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2014年11月22日
「御法に守られし 醍醐寺」展
渋谷区立松濤美術館で開催中の リニューアル記念特別展 「御法(みのり)に守られし 醍醐寺」に行って来ました。
この展覧会の見どころは、何といっても世界最古の長さ15メートル36センチの絵巻「過去現在絵因果経」の全場面が期間限定ではありますが、いっきに公開されることです。
8世紀に制作された国宝中の国宝に位置づけられているもので、絵画と書が同時に鑑賞できる貴重な作品です。
お釈迦様が出家し、悟りを開く物語が、上段に絵、下段に文字という形で記されています。
しかし、とてもマンガっぽ〜い絵で、楽しめます♪へたうまマンガな感じ。
太子の出家を聞いて婦人が気絶、骨と皮になった悉達太子を見て元家来が悶絶(倒れ方が笑えます)、魔王が太子を矢で射ようとするも、矢は空中で蓮華に変わってしまう、などの迷シーンが続出!笑える国宝bPは確実です。
鳥獣人物戯画のような躍動感溢れる絵とは全然違いますが、平安時代の「源氏物語絵巻」などと比べても、とても現代的だと思います。
これが奈良時代に描かれたものだとは驚きです。千年以上の歳月を超えて目の前にあるとは信じられないくらい保存状態も良好。
いくつか異本があり、東京芸大コレクション展で今年の春展示されていました。
醍醐寺本は、釈迦国の王子、悉達太子(釈尊)が出家し、苦行を経て、菩提樹の下で瞑想に入り悟りをひらき、その後、襲ってくる魔王の軍衆をその慈悲力で退けるといった一連の場面で構成されています。常絵巻物は右から左へ時間(場面)が展開していきますが、魔王の攻撃の場面は釈迦を中心に四方八方から攻めてくる悪魔たちを画面全体を使いダイナミックに表現しています。この悪魔が百鬼夜行のようで、風神雷神もいたのですが、これも奈良時代は悪魔だったのかしら?
第4章 醍醐にひらく文雅 〜桃山・江戸時代の絵画と工芸品〜も見ごたえがありました。
「舞楽図屏風」俵屋宗達筆は、初めて見ましたが、意外と大きいのですね。左から崑崙八仙(ころはせ)、還城楽(げんじょうらく)、そして羅陵王(らりょうおう)。右隻には有名な納曾利(なそり)が描かれています。踊りなのですが、とても静かな感じのする不思議な作品です。
荒廃した醍醐寺の伽藍復興に甚大な後援をした豊臣秀吉は、醍醐の地に桜を移植し「醍醐の花見」を催しました。
展示では、花見ではなく、「幔幕図屏風」(生駒等寿筆)や「楓図屏風」(山口雪渓筆)で、今の季節の紅葉狩りを演出しています。楓図屏風は光信の四季花木図襖を彷彿させるような名品。
秀吉は花見の後に、秋には醍醐の地での紅葉狩りを楽しみにしていたものの、その年の夏に没し実現しなかったという逸話が残っています。秀吉が望んでできなかった幻の「醍醐の紅葉狩り」を展示室のソファーで楽しみました。
この展覧会の見どころは、何といっても世界最古の長さ15メートル36センチの絵巻「過去現在絵因果経」の全場面が期間限定ではありますが、いっきに公開されることです。
8世紀に制作された国宝中の国宝に位置づけられているもので、絵画と書が同時に鑑賞できる貴重な作品です。
お釈迦様が出家し、悟りを開く物語が、上段に絵、下段に文字という形で記されています。
しかし、とてもマンガっぽ〜い絵で、楽しめます♪へたうまマンガな感じ。
太子の出家を聞いて婦人が気絶、骨と皮になった悉達太子を見て元家来が悶絶(倒れ方が笑えます)、魔王が太子を矢で射ようとするも、矢は空中で蓮華に変わってしまう、などの迷シーンが続出!笑える国宝bPは確実です。
鳥獣人物戯画のような躍動感溢れる絵とは全然違いますが、平安時代の「源氏物語絵巻」などと比べても、とても現代的だと思います。
これが奈良時代に描かれたものだとは驚きです。千年以上の歳月を超えて目の前にあるとは信じられないくらい保存状態も良好。
いくつか異本があり、東京芸大コレクション展で今年の春展示されていました。
醍醐寺本は、釈迦国の王子、悉達太子(釈尊)が出家し、苦行を経て、菩提樹の下で瞑想に入り悟りをひらき、その後、襲ってくる魔王の軍衆をその慈悲力で退けるといった一連の場面で構成されています。常絵巻物は右から左へ時間(場面)が展開していきますが、魔王の攻撃の場面は釈迦を中心に四方八方から攻めてくる悪魔たちを画面全体を使いダイナミックに表現しています。この悪魔が百鬼夜行のようで、風神雷神もいたのですが、これも奈良時代は悪魔だったのかしら?
