが、本能に根差しているかは疑問だ。

誰でもできることをみんなで見て感動するわけ

走るという、ほぼ誰でもできること、走ったことないなんて人はいないし、特殊技能でも無いことを、なぜか皆、話題にして一生懸命見たりする。能力は高いが走ると言う行為は同じであるマラソンや駅伝を応援するし、芸能人が無意味に長距離を走って感動を演出したりする。これには本能に根差した走る意味があるのかと思ってしまう。

武術空手は走らない
ところが、武術空手は走らないと言う。正確には走ると空手の質が落ちるから走るトレーニングはしないと宇城空手の宇城憲治氏は本の中で述べていた。なぜ走ると質が落ちるのかは私には分からないが、たしかに、古流の武術稽古にランニングは入っていない。どこに行くにも自分の足を使うしか無い時代の人の、足腰の使用度が今とは比べ物にならないほど、高いので、あえて走って鍛錬しなくてもよかったのかもしれないし、当たり前すぎて鍛錬に含まなかっただけかもしれない。

走るという身体動作は自然にはできない?
「ボーントゥーラン」とは矛盾するが古武術研究家の甲野善紀さんの著作には昔の日本人は走ることが出来なかった。走ると言うのは飛脚や忍者などが身に付けている特殊技能だったとある。証拠に昔の絵を見ると地震や火事の時に走って逃げるのに手をどおしていいかわからず、手を挙げて走っている。
明治以後の軍隊式の学校教育の導入によって皆走れるようになったという。
その代わり、ねじらず走る体の使い方をする走りは失われてしまったのだろう。ずっと、興味があってねじらず、ためず、居付かない、武術的な体の使い方を試してはいるが、ぜんぜん、うまくいかずやはり体はねじれていく。

トリガーポイントと筋膜リリース

トリガーポイントと筋膜リリース、あと注射とかタイとか


トリガーポイントを知ったおかげで長く苦しんだ坐骨神経痛からやっと開放された。本当に簡単な図とやり方を知っただけだったのだが、効果は大きかった。
triger09.jpgこんなおじさんの簡単な画像が私を救ってくれた。今ならもっと詳細できれいな画像があるけど。

このおじさんが指差しているのは坐骨神経痛のトリガーポイント。

私の場合は腿の後ろから膝の裏、足先まで痛かったが、こんな場所に原因があるとは思いもしなかった。

人によって症状は色々だから微妙に違うとは思うが。

 調べていく中で分かったのは、骨のズレやゆがみにアプローチする整体とはトリガーポイント療法は根本から違うということだった。整体やカイロプラクテックは骨と姿勢を正常な位置に戻せば体の不具合が治るという考え方だが、トリガーポイントは凝りや痛みは筋肉と筋膜に起こる開放できない緊張と収縮が痛みを引き起こしている原因なので、そこにアプローチして緩めていくという考えかただ。そしてその方法が特別な器具とかでは無くゴムボールで良いと言う。

テニスボール
色々試して固さと大きさでテニスボールが今のところ一番具合がいい。100均のでも使えるが、たまにつぶれてしまうので、ちゃんとしたメーカー品の方が体重をかけたとき安心。なかなか自分ではほぐせずマッサージに行くしかなかった肩甲骨の内側もボールの上に仰向けに寝て調整して体重をかければほぐすことが出来る。ほぐす強さを調整したい場合は壁と自分の間で寄りかかる強さを調整しながらマッサージすればいい。

注射はもっと直接的
緩むことの出来ない筋肉の緊張であるトリガーポイントが痛みを引き起こす原因なら、そこに麻酔薬を直接注射して緩ませれば治るのではないか。という考えでトリガーポイント注射という治療法もある。
ぜひ、やってみたかったのだが、残念ながら、施術する病院が少なく私は試せていない。
深い部分の緊張をほぐすのはテニスボールではなかなか届かないので効果がありそうだ。

