2017年04月04日
発達障害の当事者と保護者の本音とは?!世間とのイメージにギャップを感じる人多し
【調査結果サマリー】
●当事者・保護者とも過半数が発達障害に対する社会への理解は「進んでいない」と回答、また当事者の約9割、保護者の約8割が発達障害に対する世間のイメージにギャップを「感じる」と回答
●当事者の約9割、保護者の8割以上が日常生活に困り感を抱える一方、周囲からのサポート・配慮が「ある」と感じるのは当事者で約4割、保護者で約6割。
●当事者の4割以上、保護者の6割以上が、自身や子どもの特性を「強みに感じたことがある」と回答
引用元:リタリコ
発達障害の場合は病気と異なり先天的なことの方が大半の障害です。しかし目に見えない病気などと同様に世間からの理解というのはどうしても厳しい視線があるのは事実でしょう。
うつ病や、双極性障害(そううつ)、統合失調症(昔の精神分裂病)は病気であり、一昔前に比べて認知度合いは断然向上しました。しかしだからといって配慮ができる人が増えたかというとそういう人ばかりではありません。いまだに精神的に病んでいる人に対して「たるんでいる」「甘えだ」「根性がない」などで片付けてしまう人は潜在的にはかなり多いでしょう。
先日IT業界で過労のためうつになって退職した従業員に対して会社側が損害賠償請求をするという裁判がありました。詐病により会社に損害を与えたので数千万円払えというのです。判決はなんと逆転で会社側に110万円支払えということに。
過酷な労働のために「躁うつ病」を発症して退職したところ、会社から約1200万円の損害賠償を求める訴訟を起こされて精神的苦痛を受けたとして、IT企業で働いていた20代男性が、会社を相手取って、損害賠償を求めた裁判の判決が3月30日、横浜地裁であった。横浜地裁は、会社側の請求をすべて棄却。男性に対して110万円を支払うよう命じた。
男性の代理人をつとめた嶋崎量弁護士によると、男性は2014年4月にIT企業「プロシード」(神奈川県)に入社。劣悪な職場環境のもとで、精神疾患(躁うつ病)を発症し、同年12月に退職した。
引用元:弁護士ドットコム
仕事ができないレッテルを貼られてしまうと職場という本当にしんどいもの
となるでしょう。真面目で融通が利かない人ほど自責の念に駆られてしまい
精神的に病んでいくことも今や珍しくありません。
仕事をすると言うことは、国民の3大義務にもなっているわけで大切です。
それ以前に、働いて所得を得ないと生活をすると言うことは基本的にできません。
しかし精神的に追い詰められながらその仕事をやり続けなければならないとなると
まさに生き地獄です。
発達障害やうつ病の問題は直属の上司がどれだけ理解があるかでかなり変わるでしょうね。
自分は仕事ができるけど部下育成が面白いぐらいできない上司は山ほどいます。
自分ができるからこそ、できない人をくそみそにダメ出ししちゃうのでしょう。
結果的に上司の育てる力や偏見が部下をダメにしてしまうこともあるにもかかわらず、
そんなことに気づかず自殺へ追い込んでしまう人もいるかもしれません。
理解してもらうということは、すべて甘えて良いと言うことではないですが、
思考低下しているような人からすれば分かってくれる人がそばにいることは
非常に安心感にもつながるのだと思います。
仕事は大切ですがブラック企業のブラック上司の下で働いている人は
自分の命をそこまですり減らす必要があるのか今一度考えた方がよいでしょう。
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コメントありがとうございます!
そうですね。思った以上に肯定的な意見が多いのは私もビックリしました。
当事者がどうかんがえるかというのは個人差があるでしょうが、周りで支援してくれる
人にどれだけ自分の理解者が多いかで肯定感の高さというものは変わる気がします。
否定的でけなすような人が周りに多いと、発達障害でなくても気持ちは落ち込みますし
うつ病になる可能性も高まります。
周りのかける言葉って重要なのだろうと再認識させられます。
これ↑、驚きました。
発達障害とわかってから数年が経過した今なお、定型に生まれて来たかったと思い続けている私には、自分の特性を強みに感じるなど考えられません。
リンクを張って下さったリタリコのHPも見てみましたが、そう思った理由は書かれていたものの、残念ながら具体的にどんな時に、どんな事をが書かれていなかったので、そのあたりが気になります。
コメントありがとうございます!