第4章 醍醐にひらく文雅 〜桃山・江戸時代の絵画と工芸品〜も見ごたえがありました。
「舞楽図屏風」俵屋宗達筆は、初めて見ましたが、意外と大きいのですね。左から崑崙八仙(ころはせ)、還城楽(げんじょうらく)、そして羅陵王(らりょうおう)。右隻には有名な納曾利(なそり)が描かれています。踊りなのですが、とても静かな感じのする不思議な作品です。
荒廃した醍醐寺の伽藍復興に甚大な後援をした豊臣秀吉は、醍醐の地に桜を移植し「醍醐の花見」を催しました。
展示では、花見ではなく、「幔幕図屏風」(生駒等寿筆)や「楓図屏風」(山口雪渓筆)で、今の季節の紅葉狩りを演出しています。楓図屏風は光信の四季花木図襖を彷彿させるような名品。
秀吉は花見の後に、秋には醍醐の地での紅葉狩りを楽しみにしていたものの、その年の夏に没し実現しなかったという逸話が残っています。秀吉が望んでできなかった幻の「醍醐の紅葉狩り」を展示室のソファーで楽しみました。
2014年11月15日
「輝ける金と銀ー琳派から加山又造まで」 山種美術館
山種美術館で開催中の「輝ける金と銀ー琳派から加山又造まで」を見て来ました。日本絵画の金銀の表現を追う展覧会です。
古くは平安期の料紙装飾から江戸の琳派、又兵衛に浮世絵、そして時代を超えて近現代の日本画家までを辿る。全70点(展示替えを含む。)が展示されています。
本展で重要なのは技法について細かく見ていることです。
いくつか作品を紹介しますと、まず、酒井抱一「秋草鶉図」。
薄、女郎花、露草、楓の中にウズラが群れています。薄の葉は細くリズミカルに描かれ、繊細なデザイン感覚に満ちています。銀で描かれた月も低く置かれ、落着いた風情と品の良い華やかさがあります。
月の黒いのは銀が酸化したのではなく、銀の上に黒を塗ってあるそうです。
ウズラは土佐派のよく描いた画題で、この作品も土佐派に倣った画風です。
金箔地に描かれているので、照明の具合によってかなり作品の雰囲気が変わるのでしょうね。
速水御舟「名樹散椿」。背景は一面の金地ですが、これは金砂子で画面を埋めるという蒔きつぶしの技法が用いられています。
金箔、あるいは金泥であったらどう見えるのか。会場では「技法サンプル」なるものを展示し、それぞれ箔、泥、蒔きつぶしにおける金色の質感についての比較を試みていますが、蒔きつぶしが金地の中で特にマットな質感であることが分かります。この「技法サンプル」こそがこれまでにない面白い試みでした。
金や銀の使い方は時代によって大きく変化します。一例が「神護寺経」と川端龍子の「草の実」です。
前者は12世紀の紺紙金泥経ですが、昔は「神護寺経」のように神聖なる対象物を描くものとして金を用いました。
しかし龍子は端的に絵具として金を使っています。しかも描いているのは決して神聖視されない草、雑草です。ようは神聖、荘厳なものを描くための金を、身近なモチーフに置き換えて利用してしまう。ここに龍子の面白さがあります。
俵屋宗達(絵)・本阿弥光悦(書)の「四季草花下絵和歌短冊帖」。飛び立つ鳥の模様が今では黒くなって見えています。
それが銀だったらどう見えていたか。上に描かれている文字が良く見え、そして鳥の模様が視点の角度によって見えたり見えなかったりする面白さ。和歌の台紙としてグッと面白くなってます。
そして鈴木其一「芒野図屏風」。今ではススキは黒い濃淡で描かれているように見えます。
