アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2014年10月13日

台北 國立故宮博物院@九州国立博物館

2014年10月7日(火)から、開幕した特別展「台北 國立故宮博物院 −神品至宝−」を見に、福岡県太宰府市の九州国立博物館まで行ってきました。
中国歴代の優れた文物を収蔵する世界的な博物館「國立故宮博物院」。故宮博物院が所蔵する約70万点の中から、厳選した110点が展示されます。

九州国立博物館ははじめてでしたが、朝福岡空港について、地下鉄で天神へ。西鉄に乗って大宰府に久しぶりにいきました。
知人が聞いたという駅前の梅のくらというお店でランチ。とても安くておいしく、ボリュームもあって大正解!
駅前からの参道はいかにも観光地!という感じ。昨年行った香川の金比羅さんの参道を思い出しました。
出来立て焼き立ての梅枝もちのお店がたくさんあり、イートインコーナーのあるお店で買って食べましたが、焼きたては本当においしいですね〜。1つ120円です。

天満宮は本当に久しぶり。ちょうどデンマーク出身のフラワーアーティスト、Nicolai Bergmann(ニコライ・バーグマン)による個展「1100年の伝統と革新的なフラワーアートの融合 ニコライ・バーグマン 『伝統開花』」が開催されていて、建物や庭のあちこちにモダンアートのような花が展示されていて面白かったです。
樹齢千年を越すという大楠、樹齢千年を超えると推定され、国の天然記念物に指定されています。
だざいふ5yjimage.jpg

さて台北故宮展ですが、博物館の前で写真をとっていると、中国語を話す女性グループがいて、わざわざ台北から来たそうです。
平日だしすいていると思ったのですが、入場は30分まち。

今回展示の一番の目玉は、「肉形石」。自然の石を豚の角煮そっくりに作り上げた逸品で、海外に出るのは初めてだとか。入口入ってすぐのところにあり、ここでまた渋滞が・・・。でも15分もしないうちに一番前でじっくり見れました。
豚の角煮に似た肉料理を精巧に表現した石製品ですが、意外と小さいのですね。10月7日〜20日の限定公開です。

たいほく3yjimage.jpg

個人的に今回の一番の目当ては馬遠の華燈侍宴図軸(けとうじえんずじく)です。宮廷画家である馬遠は,我が国でも熱烈に愛好され,日本の水墨画にも大きな影響を与えました。

ただ、馬遠の華燈侍宴図軸が10月21日から公開というのを知ったのが、10月に入ってから!
この絵を見たくて九州まで行ったのに残念でしたが、会場に実物大のレプリカと案内板があり、代わりにじっくり拝見しました。
たいほく1yjimage.jpg

いずれ台北まで行って必ず見たいと思います!

posted by はまやん at 14:32| アート

2014年09月30日

菱田春草展感想(前期)

大観と並ぶ再興院展の巨匠、菱田春草。その回顧展が東京国立近代美術館で開催されています。
明治に入って大きな変革を迎えた日本の絵画の世界を支えた、というよりも変革をみずから積極的に仕掛けていった夭折の画家でした。

春草の作品には重要文化財が4点もあるそうです。これは、近代美術家の中でトップだとか。それも、36歳という短い人生の中で。
それらが、前後期合わせて、全部みられるというのだから、前後期とも行くことにしました^_^;

前期は「王昭君」、「賢首菩薩」そして、「落葉」の3点。「黒き猫」は後期でしかみられません。
でも、別の黒猫や白猫もいるので猫好きの方ご安心を(笑)。

目に留まって強く印象を残すのは、小動物たちの姿。 猫はたくさん出てきますし、雀や鹿もよく描かれています。
どれもほんとうにふわふわとして愛らしい。鹿は3枚あって応挙風。
「初冬」にはウサギも走っています。

そういった絵以外にも、無限の奥行きを感じさせて、絵のなかに入っていってどこまでも歩いていけそうな気がしてくる「落葉」の連作なども素晴らしい。

展覧会の構成は、春草の画業の全体像をたどるもので、基本的に年代順に展示されています。ただし猫は最後にまとめて。
16歳の作品「海老とさざえ」から始まり、学生時代の作品 「秋景山水」、そして、卒業後の入選作品「水鏡」。天女もいつかは美貌も衰えるというテーマで水面に映る影でそれを表す。初期の代表作です。前期一番楽しみにしていた作品。
春 水鏡yjimage.jpg

