2019年09月29日
怒りは使えるか
怒りは使えるか 怒りと脱力
怒ると力が出るだろうか、怒ると物事の処理がうまくできるだろうか。多分ほとんどの場合怒りからの行動はすべてを破壊してしまい、物事を前に進めることはできず、失敗と後悔の原因になる感情だろう。しかし、生物に怒りは備わっていて、必要な感情だからこそ、みんな程度の差はあれ持っているので、私たちに怒りの感情が備わっている理由と効果、また格闘技や武術で怒りをどう使うか考えてみたい。
怒りはダメージ覚悟の非常ボタン
怒ると疲れる、誰もが経験があるだろうが、肉体的にもダメージを受けていることが研究で解明されている。
交換神経が興奮状態になって胃や腸など、内臓の動きが止まり、長期的には病気の原因にもなる。
また、血圧の上昇や心拍の増加などで心臓や脳血管の障害が起こりやすくなる。
逆に言えばここまでのリスクを取っても怒るということは生命の危機を回避できる突破力を与えてくれるから少々のダメージを覚悟で怒りの回路が備わった、とも言える。
痛みを感じなくなる、力が出る、恐怖心を感じなくなる、などどれも原始の時代に我々を生き延びさせてくれるための非常ボタンだったわけだ。
だだ、原始時代からアップデートされていないので、現代ではほぼ破壊しかもたらさないし、マイナス面のみが残ることになってしまっている機能なのだ。
怒って物にあたると効果がある場合と逆効果な場合
怒りは直接的行動の出るための準備回路なので、身体活動、格闘、競技など体を物理的に動かす場合は、怒りを行動で表現した方がその後のパフォーマンスに効果が出るという研究がある。
八つ当たり的に控室のロッカーを殴ってボコボコにしたり、手じかにあるものを壊したり、叩きつけたり、引き裂いたりだ。
でも、怒りを行動で表現してはいけない場合、話し合いやオフィスワーク、接客など、たとえ別の場所で隠れてやっても、物に当たるのは逆効果だ。物を壊してスッキリすると言うが八つ当たりすると、かえって行動で刺激されて理性的な行動が出来なくなり衝動的に攻撃してしまう恐れがある。
制御方法
法治国家の文明社会で日常生活を送っているなら、怒りの行動は人間関係や人生の破壊しかもたらさないので、自分にも相手にもダメージを与えず制御する方法が一番重要になる。
1、呼吸 怒りのピークは最初の6秒と言われているので、まず、呼吸に集中して、この6秒をやり過ごす。
2、紙に書く、書くことにより怒りの可視化が行われて、客観視しやすくなる。
3、俯瞰してみる、怒ると視覚的にも精神的にも視野が狭くなるので、呼吸の後は自分を上から見下ろしているイメージを思い描く、だんだん高度を上げて自分と世界を俯瞰できるようにする。
打撃が効かない?
普段、格闘技の鍛錬をしていたのに、怒って頭に血が上って打撃を入れても、意外と効かないことがある。道場では相手の戦意が無くなるぐらいの打撃なのに、効いてない、これは、アドレナリンが出ていて痛みを感じなくなっているからなのか、それもあるのかもしれないが、道場で出せたような打撃を出せてない可能性が高い。
非常時に鍛錬した武術を発揮できない。
武術は生きるか死ぬかを前提にした格闘術をもとにしている。だから当然、稽古を実際にどう使うかというのも体系化されているはずだ。
人間の筋肉は伸ばす筋肉と縮める筋肉で構成されているが、筋肉自体は収縮と弛緩しかできない。伸ばす動作も縮める動作とは逆側の筋肉が収縮することで伸ばしてるように見えている。
つまり、体中の筋肉に力を入れると曲げも伸ばしもできない状態で固まってしまう。
そこで、脱力の重要性を言われるようになってくる。打撃の場合も腕打撃を出す筋肉を効果的に収縮させ反対の筋肉はなるべく緩ませておかないと、打ち消し合ってスピードもパワーも出なくなってしまう。
これが、思いっきり力を込めて撃っているのにあまり効かない原因になっているのではとおもう。
自分で力を打ち消し合ってしまっている状態が、怒りや緊張で脱力できず頭に血が上ってガチガチになった打撃だろう。
闘争や格闘において怒りは有用だが、呼吸を使って下に下に下ろしていかないと武術で使えるようにならない。それを日本語では頭にくる、ムカつく、腹が立つ。という言い方で表しているのではと思う。
有名なのは宮本武蔵の自画像だが、肩に力みなく緩く脱力している。
鍛錬した武術を生かすには、頭に来ては使えず、腹を立てなければならない。
そして、それを体系化した鍛錬法が各武術に伝わる呼吸法なのではないかと思うのだ。
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