ところが薄いところは銀で、濃い黒は墨で描かれていると言うのです。後の黒く酸化しているのを見越してこうしたのかもしれません。銀と黒のコントラストで月の光を反射して輝いている様を表現しているのかもしれません。
宗達の扇面貼交屏風にインスピレーションを得たという加山又造の「華扇屏風」も興味深い。一面の銀が目に飛び込んできますが、扇の部分、よく見るとワイン色であったり濃い緑色をしています。これは酸化によって変色する銀の性質を利用したものだとか。「満月光」もススキの風にしなる様子、月の光が幻想的で美しい作品でした。
ラストの2点、田渕俊夫の金銀2点、「輪中の村」と「好日」も美しい。「好日」は裏から前面金を貼り付けているとか。収穫の輝くような光景が印象的でした。
金箔、金泥、金砂子、プラチナ泥に雲母。言葉では何となく分かっているようでも、ここまで作品を参照しながら見られる展覧会はありません。日本絵画の金と銀の技法から、その背後の表現の意味までを探ろうとした好企画だったと思います。
古くは平安期の料紙装飾から江戸の琳派、又兵衛に浮世絵、そして時代を超えて近現代の日本画家までを辿る。全70点(展示替えを含む。)が展示されています。
本展で重要なのは技法について細かく見ていることです。
いくつか作品を紹介しますと、まず、酒井抱一「秋草鶉図」。
薄、女郎花、露草、楓の中にウズラが群れています。薄の葉は細くリズミカルに描かれ、繊細なデザイン感覚に満ちています。銀で描かれた月も低く置かれ、落着いた風情と品の良い華やかさがあります。
月の黒いのは銀が酸化したのではなく、銀の上に黒を塗ってあるそうです。
ウズラは土佐派のよく描いた画題で、この作品も土佐派に倣った画風です。
金箔地に描かれているので、照明の具合によってかなり作品の雰囲気が変わるのでしょうね。
速水御舟「名樹散椿」。背景は一面の金地ですが、これは金砂子で画面を埋めるという蒔きつぶしの技法が用いられています。
金箔、あるいは金泥であったらどう見えるのか。会場では「技法サンプル」なるものを展示し、それぞれ箔、泥、蒔きつぶしにおける金色の質感についての比較を試みていますが、蒔きつぶしが金地の中で特にマットな質感であることが分かります。この「技法サンプル」こそがこれまでにない面白い試みでした。
金や銀の使い方は時代によって大きく変化します。一例が「神護寺経」と川端龍子の「草の実」です。
前者は12世紀の紺紙金泥経ですが、昔は「神護寺経」のように神聖なる対象物を描くものとして金を用いました。
しかし龍子は端的に絵具として金を使っています。しかも描いているのは決して神聖視されない草、雑草です。ようは神聖、荘厳なものを描くための金を、身近なモチーフに置き換えて利用してしまう。ここに龍子の面白さがあります。
俵屋宗達(絵)・本阿弥光悦(書)の「四季草花下絵和歌短冊帖」。飛び立つ鳥の模様が今では黒くなって見えています。
それが銀だったらどう見えていたか。上に描かれている文字が良く見え、そして鳥の模様が視点の角度によって見えたり見えなかったりする面白さ。和歌の台紙としてグッと面白くなってます。
そして鈴木其一「芒野図屏風」。今ではススキは黒い濃淡で描かれているように見えます。
ところが薄いところは銀で、濃い黒は墨で描かれていると言うのです。後の黒く酸化しているのを見越してこうしたのかもしれません。銀と黒のコントラストで月の光を反射して輝いている様を表現しているのかもしれません。
