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2015年12月21日
読書感想文『宇宙のカラクリ』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、二間瀬敏史様 山田亨様の「こんなに面白い 大宇宙のカラクリ」です
二間瀬敏史様。1953年北海道生まれ。東北大学大学院理学研究科教授
山田亨様。1965年大阪生まれ。国立天文台助教授
気になる文章
●1991年1月、ハワイ島の標高42大メートルに達するマウナケア山の山頂で、口径8,2メートルの巨大な反射鏡をもつ「すばる望遠鏡」が誕生
○小谷中広之の感情・・・いつ行けるかわからないが、ハワイに行ったときにはこの目で確認してこよう
●「1天文単位」というのは、太陽と地球の平均距離で、1億5000万キロメートルのこと
○小谷中広之の感情・・・太陽と地球は平均でもそんなに離れているのか
赤道一周の距離は 4万75キロメートル。果てしなく遠い距離だということがはっきりとわかる
●宇宙という言葉は中国から来たものですが、「宇」とは空間、「宙」とは時間の意味です。その言葉通り、「宇宙」とは、我々が観測できる「空間」と「時間」の領域全てをさす、と言ってもよいでしょう。この意味で言うと、宇宙の果てとは「観測することができる領域の内で、一番遠いところ」ということになります
これてゃべつに「宇宙」とは空間と時間そのものをさす場合があります。この時の宇宙の果てとは、「空間の果て」と「時間の始まり」のことをさすことになるでしょう
ところが「空間の果て」と「観測できる領域の果て」は、必ずしも一致しません
宇宙に果てがあるのかという質問の答えは、「空間には果てはないが、観測できる空間には果てがある」ということになります
○小谷中広之の感情・・・観測ということで言えば、常に空間の果ては伸びていることになるのではないか
それは宇宙が拡張しているから
●銀河都銀との平均の間隔は、銀河の大きさの10倍から100倍程度に過ぎず、銀河同氏は、想像以上の確率で頻繁に衝突することがあります。これに対して、銀河の中の星と星との平均の間隔は、星の大きさの1億倍にも及ぶので、2つの銀河が衝突しても星と星が衝突する確率はゼロに近い
○小谷中広之の感情・・・銀河と銀河が衝突するのなら、仮にA銀河とB銀河が衝突したら、AB共に一番端っこの方の星同士は衝突しないのだろうか
新たな疑問が現れた、いつかこの疑問の答えに出会うだろう
●宇宙の拡張は、1920年代の後半にエドウィンハッブルによって発見された
○小谷中広之の感情・・・宇宙が拡張していることを発見し、根拠を示して世界に拡張が認められたときにはすでに次の宇宙目標に向かっていただろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、二間瀬敏史様 山田亨様の「こんなに面白い 大宇宙のカラクリ」です
二間瀬敏史様。1953年北海道生まれ。東北大学大学院理学研究科教授
山田亨様。1965年大阪生まれ。国立天文台助教授
気になる文章
●1991年1月、ハワイ島の標高42大メートルに達するマウナケア山の山頂で、口径8,2メートルの巨大な反射鏡をもつ「すばる望遠鏡」が誕生
○小谷中広之の感情・・・いつ行けるかわからないが、ハワイに行ったときにはこの目で確認してこよう
●「1天文単位」というのは、太陽と地球の平均距離で、1億5000万キロメートルのこと
○小谷中広之の感情・・・太陽と地球は平均でもそんなに離れているのか
赤道一周の距離は 4万75キロメートル。果てしなく遠い距離だということがはっきりとわかる
●宇宙という言葉は中国から来たものですが、「宇」とは空間、「宙」とは時間の意味です。その言葉通り、「宇宙」とは、我々が観測できる「空間」と「時間」の領域全てをさす、と言ってもよいでしょう。この意味で言うと、宇宙の果てとは「観測することができる領域の内で、一番遠いところ」ということになります
これてゃべつに「宇宙」とは空間と時間そのものをさす場合があります。この時の宇宙の果てとは、「空間の果て」と「時間の始まり」のことをさすことになるでしょう
ところが「空間の果て」と「観測できる領域の果て」は、必ずしも一致しません
宇宙に果てがあるのかという質問の答えは、「空間には果てはないが、観測できる空間には果てがある」ということになります
○小谷中広之の感情・・・観測ということで言えば、常に空間の果ては伸びていることになるのではないか
