2014年11月22日
「御法に守られし 醍醐寺」展
渋谷区立松濤美術館で開催中の リニューアル記念特別展 「御法(みのり)に守られし 醍醐寺」に行って来ました。
この展覧会の見どころは、何といっても世界最古の長さ15メートル36センチの絵巻「過去現在絵因果経」の全場面が期間限定ではありますが、いっきに公開されることです。
8世紀に制作された国宝中の国宝に位置づけられているもので、絵画と書が同時に鑑賞できる貴重な作品です。
お釈迦様が出家し、悟りを開く物語が、上段に絵、下段に文字という形で記されています。
しかし、とてもマンガっぽ〜い絵で、楽しめます♪へたうまマンガな感じ。
太子の出家を聞いて婦人が気絶、骨と皮になった悉達太子を見て元家来が悶絶(倒れ方が笑えます)、魔王が太子を矢で射ようとするも、矢は空中で蓮華に変わってしまう、などの迷シーンが続出!笑える国宝bPは確実です。
鳥獣人物戯画のような躍動感溢れる絵とは全然違いますが、平安時代の「源氏物語絵巻」などと比べても、とても現代的だと思います。
これが奈良時代に描かれたものだとは驚きです。千年以上の歳月を超えて目の前にあるとは信じられないくらい保存状態も良好。
いくつか異本があり、東京芸大コレクション展で今年の春展示されていました。
醍醐寺本は、釈迦国の王子、悉達太子(釈尊)が出家し、苦行を経て、菩提樹の下で瞑想に入り悟りをひらき、その後、襲ってくる魔王の軍衆をその慈悲力で退けるといった一連の場面で構成されています。常絵巻物は右から左へ時間(場面)が展開していきますが、魔王の攻撃の場面は釈迦を中心に四方八方から攻めてくる悪魔たちを画面全体を使いダイナミックに表現しています。この悪魔が百鬼夜行のようで、風神雷神もいたのですが、これも奈良時代は悪魔だったのかしら?
第4章 醍醐にひらく文雅 〜桃山・江戸時代の絵画と工芸品〜も見ごたえがありました。
「舞楽図屏風」俵屋宗達筆は、初めて見ましたが、意外と大きいのですね。左から崑崙八仙(ころはせ)、還城楽(げんじょうらく)、そして羅陵王(らりょうおう)。右隻には有名な納曾利(なそり)が描かれています。踊りなのですが、とても静かな感じのする不思議な作品です。
荒廃した醍醐寺の伽藍復興に甚大な後援をした豊臣秀吉は、醍醐の地に桜を移植し「醍醐の花見」を催しました。
展示では、花見ではなく、「幔幕図屏風」(生駒等寿筆)や「楓図屏風」(山口雪渓筆)で、今の季節の紅葉狩りを演出しています。楓図屏風は光信の四季花木図襖を彷彿させるような名品。
秀吉は花見の後に、秋には醍醐の地での紅葉狩りを楽しみにしていたものの、その年の夏に没し実現しなかったという逸話が残っています。秀吉が望んでできなかった幻の「醍醐の紅葉狩り」を展示室のソファーで楽しみました。
この展覧会の見どころは、何といっても世界最古の長さ15メートル36センチの絵巻「過去現在絵因果経」の全場面が期間限定ではありますが、いっきに公開されることです。
8世紀に制作された国宝中の国宝に位置づけられているもので、絵画と書が同時に鑑賞できる貴重な作品です。
お釈迦様が出家し、悟りを開く物語が、上段に絵、下段に文字という形で記されています。
しかし、とてもマンガっぽ〜い絵で、楽しめます♪へたうまマンガな感じ。
太子の出家を聞いて婦人が気絶、骨と皮になった悉達太子を見て元家来が悶絶(倒れ方が笑えます)、魔王が太子を矢で射ようとするも、矢は空中で蓮華に変わってしまう、などの迷シーンが続出!笑える国宝bPは確実です。
鳥獣人物戯画のような躍動感溢れる絵とは全然違いますが、平安時代の「源氏物語絵巻」などと比べても、とても現代的だと思います。
これが奈良時代に描かれたものだとは驚きです。千年以上の歳月を超えて目の前にあるとは信じられないくらい保存状態も良好。
いくつか異本があり、東京芸大コレクション展で今年の春展示されていました。
醍醐寺本は、釈迦国の王子、悉達太子(釈尊)が出家し、苦行を経て、菩提樹の下で瞑想に入り悟りをひらき、その後、襲ってくる魔王の軍衆をその慈悲力で退けるといった一連の場面で構成されています。常絵巻物は右から左へ時間(場面)が展開していきますが、魔王の攻撃の場面は釈迦を中心に四方八方から攻めてくる悪魔たちを画面全体を使いダイナミックに表現しています。この悪魔が百鬼夜行のようで、風神雷神もいたのですが、これも奈良時代は悪魔だったのかしら?
第4章 醍醐にひらく文雅 〜桃山・江戸時代の絵画と工芸品〜も見ごたえがありました。
「舞楽図屏風」俵屋宗達筆は、初めて見ましたが、意外と大きいのですね。左から崑崙八仙(ころはせ)、還城楽(げんじょうらく)、そして羅陵王(らりょうおう)。右隻には有名な納曾利(なそり)が描かれています。踊りなのですが、とても静かな感じのする不思議な作品です。
荒廃した醍醐寺の伽藍復興に甚大な後援をした豊臣秀吉は、醍醐の地に桜を移植し「醍醐の花見」を催しました。
展示では、花見ではなく、「幔幕図屏風」(生駒等寿筆)や「楓図屏風」(山口雪渓筆)で、今の季節の紅葉狩りを演出しています。楓図屏風は光信の四季花木図襖を彷彿させるような名品。
秀吉は花見の後に、秋には醍醐の地での紅葉狩りを楽しみにしていたものの、その年の夏に没し実現しなかったという逸話が残っています。秀吉が望んでできなかった幻の「醍醐の紅葉狩り」を展示室のソファーで楽しみました。