宗達の扇面貼交屏風にインスピレーションを得たという加山又造の「華扇屏風」も興味深い。一面の銀が目に飛び込んできますが、扇の部分、よく見るとワイン色であったり濃い緑色をしています。これは酸化によって変色する銀の性質を利用したものだとか。「満月光」もススキの風にしなる様子、月の光が幻想的で美しい作品でした。
ラストの2点、田渕俊夫の金銀2点、「輪中の村」と「好日」も美しい。「好日」は裏から前面金を貼り付けているとか。収穫の輝くような光景が印象的でした。
金箔、金泥、金砂子、プラチナ泥に雲母。言葉では何となく分かっているようでも、ここまで作品を参照しながら見られる展覧会はありません。日本絵画の金と銀の技法から、その背後の表現の意味までを探ろうとした好企画だったと思います。
2014年11月09日
印象派のふるさと ノルマンディー展
東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館で開催中の「印象派のふるさと ノルマンディー展〜近代風景画のはじまり」を見て来ました。出品作品のほとんどがノルマンディの風景を描いたものです。
さてはじまりは当然ながらフランスの画家と思いきや、イギリスの画家。かのターナーでした。
作者不詳「ジュミエージュ修道院の眺め」、フランスでもっとも美しい廃墟」だそうです。
コンスタン・トロワイヨン牛と羊の群れの帰り道
海景といえばブーダンです。そもそも生まれはセーヌ河口のオンフルール。そして育ちはル・アーブルです。言わば生粋のノルマンディーっ子でもあります。10点以上出品されているブーダン作品の中では、ポスターやちらしに採用されている「ル・アーヴル、ウール停泊地」に一番惹かれました。
ブーダンと親交があったのがクールベです。得意の「波」のほか、画家にしてはやや物静かな印象を与える「海景、凪」などが展示。
ヴィレルヴィルの広大な湿地帯シャルル・ラポストレも良かった。
「ルーアン派」と呼ばれる3人の作品も素晴らしかったです。
70 シャルル・ラポストレ ルーアン、モン=リブーデの船着場
72 レオン・ジュール・ルメートル セーヌ河沿いの村クロワセ
73 ジョゼフ・ドラットル ルーアンの港、霧の効果
私にとっての本日の一枚は、イザベイの「トゥルーヴィルのレ・ゼコーレ」かな。大作で、これはぜひ実物を見て欲しいです。
ノルマンディーに集まった人々の海水浴や日光浴を扱った作品では女性が美しい。
アルフレッド・ステヴァンスサン=タドレスの海岸にて
ヴィットリオ・マッテオ・コルコス別れ
ラストはさながらミニ・デュフィ展です。ルアーヴル生まれのデュフィ作品も10点超の作品がまとめて展示されています。独特の鮮やかな色彩の作品を堪能出来ました。
赤い彫刻のあるアトリエラウル・デュフィ
11月9日に終了するこの東京展の後は、ひろしま美術館、熊本県立美術館、山梨県立美術館に巡回する予定です。
さてはじまりは当然ながらフランスの画家と思いきや、イギリスの画家。かのターナーでした。
作者不詳「ジュミエージュ修道院の眺め」、フランスでもっとも美しい廃墟」だそうです。
コンスタン・トロワイヨン牛と羊の群れの帰り道
海景といえばブーダンです。そもそも生まれはセーヌ河口のオンフルール。そして育ちはル・アーブルです。言わば生粋のノルマンディーっ子でもあります。10点以上出品されているブーダン作品の中では、ポスターやちらしに採用されている「ル・アーヴル、ウール停泊地」に一番惹かれました。