2章 朦朧体へ、空気や光線を描く
輪郭線を描かずに、空気や光を描くという”朦朧体”。朦朧と言われるくらいだから、当時の画壇では酷評されましたが、渡米時には高く評価されました。
「菊慈童」。周の穆王の時代、慈童と言う少年がおり、穆王の寵愛を受け常に帝の傍らに侍っていましたが、ある時、帝が居ない時、誤って帝の枕の上を越えてしまいました。群臣は議して、罪科は浅くないが、誤りから起こった事なので、死罪一等をゆるめて_縣山(れっけんざん)への流刑と決まりました。、水だけを飲んで生き延び、いつまでも少年の姿だったという伝説が画題。朦朧とした紅葉の山奥に包み込まれるように少年がひとり、幻想的な世界です。前期のみ展示です。
春菊自動yjimage.jpg

3章 色彩研究へ:配色を組み立てる
「賢首菩薩」では、何種類かの西洋顔料が使われていたようだ。研究熱心な春草らしい。賢首菩薩は描いた当時はあまり評価されず、展覧会ではあわや落選だったが、天心、大観の後押しで二等賞になった。それを伝え聞いた春草は、来年はもっと程度を下げて、審査員に分かるような絵を描こうかと言ったそうです(笑)。映画「天心」では、この頃から目の調子が悪くなりました。

そして、最終章へ 「落葉」、猫の連作「白き猫」、「黒き猫」。

白き猫yjimage.jpg

絶筆といわれる「早春」が最後に。その17年後の春草未亡人の話が残っています。黒い猫のあとで金屏風(梅に雀のこと?)を一枚、描きましたが、そのときは全く眼が駄目になっていて、絵具を溶かしている私にかくして、そっと涙を拭いていたときの春草の姿は、今も手に取るように思い出します。。。


村上春樹さんの小説世界ののように、静かで不思議な春草ワールド迷いこんだような気分でした。
後期の展示も期待しています。

posted by はまやん at 20:00| アート

2014年09月28日

新創開館5周年記念特別展名画を切り、名器を継ぐ@根津美術館 近代数寄者の世界

佐竹本三十六歌仙絵巻とは、歌仙絵の類品中、現存最古の絵巻です。鎌倉時代・13世紀に制作され、鎌倉時代の肖像画、歌仙絵を代表する絵巻物です。元は上下2巻の巻物で、各巻に18名ずつ、計36名の歌人の肖像が描かれていましたが、1919年(大正8年)に各歌人ごとに切り離され、掛軸装に改められました。もとは藤原公任の『三十六人撰』にもとづく三十六歌仙を一歌仙一図の絵姿に描き、それぞれの略伝と詠歌を添えた上下2巻の巻物でした。佐竹本三十六歌仙絵巻の絵の筆者は数人の手に分かれていて、信実筆の可能性が高い後鳥羽天皇像(水無瀬神宮蔵、国宝)よりは様式的に時代が下るものと思われます。もとは藤原公任の『三十六人撰』にもとづく三十六歌仙と和歌神住吉明神を一図ずつに描き、それぞれに略伝と詠歌を添えた上下2巻の巻物でしたが、佐竹家から出たのち、大正8年(1919)に切断分割されました。
紙本著色。元は巻子装で上下2巻からなっていましたが、上述のように1919年、上巻は18枚、下巻は19枚に分割され、計37幅の掛幅装に改装されています。
各画面は、まず歌仙の位署(氏名と官位)を記した後、略歴を数行にわたって記し、代表歌1首を2行書きにします。それに続いて紙面の左方に歌仙の肖像を描きます。面には歌人の姿のみを描き、背景や調度品等は一切描かないのが原則ですが、中でも身分の高い斎宮女御徽子のみは繧繝縁(うんげんべり)の上畳(あげだたみ)に座し、背後に屏風、手前に几帳を置いて、格の高さを表しています。絶世の美女とされた小野小町は顔貌が見えないように後向きに描かれ、容姿については鑑賞者の想像にゆだねる形となっています。
36名の歌人の男女別内訳は女性5名、男性31名です。上巻・下巻の構成はそれぞれ次のとおりです。
•上巻 - 人麿、躬恒、家持、業平、素性、猿丸、兼輔、敦忠、公忠、斎宮、宗于、敏行、清正、興風、是則、小大君、能宣、兼盛
•下巻 - (住吉明神)、貫之、伊勢、赤人、遍照、友則、小町、朝忠、高光、忠岑、頼基、重之、信明、順、元輔、元真、仲文、忠見、中務