真偽は不明だが、この療法は偶然発見されたという。椎間板ヘルニアに手術を受ける患者さんの手術部位を間違えて切開してしまい、間違いに気づいて何も手術せずすぐに閉じたが、その患者さんは腰痛が治ってしまった、という話がある。そこからトリガーポイントに局所麻酔をする治療法が生まれたそうだ。

無害な麻酔薬の注射とは言っても施術できるのは医師免許を持っている方だけにしか出来ないし、まだまだ、トリガーポイント注射を理解して施術しようというお医者さんも少ないので、この療法を受けるのが難しい。

タイのすごいおばちゃん
なんとか坐骨神経痛が良くなり運動もそれなりに出来るようになっていたが、慢性的に肩を動かすとゴリゴリと音がする。ストレッチをすると軽くなるし、それほど痛みも無いので、治療にはかかっていなかったが、車の運転やデスクワークでてきめんに肩が凝る。慢性的なものとあきらめていたが、仕事で行ったタイのバンコクで小太りのオバちゃんにマッサージしてもらったら、1回で直ってしまった。

200バーツぐらいだったので500円ちょいだ、酔っていたんでチップとかで1000円ぐらいは払ったかもしれないが。マッサージしながらタイ語で色々言ってくれる。こっちはさっぱり分からないが。でも、問題の肩のゴリゴリの肩甲骨周辺を触ったら、驚きの声を上げて何か重点的にそこをマッサージされた覚えがある。
残念ながら次に行った時は見つけることが出来なかった。名刺か連絡先を聞いておけば良かった。

それ以来マッサージは小太りで手の柔らかそうなオバちゃんに頼むことにしている。若くて美人なマッサージ師も多いタイだが、あのオバちゃんは本当にゴッドハンドだった。

6万円以上の価値があった情報

6万円以上の価値があった情報だった。

ラグビーで腰を痛めてから、定期的にギックリ腰になり、そのつど、鍼灸や整体、整形外科のお世話になっていたが、どれも対処療法で、痛みを抑えつつ、自己治癒力に頼るしかなかった。

そのうち、ひどい坐骨神経痛になり、10メーター歩くとうずくまる間歇歩行という酷い状態にまでなってしまったが、1回6千円の整体に10回通っても一向に症状が快方に向かわず、施術者はたくさんの理屈と理由を述べるが、結局「がんばって通って直しましょう」と言うばかり。

あまりに、こちらの負担を軽視する一方的な言い方なので、見切りをつけて通院を止めた。
もちろん、体の使い方が悪く症状を起こしている私が悪いが、かといって治らないものに時間とお金をこれ以上使うのも無駄に思えた。

何とかならんか、とひたすら情報を探しまくった中で見つけたのが、当時ほとんど知られていなかったトリガーポイント療法だった。今では、「トリガーポイント」や「筋膜リリース」でググればいくらでも情報を見つけることが出来るし、関連グッズも豊富にあり、ホームセンターなどにも置かれるほど一般的なものになったが。


トリガーポイント療法とは
痛みの起きている場所とは別の、原因となる部分の筋肉をマッサージして緩める方法で、ツボ療法の反射区の考え方に近い。すごいのはテニスボールがあれば、あとはなんにもお金がかからないということ。純粋に情報療法なのだ。


誰でもできるトリカ゛ーホ゜イントの探し方・治し方

新品価格
¥5,184から
(2019/9/24 22:14時点)



坐骨神経痛の場合は臀部の横、腰の少し下にポイントがあり、壁に押し付けたテニスボールで圧迫するとつま先までしびれるような反応があり、痛いのを我慢できる範囲でゆっくりマッサージしてやると、かなり楽になる。毎日、やり過ぎないように、根気良くマッサージを続けたら、坐骨神経痛も2ヶ月で完治した。
私にとっては、この無料の知識は治らない整体に払った6万円よりはるかに価値がある情報だった。

椎間板ヘルニアや坐骨神経痛は整形外科行ってもレントゲンやMRIは撮ってくれるが、せいぜいシップや痛み止めを出してくれるか、何とかしてほしいと頼むと、けん引やブロック注射、最後は手術を提案されたりする。そして、良くなる保証はない。
 