ブーダンと親交があったのがクールベです。得意の「波」のほか、画家にしてはやや物静かな印象を与える「海景、凪」などが展示。
ヴィレルヴィルの広大な湿地帯シャルル・ラポストレも良かった。
「ルーアン派」と呼ばれる3人の作品も素晴らしかったです。
70 シャルル・ラポストレ ルーアン、モン=リブーデの船着場
72 レオン・ジュール・ルメートル セーヌ河沿いの村クロワセ
73 ジョゼフ・ドラットル ルーアンの港、霧の効果
私にとっての本日の一枚は、イザベイの「トゥルーヴィルのレ・ゼコーレ」かな。大作で、これはぜひ実物を見て欲しいです。
ノルマンディーに集まった人々の海水浴や日光浴を扱った作品では女性が美しい。
アルフレッド・ステヴァンスサン=タドレスの海岸にて
ヴィットリオ・マッテオ・コルコス別れ
ラストはさながらミニ・デュフィ展です。ルアーヴル生まれのデュフィ作品も10点超の作品がまとめて展示されています。独特の鮮やかな色彩の作品を堪能出来ました。
赤い彫刻のあるアトリエラウル・デュフィ
11月9日に終了するこの東京展の後は、ひろしま美術館、熊本県立美術館、山梨県立美術館に巡回する予定です。
2014年11月04日
酒井抱一 江戸情緒の精華〜奈良でアートの一日♪
大和文華館(奈良市)で江戸時代後期の絵師、酒井抱一(1761〜1828)の作品を一堂に集めた特別展「酒井抱一 江戸情緒の精華」(11月16日まで)が開かれているので行ってきました。大和文華館は今回で2回目です。
姫路藩主酒井雅楽頭(うたのかみ)家に生まれた抱一は絵画をはじめ書、俳諧、能、茶の湯など多彩な教養を身に付けた当時の一流の文化人でした。
この展覧会では、浮世絵美人画や華やかな金屏風、繊細な銀屏風、自作の句を添えた水墨、流麗な書などが出展され、抱一のさまざまな魅力をまとめて味わえる展覧会です。
抱一は江戸琳派の祖ともいわれます。尾形光琳(1658〜1716)に私淑し、光琳百回忌に遺墨展を開くなど顕彰活動に力を注いだからです。
この展覧会にも光琳の「波涛図屏風」を写した作品や百回忌に合わせ光琳の菩提寺、京都・妙顕寺に奉納した「観世音図」などが出品されています。
「三夕図」 三幅対 個人蔵 、「隅田川雪月花図」 三幅対 個人蔵、などは瀟洒な江戸情緒の世界。
「五節句図」 五幅対 大倉集古館蔵 はやまと絵風。
「夏秋草図屏風」二曲一双(重要文化財、上の作品)は光琳筆の「風神雷神図屏風」の裏面に描かれていたもの(現在は別々に表装)。銀地に雨に打たれる夏草と風になびく秋草を描いたもので「風雨草花図」とも呼ばれます。
広い余白と動きに富む草花が特徴で、華やかさはやや影を潜め繊細で叙情的な雰囲気がある名品です。作品の依頼主は11代将軍徳川家斉の父、一橋治済。
「四季草花金銀泥下絵和歌巻」は、光悦と宗達のコラボ作品をもとに描かれた作品で書も絵も抱一。抱一は光琳の影響を受けているのは明らかですが、今回この絵を拝見して、宗達にも関心があり影響を受けていたことがわかり面白かったです。また抱一の書というのはこれまであまり見る機会がありませんでしたが、とても上手なのに驚きました。
もちろん抱一のヒット作「十二ケ月花鳥図屏風」も前期後期で展示替えで出展されています。
今までプライスコレクション、出光、宮内庁蔵などさまざまな「十二ケ月花鳥図屏風」を拝見してきましたが、今回も良かった〜。これらの作品に描かれた小枝や蔓(つる)の伸びやかで繊細な描写、鳥やふくろう、虫などへの暖かいまなざしにも目を奪われました。他に「糸桜図」なども淡い色彩で美しい。
