2014年09月22日
新創開館5周年記念特別展名画を切り、名器を継ぐ@根津美術館―瀟湘八景図について―
実業家、初代根津 嘉一郎氏の蒐集した、一級の美術品コレクションを誇る根津美術館の、新創5周年記念特別展に行ってきました。
「名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち」。不思議な展名ですね。
これは、次のような意味のようです。美術品は長い年月にわたって受け継がれていくもの。趣味の変化や破損などに対応するため、作品はときに切断されて仕立て直されたり、補修が施されたりします。創作された時点とは異なるかたちで残されている作品を集めて、その軌跡を眺めてみるという企画です。
今日私たちが目にしている古美術品は、長い年月を人から人へと受け継がれてきました。その間、経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています。
仕立て直しといえば、器などにもたくさんの例があります。割れたり欠けたりした器を直し、修理の痕まで見どころとしてしまうのが、東洋美術の価値観です。《瀬戸筒茶碗 呼継》は、吞み口が割れてしまったところに、まったく質感の違う陶器を大胆にはめ込んであります。意表を突く意匠がそこに表れて、独特の興趣が生まれています。
テーマも珍しくておもしろいのですが、それだけではありません。
出品作が豪華そのもの。約100の出品作のうち、国宝が4件、重要文化財は35件に及びます。
会場に入って、まず目に入るのは《瀟湘八景図 漁村夕照》です。中国13世紀・南宋時代の作で、作者は牧谿。
横長の画面になっているのは、もともと長い巻き物だったものを切り取って、掛け軸に仕立て直してあるからです。 中国発祥の水墨画の中でにも、日本で最も愛され尊ばれた画家の名作です。
足利将軍家のコレクションのリストとして知られる『御物御画目録』に記された290点の絵画の中に、たった1人で109点を占めた南宋の画僧・牧谿の最高傑作、《瀟湘八景図》。湖南省にある洞庭湖の南、瀟水と湘江という二つの川が合流するあたりの、中国では昔から知られた水辺の名所をモチーフとしたもので、当初は4場面ずつを描いた巻物が2巻セットで「八景」だったはずが、8点の掛物に分断されてしまいました。足利義満が断裁したといわれています。
瀟湘八景図というのは、中国湖南省の瀟水(しょうすい)と湘水(しょうすい)という二つの川が合流して洞庭湖(どうていこ)に注ぎ込む一帯の景色を、平沙落雁(へいさらくがん)・遠浦帰帆(えんぽきはん)・山市静嵐(さんしせいらん)・江天暮雪(こうてんぼせつ)・洞庭秋月(どうていしゅうげつ)・瀟湘夜雨(しょうしょうやう)・煙寺晩鐘(えんじばんしょう)・漁村落照(ぎょそんらくしょう)という八つの場面を選んで、景ごとに描き分けた図です。
北宋時代(11世紀)に活躍した画家・宋廸(そうてき)が描いたのがはじまりだといわれていますが、残念なことに宋廸が描いた瀟湘八景図は遺っていません。
市のにぎわい(山市晴嵐)、遠く海上を帆船が行き交うさま(遠浦帰帆)、のどかな漁村の光景(漁村夕照)、ひっそりとした山あいの寺の鐘がゴーンと鳴るところ(遠寺晩鐘)、しとしとと降る夜の雨(瀟湘夜雨)、湖上に浮かぶ月(洞庭秋月)、砂浜に雁が舞い降りるところ(平沙落雁)、山に雪が降り積もるさま(江天暮雪)。
どれも私たちの心に染み込んでくるような風情のあるものばかりですが、ここで面白いのは八景の選び方です。どの景観も四季や晴雨などの気象、昼や夜などの時刻の違いを強く意識して選んでいることに気づかれるでしょう。
この図と連れになるような掛け軸が、他にも何幅か残っていて、「遠浦帰帆図」<京都国立博物館蔵 現在公開中です!>にも、やはり足利義満の印章である「道有」(義満が晩年、出家して、お坊さんになった時の名前)印が押されています。
当時、日本と宋との関係は緊密で、中国の仏教を学ぶためにたくさんのお坊さんが宋に渡るなど、文化的な交流も盛んでした。
牧谿の絵もこれら入宋僧(にっそうそう)などにより日本にもたらされた後、中国の新しい芸術傾向を示すものとして日本の鑑賞家の間で注目され、愛好されていったようです。足利義満もこうした牧谿画愛好家の一人だったといえます。
その後の中国では、牧谿の絵は筆法がやや粗野であるといわれて、それほど高く評価されず、次第に忘れ去られてゆくのに対し、日本では、この瀟湘八景図巻や、京都の大徳寺にある「観音猿鶴図(かんのんえんかくず)」のような牧谿のすぐれた作品がもたらされたこともあって、中国を代表する最高の画家として崇拝され、彼の画風は「和尚様」と呼ばれて日本の水墨画のお手本にされ、その形成発展に大きな影響を及ぼしてゆきます。