第一次大戦の終戦による経済状況の悪化に伴い、当時の所有者であった山本氏は1919年にはこの絵巻を手放さざるをえなくなりましたが、時節柄、高価な絵巻を1人で買い取れる収集家はいませんでした。
この絵巻の買い取り先を探していた服部七兵衛、土橋嘉兵衛らの古美術商は、当時、茶人・美術品コレクターとして高名だった、実業家益田孝(号:鈍翁)のところへ相談に行き、彼の決断で、絵巻は歌仙一人ごとに分割して譲渡することとなったのです。
益田は実業家で茶人の高橋義雄(号:箒庵)、同じく実業家で茶人の野崎廣太(号:幻庵)を世話人とし、絵巻物の複製などで名高い美術研究家の田中親美を相談役として、三十六歌仙絵巻を37枚(下巻冒頭の住吉明神図を含む)に分割し、くじ引きで希望者に譲渡することとしました。

事前に、合計で購入価格に見合うよう36歌仙の断片に値段をつけ、最高価格は、斎宮女御の4万円(現在の4億円)、次いで小野小町が3万円、小大君2万5千円、柿本人麻呂・藤原敏行と伊勢1万5千円と続く。歌人紀貫之は破格の安さ3千円(現在の3千万円)!これは、狩野探幽の補筆が入っているからとのことです。探幽の筆(詞書に)が入ると、逆に安くなるというのは明治期以降の狩野派の美術界での位置づけを伺わせるものですね。

抽選会は1919年12月20日、東京の御殿山(現・品川区北品川)にあった益田の自邸で行われ、抽選会には益田自身も参加しました。
益田は、三十六歌仙の中でも最も人気が高く、最高値の4万円が付けられていた「斎宮女御」の入手をねらっていましたが、通説では、くじ引きの結果、益田にはもっとも人気のない「僧侶」の絵が当たってしまい、すっかり不機嫌になってしまいました。
それで、「斎宮女御」のくじを引き当てた人物が「自分の引き当てた絵と交換しましょう」と益田に提案し、益田は「斎宮女御」を入手して満足そうであったといいます。
もっとも、翌12月21日付け「東京朝日新聞」でこの絵巻売却の件が報道されたのを見ると、益田が最初に引き当てたのは僧侶像ではなく「源順像」だったことになっており、細かい点についての真相は不明です。
今回はこの「斎宮女御」が前期に展示されています。、
根津3yjimage.jpg
「近代数寄者の精神」というものが、最も発展を遂げたのは大正年間と言っていいでしょう。
数寄者たちは、没落した大名家や豪商たちに代わって、日本の文化を守らなければという使命感を持っていました。貴重な日本美術の流出を危惧した彼らは、仏像、什器、古美術、襖絵などを買い取ったり、寺院などから古い建造物を買い取り、移築までしたのです。もちろん利益のストックの手段としての意味もあったと思いますが、彼らのおかげで私たちが今日数々の名品を国内で見ることができるのも事実です。

「壺割り茶会」の裏話はとても面白く笑ってしましました。「壺割茶会」と呼ばれた所以は、小間の床に飾られた信楽の大壺を「打割って使ったほうがいい」との高橋箒庵の助言に従い、根津が人に託して壺を割らせ、壺割りを命じられた川部太郎と八田円斎は、主人の帰宅を待たず仕事に取りかかりますが、気が変わって帰ってきた根津はひどく機嫌を損じたそうです。ただ茶会では、る白玉椿と寒菊を生けて益田鈍翁に褒められて悦に入ったとのこと。今回この茶壷銘「破全」も展示されています。

これは、近代茶人が、情熱的に芸術を愛し、単なるコレクターでなく、新たな芸術の創造者を以て任じていたこを示す逸話ですね。また、益田鈍翁の茶会で、水指のフタを割ってしまった岩崎謙庵が、おわびのために開いた「長恨茶会」というのもあります。

今日私たちが目にしている古美術品は、長い年月を人から人へと受け継がれてきました。その間、経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。この展覧会は、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方を見直す又は再認識するいい機会だと思います。

展示替えがありますので、後期も行くつもりです。またレポートします^^♪

posted by はまやん at 14:47| アート

2014年09月22日

新創開館5周年記念特別展名画を切り、名器を継ぐ@根津美術館―瀟湘八景図について―

実業家、初代根津 嘉一郎氏の蒐集した、一級の美術品コレクションを誇る根津美術館の、新創5周年記念特別展に行ってきました。

「名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち」。不思議な展名ですね。
これは、次のような意味のようです。美術品は長い年月にわたって受け継がれていくもの。趣味の変化や破損などに対応するため、作品はときに切断されて仕立て直されたり、補修が施されたりします。創作された時点とは異なるかたちで残されている作品を集めて、その軌跡を眺めてみるという企画です。