本当にしびれは神経の圧迫でおきるのか
良く聞かされる説明に「ここの軟骨が変形してこの神経を圧迫してるのでしびれてるんです」というものがある。本当だろうか、神経の圧迫でしびれが起きるのだろうか、背骨が曲がったり、骨が変形したりしている年寄りは大勢いるが、みな、しびれを訴えているだろうか。

本当に、今まで、腰痛で多くの医者や施術者に診てもらったが、はっきり言って不信感を持っている。

名医と言われる優秀なお医者さんも、手技療法で患者を治療する名人の施術者もいるだろうが、私はお会いしたことが無い。

整体や整骨院は怪しい?
頼るものが無いから仕方なく、藁をもすがる思いで行くのだが、全然良くならなくて理屈ばかり聞かされたり。

その場では瞬間的に痛みや痺れが取れても治療院から一歩出るともう、痛かったり。腰を治療してもらったら、首が痛くなったり。

はたして何回くれば治るのかも解らないし、言ってくれない。

なにより、納得できないのは、治らなくても、痛みが緩和されなくても、余計痛くなっても、同じ金額取られるということだ。

治療を商品として見ると効果も無くサービスとして不十分なのに、代金を取っているように見える。

正直、治れば払うが、全然治らないものに払いたくないとは思わないだろうか。

医療や治療は特別で、商品やサービスと同列に考えるのは間違っていて、治ろうが、悪くなろうが、ありがたく、治療を受けてお金を払うのが当たり前なのだろうか。

リンゴを潰す握力の向こう側

リンゴを潰す握力 コインを曲げる握力

握力は強さだと刷り込まれてきた。単純に握力が強ければパンチ力も強いと。握力へのあこがれは強さへのあこがれでもある。

では、具体的にいくつ握力があればリンゴはつぶせるのか、握力70kgを超えればつぶせる。しかし、指先を食い込ませじわじわつぶすのではなく、ぐわっと一気につぶしてリンゴジュースにしてしまうには、もっと高い握力、80キロ以上と力の集中が必要になる。また、手の大きさにも左右されるのでこれは鍛えようがない。

見栄えよくリンゴを潰すのはなかなかハードルが高いのだ。

握力を鍛えるのは難しい。
ハンドグリップ、指たてふせ、懸垂、アームカール リストカール リバースリストカール
どれもいいのだが、鍛える場所が小さな筋肉の集まりなのでなかなか効果が出ない。続けているとジワジワ握力が上がってくる感じなのだ。また、筋肉が小さいので無理をしすぎると怪我をしやすい。特に指たて伏せなど関節を痛めやすいので注意が必要。

やっぱりこの人
大山倍達総裁、握力=強さの刷り込みの原点はこの人にある。コインを曲げる握力があれば牛も叩けば殺せる。親指だけで逆立ちできる間はどんな人間と戦っても負けない。とか数々の握力に関する断言をなさっている。コイン曲げについては良くわからない。単純な握力では曲がらないだろうし、仮に硬貨が曲がる握力の集中があった場合、人間の指先の強度がそこまで持つだろうかという物理的疑問もある。骨とコインの圧力に指の肉が裂けてしまうのではないかという予想である。

しかし、怪力法という本を書かれた、日本ボディビルの開祖とも言える若木竹丸さんという方と一時期一緒にいたことがある、と総裁はご著書で書かれている。若木竹丸さんもコインを曲げることのできる力をお持ちだったようで、一説によるとコイン曲げのやり方を教えたのは若木竹丸さんだといわれている。

ありえなさのイメージを刷り込む
空手バカ一代に登場するコイン曲げのビジュアルイメージが強烈で、あまりに人間離れした超人技に洗脳されていた。親指と人差し指の2本指で相手の面前にコインをかざし、そのまま「うっむぅ!」と力をこめて硬貨を曲げるシーンがある。

大山総裁はこのようなやり方で曲げたとは一回も言っておられないが、このイメージが強烈すぎて一人歩きしてしまった。握力192kgギネス世界記録のサミュエルソンでも不可能な曲げ方だろう。

