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2015年04月08日
ユトリロとヴァラドン−母と子の物語
どこか物悲しいパリ・モンマルトルの風景を描いた「白の時代」の作品等が、日本でも絶大な人気を誇る画家=モーリス・ユトリロ。
パリの風景を詩情豊かに描いた画家モーリス・ユトリロと、ユトリロの母で画家のスュザンヌ・ヴァラドン。シャヴァンヌやルノワール、ロートレックといった著名画家のモデルを務め、また多くの浮名を流しながら、女流画家にとって当時のタブーであった裸婦像も描く等、奔放に生きたヴァラドンと、その私生児として生まれ、絵画と恋愛に忙しい母に代わり祖母に育てられ、また孤独から若くして酒に溺れ、一方で画家として天賦の才能を発揮したユトリロ。
本展では油彩画を中心に、日本初公開や個人所蔵を含むユトリロの作品約40点とヴァラドンの作品約40点を展示。日本でも絶大な人気を誇るユトリロの作品を、そのルーツである母ヴァラドンとの関係を交えて紹介されるという、この春見逃せない展覧会です。
【 会期 】 2015年4月18日(土)〜6月28日(日)休:月曜日(5月4日は除く)
【 開催時間】10:00〜18:00金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
【 会場 】 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(東京都新宿区西新宿1-26-1)
【 主催 】 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、日本経済新聞社
【 Webサイト 】 http://www.sompo-japan.co.jp/museum/
パリの風景を詩情豊かに描いた画家モーリス・ユトリロと、ユトリロの母で画家のスュザンヌ・ヴァラドン。シャヴァンヌやルノワール、ロートレックといった著名画家のモデルを務め、また多くの浮名を流しながら、女流画家にとって当時のタブーであった裸婦像も描く等、奔放に生きたヴァラドンと、その私生児として生まれ、絵画と恋愛に忙しい母に代わり祖母に育てられ、また孤独から若くして酒に溺れ、一方で画家として天賦の才能を発揮したユトリロ。
本展では油彩画を中心に、日本初公開や個人所蔵を含むユトリロの作品約40点とヴァラドンの作品約40点を展示。日本でも絶大な人気を誇るユトリロの作品を、そのルーツである母ヴァラドンとの関係を交えて紹介されるという、この春見逃せない展覧会です。
【 会期 】 2015年4月18日(土)〜6月28日(日)休:月曜日(5月4日は除く)
【 開催時間】10:00〜18:00金曜日は20:00まで(入館は閉館の30分前まで)
【 会場 】 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館(東京都新宿区西新宿1-26-1)
【 主催 】 東郷青児記念 損保ジャパン日本興亜美術館、日本経済新聞社
【 Webサイト 】 http://www.sompo-japan.co.jp/museum/
2015年04月04日
京都国立博物館 名品ギャラリー 2015年4月
京都の花見のかたわら、平成知新館に行ってきました。
名品ギャラリーとはいえ、充実した内容ですね。
室町時代の社寺縁起絵のコーナー
神社や寺院の創建の由来、あるいはその祭神や本尊の霊験を、絵巻物として物語る社寺縁起絵は、中世に多く制作されるようになりました。社寺への尊崇を促す絵巻物は、室町時代に入ると受容層が広がり、耳目を惹く平易な題材が語られるようにもなります。
しかし、今回展示されているのは上級貴族や将軍が関わったと考えられる作品です。
清凉寺の釈迦像にまつわる霊験を描く「釈迦堂縁起」、後に堂宇が設けられる桑実山を舞台とした「桑実寺縁起」、開山真阿上人の高徳を語る「十念寺縁起」、これらはいずれも狩野派や土佐派といった本格的な画風の流派による作品です。
「桑実寺縁起」は絵巻の物語に即して描かれた一場面であり、物語では次のような話が語られています。
天智天皇の御代、志賀(滋賀)の都に疫病が蔓延し、天皇の第4皇女、阿閇皇女(あべのひめみこ)も病に罹ってしまいました。 ある夜、皇女は琵琶湖の湖面が瑠璃色に光る夢を見ました。 天皇がこの夢の意味を護持僧の定恵和尚に尋ねると、和尚は薬師如来の出現を予言します。 そこで天皇は定恵和尚を導師として湖水に向かって法要を営ませました。 すると、湖水から薬師如来が出現し、四方に光を発しました。 その光によって、皇女をはじめ国中の人々の病は、たちまち快癒しました。
出現した薬師如来は、まず牛(大白水牛)の背に、次に馬(岩駒)の背に乗って、繖山の瑠璃石に降り立ちました。 石の表面には、仏足と岩駒の蹄の跡が歴然と残っています。 この薬師如来を本尊として、定恵和尚によって白鳳6年(678)に開創されたのが、桑実寺です。