今日私たちが目にしている古美術品は、長い年月を人から人へと受け継がれてきました。その間、経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています。
仕立て直しといえば、器などにもたくさんの例があります。割れたり欠けたりした器を直し、修理の痕まで見どころとしてしまうのが、東洋美術の価値観です。《瀬戸筒茶碗 呼継》は、吞み口が割れてしまったところに、まったく質感の違う陶器を大胆にはめ込んであります。意表を突く意匠がそこに表れて、独特の興趣が生まれています。

テーマも珍しくておもしろいのですが、それだけではありません。
出品作が豪華そのもの。約100の出品作のうち、国宝が4件、重要文化財は35件に及びます。

会場に入って、まず目に入るのは《瀟湘八景図 漁村夕照》です。中国13世紀・南宋時代の作で、作者は牧谿。
ねづ1yjimage.jpg
横長の画面になっているのは、もともと長い巻き物だったものを切り取って、掛け軸に仕立て直してあるからです。 中国発祥の水墨画の中でにも、日本で最も愛され尊ばれた画家の名作です。

足利将軍家のコレクションのリストとして知られる『御物御画目録』に記された290点の絵画の中に、たった1人で109点を占めた南宋の画僧・牧谿の最高傑作、《瀟湘八景図》。湖南省にある洞庭湖の南、瀟水と湘江という二つの川が合流するあたりの、中国では昔から知られた水辺の名所をモチーフとしたもので、当初は4場面ずつを描いた巻物が2巻セットで「八景」だったはずが、8点の掛物に分断されてしまいました。足利義満が断裁したといわれています。


瀟湘八景図というのは、中国湖南省の瀟水(しょうすい)と湘水(しょうすい)という二つの川が合流して洞庭湖(どうていこ)に注ぎ込む一帯の景色を、平沙落雁(へいさらくがん)・遠浦帰帆(えんぽきはん)・山市静嵐(さんしせいらん)・江天暮雪(こうてんぼせつ)・洞庭秋月(どうていしゅうげつ)・瀟湘夜雨(しょうしょうやう)・煙寺晩鐘(えんじばんしょう)・漁村落照(ぎょそんらくしょう)という八つの場面を選んで、景ごとに描き分けた図です。
北宋時代(11世紀)に活躍した画家・宋廸(そうてき)が描いたのがはじまりだといわれていますが、残念なことに宋廸が描いた瀟湘八景図は遺っていません。

市のにぎわい(山市晴嵐)、遠く海上を帆船が行き交うさま(遠浦帰帆)、のどかな漁村の光景(漁村夕照)、ひっそりとした山あいの寺の鐘がゴーンと鳴るところ(遠寺晩鐘)、しとしとと降る夜の雨(瀟湘夜雨)、湖上に浮かぶ月(洞庭秋月)、砂浜に雁が舞い降りるところ(平沙落雁)、山に雪が降り積もるさま(江天暮雪)。

どれも私たちの心に染み込んでくるような風情のあるものばかりですが、ここで面白いのは八景の選び方です。どの景観も四季や晴雨などの気象、昼や夜などの時刻の違いを強く意識して選んでいることに気づかれるでしょう。
この図と連れになるような掛け軸が、他にも何幅か残っていて、「遠浦帰帆図」<京都国立博物館蔵 現在公開中です!>にも、やはり足利義満の印章である「道有」(義満が晩年、出家して、お坊さんになった時の名前)印が押されています。

当時、日本と宋との関係は緊密で、中国の仏教を学ぶためにたくさんのお坊さんが宋に渡るなど、文化的な交流も盛んでした。
牧谿の絵もこれら入宋僧(にっそうそう)などにより日本にもたらされた後、中国の新しい芸術傾向を示すものとして日本の鑑賞家の間で注目され、愛好されていったようです。足利義満もこうした牧谿画愛好家の一人だったといえます。

その後の中国では、牧谿の絵は筆法がやや粗野であるといわれて、それほど高く評価されず、次第に忘れ去られてゆくのに対し、日本では、この瀟湘八景図巻や、京都の大徳寺にある「観音猿鶴図(かんのんえんかくず)」のような牧谿のすぐれた作品がもたらされたこともあって、中国を代表する最高の画家として崇拝され、彼の画風は「和尚様」と呼ばれて日本の水墨画のお手本にされ、その形成発展に大きな影響を及ぼしてゆきます。

posted by はまやん at 08:34| アート

2014年09月15日

国立新美術館で開催の”オルセー美術館展”

