2019年09月19日
立禅
立禅 ただ立っているだけで強くなれるのか
立禅とは
中国拳法の伝統的な鍛錬方法に立禅というものがある。字のごとくただひたすら立っているだけの鍛錬である。極真空手は中国拳法とも交流があり、立禅の稽古も取り入れていた。動かないで立っているだけの稽古なんて不思議な感じだったが、指導を受けながらやっていた。立ったまま行う瞑想や禅のように見えるが、見た目よりもずっときつい。最初は5分立っていられなかった。
具体的やり方
両足を肩幅に開き膝をややまげて背中はまっすぐ、立つ以外の力は抜き頭のてっぺんから糸でつるされているような感覚でストンと立つ、手は大木を抱くように肩の力を抜き水平に胸のまえに出す。
頭から体の中心を通る重心が両足の真ん中に落ちるように重心を調整して立つ。
なんのために
気を練るとか内功を高めるとか言われてもさっぱり、実感がなかったが、強い人たちがみな真剣に取り組んでいたのでやっていた。ただ立っているだけなのだが、そのイメージが具体的ビジュアルに富んでいて、ユニークで面白い鍛錬だった。
膝を軽く曲げ真上から見たとき膝がつま先を超えないぐらいの曲げ方で、かかとの下に蟻が一匹いてそれをつぶさないよう、逃がさないように、ほんの少しかかとを浮かせて立つ、とか、両膝の間に紙風船を挟みそれをつぶさないよう落とさないようにするイメージで立つ、とか、拮抗する筋肉の使い方をして立ち続けるので、真剣にやるととてつもなくつらいトレーニングになる。
効果は
バランスや体幹が強くなった?あまり実感は無いし、よくわからない。
確たる効果がつかめるまでの鍛錬に耐えられなかったので何とも言えない。
3年続けなさい
澤井健一先生は朝晩15分の立禅を3年続けて稽古して、モノにならなければ武術に向いてないので止めて別の道を探すといい、と本に書かれていたが、そこまでやっても才能の無い場合はあまり使えるようにならないと言うのがシビアでリアルだ。
一時はやった1万時間の法則ともどことなくリンクしてるし。1万時間の法則はその後科学的には否定されていて、結局は才能が左右する部分がほとんどという身も蓋も無い結果が報告されているが。
動機が大事
若さが失われると、稽古して培った強さも失われてしまう、と言うのがむなしくて、衰えないもの、年とともに積み重なっていくような強さを求めて立禅を続けていたが、それだけの動機ではやはり3年以上のつらい稽古に耐える動機としては弱い。
達人には程遠い
結局、達人には程遠く、才能も無く、そこそこ健康な平凡な人生を歩んでいるだけになっている。
それでも、時々立禅を組んでみる。目的というより、いまは自分の体を探る楽しみとして行っている。
やがてマインドフルネスへ
様々なイメージで肉体を鍛錬していく立禅もいいが、いつしか呼吸に集中してイメージに没頭すると呼吸に戻るというマインドフルネスに近いもになってきて、立禅にこだわらなくなった。
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投稿者:ハイキック|11:53
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