「紅白梅図屏風」 六曲一双 サンリツ服部美術館蔵 は、現在静嘉堂文庫蔵の光琳の絵をもとに描かれたそうですが、右隻の白梅と左隻の紅梅がそれぞれ中央に向かって枝を伸ばす構図。幹には所々、緑色のコケがたらしこみで描かれています。余白をたっぷりとり絹地を生かした精緻な梅の表現が見事でした。
抱一の作品はこれまでいくつも見てきて、特に千葉市美術館の抱一展で見尽くしたような気でいましたが、今回は個人蔵や関西の美術館蔵の作品は初めて見るものも多く、見ごたえがありました。
今回気がついたのは、抱一は書も達者であったこと、宗達にも関心があったこと、大和絵、破墨調の水墨画、十二ケ月花鳥図のような色彩豊かな絵画とさまざまなジャンルの絵画を何でも描けること。そしておそらく描くことをとても楽しんでいたこと。
全て抱一の作品ばかりだからでしょうか、抱一の多様性、器用さなどさまざまな発見があり驚きました。
あと大和文華館は開設がとても丁寧ですね。じっくり読むと時間がかかりますが、とても勉強になりました。
「天皇皇后両陛下傘寿記念 第66回正倉院展」(2014年、奈良国立博物館)
奈良で開催中の奈良国立博物館で開催中の「天皇皇后両陛下傘寿記念 第66回正倉院展」に行ってきました。
正倉院の宝物の特徴はいくつか挙げられますが、まずは約9000件の宝物が正倉院という一つの場所で今日まで伝えられてきたということが言えます。
中国や朝鮮半島にも正倉院宝物と似たものが博物館などに保管されていますが、ほとんどが墓に納められた副葬品で、発掘をして出てきたものです。正倉院宝物は三つの倉で、杉の櫃ひつに収められて伝えられてきた「伝世品でんせいひん」。このため、出土品と比べ、とても保存状況が良好で、当時の技法や造形感覚などをそのままに近い状態で感じることが出来ます。
また、多彩なジャンルのものが伝わっており、宮廷や寺院での生活、寺院で行う法要の様子など、当時の暮らしぶりや宗教観についても、宝物からある程度復元していくことが出来ます。国家の最高権力者が使っていたものなので、当時の日本の国際的なレベルが分かってくるという意味でも貴重な資料となります。正倉院宝物は、シルクロードを通して西アジアなどから唐にもたらされた文化を受容して生まれました。そこで使われている文様や色遣いには、平安時代以降も形を変えながら使われているものもあります。日本文化の源流をうかがい知ることも出来るのです。
正倉院の校倉あぜくらの建物は三つの部屋に分かれ、どの倉に属しているかで宝物の由緒もわかります。
北倉は聖武天皇と光明皇后ゆかりの品。南倉は東大寺の倉として使われ、仏具類など。中倉は皇族や貴族が東大寺に献納した品々や、東大寺の文書類や武器武具類などが入っていました。
今回印象に残ったのは、まず「鳥毛立女屏風」。一つずつ女の人の表情やポーズが違います。色彩もまだ残っています。各扇とも樹下に豊かに髪を結い上げたふくよかな女性を一人配する構図で、第1扇から第3扇は立ち姿、第4扇から第6扇は岩に腰掛ける姿で表される。顔や手、着衣の袖口などに彩色が施され、着衣や樹木などには日本産のヤマドリの羽毛が貼り付けられていたらしいことが微細な残片からわかるとか。盛唐の風俗を反映した豊満な「天平美人」として名高い本屏風の出陳は平成11年以来15年ぶり。今回6扇のうち、第2・4・5・6扇の計4扇が出陳されています。ただ一番左側だけとても新しいのですね。修復したのでしょうか?