実際は
手のひらに乗せたコインを指でグーッと押し込んでゆがませてから曲げると書かれている。
それでも、人間業ではないが、真偽のほどは確かめようが無い。

極真の機関紙によると亡くなる前に支部長合宿の席で試しにやってみようか、とコイン曲げを試されたとある。「いやーやっぱりむりだねぇ」とおっしゃって、途中で止めたそうだ。そりゃそうだ、70歳近くになっての話だから。しかし、その後支部長たちが騒ぎ出して、騒然となったと言う。なんと、コインが少し曲がっていたというのだ。

信じるか、信じないかはあなた次第です。というとんでもないパクリで終わるわけにも行かないので、もうちょっと書くが、極真空手にあこがれて武術を始めた人間には夢のある話だ。

握力と○○の関係
メンタリストDaigoさんがニコニコで語っていたが、握手をすると相手の初体験が早かったか遅かったか(男限定だが)がわかるという。

気楽に握手すると相当な情報を相手に与えてしまう。たしかに、握手すると全力で握って無くてもこの人握力有るな、とかはなぜか分かるような気がする。

研究によると握力の強さとテストステロンのレベルは相関があり、握力が強い=レベルが高い=欲求が強く、性体験が早い、多い、となるのだ。

うーん、どうなんだろう。個人的にはそんなに早くも多くも無かったような。小学校4年生の体力測定で握力45kgあったので、けっこう強いほうだと思うのだが。

はい、欲求は人一倍あって助平だけど、ぜんぜんもてなかったからなあ。
なんか、さびしい話になったので終わります。

ダイエット

ダイエットしたいわけじゃないけど、体重コントロールはしたい。

傲慢で、我が強く、何でも自分の思い通りにしたい。起きたことをそのまま受け入れることが出来ず、できる限りすべてを自分のコントロール下に置いて、自由にしないと満足できない。そして自分の影響の範囲があまりに狭いと絶望して自分の内側に引きこもる。自分を冷静に分析するとこんな風になってしまう。

それは、自分の体にも向けられて、いつも自分の意思を裏切り簡単に音を上げる体を罵り、呪っていた。
思うように動かず、ちょっとのやりすぎですぐ不具合が起き、なかなか思い描くような性能を発揮しない体に文句を言ってどちらが主人かいつも争っていたが、勝つのはいつも体だった。どれだけ、念じようと、視力さえよくすることが出来ないのだから。

体重を増やしたい
ラグビーで当たり負けするので、体重を増やそうと思い、とにかく食べた。いつでも胃に隙間があれば、食品を詰め込むような、食生活を送り、食事内容は一切考えていなかったが、何を食べても血肉になる10代頃だったので身長170cmの小柄ながら体重は83キロまで増やすことが出来た。
ラグビーを止めたら、すぐ72キロに戻ってしまったが、体重や体形は命令一下思い通りになると思った。

今度は痩せてみようか
格闘技では体重のある方が有利だ。フルコンの組手でも実感する。重い方が強いのは当たり前なんだけど、力も体重も劣る者が勝つ術を武術と言うのではないかと思い、体重を減らしてみる方法を色々試した。
食事の量を減らしたり、食べるものを選んだり、調理法を考えたりする上で色々なダイエット法を参考にした。
特定の食品を食べるとか、特定の栄養成分を避けるとか、は体重が減ることもあるが、筋肉と運動能力を維持して体重を落とすのが難しかった。体重は落ちたけど疲れやすくなったら意味ないのである。

岡田斗司夫さんの提唱していたレコーディングダイエットは効果があった。(ご本人はリバウンドしているが・・)自分が何をどのぐらい食べているか、嫌でも意識するので、ダイエットと健康にも役立つと思う。何を食べるか意識すると食品に含まれる栄養成分と添加物を毎回考えるので、だんだん不自然で不健康なものは食べなくなる効果があった。

