2016年05月30日
夫婦はギブアンドテイクではない!「一緒にいるのだからやって欲しい」から「ひとりでいれば自分がやるのが必然」へ
パートナーがアスペルガー症候群だから、発達障害だから必ず不幸になるかといえば、
決してそんなことばかりではないでしょう。
要は支えているパートナーや支援者がどのように受け止められるのかで
180度違う見方になってしまうことでしょう。
人間は、誰もが自分の立場で物事を推測したり、善悪を決めがちです。
発達障害の当事者には当然本人ならではのつらさや生きにくさがあったりします。
逆に支えているパートナーにも色を違えどつらさや生きづらさがあるんですね。
■あたりまえをあたりまえとしか感じられないことは不幸なこと
子どものころは、親がいろいろと世話をしてくれるのがあたりまえ、結婚をすれば、
パートナーがやってくれてあたりまえといろんな事があたりまえすぎてそのありがたみを
感じられなくなってくると、どんなに幸せなことが起こっても鈍感な心になってしまうのかもしれません。
察することが苦手で、コミュニケーションも特殊な自閉症スペクトラムの人たち。
アスペルガー受動型の嫁とわかっていながらも、なにかを期待してしまうのはどうしてでしょう。
ひとつは、自分自身に自信がないこと。
失敗しても間違っても、うまくいかなくても、それはそれで事実として受け止めるという
ことは大切なのですが、自分が傷つくことに対して臆病なため他人からの意見を手助けを
うけたいということになり、近くの人に自分の自信がない部分を埋めてくれるように求めてしまいます。
この問題はパートナーが発達障害という点も一般的な人より心労が大きくなるのは確かですが、
それ以前に、自分自身の心の問題が多いのです。つまり自分の思考の癖が自分自身を苦しめている
ことに気がつかず、責任転嫁は周りにするという自己防衛をしすぎてそこから抜け出すことができなく
なっているのだと思います。
■一緒にいると相手への依存心や期待を過剰に求めすぎてしまうAC
アスペルガー受動型の嫁が発達障害であると気がつくまでは、この思いが胸から飛び出るほど、
来る日も来る日も飛びでてきたように感じます。
いろいろと自閉症スペクトラムの知識やSSTをおこなったりと理解を深めたとしても、
100%まるごと受け止めることは未だにできません。
そもそも、私の頭の中には、夫婦や親子はギブアンドテイクだという発想がありましたが、
これ自体が、間違っていた考えだったように感じます。
基本的に何でもギブアンドテイクという思考があるため、ものごとを損か得か、
効率的か非効率的かというような考えに占拠されて生きてきた気がします。
しかし、この考えですと、与えたものの価値と同等の価値のものがかえってこないと
残るのは不愉快さや、不満足、そして相手に対する非礼さや、自分を軽視されたというような
被害者意識など、幸せにはほど遠いものばかりです。
相手に「求めちゃいけない」という禁止として捉えるのではなく、
自動思考が見返りを求めたうえで相手へテイクしていることが多いんです。
これは物だけでなく、気持ちや行動など形のないものでも同じです。
ギブを求めてテイクをしている生活というのは一生幸せな気持ちでみたされることは
ない考え方だと思うようになりました。
■本当にひとりの場合、文句を言う相手もすらもいなくなる。
よくよく考えてみて下さい。もし自分ひとりで生活をしている状態だったら…
少なくとも家の中では誰も手助けする人はいないので自分のみの周りのことを
世話するのは間違いなく自分と言うことになります。
掃除したくないなぁ、食事を作りたくないなぁと思っても自分しか居ませんから、
なんとかして手をつけることになるんですね。いろいろなことを決めたりするのも
自分でやるのが必然と言うことになります。
そう考えると、一緒にいるのだからやってよ!とか夫婦なんだからやって!という
のは既に相手への尊重の気持ちが崩れ落ちていることになります。
ビジネスの世界ではギブアンドテイクと言うことは日常的にありますが、
親子や夫婦、友人という関係上で、これを求めすぎるのは非常に危険だと思います。
宗教的な意味合いはありませんが、俗に言う無償の愛というのは、相手へ
与えるだけの愛情のことを言います。
私がずっと普通であると信じて止まなかったギブアンドテイクという考え方は、
条件付きの愛情なのです。
■条件付きの執着した愛情を本当の愛情と錯覚している
アダルトチルドレンの人は、条件付きの愛情で育まれた子どもです。
条件付きの愛情で育った子は、大人になっても相手を条件付きの愛情でしか
愛し方を知らないんです。
だからこそ、
「何でこんなに私は愛しているのに、あなたはわかってくれないの!」
という発想に陥ってしまうのだと思います。
これは、なにも夫婦に限ったことではなく、親子でもよくありがちな話です。
何か見返りが欲しいからやる!という発想から、徐々に自分がやりたいからやる!という
思考に切り替えていくことができると、今までストレスに感じてしまったことが少し軽くなる
と思います。
スピリチュアル的なことがあまりすきではない私ですが、おすすめの書籍は山村幸夫さんの本である
「神からのギフト」「与え尽くしの愛」です。
読むと今までごちゃごちゃしていた自分の脳の中を整理してくれ心が落ち着く物があると思います。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
決してそんなことばかりではないでしょう。
要は支えているパートナーや支援者がどのように受け止められるのかで
180度違う見方になってしまうことでしょう。
人間は、誰もが自分の立場で物事を推測したり、善悪を決めがちです。
発達障害の当事者には当然本人ならではのつらさや生きにくさがあったりします。
逆に支えているパートナーにも色を違えどつらさや生きづらさがあるんですね。
■あたりまえをあたりまえとしか感じられないことは不幸なこと