それは宇宙が拡張しているから
●銀河都銀との平均の間隔は、銀河の大きさの10倍から100倍程度に過ぎず、銀河同氏は、想像以上の確率で頻繁に衝突することがあります。これに対して、銀河の中の星と星との平均の間隔は、星の大きさの1億倍にも及ぶので、2つの銀河が衝突しても星と星が衝突する確率はゼロに近い
○小谷中広之の感情・・・銀河と銀河が衝突するのなら、仮にA銀河とB銀河が衝突したら、AB共に一番端っこの方の星同士は衝突しないのだろうか
新たな疑問が現れた、いつかこの疑問の答えに出会うだろう
●宇宙の拡張は、1920年代の後半にエドウィンハッブルによって発見された
○小谷中広之の感情・・・宇宙が拡張していることを発見し、根拠を示して世界に拡張が認められたときにはすでに次の宇宙目標に向かっていただろう
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2015年12月20日
読書感想文『親が死ぬまでに』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、親孝行実行委員会様の「親が死ぬまでにしたい55のこと」です
気になる文章
●親の好きなところを10個書き出す
ただ思うだけではなく、紙に書き出す
○小谷中広之の感情・・・自分の両親であること、楽天的、よく笑う、引きずらない、仲が良い、60ずぎても夫婦喧嘩をしている、オムライスが上手、動物好き、ジッとしていることがあまり得意ではない、子供好き、とりあえず10個
意外と難しいですが楽な感じで書き出してみると面白いですよ、そして少し恥ずかしいです
●余命宣告するべきか考えておく
○小谷中広之の感情・・・今の考えだときっと、父親にはできるが母親にはできないかもしれないな。
また自分だったら、子供には言ってほしいかな。ある程度分かる年齢になったらこのことを自分の子供たちに伝えておこう「お父さんが病気になって余命宣告を受けたら隠さずにストレートで言ってほしい」と
●オーダーメイドの服を仕立ててあげる
○小谷中広之の感情・・・親孝行で両親を旅行に連れていってあげるのも悪くない
しかし、この発想はなかった。両親にペアでオーダーメイドの服をプレゼントするということ
福に限ったことではないだろう、帽子や靴、手袋などもいいかもしれない
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決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、親孝行実行委員会様の「親が死ぬまでにしたい55のこと」です
気になる文章
●親の好きなところを10個書き出す
ただ思うだけではなく、紙に書き出す
○小谷中広之の感情・・・自分の両親であること、楽天的、よく笑う、引きずらない、仲が良い、60ずぎても夫婦喧嘩をしている、オムライスが上手、動物好き、ジッとしていることがあまり得意ではない、子供好き、とりあえず10個
意外と難しいですが楽な感じで書き出してみると面白いですよ、そして少し恥ずかしいです
●余命宣告するべきか考えておく
○小谷中広之の感情・・・今の考えだときっと、父親にはできるが母親にはできないかもしれないな。
また自分だったら、子供には言ってほしいかな。ある程度分かる年齢になったらこのことを自分の子供たちに伝えておこう「お父さんが病気になって余命宣告を受けたら隠さずにストレートで言ってほしい」と
●オーダーメイドの服を仕立ててあげる
○小谷中広之の感情・・・親孝行で両親を旅行に連れていってあげるのも悪くない
しかし、この発想はなかった。両親にペアでオーダーメイドの服をプレゼントするということ
福に限ったことではないだろう、帽子や靴、手袋などもいいかもしれない
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2015年12月19日
読書感想文『心休ませる』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、加藤諦三様の「心の休ませ方」です
加藤諦三様。1938年生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会研究科を卒業。早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所準研究員
気になる文章