今も引き続きものすごくたくさんのダイエット法が現れては消えるが、結局、最終的には体形は簡単な算数でできていると納得しあきらめる方がダイエットは成功する。

その数式は体重(体形)=食べた量−運動量(基礎代謝含む)
この計算がプラスなら太りマイナスなら痩せる


これだけだと思う。変数としては個人の持っている遺伝子の脂肪を貯めやすいか貯めにくいかとかあるのだが、栄養を取り込みエネルギーに変えて生命を維持するシステムは皆同じなので間違ってない。

じゃあ、大食い選手はどうなる、だいたいみんな痩せていているけど、あれも、遺伝子の変数で処理していいんじゃないだろうか、滅多にいないし、明らかに消費以上の入力があるのに脂肪を蓄えないのは人類50万年のほとんどを占める飢餓の歴史の中で見れば遺伝子エラーじゃないのかしら。
自然界では一回の飢饉で淘汰されてしまう遺伝子なのに現代でも発現するというのが不思議ではあるけど。


自分の体は自分のもの

ダイエットも体重コントロールも自分の体は自分のものという思い込みと思い上がりでやってきたことなのかもしれない。結局何一つ思い通りになることなんてなかった。ダイエットとかは可能だけど自分の体の操縦席に座って運転してるつもりだったがほとんど全自動で動いていて、自分が動かしていると思っていたのはほんの2、3センチのハンドルの遊びみたいな範囲だけだったのではないかと思い始めた。

体も自然の一部
この思いは立禅を入り口に瞑想を行うようになってから、徐々に実感してきたことだから、証明は不可能なのだが、父母を通して生まれ、命を食べて成長し、地球や太陽がなければ1日とて生きていることのできぬこの身なので、やっぱりこの体も自然の一部だったのだ。それを勝手な考えで不自然なことをやるから不具合が起きたりするのか、という思いが年々強くなる。

分けるのを止めて体に聞く
究極は分けるのを止めた時に悩み苦しみは消えるのかもしれない。人間はいろんなこと分けて知識を増やしてきた。分かるは分けるだった。

肉体と精神を分け体を部分に切り分け病気を切り分け、相手と自分を分け、すべて分けて理解して文明を築いてここまで来たが、いや、分けたからこそここまでこれたが、矛盾するようだが、分けると同時に統合する道があるのかもしれない。

それには、少し謙虚になって体の言葉を聞けるようになるべきなのだろう。どうしたいのか、どうゆう状態なのか。今まで勝手なことしていじめてきた分いたわろうかと、思うが、その思いさえも体と心を分けているので邪魔なものなのだ。

自我をいくら肥大させようと、自然の一部として存在する体にこそ統合していく道が内在しているように思える。まだまだ、はるか遠くにかすかに見えるだけなのだけど。



立禅のワンダーイメージ

立禅のワンダーイメージ

中国拳法の伝統鍛錬に立禅というものがある。一定のポーズでイメージを持ち立ちづつけることで、気の力を高める鍛錬法だと言う。とらえどころが無く分からないがしっかりとした練習体系があり、武術の強さの伝説の源泉とも言える鍛錬なので取り組んでいた。

やる気を持続するには反応が必要
なんでもそうだが、単調でつらいトレーニングを続けるには、成果が分からないと続ける気力がどんどんそがれていく、ましてや、立禅はそのゴールも途中経過も分からないまま進み続けるような不安がある。
自分のやっていることが正解なのか徒労なのかも確かめようが無い、ウェイトや筋トレなど回数や数値で視覚化できない、立禅の時間が延びてもそれが効果が出てるから伸びたのかただなれただけなのかも確かめようがない。完全に閉じた世界での自分との戦いになっていく。そんな中ですがっていたのはイメージ力だった。

紙風船

極真の時に言われたのが、両足の間に紙風船を挟みつぶさないよう、落とさないようにイメージする。というもので、やってみるとすぐ注意がそれたり力が入りすぎたり抜けすぎたりして、なかなか集中力を持続できない、そして集中すると疲労度も上がっていく。さらに先があって、わきの下、手の間、指の間など、イメージできる場所はどんどん増やすことができるが、全部を同時にやろうとするとうまくいかない。
そのうち、だんだん、紙風船のイメージにも飽きてくる。

