2014年09月30日
菱田春草展感想(前期)
大観と並ぶ再興院展の巨匠、菱田春草。その回顧展が東京国立近代美術館で開催されています。
明治に入って大きな変革を迎えた日本の絵画の世界を支えた、というよりも変革をみずから積極的に仕掛けていった夭折の画家でした。
春草の作品には重要文化財が4点もあるそうです。これは、近代美術家の中でトップだとか。それも、36歳という短い人生の中で。
それらが、前後期合わせて、全部みられるというのだから、前後期とも行くことにしました^_^;
前期は「王昭君」、「賢首菩薩」そして、「落葉」の3点。「黒き猫」は後期でしかみられません。
でも、別の黒猫や白猫もいるので猫好きの方ご安心を(笑)。
目に留まって強く印象を残すのは、小動物たちの姿。 猫はたくさん出てきますし、雀や鹿もよく描かれています。
どれもほんとうにふわふわとして愛らしい。鹿は3枚あって応挙風。
「初冬」にはウサギも走っています。
そういった絵以外にも、無限の奥行きを感じさせて、絵のなかに入っていってどこまでも歩いていけそうな気がしてくる「落葉」の連作なども素晴らしい。
展覧会の構成は、春草の画業の全体像をたどるもので、基本的に年代順に展示されています。ただし猫は最後にまとめて。
16歳の作品「海老とさざえ」から始まり、学生時代の作品 「秋景山水」、そして、卒業後の入選作品「水鏡」。天女もいつかは美貌も衰えるというテーマで水面に映る影でそれを表す。初期の代表作です。前期一番楽しみにしていた作品。
2章 朦朧体へ、空気や光線を描く
輪郭線を描かずに、空気や光を描くという”朦朧体”。朦朧と言われるくらいだから、当時の画壇では酷評されましたが、渡米時には高く評価されました。
「菊慈童」。周の穆王の時代、慈童と言う少年がおり、穆王の寵愛を受け常に帝の傍らに侍っていましたが、ある時、帝が居ない時、誤って帝の枕の上を越えてしまいました。群臣は議して、罪科は浅くないが、誤りから起こった事なので、死罪一等をゆるめて_縣山(れっけんざん)への流刑と決まりました。、水だけを飲んで生き延び、いつまでも少年の姿だったという伝説が画題。朦朧とした紅葉の山奥に包み込まれるように少年がひとり、幻想的な世界です。前期のみ展示です。
3章 色彩研究へ:配色を組み立てる
「賢首菩薩」では、何種類かの西洋顔料が使われていたようだ。研究熱心な春草らしい。賢首菩薩は描いた当時はあまり評価されず、展覧会ではあわや落選だったが、天心、大観の後押しで二等賞になった。それを伝え聞いた春草は、来年はもっと程度を下げて、審査員に分かるような絵を描こうかと言ったそうです(笑)。映画「天心」では、この頃から目の調子が悪くなりました。
そして、最終章へ 「落葉」、猫の連作「白き猫」、「黒き猫」。
絶筆といわれる「早春」が最後に。その17年後の春草未亡人の話が残っています。黒い猫のあとで金屏風(梅に雀のこと?)を一枚、描きましたが、そのときは全く眼が駄目になっていて、絵具を溶かしている私にかくして、そっと涙を拭いていたときの春草の姿は、今も手に取るように思い出します。。。
村上春樹さんの小説世界ののように、静かで不思議な春草ワールド迷いこんだような気分でした。
後期の展示も期待しています。
明治に入って大きな変革を迎えた日本の絵画の世界を支えた、というよりも変革をみずから積極的に仕掛けていった夭折の画家でした。
春草の作品には重要文化財が4点もあるそうです。これは、近代美術家の中でトップだとか。それも、36歳という短い人生の中で。
それらが、前後期合わせて、全部みられるというのだから、前後期とも行くことにしました^_^;
前期は「王昭君」、「賢首菩薩」そして、「落葉」の3点。「黒き猫」は後期でしかみられません。
でも、別の黒猫や白猫もいるので猫好きの方ご安心を(笑)。
目に留まって強く印象を残すのは、小動物たちの姿。 猫はたくさん出てきますし、雀や鹿もよく描かれています。
どれもほんとうにふわふわとして愛らしい。鹿は3枚あって応挙風。
「初冬」にはウサギも走っています。
そういった絵以外にも、無限の奥行きを感じさせて、絵のなかに入っていってどこまでも歩いていけそうな気がしてくる「落葉」の連作なども素晴らしい。
展覧会の構成は、春草の画業の全体像をたどるもので、基本的に年代順に展示されています。ただし猫は最後にまとめて。
16歳の作品「海老とさざえ」から始まり、学生時代の作品 「秋景山水」、そして、卒業後の入選作品「水鏡」。天女もいつかは美貌も衰えるというテーマで水面に映る影でそれを表す。初期の代表作です。前期一番楽しみにしていた作品。
2章 朦朧体へ、空気や光線を描く
輪郭線を描かずに、空気や光を描くという”朦朧体”。朦朧と言われるくらいだから、当時の画壇では酷評されましたが、渡米時には高く評価されました。
「菊慈童」。周の穆王の時代、慈童と言う少年がおり、穆王の寵愛を受け常に帝の傍らに侍っていましたが、ある時、帝が居ない時、誤って帝の枕の上を越えてしまいました。群臣は議して、罪科は浅くないが、誤りから起こった事なので、死罪一等をゆるめて_縣山(れっけんざん)への流刑と決まりました。、水だけを飲んで生き延び、いつまでも少年の姿だったという伝説が画題。朦朧とした紅葉の山奥に包み込まれるように少年がひとり、幻想的な世界です。前期のみ展示です。
3章 色彩研究へ:配色を組み立てる
「賢首菩薩」では、何種類かの西洋顔料が使われていたようだ。研究熱心な春草らしい。賢首菩薩は描いた当時はあまり評価されず、展覧会ではあわや落選だったが、天心、大観の後押しで二等賞になった。それを伝え聞いた春草は、来年はもっと程度を下げて、審査員に分かるような絵を描こうかと言ったそうです(笑)。映画「天心」では、この頃から目の調子が悪くなりました。
そして、最終章へ 「落葉」、猫の連作「白き猫」、「黒き猫」。
絶筆といわれる「早春」が最後に。その17年後の春草未亡人の話が残っています。黒い猫のあとで金屏風(梅に雀のこと?)を一枚、描きましたが、そのときは全く眼が駄目になっていて、絵具を溶かしている私にかくして、そっと涙を拭いていたときの春草の姿は、今も手に取るように思い出します。。。
村上春樹さんの小説世界ののように、静かで不思議な春草ワールド迷いこんだような気分でした。
後期の展示も期待しています。