2019年10月12日
時間の生まれるところ
時間の生まれるところ 武術の時間感覚
武術は対人で行う身体技術である。その中で速さは絶対ではなく相手に対しての相対になる。
つまり、相手から見えなければゆっくりした動きでも早い動きと言える。
そして生理学の研究で分かってきたのは脳が常に予測し補正をして動く器官ということで、理由は神経の伝達速度が意外に遅いのに、目に入る情報は光の速度で入ってくる。このままでは視覚情報と感覚情報のずれが生じてしまうので、そのずれを脳は常に補正しているそうなのだ。
そして体のすべての動きの制御はほぼオートで行われている。いちいち腕を動かす速さや距離を考えていない。今までの経験で予測を立てて勝手に脳が動かしてくれている。たまに、この予測が外れる時がある。
重いと思って持ち上げようとした時や、止まっているエスカレーターを歩い時など、脳の予測モデルと実際のフィードバッグが違うので、脳が躓いたようになり、うまく動けなくなる時がある。
どうも、武術はその予測モデルを崩して動く術理があるようなのだ。
そして、時間はどこで生まれているのかと言えば、対人間であればお互いの脳で生まれている。
その予測時間を裏切る技術が武術にはある。
雨だれを3回切った男
幕末の剣士、中村半次郎は居合の使い手だった。その居合は雨だれが一滴落ちる間に、3回鞘に戻ったという。どんなに高い軒先と考えても2.5メートル、そこから水が一滴落ちるのに0.7秒ぐらいだろうか。
今の我々が行う西洋的な身体動作ではどうにもできない速さである。仮に鞘に納めず抜き身でも0.7秒で3回振るのは想像できない。
中村半次郎は維新後、日本初の陸軍少尉になった桐野利秋である。偉人を後世の人間が脚色するために作った大袈裟な話なのか、私はそうは思えない。振武館の黒田鉄山氏の居合演武を見るとそうゆうことを可能にする体の使い方、動きはあったのかもしれない。と思ってしまう。なめらかで、角の無い、起りが見えない、いつ鞘から抜いたのかさえ見落とすほどの居合だった。
破壊力は速さの平方に質量を掛けたものと何度も聞いた。少しでも早ければそれだけ攻撃力が強くなる。
しかし、人間が種として同じ身体構造で筋肉組織も同じならどんなに努力しても速さには限界がある。
つまり、人間が出せるスピードや力は上限が決まっていてそれ以上は構造的に無理と分かっている。
ところが、武術の世界ではそれを超えてるのではないかと思えるような話が多い。
一つには脳の通常の予測を裏切る動きで可能になる技術なのではないだろうか。
無拍子
相手と対面しているのに、突然間合いが詰まり何もできないうちにやられてしまう。
脳の予測モデルから、相手の起りが見えれば反応できるのだが、無拍子になると反応できない。
それはためない、けらない、動きなので、起りからの動きの予測をさせない。
無拍子とは違うが、コイン取りという遊びで、相手の手のひらの上のコインを相手の手の下に自分の手を位置させた状態から、相手の手が閉じるよりも早くつかみ取るという動きを見たことがある。
古武術研究家の甲野善紀さんが行って見せた動きだが、気配を出すとどんな人間でもピクッと反応して、手を閉じようとするが、甲野さんが行うと相手が全く動かないうちにコインを取られてしまっていた。
素早い、がそこまでのスピードとは思えない。しかし、起りを消すと人間は反応が出来ないようだ。
ちなみに、ブルースリーもコイン取りが出来たそうだ。
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