今回の出展宝物でも華やかなものの一つ「桑木阮咸くわのきのげんかん」は裏側に「東大寺」と書かれています。
会場の中ほどに来ると、「ビーン、ビーン」という不思議な音。桑木阮咸を実際に弾ひいた音色の録音が流れています楽器もまだ鳴らせるし、楽譜も残っていて、奈良時代の音楽が再現できるそうです。聞いてみたいな♪
「人勝残欠雑張」 人勝(じんしょう)は六朝(りくちょう)時代に中国・荊楚(けいそ)地方(中国南部)で人日(じんじつ)(正月7日)に行われた無病息災や子孫繁栄を願う行事に用いられた飾り物で、唐代には宮廷に取り入れられ流行したそうです。色絹や金箔を人や動物、植物の形に切って飾りとしたもので、子供の絵などとてもかわいく、きれいなデザインでした。
「伎楽面 崑崙」は、東大寺の大仏開眼会で伎楽が奉納された時に使われました。大仏殿前の広場で女性を追い回し、力士に連行されるユニークな役どころです。
伎楽面 酔胡従
聖武天皇ゆかりの品では、752年の大仏開眼会で履いた靴「衲御礼履のうのごらいり」や、金と銀の絵の具で文様を描いた肘つき「紫檀木画挾軾したんもくがのきょうしょく」など。直線状の細長い天板に高価な紫檀、4本の脚には象牙をあしらったもので、精緻で豪華な技巧にはため息さえ出るほど。 象牙は東南アジアに生息するアジアゾウのものらしいです。これは、天板の両端もすごい。ここにも紫檀やツゲ、黒柿、緑に染めた鹿の角を組み合わせた木画を巡らせてあり、側面や脚部は、金銀泥で描かれた草花の間を蝶が舞っています。
まばゆい輝きを放つのは、正倉院宝物で唯一の四角い鏡「鳥獣花背方鏡」。鏡背にあしらわれた葡萄唐草文と表情豊かな獅子は、実に鮮やかで躍動的です。
正倉院宝物には、大仏開眼会のものなど、聖武天皇が亡くなる756年以前に納められたと思われる品が数多くあります。そこに聖武天皇の遺愛品が加わり、特別な宝物群になったのだそうです。
正倉院の宝物は宮内庁が整理してある宝物だけで9000点も あります。そのうち毎年公開されるのは60件から70件ですので、 正倉院を代表される有名なお宝でも一度展示されると、 次回は最低10年以上の期間を経ての展示となります。
故宮にも負けないほどの素晴らしい宝物。また、来たいなと思います。
正倉院の宝物の特徴はいくつか挙げられますが、まずは約9000件の宝物が正倉院という一つの場所で今日まで伝えられてきたということが言えます。
中国や朝鮮半島にも正倉院宝物と似たものが博物館などに保管されていますが、ほとんどが墓に納められた副葬品で、発掘をして出てきたものです。正倉院宝物は三つの倉で、杉の櫃ひつに収められて伝えられてきた「伝世品でんせいひん」。このため、出土品と比べ、とても保存状況が良好で、当時の技法や造形感覚などをそのままに近い状態で感じることが出来ます。
また、多彩なジャンルのものが伝わっており、宮廷や寺院での生活、寺院で行う法要の様子など、当時の暮らしぶりや宗教観についても、宝物からある程度復元していくことが出来ます。国家の最高権力者が使っていたものなので、当時の日本の国際的なレベルが分かってくるという意味でも貴重な資料となります。正倉院宝物は、シルクロードを通して西アジアなどから唐にもたらされた文化を受容して生まれました。そこで使われている文様や色遣いには、平安時代以降も形を変えながら使われているものもあります。日本文化の源流をうかがい知ることも出来るのです。