やがて、阿閇皇女は即位して元明天皇となりました。 そして、元明天皇は桑実寺に行幸され、瑠璃石にも詣でたのです。 面の右手には緑の小高い山があり、そこに白馬に乗って飛ぶ薬師如来一行がいます。山から左に目を移すと広々とした田が広がり、その先には遠くの山並みが見えます。
この景色は、金泥や群青や緑青を使い美しく、しかもある場所から一望したかのごとくに表されています。
保存状態がとてもよく、人物や動物の表現も生き生きとして見事です。
戦乱を避け近江に逗留していた将軍足利義晴によって天文元年8月にこの絵巻は奉納されました。
その制作過程は三条西実隆の日記に記されています。 詞書は後奈良天皇、青蓮院尊鎮法親王、三条西実隆、三人の寄合書き。
「釈迦堂縁起絵巻」は、インドのコーシャンピ国の優填王(うてんおう。ウダヤナ王)が釈迦生存中に親しく教えを聴くことができず病気になってしまいました。これを心配した家臣が牛頭山(ごずさん)の栴檀(せんだん)で釈迦の姿を写した像を造ったのが、インドにおける仏像の起こりといわれています。
後に鳩摩羅琰(鳩摩羅什の父)が、その瑞像を亀玆国に運ぶ際、昼は鳩摩羅琰が像を背負ったが、夜は像が鳩摩羅琰を背負って道を進めたという場面が今回展示されいました。面白いですね。
観元年(983)に東大寺の僧「然(ちょうねん)が入宋したおり、台州の開元寺で瑞像を拝し、模像を作成し、日本に持ち帰ろうとしました。すると、ある夜夢枕に瑞像が立ち、模像と入れ替わって「然とともに日本に渡ることを告げた・・・・・とのことです。この場面は今回は展示されていませんでした。
瀟湘八景図のコーナー
瀟湘八景図とは、景勝地として名高い洞庭湖(中国湖南省)付近の八通りの景観を絵画化したもので、北宋時代の文人画家・宋迪が創始したと伝えられます。八景の内訳は、山市晴嵐・遠(煙)寺晩鐘・漁村夕照・遠浦帰帆・瀟湘夜雨・洞庭秋月・平沙落雁・江天暮雪。いずれもこの地域に限定される風景ではなく、ごくありふれた身近な光景といってよいでしょう。そうした画題としての自由度やバリエーションの豊かさ、そして中国有数の名所への憧れが、わが国で瀟湘八景図が好まれた大きな要因です。
瀟湘八景図 相阿弥筆 4幅 大仙院 今回は一部の展示で残念でしたが、 相阿弥がいかに牧谿画を学んで自分のものとしていたかがよくわかる作品。静謐かつ雄大な名作です。
平沙落雁図 思堪筆 最古の水墨山水画
煙寺晩鐘図 単庵筆 相阿弥の弟子
瀟湘八景図 鑑貞筆 唐招提寺の総持坊、山水画を得意とする。直線が基調の絵で、背景の山々の重相感がすごかった。
遊楽図―逸名の画人たちのコーナー
現在を生きる人々の営み、つまり風俗を、日本人は浮世絵誕生のはるか以前から連綿と描き残してきました。なかでも、風俗画が量産された近世初頭には、ときに猥雑ささえも伴う自由で活力に満ちた作品が数多く生まれ、往時の空気を今に伝えてくれています。花の下に集い、あるいは踊り戯れる古人の、その生き生きとした姿が印象的。
風流踊・水掛祝図屏風 6曲1双 十念寺 絵は金箔、外側は銀箔は貼られています。
宋元の道釈人物画のコーナー
「道釈人物画」とは、道教や仏教関係の人物を描いた絵画のことです。中国の宗教絵画のなかには、礼拝対象として制作された尊像のほかに、絵画としての鑑賞性を高めた人物像も数多く描かれてきました。禅宗を中心に白衣観音像や羅漢像が好まれ、高僧たちの問答図などとともに「悟り」に近づくための手がかりにもなりました。今回は宋時代から元時代の水墨による道釈人物画の名品を展示されています。
特に薬山李翺問答図 1幅 南禅寺 伯 馬遠の伯父馬公顕の作だそうです。
京博の所蔵品、寄託品の充実ぶりがわかる展示でした。これからもマメにチェックして京都通いを続けるつもりです。
名品ギャラリーとはいえ、充実した内容ですね。
室町時代の社寺縁起絵のコーナー
神社や寺院の創建の由来、あるいはその祭神や本尊の霊験を、絵巻物として物語る社寺縁起絵は、中世に多く制作されるようになりました。社寺への尊崇を促す絵巻物は、室町時代に入ると受容層が広がり、耳目を惹く平易な題材が語られるようにもなります。
しかし、今回展示されているのは上級貴族や将軍が関わったと考えられる作品です。
清凉寺の釈迦像にまつわる霊験を描く「釈迦堂縁起」、後に堂宇が設けられる桑実山を舞台とした「桑実寺縁起」、開山真阿上人の高徳を語る「十念寺縁起」、これらはいずれも狩野派や土佐派といった本格的な画風の流派による作品です。
「桑実寺縁起」は絵巻の物語に即して描かれた一場面であり、物語では次のような話が語られています。
天智天皇の御代、志賀(滋賀)の都に疫病が蔓延し、天皇の第4皇女、阿閇皇女(あべのひめみこ)も病に罹ってしまいました。 ある夜、皇女は琵琶湖の湖面が瑠璃色に光る夢を見ました。 天皇がこの夢の意味を護持僧の定恵和尚に尋ねると、和尚は薬師如来の出現を予言します。 そこで天皇は定恵和尚を導師として湖水に向かって法要を営ませました。 すると、湖水から薬師如来が出現し、四方に光を発しました。 その光によって、皇女をはじめ国中の人々の病は、たちまち快癒しました。