六本木の国立新美術館で開催中(7月9日〜10月20日、休館日火曜日)の 「オルセー美術館展」印象派の誕生ー描くことの自由ー に行ってきました 。1874年に第1回印象派展が開催されてから140年ということで、「印象派の殿堂」であるオルセー美術館展の開催は、とりわけ印象派の人気の高い日本では、人気があるのも当然!
混んでましたね〜。
展覧会の構成は以下の通りです。

第1章:マネ、新しい絵画
第2章:レアリスムの諸相
第3章:歴史画
第4章:裸体
第5章:印象派の風景 田園にて/水辺にて
第6章:静物
第7章:肖像
第8章:近代生活
第9章:円熟期のマネ
ということでマネがメイン。

印象派の誕生を告げたエドゥアール・マネの初期の作品たちが展覧会の最初の章の飾ります。中でも一番最初に展示されるのが、この「笛を吹く少年」の絵。太い輪郭線と平面的な色使いがジャポニズムの影響を感じさせます。

ミレーの「晩鐘」(1857-59)がやって来ました。祈りを捧げる農民夫婦。夕景です。鳥の羽ばたく空は朱色にも染まる。靴は木靴でしょうか。かなり大きい。夕方に祈りを捧げたミレーの祖母の記憶を元にした作品だそうです。絵の前で思わず祈りたくなるような・・・。やはり魅力的な作品です。

「落穂拾いの女たちの招集」地面に残った穂を集めるたくましい農婦たちを、敬虔な姿で描いたブルトンの傑作です。 

マネが「草上の昼食」で大きく非難を浴びた年のサロンで高い評価を得た「ヴィーナスの誕生」。ギリシア神話の愛と美の女神ヴィーナスが海の泡から生まれた誕生の場面が描かれています。目を半ば開いたヴィーナスの朦朧とした表情は、官能的で魅惑的。19世紀のアカデミック絵画を代表するこの作品により、ガバネルは富と名声を手に入れるようになります。

ハイライトは第5章「印象派の風景」でしょうか。モネの大傑作「かささぎ」(1868-69)を頂点に、シスレー、セザンヌ、ブータン、ピサロ、ルノワールらの風景画が並びます。特にモネの作品は風景の中の午後の太陽の日差しと心地よい風や草のにおいの中に自分もいるような気分にさせられます。

また、モネでは「サン=ラザール駅」(1877)も出品。そういえば先の「かささぎ」しかり、国立新美術館のオープニングを飾った「大回顧展モネ」(2007年)にも展示がありました。以前見たときよりやや小さく見えたのはどうしてでしょうか?

第7章の肖像では「死の床のカミーユ」が印象に残りました。ボストン美術館展では、赤い着物を着て、あんなに笑顔を浮かべていたカミーユなのに・・・。ラ・ジャポネーズの絵を思い出し悲しくなりました。

8章 近代生活」の会場に入ると、目に飛び込んでくるのは、 今回の目玉のひとつ日本初公開のモネ「草上の昼食」。
この作品は、マネの「草上の昼食」と同じ主題で描き始められたものの完成されず、家賃がわりに大家に引き渡されてしまったそうです。その後取り戻されたときには、絵は傷んでおり、2枚に分断されたそうです。会場ではその2枚の絵がつなげて展示されています。

ラストは「ロシュフォールの逃亡」(1891)です。体制に反して追放されたジャーナリスト、ロシュフォールが逃亡する様子を描いたという作品、荒い筆致で描かれています。「笛を吹く少年」から約25年、マネの変化を伺い知ることも出来るかもしれません
19世紀に起こった絵画の革新は「描くことの自由」を画家に与えましたが、同時に伝統も再評価されるきっかけとなりました。

「印象派」の括りにとらわれず、短い間に起こった絵画の革新を軸に、多様な描き方をオルセーの名画を通し観ることの出来る非常に贅沢な展覧会です。
posted by はまやん at 20:45| アート
検索
<< 2016年08月 >>
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
最新記事
カテゴリーアーカイブ
アート(119)
旅行(31)
(1)
プロフィール
はまやんさんの画像
はまやん
ブログ移行しました。 今後の記事はこちらでどうぞ     ↓ http://blog.livedoor.jp/kaisyuucom/
プロフィール
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。