2019年09月21日
立禅のワンダーイメージ
立禅のワンダーイメージ
中国拳法の伝統鍛錬に立禅というものがある。一定のポーズでイメージを持ち立ちづつけることで、気の力を高める鍛錬法だと言う。とらえどころが無く分からないがしっかりとした練習体系があり、武術の強さの伝説の源泉とも言える鍛錬なので取り組んでいた。
やる気を持続するには反応が必要
なんでもそうだが、単調でつらいトレーニングを続けるには、成果が分からないと続ける気力がどんどんそがれていく、ましてや、立禅はそのゴールも途中経過も分からないまま進み続けるような不安がある。
自分のやっていることが正解なのか徒労なのかも確かめようが無い、ウェイトや筋トレなど回数や数値で視覚化できない、立禅の時間が延びてもそれが効果が出てるから伸びたのかただなれただけなのかも確かめようがない。完全に閉じた世界での自分との戦いになっていく。そんな中ですがっていたのはイメージ力だった。
紙風船
極真の時に言われたのが、両足の間に紙風船を挟みつぶさないよう、落とさないようにイメージする。というもので、やってみるとすぐ注意がそれたり力が入りすぎたり抜けすぎたりして、なかなか集中力を持続できない、そして集中すると疲労度も上がっていく。さらに先があって、わきの下、手の間、指の間など、イメージできる場所はどんどん増やすことができるが、全部を同時にやろうとするとうまくいかない。
そのうち、だんだん、紙風船のイメージにも飽きてくる。
立禅中の妄想は止めようが無いので、紙風船をシャボン玉にして見たり、プラスチックの玉にしてみたり、ゴムの玉にしてみたり、極限まで薄く作ったガラスの玉にしてみたりして遊んでいた。ガラスの風船のイメージはかなりうまく行って、指の間の薄いガラスまでイメージできたので最後に一気に指先からわきの下両足の間まで力をこめてガラスを粉々に砕くという、遊びをやっていた。もちろんイメージの中で。
傍から見ているとずーと動かないでいきなり動いたと思ったら何かを払い落とす動きをしてる変なオジサンであった。
蟻
立禅の稽古が進むと変わった皮膚感覚を覚えることがあるという、皮膚の上を虫が這うような間隔や腕がなくなる様な感覚というのを師範から聞いていた、ある日右の肘から手首にかけて虫がはうようなむずがゆい感覚を覚えた、「これがそれか」とその感覚を逃さないようさらに立禅を続けたがその後は特に何も無かった。
この感覚は時々あったが、本当に蟻にたかられてるときもあって、急にばかばかしくなり笑ってしまってその日の立禅はそれで終わりにした。
意拳のビジョン
意拳のイメージする世界は想像を超えていた。静かな山の中の湖に浮かぶ小船に乗っているところをイメージする。(もう出だしから違う)不安定な船の上に立ち両手をだらりと下げて指先が伸びていくところをイメージする指先がどんどん伸びて湖の中に入り、そのまま湖底まで指先が届く、そして指先に湖底の泥を感じながらさらに指先を泥の中に突き刺していく、湖底に刺した指の動きに合わせて揺れる船の動きを感じながら立ち続ける。泥の中に指先を入れたり出したりしながら船の動きを感じる。
これを平地でイメージして立つ。VRでも太刀打ちできないイメージである。
そんな感じで豊富で奇想天外なイメージを使い拳を練っていく中国武術の奥深さと面白さを垣間見た思いがした。
【(カテゴリなし)の最新記事】
投稿者:ハイキック|16:04
この記事へのコメント