出現した薬師如来は、まず牛(大白水牛)の背に、次に馬(岩駒)の背に乗って、繖山の瑠璃石に降り立ちました。 石の表面には、仏足と岩駒の蹄の跡が歴然と残っています。 この薬師如来を本尊として、定恵和尚によって白鳳6年(678)に開創されたのが、桑実寺です。
やがて、阿閇皇女は即位して元明天皇となりました。 そして、元明天皇は桑実寺に行幸され、瑠璃石にも詣でたのです。 面の右手には緑の小高い山があり、そこに白馬に乗って飛ぶ薬師如来一行がいます。山から左に目を移すと広々とした田が広がり、その先には遠くの山並みが見えます。
この景色は、金泥や群青や緑青を使い美しく、しかもある場所から一望したかのごとくに表されています。
保存状態がとてもよく、人物や動物の表現も生き生きとして見事です。
戦乱を避け近江に逗留していた将軍足利義晴によって天文元年8月にこの絵巻は奉納されました。
その制作過程は三条西実隆の日記に記されています。 詞書は後奈良天皇、青蓮院尊鎮法親王、三条西実隆、三人の寄合書き。
「釈迦堂縁起絵巻」は、インドのコーシャンピ国の優填王(うてんおう。ウダヤナ王)が釈迦生存中に親しく教えを聴くことができず病気になってしまいました。これを心配した家臣が牛頭山(ごずさん)の栴檀(せんだん)で釈迦の姿を写した像を造ったのが、インドにおける仏像の起こりといわれています。
後に鳩摩羅琰(鳩摩羅什の父)が、その瑞像を亀玆国に運ぶ際、昼は鳩摩羅琰が像を背負ったが、夜は像が鳩摩羅琰を背負って道を進めたという場面が今回展示されいました。面白いですね。
観元年(983)に東大寺の僧「然(ちょうねん)が入宋したおり、台州の開元寺で瑞像を拝し、模像を作成し、日本に持ち帰ろうとしました。すると、ある夜夢枕に瑞像が立ち、模像と入れ替わって「然とともに日本に渡ることを告げた・・・・・とのことです。この場面は今回は展示されていませんでした。
瀟湘八景図のコーナー
瀟湘八景図とは、景勝地として名高い洞庭湖(中国湖南省)付近の八通りの景観を絵画化したもので、北宋時代の文人画家・宋迪が創始したと伝えられます。八景の内訳は、山市晴嵐・遠(煙)寺晩鐘・漁村夕照・遠浦帰帆・瀟湘夜雨・洞庭秋月・平沙落雁・江天暮雪。いずれもこの地域に限定される風景ではなく、ごくありふれた身近な光景といってよいでしょう。そうした画題としての自由度やバリエーションの豊かさ、そして中国有数の名所への憧れが、わが国で瀟湘八景図が好まれた大きな要因です。
瀟湘八景図 相阿弥筆 4幅 大仙院 今回は一部の展示で残念でしたが、 相阿弥がいかに牧谿画を学んで自分のものとしていたかがよくわかる作品。静謐かつ雄大な名作です。
平沙落雁図 思堪筆 最古の水墨山水画
煙寺晩鐘図 単庵筆 相阿弥の弟子
瀟湘八景図 鑑貞筆 唐招提寺の総持坊、山水画を得意とする。直線が基調の絵で、背景の山々の重相感がすごかった。
遊楽図―逸名の画人たちのコーナー
現在を生きる人々の営み、つまり風俗を、日本人は浮世絵誕生のはるか以前から連綿と描き残してきました。なかでも、風俗画が量産された近世初頭には、ときに猥雑ささえも伴う自由で活力に満ちた作品が数多く生まれ、往時の空気を今に伝えてくれています。花の下に集い、あるいは踊り戯れる古人の、その生き生きとした姿が印象的。
風流踊・水掛祝図屏風 6曲1双 十念寺 絵は金箔、外側は銀箔は貼られています。
宋元の道釈人物画のコーナー
「道釈人物画」とは、道教や仏教関係の人物を描いた絵画のことです。中国の宗教絵画のなかには、礼拝対象として制作された尊像のほかに、絵画としての鑑賞性を高めた人物像も数多く描かれてきました。禅宗を中心に白衣観音像や羅漢像が好まれ、高僧たちの問答図などとともに「悟り」に近づくための手がかりにもなりました。今回は宋時代から元時代の水墨による道釈人物画の名品を展示されています。
特に薬山李翺問答図 1幅 南禅寺 伯 馬遠の伯父馬公顕の作だそうです。
京博の所蔵品、寄託品の充実ぶりがわかる展示でした。これからもマメにチェックして京都通いを続けるつもりです。
2015年01月29日
「岡田美術館所蔵 琳派名品展」日本橋三越本店
今年(2015年)は、本阿弥光悦が徳川家康から京都の鷹ケ峰に土地をあたえられ、そこに一大工房を開設した1615年から数えて、“琳派発祥400年”という記念すべき年にあたります。
“琳派発祥400年”の節目の幕開けを飾るのに相応しい華やかな「岡田美術館所蔵 琳派名品展」が日本橋三越で開催されています。1月28日(水)には、岡田美術館館長の小林 忠氏による特別記念講演会「琳派400年と岡田美術館 琳派コレクション」が開催され、お話を聞くことができました!
