2019年09月27日
筋トレ 脳トレ
筋トレ 脳トレ
筋トレは分かりやすい、筋肉痛になるし、だんだんと大きくなっていく筋肥大や、こなせる回数、上がる重量など可視化できる部分が大きく、やった分、サボった分がすぐに現れるので、続ける上で励みになる。
ところが、動きの質を変えたり、動作をなぞったり、技を覚えたりの武術的動きは脳の変化が伴うので脳が、自身をモニターできないので分かりにくい。この分かりにくさが鍛錬を続けるのに障害となる。
変化や反応の手ごたえが無いことを、人はずっと続けることが出来ない。
自動化が邪魔になる
普段は意識しないが、人間はほとんどの動作を自動化して行っている。
歩く、つかむ、食べる、よけるなど、特に動かす筋肉を意識しなくても、ちゃんとできる。しかし、どの動作一つとってもとてつもなく複雑な運動をやっているのだ。
コップをつかみつぶさず、顔に水をぶちまけずに飲むことが出来るのは、一連の動作を自動化して脳が行ってくれているおかげだ。いちいちつかむ強さや動かす速さを考えずともきちんと動いてくれる。
しかも、指先には素晴らしく高性能な触覚センサーがついていて、大量の情報を脳は瞬時に処理している。おかげで触ったとたん、それが、硬いのか、もろいのか、厚みがあるのか、中身があるのかまで、何となく分かる。
ニワトリの卵とダチョウの卵を持っただけで殻の厚さが予想出来てしまうほどの情報処理を脳は自動的に行っている。
一時期はやった脳トレとは違うが武術は究極の脳トレーニングなのではと思う。
しかし、高性能に自動化された動きが、武術の動きを習得する場合邪魔になるようで、もう一度脳を再プログラムしないと、動けるようにならない。
足はどう動くのか、手はどう動かすのか、再度意識しながら動かしていかなけばならなくて、最初は動きの統合が取れずいたずらに筋肉を緊張させて固い動きになってしまう。
達人の脳に入れ替えれば強くなるか
では、素人の体に達人の脳を移植したら、強くなるだろうか、映画「マトリックス」の中に出てきた格闘技の技術を脳にダウンロードする、というような考え方だ。
筋肉の柔らかさや神経伝達の速さの違い、関節の可動域などで同じ動きは無理だろうが、かなり強くなるのではないだろうか。肉体を鍛えなくても脳の情報が変わるだけで強くなることはありえるかもしれない。
思考実験だがPCのソフトウェアのアップデートで性能が上がるように、ハードではなくソフトの強さが武術なのかもしれない。
今のところ、脳にダウンロードできないので、武術的動きの習得を脳にさせる過程で体も鍛えられていくということなのだとすれば、ソフトを伝える手段が型なのか。
人間の体は不思議だ、解剖学的には何もないはずの下胎に丹田と名付け生命エネルギーの気が宿る、といい、物理現象を超えた力を模索したり、複雑に制御されて統合した機械として人間の体をとらえて、精神現象も脳のネットワークが生み出す活動だとしてみたり。
どちらも、興味深くいつも私は揺れ動いてしまう。
悲しいことに、達人達のように究極の一なるものを掴んでいない凡人の私はいくつになっても、筋トレと型稽古を迷いながらやっている。
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