「名画を切り、名器を継ぐ 美術にみる愛蔵のかたち」。不思議な展名ですね。
これは、次のような意味のようです。美術品は長い年月にわたって受け継がれていくもの。趣味の変化や破損などに対応するため、作品はときに切断されて仕立て直されたり、補修が施されたりします。創作された時点とは異なるかたちで残されている作品を集めて、その軌跡を眺めてみるという企画です。
今日私たちが目にしている古美術品は、長い年月を人から人へと受け継がれてきました。その間、経年変化や、所有した人あるいは時代の好みにより、切断されて新たに表装された絵巻や古筆、破損して補修された茶道具など、制作時と形を変えたものが少なくありません。それらは、私たちが今日当たり前のように享受している鑑賞スタイルや作品のあり方、美しさの感じ方にひとかたならぬ影響を与えています。
仕立て直しといえば、器などにもたくさんの例があります。割れたり欠けたりした器を直し、修理の痕まで見どころとしてしまうのが、東洋美術の価値観です。《瀬戸筒茶碗 呼継》は、吞み口が割れてしまったところに、まったく質感の違う陶器を大胆にはめ込んであります。意表を突く意匠がそこに表れて、独特の興趣が生まれています。
テーマも珍しくておもしろいのですが、それだけではありません。
出品作が豪華そのもの。約100の出品作のうち、国宝が4件、重要文化財は35件に及びます。
会場に入って、まず目に入るのは《瀟湘八景図 漁村夕照》です。中国13世紀・南宋時代の作で、作者は牧谿。
横長の画面になっているのは、もともと長い巻き物だったものを切り取って、掛け軸に仕立て直してあるからです。 中国発祥の水墨画の中でにも、日本で最も愛され尊ばれた画家の名作です。
足利将軍家のコレクションのリストとして知られる『御物御画目録』に記された290点の絵画の中に、たった1人で109点を占めた南宋の画僧・牧谿の最高傑作、《瀟湘八景図》。湖南省にある洞庭湖の南、瀟水と湘江という二つの川が合流するあたりの、中国では昔から知られた水辺の名所をモチーフとしたもので、当初は4場面ずつを描いた巻物が2巻セットで「八景」だったはずが、8点の掛物に分断されてしまいました。足利義満が断裁したといわれています。
瀟湘八景図というのは、中国湖南省の瀟水(しょうすい)と湘水(しょうすい)という二つの川が合流して洞庭湖(どうていこ)に注ぎ込む一帯の景色を、平沙落雁(へいさらくがん)・遠浦帰帆(えんぽきはん)・山市静嵐(さんしせいらん)・江天暮雪(こうてんぼせつ)・洞庭秋月(どうていしゅうげつ)・瀟湘夜雨(しょうしょうやう)・煙寺晩鐘(えんじばんしょう)・漁村落照(ぎょそんらくしょう)という八つの場面を選んで、景ごとに描き分けた図です。
北宋時代(11世紀)に活躍した画家・宋廸(そうてき)が描いたのがはじまりだといわれていますが、残念なことに宋廸が描いた瀟湘八景図は遺っていません。
市のにぎわい(山市晴嵐)、遠く海上を帆船が行き交うさま(遠浦帰帆)、のどかな漁村の光景(漁村夕照)、ひっそりとした山あいの寺の鐘がゴーンと鳴るところ(遠寺晩鐘)、しとしとと降る夜の雨(瀟湘夜雨)、湖上に浮かぶ月(洞庭秋月)、砂浜に雁が舞い降りるところ(平沙落雁)、山に雪が降り積もるさま(江天暮雪)。
どれも私たちの心に染み込んでくるような風情のあるものばかりですが、ここで面白いのは八景の選び方です。どの景観も四季や晴雨などの気象、昼や夜などの時刻の違いを強く意識して選んでいることに気づかれるでしょう。
この図と連れになるような掛け軸が、他にも何幅か残っていて、「遠浦帰帆図」<京都国立博物館蔵 現在公開中です!>にも、やはり足利義満の印章である「道有」(義満が晩年、出家して、お坊さんになった時の名前)印が押されています。
当時、日本と宋との関係は緊密で、中国の仏教を学ぶためにたくさんのお坊さんが宋に渡るなど、文化的な交流も盛んでした。
牧谿の絵もこれら入宋僧(にっそうそう)などにより日本にもたらされた後、中国の新しい芸術傾向を示すものとして日本の鑑賞家の間で注目され、愛好されていったようです。足利義満もこうした牧谿画愛好家の一人だったといえます。
その後の中国では、牧谿の絵は筆法がやや粗野であるといわれて、それほど高く評価されず、次第に忘れ去られてゆくのに対し、日本では、この瀟湘八景図巻や、京都の大徳寺にある「観音猿鶴図(かんのんえんかくず)」のような牧谿のすぐれた作品がもたらされたこともあって、中国を代表する最高の画家として崇拝され、彼の画風は「和尚様」と呼ばれて日本の水墨画のお手本にされ、その形成発展に大きな影響を及ぼしてゆきます。