●休んでいるときに「こんなことをしていられない」と焦る必要はない。生きることに疲れたあなたは、今こうして生きているということだけで偉大なのです。よくここまで犯罪も侵さず、自殺もしないで頑張って生き延びてきた
あなたと同じ環境に生まれて、心の傷を癒すために犯罪を犯した人はたくさんいる。今こうして疲れて生きているということは、そのことだけで立派なことなのである
○小谷中広之の感情・・・まずは生きることだけを考えてみよう
生きている、それだけで一つ得をしている
●生きることに疲れたうつ病者は、何よりも今の自分の経験を人に話すことである。うつ病者は自分の失敗の体験を話すことである。それを話せる人を探すことである、もし見つからなければ日記でも何でもいい。安全なところに吐き出すことである
○小谷中広之の感情・・・吐き出すことで、必ず何かの変化は起きる。つまり気持ちがスーッと楽になる可能性が高い
●脚の裏をケガした人が「歩けない」といえば普通の人は理解する。しかし、5体無事なうつ病者が「歩けない」と言っても、普通の人はなかなか理解できない
それは人は足で歩いていると思っているからである
人は足で歩いているのではない。人は脳で歩いているのだ。うつ病者はその脳が傷んでいる。足の裏のケガは見えるが、脳のケガは見えない
○小谷中広之の感情・・・うつ病者だけではない。心の病を背負っている人や、不安を抱いて生きている人もきっと同じようなことだろう
見た目だけでは決して判断してはいけない
●「私はどうしていつもこのような目に合わなくてはならないのですか?」
「私を認めてほしい」といつも思っているウサギがいました。今日もなにをしていいのかわからないウサギは、サルとヒツジが歩いている道を、サルとヒツジに誘われるまま同じように歩き出しました。道中、サルとヒツジと同じような気分になれることで楽しい時もありました
ところが道が二つに分かれるところで、サルが別れていきました
ウサギは突然のことでどうしたらいいのかわからなくなりました。でも自分にはヒツジがいると思うと少し安心しました
しばらくすると夕方になりました。ヒツジは「ウサギさんはどこまで行くのですか?私はこの草原でしばらく休みます。もうしばらくすると友達が来ますからその友達と美味しい草の生えている草原に向かいます」とウサギに言いました
ウサギは、またまた突然言われて驚きました。自分はこの道を選んだのはサルとヒツジがいたからです。どんどん日が落ちて辺りは漆黒の闇となってしまいました
誰もいない草原でウサギは星に向かって言いました
「私はどうしていつもこのような目に合わなくてはならないのですか?」
生きることのに疲れたときにはじめて気が付く
答えは「自分はこう生きよう」と考えることがなかったからである
人に認めてもらいたいということばかりに気を取られて生きてきたからである
ウサギは今日はとにかくゆっくりと眠ることである。明日の朝が来たら考えればいい
○小谷中広之の感情・・・人や物に依存して生きていくことをやめてしまおう
そのためにまずはシンプルな孤独を受け入れよう
●生きることに疲れることで、考えが深くなった。この時期を乗り越えれば、前に比べて考え深く、思いやりのある人のなっている
カメがカエルと遊んでいました。カメは小さな魚を取ってはカエルに分けてあげました。カエルが喜ぶとカメは嬉しくなりました。カエルと遊んでいたらカメは気が付くと海から随分離れていました。そして、あたりが暗くなっていました
カエルは大好物の蚊を美味しそうに食べています。カメはそれを眺めるばかりです。「自分はいったい何をしていたのだろう。カエルは食べ物さえ分けてくれない。分けてくれても蚊は食べられない。あー、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」とカメは悲しんでいます。カメはもう大人になっていて、今からではカエルの世界に溶け込むことはできません
苦労してついてきた自分は何を変えるに求めていたのか、この時初めて気づきました。それは誰でもいいから、淋しい自分を慰めてほしかっただけなのです
それがもっと早くわかっていれば、カメは自分にあった相手を選んでいたはずです。結局、カメは淋しさが原因で、いま、たった一人ぼっちで淋しく野原にたたずむということになってしまいました
生きることに疲れた人はこのカメと同じである。淋しい人は誉められることがうれしい。人が自分に注目してくれることがうれしい。そこで自分を見失う
カメが自分を知っていれば、自分のエリアの中で心楽しむことができる。自分を持っていればカメはカエルを深追いしなかっただろう。自分の生き方に自信があれば、カエルは迎合(ゲイゴウ)しない。そんな頼もしいカメを見たらきっとカエルのほうが歩み寄ってくる