まず、琳派とは?先生と弟子、狩野派や土佐派のような血のつながりはありません。これで派といえるのか?というお話がありました。
今回の展示品以外にも琳派にまつわるお話が聞けました。
光琳の「風神雷神」について。
この絵の裏に抱一の「夏秋草図屏風」が描かれたことは知られていますが、東博に来たときはくっついていたそうです。取り扱いが大変だったとか。。。
雷神の裏に夕立、風神の裏に野分を描いたというお話を聞いて、なるほど・・・と思いました。
また光琳の名前。光と玉(ぎょく)、そして玉のなる音(りん)からつけたのではないかと。学級肌の乾山の命名かも、とのお話でした。東博の冬木小袖のご案内もあり、光琳が直接着物に書いたそうです、見てみたいな〜。
会場は、@琳派以前、A琳派の誕生、B琳派の興隆、C江戸琳派、D近代琳派の5コーナーに分かれてます。
・《誰ヶ袖屏風》作者不詳:右隻は女性の衣装で、その左には香炉や双六盤が描きこまれています。左隻は男性の衣装が中心でが、小袖には家紋が入っています。
・宗達《白鷺図》・《烏図》↓: 見事な水墨の掛軸が二幅並べて展示してあった「白鷺図」は水辺で餌を探している様子が描かれているのですが、屏風からはがしたものとか。小林館長はとてもやさしい牧谿に通じる作品とも。
・伊年印(俵屋の商標)《扇面散図屏風》: 宗達が主宰した「俵屋」の憂慮kな弟子の作品では?とのお話。扇面散図は扇面を全て描くもの。他に流図、貼付図などがあります。
・俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」摺絵とはスタンプみたいなもの。金や銀を塗っておすのだそうです。絵師・宗二が色変わり料紙10枚を貼りつなぎ、宗達が松・蔦・竹・藤・揚羽蝶・雌日芝の版木で下絵を展開させ、光悦が「新古今集 雑歌中(巻第十七)の和歌20首を散らし書きしたもの。
・尾形光琳《雪松群禽図屏風》↓:金箔の地に紺青の水面が切りこみ、緑青の松に雪が積もり、多数の雁や鴨が描きこまれています。コレクターの岡田氏が美術品収集を始めるキッカケとなった作品とのこと。
構図は大胆。署名には、歌枕の「蝉の小川」(瀬見の小川)に由来し、都の画家であることを雅に名乗った「蝉川(せみがわ)」が使われています。これも乾山の命名ではとのお話でした。
・俵屋宗達「明石図」(源氏物語図屏風断簡)は中国風。
これは静嘉堂文庫の図を逆転したものだそうです。 。「浮舟図屏風」は波がすごかった!