正倉院の校倉あぜくらの建物は三つの部屋に分かれ、どの倉に属しているかで宝物の由緒もわかります。
北倉は聖武天皇と光明皇后ゆかりの品。南倉は東大寺の倉として使われ、仏具類など。中倉は皇族や貴族が東大寺に献納した品々や、東大寺の文書類や武器武具類などが入っていました。
今回印象に残ったのは、まず「鳥毛立女屏風」。一つずつ女の人の表情やポーズが違います。色彩もまだ残っています。各扇とも樹下に豊かに髪を結い上げたふくよかな女性を一人配する構図で、第1扇から第3扇は立ち姿、第4扇から第6扇は岩に腰掛ける姿で表される。顔や手、着衣の袖口などに彩色が施され、着衣や樹木などには日本産のヤマドリの羽毛が貼り付けられていたらしいことが微細な残片からわかるとか。盛唐の風俗を反映した豊満な「天平美人」として名高い本屏風の出陳は平成11年以来15年ぶり。今回6扇のうち、第2・4・5・6扇の計4扇が出陳されています。ただ一番左側だけとても新しいのですね。修復したのでしょうか?
今回の出展宝物でも華やかなものの一つ「桑木阮咸くわのきのげんかん」は裏側に「東大寺」と書かれています。
会場の中ほどに来ると、「ビーン、ビーン」という不思議な音。桑木阮咸を実際に弾ひいた音色の録音が流れています楽器もまだ鳴らせるし、楽譜も残っていて、奈良時代の音楽が再現できるそうです。聞いてみたいな♪
「人勝残欠雑張」 人勝(じんしょう)は六朝(りくちょう)時代に中国・荊楚(けいそ)地方(中国南部)で人日(じんじつ)(正月7日)に行われた無病息災や子孫繁栄を願う行事に用いられた飾り物で、唐代には宮廷に取り入れられ流行したそうです。色絹や金箔を人や動物、植物の形に切って飾りとしたもので、子供の絵などとてもかわいく、きれいなデザインでした。
「伎楽面 崑崙」は、東大寺の大仏開眼会で伎楽が奉納された時に使われました。大仏殿前の広場で女性を追い回し、力士に連行されるユニークな役どころです。
伎楽面 酔胡従
聖武天皇ゆかりの品では、752年の大仏開眼会で履いた靴「衲御礼履のうのごらいり」や、金と銀の絵の具で文様を描いた肘つき「紫檀木画挾軾したんもくがのきょうしょく」など。直線状の細長い天板に高価な紫檀、4本の脚には象牙をあしらったもので、精緻で豪華な技巧にはため息さえ出るほど。 象牙は東南アジアに生息するアジアゾウのものらしいです。これは、天板の両端もすごい。ここにも紫檀やツゲ、黒柿、緑に染めた鹿の角を組み合わせた木画を巡らせてあり、側面や脚部は、金銀泥で描かれた草花の間を蝶が舞っています。
まばゆい輝きを放つのは、正倉院宝物で唯一の四角い鏡「鳥獣花背方鏡」。鏡背にあしらわれた葡萄唐草文と表情豊かな獅子は、実に鮮やかで躍動的です。
正倉院宝物には、大仏開眼会のものなど、聖武天皇が亡くなる756年以前に納められたと思われる品が数多くあります。そこに聖武天皇の遺愛品が加わり、特別な宝物群になったのだそうです。
正倉院の宝物は宮内庁が整理してある宝物だけで9000点も あります。そのうち毎年公開されるのは60件から70件ですので、 正倉院を代表される有名なお宝でも一度展示されると、 次回は最低10年以上の期間を経ての展示となります。
故宮にも負けないほどの素晴らしい宝物。また、来たいなと思います。