○小谷中広之の感情・・・まずは今の自分の身の丈を知ろう
●受け身でいるから当然、日々困難は増大してくる。いつも受け身でいるうちに、なんでもないことがものすごい困難に思えてくる
受け身でいるからストレスが増して来る。困難に出会うから受け身になるのではなく、受け身が物事を困難にしてしまうのである。受け身の態度や考え方が困難を呼び込んでしまう。これが「悩みは自分で作る」という意味である
○小谷中広之の感情・・・不安は、逃げれば倍増し、立ち向かえば半減する
●うつ病者は血中にコルチゾールという副腎皮脂ホルモンのレベルが高い。コルチゾールはストレスの際に放出されるホルモンである
うつ病になるような人はストレスでコルチゾールが出続けている。そしてこのコルチゾールは大脳辺縁系に作用して、セロトニンの受容体を「うつ」のほうに刺激する
○小谷中広之の感情・・・ネット情報です
ビタミンCや亜鉛を摂取することによりこのコルチゾールを抑えることができるそうです
●経済が豊かになり、職業選択の自由をはじめ様々な自由が与えられた。中世から考えれば、今の時代は夢のような時代である
しかし、自由な時代は、同時に人が生き方を間違える時代でもある。生きることに疲れた人は自由な時代の中で生き方を間違ったのだ
○小谷中広之の感情・・・自由という人生の副作用は必ずある
選択することがたくさんありすぎることの自由は、選択が苦手な人にとって苦痛でしかないだろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、加藤諦三様の「心の休ませ方」です
加藤諦三様。1938年生まれ。東京大学教養学部教養学科を経て、同大学院社会研究科を卒業。早稲田大学名誉教授、ハーヴァード大学ライシャワー研究所準研究員
気になる文章
●休んでいるときに「こんなことをしていられない」と焦る必要はない。生きることに疲れたあなたは、今こうして生きているということだけで偉大なのです。よくここまで犯罪も侵さず、自殺もしないで頑張って生き延びてきた
あなたと同じ環境に生まれて、心の傷を癒すために犯罪を犯した人はたくさんいる。今こうして疲れて生きているということは、そのことだけで立派なことなのである
○小谷中広之の感情・・・まずは生きることだけを考えてみよう
生きている、それだけで一つ得をしている
●生きることに疲れたうつ病者は、何よりも今の自分の経験を人に話すことである。うつ病者は自分の失敗の体験を話すことである。それを話せる人を探すことである、もし見つからなければ日記でも何でもいい。安全なところに吐き出すことである
○小谷中広之の感情・・・吐き出すことで、必ず何かの変化は起きる。つまり気持ちがスーッと楽になる可能性が高い
●脚の裏をケガした人が「歩けない」といえば普通の人は理解する。しかし、5体無事なうつ病者が「歩けない」と言っても、普通の人はなかなか理解できない
それは人は足で歩いていると思っているからである
人は足で歩いているのではない。人は脳で歩いているのだ。うつ病者はその脳が傷んでいる。足の裏のケガは見えるが、脳のケガは見えない
○小谷中広之の感情・・・うつ病者だけではない。心の病を背負っている人や、不安を抱いて生きている人もきっと同じようなことだろう
見た目だけでは決して判断してはいけない
●「私はどうしていつもこのような目に合わなくてはならないのですか?」
「私を認めてほしい」といつも思っているウサギがいました。今日もなにをしていいのかわからないウサギは、サルとヒツジが歩いている道を、サルとヒツジに誘われるまま同じように歩き出しました。道中、サルとヒツジと同じような気分になれることで楽しい時もありました
ところが道が二つに分かれるところで、サルが別れていきました
ウサギは突然のことでどうしたらいいのかわからなくなりました。でも自分にはヒツジがいると思うと少し安心しました
しばらくすると夕方になりました。ヒツジは「ウサギさんはどこまで行くのですか?私はこの草原でしばらく休みます。もうしばらくすると友達が来ますからその友達と美味しい草の生えている草原に向かいます」とウサギに言いました
ウサギは、またまた突然言われて驚きました。自分はこの道を選んだのはサルとヒツジがいたからです。どんどん日が落ちて辺りは漆黒の闇となってしまいました
誰もいない草原でウサギは星に向かって言いました
「私はどうしていつもこのような目に合わなくてはならないのですか?」
生きることのに疲れたときにはじめて気が付く