乾山の陶磁器も多数展示されています。
・乾山《色絵卯花杜鵑図香合》: 藤原定家「拾遺愚草」収載の12月の花鳥を詠んだ和歌のうち4月を題材にしたものを本歌取りした作品。上部には飛ぶホトトギス、中部には白い卯の花、下部には緑の木の葉が描かれています。
・乾山作・尾形光琳画《錆絵白梅図角皿》: 今回の展示は見込(表)を見るようになっており、「光琳の真筆」と書かれている「裏」は写真で出ていました。いかに偽物が多く出回っていたか・・・ということですね。
・酒井抱一《月に秋草図屏風》: 秋草が、月光を浴びて華やいでいます。絵を見ていると、静かな秋の野に出て、夜空にかかる月を見上げてでもいるような、すがすがしい気分になってきます。江戸琳派の酒井抱一(1761〜1829)の、みやびで詩情に富んだ作風をもっとも良く伝えてくれる傑作です。
もとは京都の公家(くげ)、二条家の襖絵(ふすまえ)として描かれたものであることが、引き手金具の裏側に隠された家紋によってわかるそうです。
月の光の中の薄、女郎花、桔梗などです。
風も無く、静かに月の光を浴びています。
秋には箱根で大々的に琳派展が開催されるそうです。紅葉、温泉以外にも、箱根に足を運ぶ楽しみが増えそうですね。
“琳派発祥400年”の節目の幕開けを飾るのに相応しい華やかな「岡田美術館所蔵 琳派名品展」が日本橋三越で開催されています。1月28日(水)には、岡田美術館館長の小林 忠氏による特別記念講演会「琳派400年と岡田美術館 琳派コレクション」が開催され、お話を聞くことができました!
まず、琳派とは?先生と弟子、狩野派や土佐派のような血のつながりはありません。これで派といえるのか?というお話がありました。
今回の展示品以外にも琳派にまつわるお話が聞けました。
光琳の「風神雷神」について。
この絵の裏に抱一の「夏秋草図屏風」が描かれたことは知られていますが、東博に来たときはくっついていたそうです。取り扱いが大変だったとか。。。
雷神の裏に夕立、風神の裏に野分を描いたというお話を聞いて、なるほど・・・と思いました。
また光琳の名前。光と玉(ぎょく)、そして玉のなる音(りん)からつけたのではないかと。学級肌の乾山の命名かも、とのお話でした。東博の冬木小袖のご案内もあり、光琳が直接着物に書いたそうです、見てみたいな〜。
会場は、@琳派以前、A琳派の誕生、B琳派の興隆、C江戸琳派、D近代琳派の5コーナーに分かれてます。
・《誰ヶ袖屏風》作者不詳:右隻は女性の衣装で、その左には香炉や双六盤が描きこまれています。左隻は男性の衣装が中心でが、小袖には家紋が入っています。
・宗達《白鷺図》・《烏図》↓: 見事な水墨の掛軸が二幅並べて展示してあった「白鷺図」は水辺で餌を探している様子が描かれているのですが、屏風からはがしたものとか。小林館長はとてもやさしい牧谿に通じる作品とも。
・伊年印(俵屋の商標)《扇面散図屏風》: 宗達が主宰した「俵屋」の憂慮kな弟子の作品では?とのお話。扇面散図は扇面を全て描くもの。他に流図、貼付図などがあります。
・俵屋宗達下絵・本阿弥光悦書「花卉に蝶摺絵新古今集和歌巻」摺絵とはスタンプみたいなもの。金や銀を塗っておすのだそうです。絵師・宗二が色変わり料紙10枚を貼りつなぎ、宗達が松・蔦・竹・藤・揚羽蝶・雌日芝の版木で下絵を展開させ、光悦が「新古今集 雑歌中(巻第十七)の和歌20首を散らし書きしたもの。
・尾形光琳《雪松群禽図屏風》↓:金箔の地に紺青の水面が切りこみ、緑青の松に雪が積もり、多数の雁や鴨が描きこまれています。コレクターの岡田氏が美術品収集を始めるキッカケとなった作品とのこと。
構図は大胆。署名には、歌枕の「蝉の小川」(瀬見の小川)に由来し、都の画家であることを雅に名乗った「蝉川(せみがわ)」が使われています。これも乾山の命名ではとのお話でした。
・俵屋宗達「明石図」(源氏物語図屏風断簡)は中国風。
これは静嘉堂文庫の図を逆転したものだそうです。 。「浮舟図屏風」は波がすごかった!