立禅中の妄想は止めようが無いので、紙風船をシャボン玉にして見たり、プラスチックの玉にしてみたり、ゴムの玉にしてみたり、極限まで薄く作ったガラスの玉にしてみたりして遊んでいた。ガラスの風船のイメージはかなりうまく行って、指の間の薄いガラスまでイメージできたので最後に一気に指先からわきの下両足の間まで力をこめてガラスを粉々に砕くという、遊びをやっていた。もちろんイメージの中で。
傍から見ているとずーと動かないでいきなり動いたと思ったら何かを払い落とす動きをしてる変なオジサンであった。


立禅の稽古が進むと変わった皮膚感覚を覚えることがあるという、皮膚の上を虫が這うような間隔や腕がなくなる様な感覚というのを師範から聞いていた、ある日右の肘から手首にかけて虫がはうようなむずがゆい感覚を覚えた、「これがそれか」とその感覚を逃さないようさらに立禅を続けたがその後は特に何も無かった。

この感覚は時々あったが、本当に蟻にたかられてるときもあって、急にばかばかしくなり笑ってしまってその日の立禅はそれで終わりにした。

意拳のビジョン

意拳のイメージする世界は想像を超えていた。静かな山の中の湖に浮かぶ小船に乗っているところをイメージする。(もう出だしから違う)不安定な船の上に立ち両手をだらりと下げて指先が伸びていくところをイメージする指先がどんどん伸びて湖の中に入り、そのまま湖底まで指先が届く、そして指先に湖底の泥を感じながらさらに指先を泥の中に突き刺していく、湖底に刺した指の動きに合わせて揺れる船の動きを感じながら立ち続ける。泥の中に指先を入れたり出したりしながら船の動きを感じる。

これを平地でイメージして立つ。VRでも太刀打ちできないイメージである。
そんな感じで豊富で奇想天外なイメージを使い拳を練っていく中国武術の奥深さと面白さを垣間見た思いがした。

小さなことからこつこつと、は時間管理で言えば間違っていると思う

小さなことからこつこつと、は時間管理で言えば間違っていると思う

先に、小さなことを次々にやってしまうと、必ず時間が足りなくなる。優先順位をつけたら大きなことから、心理的抵抗の大きなことからやってしまうのが正解。これは習慣化させるときも有効に働く。

朝食に生きたカエルをたべてしまえ
その日一番大きなことをやってしまえばあとは一日穏やかにすごすことが出来るという、自己啓発本からの引用(ブライアン・トレーシー)だが大きなことをその日の予定に先にぶち込んでしまえば、細かいことは後から隙間に入れていくことができる。

でも、嫌で先延ばししたり、代わりの小さなことをついやってしまう
わたしも、そうだった、というか油断すると今でもそうなりそうになる。これに対して有効なのは「嫌だなあ」のイの部分でもう動き出してしまうことだ。ぐずぐずして用意の時間でだらだらしてるよりは、もう、着の身着のまま海に飛び込むぐらいの覚悟で動き出しながら、ポケットに入ってるものを出したり、ペンを外したり動きながら着替えるぐらいでちょうどいい。嫌だなーと思ったら嫌なことが否応無く始まってしまう状態を自分に学習させると、習慣化がグッと楽になっていく。着の身着のまま、ワイシャツにスラックスの仕事着でいきなりHIITをやっているので、続いている。目撃されたら変なひと確定だから注意だが。

このやり方で習慣化したのは筋トレとヨガ、15年ほぼ毎日続いている。

毎日出来なかったときにどうリカバリーするか
一日5分のことでも毎日続けるのはかなり大変だ。必ずやらない日が出てくる。
1日休むと次の日も休みたくなる2日休むと3日休みたくなる。4、5日と休むと積み上げたものがリセットされたような気がしてどんどんやる気が無くなっていく。そうゆうときは再開した回数を数える、また休んじゃったけど今日やれば3回目の再開だ、とか、休んだ日数や回数より再開できた回数に注意を向けると続けやすい。