答えは「自分はこう生きよう」と考えることがなかったからである
人に認めてもらいたいということばかりに気を取られて生きてきたからである
ウサギは今日はとにかくゆっくりと眠ることである。明日の朝が来たら考えればいい
○小谷中広之の感情・・・人や物に依存して生きていくことをやめてしまおう
そのためにまずはシンプルな孤独を受け入れよう
●生きることに疲れることで、考えが深くなった。この時期を乗り越えれば、前に比べて考え深く、思いやりのある人のなっている
カメがカエルと遊んでいました。カメは小さな魚を取ってはカエルに分けてあげました。カエルが喜ぶとカメは嬉しくなりました。カエルと遊んでいたらカメは気が付くと海から随分離れていました。そして、あたりが暗くなっていました
カエルは大好物の蚊を美味しそうに食べています。カメはそれを眺めるばかりです。「自分はいったい何をしていたのだろう。カエルは食べ物さえ分けてくれない。分けてくれても蚊は食べられない。あー、どうしてこんなところまで来てしまったのだろう」とカメは悲しんでいます。カメはもう大人になっていて、今からではカエルの世界に溶け込むことはできません
苦労してついてきた自分は何を変えるに求めていたのか、この時初めて気づきました。それは誰でもいいから、淋しい自分を慰めてほしかっただけなのです
それがもっと早くわかっていれば、カメは自分にあった相手を選んでいたはずです。結局、カメは淋しさが原因で、いま、たった一人ぼっちで淋しく野原にたたずむということになってしまいました
生きることに疲れた人はこのカメと同じである。淋しい人は誉められることがうれしい。人が自分に注目してくれることがうれしい。そこで自分を見失う
カメが自分を知っていれば、自分のエリアの中で心楽しむことができる。自分を持っていればカメはカエルを深追いしなかっただろう。自分の生き方に自信があれば、カエルは迎合(ゲイゴウ)しない。そんな頼もしいカメを見たらきっとカエルのほうが歩み寄ってくる
○小谷中広之の感情・・・まずは今の自分の身の丈を知ろう
●受け身でいるから当然、日々困難は増大してくる。いつも受け身でいるうちに、なんでもないことがものすごい困難に思えてくる
受け身でいるからストレスが増して来る。困難に出会うから受け身になるのではなく、受け身が物事を困難にしてしまうのである。受け身の態度や考え方が困難を呼び込んでしまう。これが「悩みは自分で作る」という意味である
○小谷中広之の感情・・・不安は、逃げれば倍増し、立ち向かえば半減する
●うつ病者は血中にコルチゾールという副腎皮脂ホルモンのレベルが高い。コルチゾールはストレスの際に放出されるホルモンである
うつ病になるような人はストレスでコルチゾールが出続けている。そしてこのコルチゾールは大脳辺縁系に作用して、セロトニンの受容体を「うつ」のほうに刺激する
○小谷中広之の感情・・・ネット情報です
ビタミンCや亜鉛を摂取することによりこのコルチゾールを抑えることができるそうです
●経済が豊かになり、職業選択の自由をはじめ様々な自由が与えられた。中世から考えれば、今の時代は夢のような時代である
しかし、自由な時代は、同時に人が生き方を間違える時代でもある。生きることに疲れた人は自由な時代の中で生き方を間違ったのだ
○小谷中広之の感情・・・自由という人生の副作用は必ずある
選択することがたくさんありすぎることの自由は、選択が苦手な人にとって苦痛でしかないだろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
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2015年12月18日
読書感想文『宇宙探査』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、中冨信夫様の「NASA宇宙探査の驚異」です
中冨信夫様。1949年東京生まれ。宇宙工学アナリスト。米国クラーク大学、カリフォルニア工学大学大学院を修了。理学、工学博士
気になる文章
●2001年2月12日米航空宇宙局(NASA)の近地球小惑星ランデブー探査機ニアは、人類史上、初めて、小惑星に軟着陸を試み、成功した。着陸した小惑星は、直径33キロ、短径15キロ、東京23区より一回り大きいほどの小さな小惑星433番エロス
○小谷中広之の感情・・・いつか人類もどんどん小惑星に着陸していくのだろうな
探査機と一緒に着陸して、小惑星の散歩やピクニックなどのツアーができる時代が来るんだろうな
●ガリレオガリレイは1610年、土星を「耳ある惑星」と記述