乾山の陶磁器も多数展示されています。
・乾山《色絵卯花杜鵑図香合》: 藤原定家「拾遺愚草」収載の12月の花鳥を詠んだ和歌のうち4月を題材にしたものを本歌取りした作品。上部には飛ぶホトトギス、中部には白い卯の花、下部には緑の木の葉が描かれています。
・乾山作・尾形光琳画《錆絵白梅図角皿》: 今回の展示は見込(表)を見るようになっており、「光琳の真筆」と書かれている「裏」は写真で出ていました。いかに偽物が多く出回っていたか・・・ということですね。
・酒井抱一《月に秋草図屏風》: 秋草が、月光を浴びて華やいでいます。絵を見ていると、静かな秋の野に出て、夜空にかかる月を見上げてでもいるような、すがすがしい気分になってきます。江戸琳派の酒井抱一(1761〜1829)の、みやびで詩情に富んだ作風をもっとも良く伝えてくれる傑作です。
もとは京都の公家(くげ)、二条家の襖絵(ふすまえ)として描かれたものであることが、引き手金具の裏側に隠された家紋によってわかるそうです。
月の光の中の薄、女郎花、桔梗などです。
風も無く、静かに月の光を浴びています。
秋には箱根で大々的に琳派展が開催されるそうです。紅葉、温泉以外にも、箱根に足を運ぶ楽しみが増えそうですね。
2014年11月29日
サントリー美術館 「高野山開創1200年記念 高野山の名宝」
サントリー美術館で開催中の「高野山開創1200年記念 高野山の名宝」展 に行って来ました。
高野山は、弘法大師空海により、弘仁7年(816)に真言密教の根本道場の地として開かれました。以来1200年にわたって、日本仏教の聖地の一つとして地位を保ち続け、山上にわが国屈指の仏教芸術の宝庫を形成しました。本展は、高野山開創1200年の記念として、開創にまつわる御品から、真言密教の教理に基づく仏教絵画、鎌倉時代の慶派による仏像などを中心に、「山の正倉院」とも例えられるその名宝を展観するものです。
まず何と言っても運慶作「国宝 八大童子像」鎌倉時代 12世紀(一部、南北朝時代 14世紀)をガラスケース無しで間近に観られることの奇蹟。 特に、仏師運慶作の国宝《八大童子像》が八軀そろって展示されるのは、関東では約10年ぶりとなる貴重な機会です。高野山霊宝館に行けば常に八大童子像が見られるという訳ではなく、文化財保護の観点から、現状では数年に一度、二躯程が主に夏の大宝蔵展で展示される程度であり、八躯全てを一度に見られる機会は少ないのです。
仏像や曼荼羅など巨大な展示物が多かったため出品数としてはそう多ありませんが、ほとんどが国宝や重要文化財で見ごたえがあります。
お気に入りの作品。
・国宝 諸尊仏龕 一基
手のひらほどのサイズに何体もの仏様や獅子、猿などが彫られています。弘法大師 空海が中国から請来されたと伝えるもので、その精巧な彫には驚かされます。中尊は釈迦如来、左脇侍は宝冠に化仏が付いていますので観音菩薩と解りますが、右脇侍は弥勒菩薩だそうです。仏像はインド風で周囲の人物は中国風ですので中国で作られたとみられてます。
・重要文化財 四天王立像 快慶作
四天王立像は鎌倉時代再興の東大寺大仏殿の四天王立像の縮小モデルとして作成された説もあるそうです。 東大寺大仏殿の四天王完成後に快慶は自分担当の雛型を持っていたようで、その像の規格で他3像を快慶の工房で補填してそれを重源の高野山別所に移したものと推測され、雛型だった内一尊は他に比べ出色と云われてます。
どの像も力強く、写実的で迫力があります。
風になびくような衣の表現も見事でした。
・重要文化財 孔雀明王坐像 快慶作
4階から降りてくると下に見えます。
雀の羽根のひとつひとつから台座まで光輝いています。
憤怒の顔が多い明王の中にあって、優しい顔をしている孔雀明王。孔雀明王は絵画が多いのですが、これは高さ 78.8cm の巨大な像なのです。図録では厳しい表情ですが、実際は下から孔雀明王を見上げるので、目つきがもっともっと優しくなります。孔雀の羽も、まるでサモトラケのニケの翼のようで、体から優雅に垂れている布の模様も溜息が出るくらい見事でした。
国宝 八大童子像 運慶作 六躯
八体のうち六体は運慶の作ですが,二体は後で作られたものとか。ラストの阿耨達童子 は、後世の作品で麒麟に乗っています。
それぞれが、どこかに実在する人物の様に思えてなりません。肖像彫刻のようで、仏像鑑賞とは異質の感じです。 おそらく運慶も 身近の誰かをモデルに考えたのではないでしょうか?