勉強や読書には
勉強や読書にもこの考え方は効き目がある。やらなくていい余計なこと、スマホを見る、SNSやyoutubeは水のように、隙間時間にしみこんでくるので、やらないぐらいでちょうどいい。先に一番嫌な勉強をやってしまう。一番最初が一番つらいので始めるとだんだん楽になってくる。

力技の根性論では無く
強引な力技に聴こえるかもしれないが、やってみるとこれが、継続させるには一番楽な方法だと思う。嫌なことを意思の力で押さえ込んで、無理やりやるのではなく、嫌なことを考える前に体や行動が起きるようにしてしまうとストレスが軽減する。いつも想像する未来が一番つらいので、想像して萎える前に現実にして心を安心させてしまおう。

立禅 

立禅 ただ立っているだけで強くなれるのか

立禅とは
中国拳法の伝統的な鍛錬方法に立禅というものがある。字のごとくただひたすら立っているだけの鍛錬である。極真空手は中国拳法とも交流があり、立禅の稽古も取り入れていた。動かないで立っているだけの稽古なんて不思議な感じだったが、指導を受けながらやっていた。立ったまま行う瞑想や禅のように見えるが、見た目よりもずっときつい。最初は5分立っていられなかった。

具体的やり方
両足を肩幅に開き膝をややまげて背中はまっすぐ、立つ以外の力は抜き頭のてっぺんから糸でつるされているような感覚でストンと立つ、手は大木を抱くように肩の力を抜き水平に胸のまえに出す。
頭から体の中心を通る重心が両足の真ん中に落ちるように重心を調整して立つ。
なんのために
気を練るとか内功を高めるとか言われてもさっぱり、実感がなかったが、強い人たちがみな真剣に取り組んでいたのでやっていた。ただ立っているだけなのだが、そのイメージが具体的ビジュアルに富んでいて、ユニークで面白い鍛錬だった。

膝を軽く曲げ真上から見たとき膝がつま先を超えないぐらいの曲げ方で、かかとの下に蟻が一匹いてそれをつぶさないよう、逃がさないように、ほんの少しかかとを浮かせて立つ、とか、両膝の間に紙風船を挟みそれをつぶさないよう落とさないようにするイメージで立つ、とか、拮抗する筋肉の使い方をして立ち続けるので、真剣にやるととてつもなくつらいトレーニングになる。

効果は
バランスや体幹が強くなった?あまり実感は無いし、よくわからない。
確たる効果がつかめるまでの鍛錬に耐えられなかったので何とも言えない。

3年続けなさい
澤井健一先生は朝晩15分の立禅を3年続けて稽古して、モノにならなければ武術に向いてないので止めて別の道を探すといい、と本に書かれていたが、そこまでやっても才能の無い場合はあまり使えるようにならないと言うのがシビアでリアルだ。

一時はやった1万時間の法則ともどことなくリンクしてるし。1万時間の法則はその後科学的には否定されていて、結局は才能が左右する部分がほとんどという身も蓋も無い結果が報告されているが。

動機が大事

若さが失われると、稽古して培った強さも失われてしまう、と言うのがむなしくて、衰えないもの、年とともに積み重なっていくような強さを求めて立禅を続けていたが、それだけの動機ではやはり3年以上のつらい稽古に耐える動機としては弱い。

達人には程遠い
結局、達人には程遠く、才能も無く、そこそこ健康な平凡な人生を歩んでいるだけになっている。
それでも、時々立禅を組んでみる。目的というより、いまは自分の体を探る楽しみとして行っている。

やがてマインドフルネスへ
様々なイメージで肉体を鍛錬していく立禅もいいが、いつしか呼吸に集中してイメージに没頭すると呼吸に戻るというマインドフルネスに近いもになってきて、立禅にこだわらなくなった。