土星の耳が輪であることを発見したのは、オランダ人のクリスチャンホイヘンスで、1655年のこと
○小谷中広之の感情・・・土星に耳があると思った時の視覚の画像はどのような見え方だったのだろうか
そして、そのさらに45年後にその耳が輪であったとわかった瞬間は想像するだけでこちらもにやけてしまう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、中冨信夫様の「NASA宇宙探査の驚異」です
中冨信夫様。1949年東京生まれ。宇宙工学アナリスト。米国クラーク大学、カリフォルニア工学大学大学院を修了。理学、工学博士
気になる文章
●2001年2月12日米航空宇宙局(NASA)の近地球小惑星ランデブー探査機ニアは、人類史上、初めて、小惑星に軟着陸を試み、成功した。着陸した小惑星は、直径33キロ、短径15キロ、東京23区より一回り大きいほどの小さな小惑星433番エロス
○小谷中広之の感情・・・いつか人類もどんどん小惑星に着陸していくのだろうな
探査機と一緒に着陸して、小惑星の散歩やピクニックなどのツアーができる時代が来るんだろうな
●ガリレオガリレイは1610年、土星を「耳ある惑星」と記述
土星の耳が輪であることを発見したのは、オランダ人のクリスチャンホイヘンスで、1655年のこと
○小谷中広之の感情・・・土星に耳があると思った時の視覚の画像はどのような見え方だったのだろうか
そして、そのさらに45年後にその耳が輪であったとわかった瞬間は想像するだけでこちらもにやけてしまう
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2015年12月17日
読書感想文『ばか』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、養老孟司様の「バカの壁」です
養老孟司様。1937年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。東京大学医学部教授を退官し、北里大学教授、東京大学名誉教授
気になる文章
●皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることができるのだ」と思ってしまっています
だから、テレビを見たというだけで、「知っている」「わかっている」と思ってしまう
しかし、テレビや新聞を通して一定の情報を得ただけの私たちにはわかりようもないことがたくさんあるはずです
ニュースを見ただけで、あの日に起きた出来事について何事かわかったような気でいる。そこに怖さがあるのです
○小谷中広之の感情・・・知ろうとするためには行動に移さなければ意味がない
何事も疑いの目をしっかりと持ちながら現実を受け入れ、自分なりにしっかりそれに対しての知識(ある事柄についての肯定的な意見、否定的な意見、その中間の意見)をつけ解釈し行動へとつなげていく
●本来の「個性」というのはどこにあるのか。それは、初めから私にも皆さんにもあるものなのです
私の皮膚を切り取ってあなたに植え付けたって絶対にくっつきません
皮膚一つとってもこんな具合です。すなわち「個性」なんて言うのは初めから与えられている者であって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない
○小谷中広之の感情・・・「個性的」という言葉に悩んでいたりしている人がいたら、こういってあげよう
「生きている。そして何よりも顔も一人一人ちがければ、皮膚も、紙質も違うのだから。もはや生きている、それ自体でもう個性の塊である」
●「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という分から、どういうことを読み取るべきか。鐘の音は物理的に考えれば、いつも同じように響く。しかし、それがなぜ、その時々で違って聞こえてくるのか。それは人間がひたすら変わっているからです。聞く方の気分が違えば、鐘の音が違って聞こえる。「平家物語」の冒頭は、実はそれを言っているのです
「方丈記」の冒頭も全く同じ
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
川がある、それは情報だから同じだけど、川を構成している水は見るたびに変わっているじゃないか。「世の中にある、人と栖」(スミカ)と、またかくのごとし」。人間も世界も全く同じで、万物流転である
