2016年07月27日
「長男・長女なんだから…」という家督相続的な思考がこびりつく母親。いったい子どもに何を求めているのか?(その1)
団塊の世代として育ってきた人たちは現在60代、70代
といったかんじなのでしょうか。
個人的にはこの世代は、まだまだ家督相続的な思考を植え付けられ、
その呪縛から解き放たれていない人が多いです。
この世代の人に限らずですが、都心部より地方の方が
家の跡継ぎであるとか、親の面倒や介護は誰が見るのか?
となったときに出てくるのが、長男・長女という発想です。
■どういう理屈で「長男・長女」をみているのか?
考えの根底は、お家制度というものまで遡らないといけないでしょう。
「長男なのだから」「嫁いできたのだから」など、私の親の世代は、
長男や長女に対して特別な意識を持っていることが多いです。
親がおかしいのでは?と煙たく感じてしまうこともあるかもしれませんが、
これは潜在的に親の親が植え付けたものです。
団塊の世代の親というと年齢でいえば80代〜90代ぐらいでしょうか。
第二次世界大戦前に生まれた世代です。
この人達の生まれ育ったころは、お家制度は残っていたでしょう。
そして今よりもさらに絶対的なものであったため、幼いころから
家督相続や家父長制という概念をたたき込まれてきたのだと思います。
今もお家制度の名残はいろんなところで見受けられます。
夫婦はどちらかの姓をなのらなくてはいけなかったり、お墓には
〇〇家の墓と未だに残っていたり、家を継ぐ人が墓守もするような
風潮はまだ残っているのです。
■子どもをものとしか思っていない毒親の典型。
そういう歴史的背景も鑑みると、一方的に親が悪い!と
いいきることも問題があるように感じます。
ある意味洗脳されてしまっている親も被害者であるからです。
長男が家のことを率先して守ったり、リーダーシップを発揮するという
ことが当然という発想しかない親からすれば、それを拒んだり、フットワーク
が思い長男長女の姿は、非常識にうつってしまうのでしょう。
社会的なルールとして長男が後を継いだり、相続をしたりという大きな権限を
家の中で与えられるような名残を脳から払拭することは容易ではありません。
それぐらい、幼少期の教育というのは大人になっても影響力があるもの
なのだろうと実感します。
しかし、50年周期ぐらいに時代背景というものや、常識非常識という概念は
少しずつ変化してくることも世の常です。
自分の思考が正しく間違っていない!と確信している親は毒親以外の
何者でもありません。時代の流れには逆らえないという時期は必ず来ます。
■この考え方だと相続のときにさまざまな問題が浮上します。
・長男なんだから家にもどってくるのでしょ?
・早くお嫁さんをもらってきなさい。
・墓守はあなたにお願いするからね。
実際に家督相続というルールの下では、家長がなくなった場合、
長男がいれば、相続権はすべて長男へ。現代で言う戸籍の筆頭主は、
戸主としてさまざまな家の権限をあたえられました。
しかし現代は、分割相続になってしまったわけです。
話し合いで親の相続分が決まらなければ、法定相続分を
配偶者と子どもでわけることになります。(第一順位の場合)
子どもが複数いるとなにかしら問題が浮上することが多いです。
金銭の多い少ないという場合もありますが、自分の方が親に対して
献身的に介護をしたとか、面倒を見たとかそういう感情がはいってくるからです。
たとえ昔の考えのように長男が家を継いで、親が亡くなり相続となった場合、
長男は「こんなに面倒見たりしたのだから自分がもっともらっていいはず」なんて
思ってしまうと、骨肉の争いになります。
次男が親の面倒や介護に献身的にしていて、長男は知らんぷりという場合でも、
相続のときは、自分の法定相続分を主張する人もおおいわけで、そうなると
何もやっていないのにもらうときだけデカイ顔するな!ともめる要因に…
子どもが親の面倒を見ることは一応法律的にも扶養義務になっていたりします。
あまり家族でもめていなければ、法律的にとかいう言葉はでてこなくとも、なんとか
出来ることをしてあげたいと思うのが道徳的なのかもしれません。
しかし親からの押しつけが酷く距離を置いているような子どもは
毒親から離れたいと言う気持ちが一杯でしかたがないでしょうね。
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といったかんじなのでしょうか。
個人的にはこの世代は、まだまだ家督相続的な思考を植え付けられ、
その呪縛から解き放たれていない人が多いです。
この世代の人に限らずですが、都心部より地方の方が
家の跡継ぎであるとか、親の面倒や介護は誰が見るのか?