家族との食事の時間って本当に大切ですよね。
人間食事をしなければ死ぬわけで、その大切な食事の時間が
緊張を強いられるような環境は本当に困った物ですね。
お母様はご自身の理想の家庭や理想の母親像があまりにも現実と
かけ離れていることに自分でも理解していないのでしょう。
そしてその悩みを話せる人も周りには誰もいなかったのかもしれません。
本来はそんなレッテルを払拭して生きればもうすこし楽なのでしょうが、
お母様に張り付いたレッテルはもう自然に剥がれることは期待できないでしょうね。
お母様はやはり周りから称賛され続けていたい、だれにも批判されたくない、
という気持ちが固定化しているので自分の責任を問われると責任転嫁して
自分を守ることでしか自分を表現できないのだと思います。
ある意味それがお母様のインナーチャイルドでもあるのでしょう。
まともに正論で抗戦しようものなら泥仕合になることは目に見えていますから、
言わせておくということが今一番無難な対応だと思います。
親子といえども価値観は多種多様ですからね。
マロンさんが考える世界がマロンさんの世界なのだと思います。
落ち着いて自分が過ごしやすい環境になれるといいですね。
ブログと関係ないお話ですみません。
前にも話した通り、ウチは全員揃って食事することをベストとしていますので普段はそうです。それがとても息苦しいです。
今日はたまたま私だけ一人遅くになりました。母が同じ部屋でテレビを見ているシチュエーションでした。
とても嘘臭い、芝居がかったリアクションをしたり、声を出して笑っています。とても不自然でした。
あの人は昔私に、アホみたいな番組を見るな、テレビはNHKしか要らない、アホと一緒になって笑うな、品性が疑われる、等々と延々と唱え続けたものです。
ところが今はあの姿です。
もしも私が指摘したのなら、あ〜ら私そんなこと言ったかしら〜とおどけてみせるとおもいます。
真剣に私が申し立てれば、終わったことを今さら陰湿に言うな、つまらないことをいい年で言うな、同年代の子はみんな子育てで忙しくしとるのにあんたは暇だからそんなこと気になるんだ、と言うと思います。
最後に、母親は家の中の太陽だ、笑ってなくてどうする!、あんたみたいなブスッと感じの悪い陰湿な人間では間ともな家庭はつくれない、と言うでしょう。
自分でも嫌ですが、だいたいやりとりは想像できます。
相手は、もう折れる気はないんですよね。金輪際。
議題が何にせよ、私との会話では毎回が勝負みたいなもので、絶対に買って終わりたいみたいな感じでしょうか。
長年見ていて、そんな気がしました。
でも、だとすれば、大きいことも小さいことも何を話し合ったって無意味に近いですよね。
その場を勝ち越したいという思いが母のなかで最優先されているなら、もう、そういうことです。
食事を残すかどうかも、民放テレビを見るかどうかも、私がこの家を離れるかどうかも、全て同列で考えてやればいいようなことになります。
何も難しく悩まなくていい、だって相手は必ず私に反対してくるだけだから。だからまともに相手してはいけない。
そう思ったりします。
それくらいに思わないと、本当に生きてるのが嫌になってくるんですよ。
あの人らの意向と顔色を伺い続けて、全てあちらに合わせてやるなんて、現代の普通の人間は無理ですよ。
一つでも外れたら、もう全て終わりみたいな、そんな生活嫌ですよ。
軍隊みたいですよ。職場なら理解できますし、実際そういうところで仕えて来たこともあります。
でも、家ってそうじゃないと思うんですよ。もっと伸び伸びしていい気がするんです。
あの人らに言わせると、十分に好きにさせてるというんです。
その基準は全てあちら基準です。
トイレは年中暖房便座も温水もオフでこれは正しい節約と言われ、なのに欠けた茶碗を使うことはみすぼらしくて死刑に近いくらいの悪と言われる。そんなあくまでも超個人的な感覚でつくられた基準に、ぴったりとシンクロしていかないといけないんです。
それは、一般的には、伸び伸びした家庭環境とは言えないと思うんです。
一方的にすみません。