子どものころは、親がいろいろと世話をしてくれるのがあたりまえ、結婚をすれば、
パートナーがやってくれてあたりまえといろんな事があたりまえすぎてそのありがたみを
感じられなくなってくると、どんなに幸せなことが起こっても鈍感な心になってしまうのかもしれません。
察することが苦手で、コミュニケーションも特殊な自閉症スペクトラムの人たち。
アスペルガー受動型の嫁とわかっていながらも、なにかを期待してしまうのはどうしてでしょう。
ひとつは、自分自身に自信がないこと。
失敗しても間違っても、うまくいかなくても、それはそれで事実として受け止めるという
ことは大切なのですが、自分が傷つくことに対して臆病なため他人からの意見を手助けを
うけたいということになり、近くの人に自分の自信がない部分を埋めてくれるように求めてしまいます。
この問題はパートナーが発達障害という点も一般的な人より心労が大きくなるのは確かですが、
それ以前に、自分自身の心の問題が多いのです。つまり自分の思考の癖が自分自身を苦しめている
ことに気がつかず、責任転嫁は周りにするという自己防衛をしすぎてそこから抜け出すことができなく
なっているのだと思います。
■一緒にいると相手への依存心や期待を過剰に求めすぎてしまうAC
「一緒にいるのだからやって欲しい、考えて欲しい」
「一緒にいるのだから当然でしょ?」
「夫婦なのだからギブアンドテイクで協力し合うのがあたりまえじゃない?」
アスペルガー受動型の嫁が発達障害であると気がつくまでは、この思いが胸から飛び出るほど、
来る日も来る日も飛びでてきたように感じます。
いろいろと自閉症スペクトラムの知識やSSTをおこなったりと理解を深めたとしても、
100%まるごと受け止めることは未だにできません。
そもそも、私の頭の中には、夫婦や親子はギブアンドテイクだという発想がありましたが、
これ自体が、間違っていた考えだったように感じます。
基本的に何でもギブアンドテイクという思考があるため、ものごとを損か得か、
効率的か非効率的かというような考えに占拠されて生きてきた気がします。
しかし、この考えですと、与えたものの価値と同等の価値のものがかえってこないと
残るのは不愉快さや、不満足、そして相手に対する非礼さや、自分を軽視されたというような
被害者意識など、幸せにはほど遠いものばかりです。
相手に「求めちゃいけない」という禁止として捉えるのではなく、
自動思考が見返りを求めたうえで相手へテイクしていることが多いんです。
これは物だけでなく、気持ちや行動など形のないものでも同じです。
ギブを求めてテイクをしている生活というのは一生幸せな気持ちでみたされることは
ない考え方だと思うようになりました。
■本当にひとりの場合、文句を言う相手もすらもいなくなる。
よくよく考えてみて下さい。もし自分ひとりで生活をしている状態だったら…
少なくとも家の中では誰も手助けする人はいないので自分のみの周りのことを
世話するのは間違いなく自分と言うことになります。
掃除したくないなぁ、食事を作りたくないなぁと思っても自分しか居ませんから、
なんとかして手をつけることになるんですね。いろいろなことを決めたりするのも
自分でやるのが必然と言うことになります。
そう考えると、一緒にいるのだからやってよ!とか夫婦なんだからやって!という
のは既に相手への尊重の気持ちが崩れ落ちていることになります。
ビジネスの世界ではギブアンドテイクと言うことは日常的にありますが、
親子や夫婦、友人という関係上で、これを求めすぎるのは非常に危険だと思います。
宗教的な意味合いはありませんが、俗に言う無償の愛というのは、相手へ
与えるだけの愛情のことを言います。
私がずっと普通であると信じて止まなかったギブアンドテイクという考え方は、
条件付きの愛情なのです。
■条件付きの執着した愛情を本当の愛情と錯覚している
「私の言うことを聞いてくれるなら愛情をあげるよ。」
「私の言うことを聞かないなら愛情はあげない!」
アダルトチルドレンの人は、条件付きの愛情で育まれた子どもです。
条件付きの愛情で育った子は、大人になっても相手を条件付きの愛情でしか
愛し方を知らないんです。
だからこそ、
「何でこんなに私は愛しているのに、あなたはわかってくれないの!」
という発想に陥ってしまうのだと思います。
これは、なにも夫婦に限ったことではなく、親子でもよくありがちな話です。
何か見返りが欲しいからやる!という発想から、徐々に自分がやりたいからやる!という
思考に切り替えていくことができると、今までストレスに感じてしまったことが少し軽くなる
と思います。
スピリチュアル的なことがあまりすきではない私ですが、おすすめの書籍は山村幸夫さんの本である
「神からのギフト」「与え尽くしの愛」です。
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連日コメントありがとうございました!
幼少期は大変だったのですね。でも自分を信じられるのだから凄いですね。
私は以前は自分の考えを持っているようだけど、それは世間一般的な考えが多く、
本当に考えている気持ちを抑圧してしまう癖がついていましたので、自分が本当は
どうしたいのか、何を考えているのか分からなくなるときがありました。
自分を信用すると言うよりも、これ以上自分が傷つきたくないがために行動したり、
発言して自己擁護したりすることが多かったです。
親からの影響って本当に目に見えないところで苦しめられますよね。
自分は子どもに同じ事をしないように毎日自分へ言い聞かせています^^
ですから、嫁に対しても、子供に対しても、私から何かをしようというときの見返りは、これをしたら喜んでくれるかな・・・程度のことしかありません。
そういう意味では、毒親だったことが、いい方向(?)に向いたということかもしれません。
まぁ、結果的に、無償の愛、でしょうか。しかし、それすらスルーされることもありますけどね。