中世の代表的な名作の両方ともが冒頭からこういう世界観を書き出している。ということは、中世が発見した基本的な概念がこういうことだった、と考えられる
○小谷中広之の感情・・・言い方がとくにそうだと感じる。伝える側と伝わる側の意図や受け取り方が全く違うことが数多くある
これも結局は自然現象の一部にすぎないのかもしれない。そう思えばいちいち目くじらを立てることもないだろう
●「知るということは根本的にはがんの告知だ。君たちだって癌になることがある。がんになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」
桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということにすぎない。知るというのはそういうことなのです
知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界が全く変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも
要するに、がんの告知で桜が違って見えるということは、自分が違う人になってしまった、ということです
○小谷中広之の感情・・・ここれを常に体験できるのは、「読書」である
ある衝撃的な本に出合ってしまうと、それを読んだ後の世界は大きくは違わないが必ず変わっていく、いや変わる
つまり、さっきまでの自分ではなくなってしまうこと。新しい自分のスタートである
●脚本家の山田太一さんと対談した際、彼は「日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している」と言っていました。もはや自分の力だけでは閉塞感から脱することができない、という無意識の表れでしょう
○小谷中広之の感情・・・天変地異を期待していて、実際に天変地異が起き、災難が自分に降りかかってきてしまっては意味がない
小さな行動を毎日積み重ねていく方がよっぽど安全で確実で可能性に満ちていると思う
もし天変地異に期待するのなら、実際に起きるであろう、または想像しないような天変地異という事態に対しての対処方法を身につけておかなければならない
そうしなければもっと現状よりも困難な人生になってしまうだろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、養老孟司様の「バカの壁」です
養老孟司様。1937年神奈川県生まれ。東京大学医学部卒業後、解剖学教室に入る。東京大学医学部教授を退官し、北里大学教授、東京大学名誉教授
気になる文章
●皆が漫然と「自分たちは現実世界について大概のことを知っている」または「知ろうと思えば知ることができるのだ」と思ってしまっています
だから、テレビを見たというだけで、「知っている」「わかっている」と思ってしまう
しかし、テレビや新聞を通して一定の情報を得ただけの私たちにはわかりようもないことがたくさんあるはずです
ニュースを見ただけで、あの日に起きた出来事について何事かわかったような気でいる。そこに怖さがあるのです
○小谷中広之の感情・・・知ろうとするためには行動に移さなければ意味がない
何事も疑いの目をしっかりと持ちながら現実を受け入れ、自分なりにしっかりそれに対しての知識(ある事柄についての肯定的な意見、否定的な意見、その中間の意見)をつけ解釈し行動へとつなげていく
●本来の「個性」というのはどこにあるのか。それは、初めから私にも皆さんにもあるものなのです
私の皮膚を切り取ってあなたに植え付けたって絶対にくっつきません
皮膚一つとってもこんな具合です。すなわち「個性」なんて言うのは初めから与えられている者であって、それ以上のものでもなければ、それ以下のものでもない
○小谷中広之の感情・・・「個性的」という言葉に悩んでいたりしている人がいたら、こういってあげよう
「生きている。そして何よりも顔も一人一人ちがければ、皮膚も、紙質も違うのだから。もはや生きている、それ自体でもう個性の塊である」
●「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり」という分から、どういうことを読み取るべきか。鐘の音は物理的に考えれば、いつも同じように響く。しかし、それがなぜ、その時々で違って聞こえてくるのか。それは人間がひたすら変わっているからです。聞く方の気分が違えば、鐘の音が違って聞こえる。「平家物語」の冒頭は、実はそれを言っているのです
「方丈記」の冒頭も全く同じ
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」