運慶は初期の頃から玉眼技法を熟知し、効果的に用いていたようで、仏像のランクによって眼の表現技法を使い分けていたとか。どれも眼力あります
・「如来」、「菩薩」…彫眼(木に直接彫った眼)
・「明王」、「天」、「人」(肖像)…玉眼(水晶を用いた眼)
彫眼を使うことで、仏の持つ気高さを表現し、逆に人や天部には生々しさを表現するために玉眼を用いその違いを明確にした。これは他の仏師にはない運慶特有の配慮だそうです。
画像で親しんだ名作が ガラス越しでなしに間近に見られて感激! このチャンスに色々と角度を変えての矯めつ眇めつでした。改めて運慶の偉大さを認識するとともに、このミケランジェロを超える仏師の素晴らしさをもっと世界の多くの人に知ってもらいたいと思いました。
仏師系図
定朝→覚助→頼助→康助→康朝→
→成朝(この後、直系が途絶える)
→康慶→運慶→湛慶・康運・康弁・康勝・運賀・運助
→定覚
→快慶
→定慶
【会場】
サントリー美術館(ガレリア3F)
【開催日時】
2014年10月11日(土)〜12月7日(日)
高野山は、弘法大師空海により、弘仁7年(816)に真言密教の根本道場の地として開かれました。以来1200年にわたって、日本仏教の聖地の一つとして地位を保ち続け、山上にわが国屈指の仏教芸術の宝庫を形成しました。本展は、高野山開創1200年の記念として、開創にまつわる御品から、真言密教の教理に基づく仏教絵画、鎌倉時代の慶派による仏像などを中心に、「山の正倉院」とも例えられるその名宝を展観するものです。
まず何と言っても運慶作「国宝 八大童子像」鎌倉時代 12世紀(一部、南北朝時代 14世紀)をガラスケース無しで間近に観られることの奇蹟。 特に、仏師運慶作の国宝《八大童子像》が八軀そろって展示されるのは、関東では約10年ぶりとなる貴重な機会です。高野山霊宝館に行けば常に八大童子像が見られるという訳ではなく、文化財保護の観点から、現状では数年に一度、二躯程が主に夏の大宝蔵展で展示される程度であり、八躯全てを一度に見られる機会は少ないのです。
仏像や曼荼羅など巨大な展示物が多かったため出品数としてはそう多ありませんが、ほとんどが国宝や重要文化財で見ごたえがあります。
お気に入りの作品。
・国宝 諸尊仏龕 一基
手のひらほどのサイズに何体もの仏様や獅子、猿などが彫られています。弘法大師 空海が中国から請来されたと伝えるもので、その精巧な彫には驚かされます。中尊は釈迦如来、左脇侍は宝冠に化仏が付いていますので観音菩薩と解りますが、右脇侍は弥勒菩薩だそうです。仏像はインド風で周囲の人物は中国風ですので中国で作られたとみられてます。
・重要文化財 四天王立像 快慶作
四天王立像は鎌倉時代再興の東大寺大仏殿の四天王立像の縮小モデルとして作成された説もあるそうです。 東大寺大仏殿の四天王完成後に快慶は自分担当の雛型を持っていたようで、その像の規格で他3像を快慶の工房で補填してそれを重源の高野山別所に移したものと推測され、雛型だった内一尊は他に比べ出色と云われてます。
どの像も力強く、写実的で迫力があります。
風になびくような衣の表現も見事でした。
・重要文化財 孔雀明王坐像 快慶作
4階から降りてくると下に見えます。
雀の羽根のひとつひとつから台座まで光輝いています。
憤怒の顔が多い明王の中にあって、優しい顔をしている孔雀明王。孔雀明王は絵画が多いのですが、これは高さ 78.8cm の巨大な像なのです。図録では厳しい表情ですが、実際は下から孔雀明王を見上げるので、目つきがもっともっと優しくなります。孔雀の羽も、まるでサモトラケのニケの翼のようで、体から優雅に垂れている布の模様も溜息が出るくらい見事でした。
国宝 八大童子像 運慶作 六躯
八体のうち六体は運慶の作ですが,二体は後で作られたものとか。ラストの阿耨達童子 は、後世の作品で麒麟に乗っています。
それぞれが、どこかに実在する人物の様に思えてなりません。肖像彫刻のようで、仏像鑑賞とは異質の感じです。 おそらく運慶も 身近の誰かをモデルに考えたのではないでしょうか?
運慶は初期の頃から玉眼技法を熟知し、効果的に用いていたようで、仏像のランクによって眼の表現技法を使い分けていたとか。どれも眼力あります
・「如来」、「菩薩」…彫眼(木に直接彫った眼)
・「明王」、「天」、「人」(肖像)…玉眼(水晶を用いた眼)
彫眼を使うことで、仏の持つ気高さを表現し、逆に人や天部には生々しさを表現するために玉眼を用いその違いを明確にした。これは他の仏師にはない運慶特有の配慮だそうです。
画像で親しんだ名作が ガラス越しでなしに間近に見られて感激! このチャンスに色々と角度を変えての矯めつ眇めつでした。改めて運慶の偉大さを認識するとともに、このミケランジェロを超える仏師の素晴らしさをもっと世界の多くの人に知ってもらいたいと思いました。
仏師系図
定朝→覚助→頼助→康助→康朝→
→成朝(この後、直系が途絶える)
→康慶→運慶→湛慶・康運・康弁・康勝・運賀・運助
→定覚
→快慶
→定慶
【会場】
サントリー美術館(ガレリア3F)
【開催日時】