強くなれ37兆の細胞

強くなれ37兆の細胞

私が最初に食事のことを考え出したのは、「強くなれ、わが肉体改造論」という大山倍達の本を読んでからだった。
他の著作とは趣を変えて、何をどう食べると強くなれるかということに主題を置いた本で、ほとんどが大山総裁の体験に基づく話なので科学的裏づけは無いし、朝からそれは食べすぎでは、というメニューの紹介とかあって面白いが、それまでは食べれるものは何でもかっ込んで運動していた時よりは何をどう、どのぐらい食べると効率よく筋肉になるか、ということを考えるようになった。

ちょうど、自炊を始めた頃で、めちゃくちゃな食事とまともな食事を行ったり来たりしていて、インスタント食品をドカ食いしてみたり、断食してみたり、3日断食していきなりホカ弁3個食べたりと、むちゃくちゃだった。しかし、胃腸が丈夫なのか体調を崩すことは無かった。

また、一物全食や身土不二といった食の言葉もこの本をきっかけに知ってから、東洋的な医食同源の考え方や正食の思想を知った。まあ、知っても大学生の一人暮らしの食生活とはかけ離れているので、ほとんど実践はできてなかったが。

やっぱり敗戦国
1945年に日本はアメリカを中心とする世界と戦って敗戦した。その後援助という名の、アメリカの余剰農産物の処理場となり、同時に日本人の味覚を改造するための目的もあり、ユニセフを通してアメリカの豚の餌である脱脂分乳を学校給食に取り入れさせ強制的に飲まされた。同じ敗戦国ドイツは援助された脱脂粉乳を全て廃棄している。

占領政策は複数の目的を同時に達成できる戦略を優先的に採用して実行しているので、単一目的の相関という単純なものではなく、ひとつの戦後政策が同時に3つ以上の目的を持って長い時間をかけてじっくり行われている。
そうゆう意味では彼らの方が良く、医食同源や身土不二がを理解してるんじゃないかとさえ思う。

アメリカが日本に対して行った食料支援の目的

1、欧米の市場向けに日本人の味覚を根本から変えてしまうため。
2、気性や精神から日本的なものを奪うため。
3、日本人がほどほど健康で良く働き、良く病気にになり欧米資本の医薬品を大量に消費させるため。

気の長い戦略で、きらびやかで楽しげなデコレーションを施した欧米風食品の啓蒙が74年行われてきた。
途中からは日本人も率先して欧米食を絶賛礼賛した、家畜の餌を食わされたことも忘れて。
現在「日本の人口は世界の2%に過ぎないのに、世界の薬の約40%は日本人が使う」とも言われている。
まさに彼らの思惑通りに日本は再教育されて農薬、添加物、医薬品の大量消費国になってしまった。

では、どうすればいい
玄米がいいとか野菜中心がいいとか、言っても無駄だと思う。何が起きてて、何を食べてるのか知ること、知って、変えれる所は変えてみることだと思う。知りたくない見たくない、見たら食べれないという人は、いかに不自然なものを食べているか想像するべきだと思うのだが、余計なお世話だろうか。なぜこんなに安いのか、なぜ腐らないのか考えたことが無いのだろうか。

安易な絶望や想像力の欠如は結局彼らの思うツボなのではないだろうか。

こんなことを言っていても私の女房は朝食パンだし、息子はコンビニ食大好きで、高齢の母親はパックの炊き立てご飯やコンビにのおかずを買っていて萎えるが、何か言うより、食事にうるさい私がこの先も健康で強いことがだんだん説得力を持つのではないかと気長に考えている。




<< 前へ     >>次へ
https://fanblogs.jp/kakutoukagaku/index1_0.rdf
プロフィール

ハイキック
ほんとは出来ないハイキック。 股関節を痛めてしまって。 でも、まだまだ鍛えることはあきらめていません。 

ディレクターズ・カット 燃えよドラゴン 特別版 [DVD]

新品価格
¥650から
(2012/1/24 12:07時点)

マクロス(macros) デジタルハンドグリップメーター MCZ-5041

新品価格
¥1,700から
(2012/1/24 11:30時点)

×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。