となったときに出てくるのが、長男・長女という発想です。
■どういう理屈で「長男・長女」をみているのか?
考えの根底は、お家制度というものまで遡らないといけないでしょう。
「長男なのだから」「嫁いできたのだから」など、私の親の世代は、
長男や長女に対して特別な意識を持っていることが多いです。
親がおかしいのでは?と煙たく感じてしまうこともあるかもしれませんが、
これは潜在的に親の親が植え付けたものです。
団塊の世代の親というと年齢でいえば80代〜90代ぐらいでしょうか。
第二次世界大戦前に生まれた世代です。
この人達の生まれ育ったころは、お家制度は残っていたでしょう。
そして今よりもさらに絶対的なものであったため、幼いころから
家督相続や家父長制という概念をたたき込まれてきたのだと思います。
今もお家制度の名残はいろんなところで見受けられます。
夫婦はどちらかの姓をなのらなくてはいけなかったり、お墓には
〇〇家の墓と未だに残っていたり、家を継ぐ人が墓守もするような
風潮はまだ残っているのです。
■子どもをものとしか思っていない毒親の典型。
そういう歴史的背景も鑑みると、一方的に親が悪い!と
いいきることも問題があるように感じます。
ある意味洗脳されてしまっている親も被害者であるからです。
長男が家のことを率先して守ったり、リーダーシップを発揮するという
ことが当然という発想しかない親からすれば、それを拒んだり、フットワーク
が思い長男長女の姿は、非常識にうつってしまうのでしょう。
社会的なルールとして長男が後を継いだり、相続をしたりという大きな権限を
家の中で与えられるような名残を脳から払拭することは容易ではありません。
それぐらい、幼少期の教育というのは大人になっても影響力があるもの
なのだろうと実感します。
しかし、50年周期ぐらいに時代背景というものや、常識非常識という概念は
少しずつ変化してくることも世の常です。
自分の思考が正しく間違っていない!と確信している親は毒親以外の
何者でもありません。時代の流れには逆らえないという時期は必ず来ます。
■この考え方だと相続のときにさまざまな問題が浮上します。
・長男なんだから家にもどってくるのでしょ?
・早くお嫁さんをもらってきなさい。
・墓守はあなたにお願いするからね。
実際に家督相続というルールの下では、家長がなくなった場合、
長男がいれば、相続権はすべて長男へ。現代で言う戸籍の筆頭主は、
戸主としてさまざまな家の権限をあたえられました。
しかし現代は、分割相続になってしまったわけです。
話し合いで親の相続分が決まらなければ、法定相続分を
配偶者と子どもでわけることになります。(第一順位の場合)
子どもが複数いるとなにかしら問題が浮上することが多いです。
金銭の多い少ないという場合もありますが、自分の方が親に対して
献身的に介護をしたとか、面倒を見たとかそういう感情がはいってくるからです。
たとえ昔の考えのように長男が家を継いで、親が亡くなり相続となった場合、
長男は「こんなに面倒見たりしたのだから自分がもっともらっていいはず」なんて
思ってしまうと、骨肉の争いになります。
次男が親の面倒や介護に献身的にしていて、長男は知らんぷりという場合でも、
相続のときは、自分の法定相続分を主張する人もおおいわけで、そうなると
何もやっていないのにもらうときだけデカイ顔するな!ともめる要因に…
子どもが親の面倒を見ることは一応法律的にも扶養義務になっていたりします。
あまり家族でもめていなければ、法律的にとかいう言葉はでてこなくとも、なんとか
出来ることをしてあげたいと思うのが道徳的なのかもしれません。
しかし親からの押しつけが酷く距離を置いているような子どもは
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コメントありがとうございました。
夫がアスペルガーであったり、ADHDだったりするかたの話は山ほど聞いてきました。
私自身もそういったいろんなケースの夫婦があるのだということを目の当たりにして
自分はまだたいしたことない方だなぁと力をいただくときがよくあります。
まゆゆ様は充分頑張っているのでこれ以上無理に頑張る必要はないですよ!