2014年10月11日(土)〜12月7日(日)
2014年11月23日
「東山御物の美」展 最終週
三井記念美術館(日本橋・東京)で開催中の「東山御物の美」展(11月24日まで)に行ってきました。
最終週に入り、現在、徽宗筆「桃鳩図」が展示中です。北宋時代の皇帝・徽宗は、政治には才がありませんでしたが書画に秀で、彼が描いた絵は中国絵画の最高峰として、日本で愛されてきました。「桃鳩図」は、足利義満が所有していたことを示す「天山」印が捺されています。現在は個人蔵であるため、めったに見ることのできない作品です。
これを見られるだけでも貴重な機会なのですが、急遽、伝徽宗筆の「猫図」も、11月22〜24日にかけて特別出品されています。
こちらも個人蔵の作品。両方が揃って見られる機会は、これを逃したら二度とないかもしれません。
ちなみに竹内栖鳳の 「班猫」のエピソード。
栖鳳が街(沼津)を歩いていた際、八百屋の軒先に猫を発見し、そのとき無意識に呟いた言葉が、「徽宗皇帝の猫がいるぞ」。 のモデルは別の絵です。
「桃鳩図」と並んで重要なのは「四季山水図」。
雄大な自然の中にいる高士を描いたこの作品は、もともと春夏秋冬の4幅があったとされるもので、現在は夏と秋、冬の3幅が残っています。
『東山御物の美』展では普段は別々に保管されている夏と秋、冬を合わせて展示されています。私は冬が一番好き。
冬には猿、秋には鶴が描かれていますが、夏には動物はいません。春には梅が描かれていたのでは?というお話でした。
日本の「水墨画の父」ともいうべき牧谿の他にも、宮廷画家でありながら禅宗的な主題を好んだ梁楷(りょうかい)などの作品も展示されています。
絵の中に入り込むことではじめて見えてくる、繊細な表現をぜひ発見してください。「いったい何がすごいの?」と思ったら、展示室内に置いてある図録をご覧になると、丁寧な作品解説が載っています。こちらもオススメですよ!
22日は会場はこれまでになく混んでいましたが、入場制限まではなかったです。板倉聖哲先生も講演会のあと会場にお越しになり、来場者の質問にも丁寧に答えくださっていました。お話をそばできいていて、先生のこの展覧会への熱意を感じるとともに絵画の見方が深まりました。
他の美術館で見た作品も多かったのですが、やはり名品は何度見てもいいですね。
明日までです!これほどの展覧会はもう10年後かと思うと、なんとなくさびしい気がします。
開催にご尽力いただいた皆さま、本当にどうもありがとうございした。
「鶉図」(伝)李安忠
「特別展 東山御物―足利将軍家の至宝―」
会期:開催中〜11月24日(月・振替休)
会場:三井記念美術館(東京・日本橋)
最終週に入り、現在、徽宗筆「桃鳩図」が展示中です。北宋時代の皇帝・徽宗は、政治には才がありませんでしたが書画に秀で、彼が描いた絵は中国絵画の最高峰として、日本で愛されてきました。「桃鳩図」は、足利義満が所有していたことを示す「天山」印が捺されています。現在は個人蔵であるため、めったに見ることのできない作品です。
これを見られるだけでも貴重な機会なのですが、急遽、伝徽宗筆の「猫図」も、11月22〜24日にかけて特別出品されています。
こちらも個人蔵の作品。両方が揃って見られる機会は、これを逃したら二度とないかもしれません。
ちなみに竹内栖鳳の 「班猫」のエピソード。
栖鳳が街(沼津)を歩いていた際、八百屋の軒先に猫を発見し、そのとき無意識に呟いた言葉が、「徽宗皇帝の猫がいるぞ」。 のモデルは別の絵です。
「桃鳩図」と並んで重要なのは「四季山水図」。
雄大な自然の中にいる高士を描いたこの作品は、もともと春夏秋冬の4幅があったとされるもので、現在は夏と秋、冬の3幅が残っています。
『東山御物の美』展では普段は別々に保管されている夏と秋、冬を合わせて展示されています。私は冬が一番好き。
冬には猿、秋には鶴が描かれていますが、夏には動物はいません。春には梅が描かれていたのでは?というお話でした。
日本の「水墨画の父」ともいうべき牧谿の他にも、宮廷画家でありながら禅宗的な主題を好んだ梁楷(りょうかい)などの作品も展示されています。
絵の中に入り込むことではじめて見えてくる、繊細な表現をぜひ発見してください。「いったい何がすごいの?」と思ったら、展示室内に置いてある図録をご覧になると、丁寧な作品解説が載っています。こちらもオススメですよ!
22日は会場はこれまでになく混んでいましたが、入場制限まではなかったです。板倉聖哲先生も講演会のあと会場にお越しになり、来場者の質問にも丁寧に答えくださっていました。お話をそばできいていて、先生のこの展覧会への熱意を感じるとともに絵画の見方が深まりました。
他の美術館で見た作品も多かったのですが、やはり名品は何度見てもいいですね。
明日までです!これほどの展覧会はもう10年後かと思うと、なんとなくさびしい気がします。
開催にご尽力いただいた皆さま、本当にどうもありがとうございした。
「鶉図」(伝)李安忠
「特別展 東山御物―足利将軍家の至宝―」
会期:開催中〜11月24日(月・振替休)
会場:三井記念美術館(東京・日本橋)