とはいえ、毎日顔を合わせるとひとことふたこと言いたくなってしまいますよね…
本当に大変なことだと思います。でもそんな夫に振り回されず、自分の楽しめることに
時間を費やした方が楽しんだもの勝ちになるでしょうね。
少しでも楽しめる時間が増えると良いですね!陰ながら応援しています^^
管理人様が仰られる通り、話し合いがスムーズに進まない状況は、発達障害を疑う迄は本当にしんどかったです。
ですが、こちらのブログをはじめ、沢山の方々の体験や特徴などを読ませていただくことで、何とか納得がいき、無理に話しを進めたり、求めたりすることを止めてからは随分と楽になりました。
まだ、拗ねた子供のような態度の毎日の主人で、ただの居候と化してますが、しばらくは自分の生活を楽しむことに専念していきたいと思います。
また、これからも読ませていただき参考にさせていただきます。ありがとうございました!
切実な想いのコメント有難う御座います!
旦那様のことで非常に悩んでいるという最中ですので、本当に
一言ではいえない大変さともどかしさで気持ちが張り裂けそうな状態だと思います。
夫婦や家族として頑張れば頑張りすぎるほど孤独感が強まるのは本当につらいことです。
こちらが改善や向上心をもとめても、思ったように改善は見られませんからね・・・
言っていることとやっていることの矛盾点の多さは、同じ屋根の下で寝食をともにする
ものの場合、本当にうんざりしてきてしまうでしょう。
もしご主人が発達障害の気配があるのであれば、なかなか気持ちが解けていくという
ことは、期待すればするほど裏切られた気持ちが残ってしまうと思います。
彼らは、仮に相手が大切だ!と思っていても私たちと表現の仕方が異なっていたり、
思うように気持ちをアウトプット出来ないというケースもあります。
とはいえ、正面からまともにコミュニケーションがとれませんから、なかなか話も
進展しないという奥歯に物が詰まったような生活でストレスを増加させるのは
心身共に限界になってしまわないか心配ですね。
離婚するにしても継続するにしても、いったん旦那様への期待や執着はなるべく
減らして、自分の身体や自分が楽しいと思うことで気を紛らわし冷静に考えられる
心と体の状態を取り戻すことが先決ではないかと思います!過去と他人は変わりません。
自分も見る目線を少し変えることで、まゆゆ様本来の自分を取り戻して欲しいですね!
主人との意思疎通や会話や気持ちのやり取りに、だんだんとズレや違和感を感じるようになり、離婚話まで持ち上がりました。
何かがおかしい。何故か私の気持ちがうまく伝わらない感じと、頑固だけど何だか流されやすく主体性のない主人の行動。
こちらのブログの内容を読ませていただいて、アスペルガー受動型を調べるうちに、謎だった点の部分が少しずつ繋がってきました。主人は軽度とは思いますが、当てはまる部分が大いにあり、まだ私自身のショックも大きく愕然としてます。
ちょっと前に、夫婦なのに何故かいつも孤独が強いと感じていたのはまさにカサンドラ。私の気持ちを理解して欲しいといつも泣いて伝えてきましたが、なかなか伝わらない。何故だろう?相性の問題なのか?私が悪いのか?など、沢山悩んできましま。もう少し早くわかっていればここまで拗れる前に対応できたのかと。。。
出て行きたいと言ったくせに(それも、どうしたいの?とこちらから問い詰めてようやく自分の意見を言った)くせに、なかなか出て行かず、話し合いを避け、拗ねた子供のような態度のくせに、毎日ちゃんと帰宅しては寝て仕事に出ていく子供のような主人にイライラをしつつも、たまにはニコニコ笑顔で迎えて、徐々に気持ちが解けてくれるのを待っております。
気持ちが変わることはあるのでしょうかね〜。。。主人の気持ちが解ける前に私がギブアップしそうです。笑