川がある、それは情報だから同じだけど、川を構成している水は見るたびに変わっているじゃないか。「世の中にある、人と栖」(スミカ)と、またかくのごとし」。人間も世界も全く同じで、万物流転である
中世の代表的な名作の両方ともが冒頭からこういう世界観を書き出している。ということは、中世が発見した基本的な概念がこういうことだった、と考えられる
○小谷中広之の感情・・・言い方がとくにそうだと感じる。伝える側と伝わる側の意図や受け取り方が全く違うことが数多くある
これも結局は自然現象の一部にすぎないのかもしれない。そう思えばいちいち目くじらを立てることもないだろう
●「知るということは根本的にはがんの告知だ。君たちだって癌になることがある。がんになって、治療法がなくて、あと半年の命だよと言われることがある。そうしたら、あそこで咲いている桜が違って見えるだろう」
桜が変わったのか。そうではない。それは自分が変わったということにすぎない。知るというのはそういうことなのです
知るということは、自分がガラッと変わることです。したがって、世界が全く変わってしまう。見え方が変わってしまう。それが昨日までと殆ど同じ世界でも
要するに、がんの告知で桜が違って見えるということは、自分が違う人になってしまった、ということです
○小谷中広之の感情・・・ここれを常に体験できるのは、「読書」である
ある衝撃的な本に出合ってしまうと、それを読んだ後の世界は大きくは違わないが必ず変わっていく、いや変わる
つまり、さっきまでの自分ではなくなってしまうこと。新しい自分のスタートである
●脚本家の山田太一さんと対談した際、彼は「日本のサラリーマンの大半が天変地異を期待している」と言っていました。もはや自分の力だけでは閉塞感から脱することができない、という無意識の表れでしょう
○小谷中広之の感情・・・天変地異を期待していて、実際に天変地異が起き、災難が自分に降りかかってきてしまっては意味がない
小さな行動を毎日積み重ねていく方がよっぽど安全で確実で可能性に満ちていると思う
もし天変地異に期待するのなら、実際に起きるであろう、または想像しないような天変地異という事態に対しての対処方法を身につけておかなければならない
そうしなければもっと現状よりも困難な人生になってしまうだろう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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2015年12月16日
読書感想文『うつと自殺』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、筒井末春様の「うつと自殺」です
筒井末春様。1934年東京生まれ。東邦大学医学部卒業。東邦大学名誉教授、人間総合科学大学大学院教授、JICA健康管理センター総括顧問医
気になる文章
●誰かが自殺するということは、自殺の後に、その家族が残されるということである
○小谷中広之の感情・・・残される誰かのことを思うことすらできないかもしれない。それに残さる誰かのためを思って自殺を考える人も、残される誰かのせいで自殺を考えてしまう人もいるだろう
しかし、できることなら自殺に踏み切る前に一度だけ簡単な何かに夢中になってみてはいかがだろうか
それは無理難題だろうけれども簡単なことに集中してみるのはどうだろうか、それ例えば
「ルービックキューブ(バラバラにしてみて、一面だけまず本気で集中してやってみてみる、そして勢いがついたらすべての面をそろえてみる。そしたらもう一度自殺を考えてみる、きっとルービックキューブをする前とした後では考え方がほんの少しは違っているであろう)」
「部屋の壁紙を全てはがしてみる(実際やってみると結構集中してできることだと思う。その後にまた考えてみる)」
「絵具を買ってきて部屋中に落書き(落書きの絵は自由だが、文字は禁止)」
外なら
「自分の携帯電話を解体(細かい作業なので集中できそう)」
「自分の車を全て解体してみる(かなりの爽快感と集中力ですっきりしそうである)」
「地面などに日本地図を描く(都道府県もすべて間違いのないように書く、しかも携帯やパソコンは禁止。図書館や本屋さんなどで情報を仕入れる。もちろん離島も含む。さらには自分の生まれ故郷の市町村まで書くこと。集中しそうだし、なかなか解けないだろう)」
以上が例であるがこれ以外にもどんなことでもいいと思う。注意としては人様にあからさま(細かいことは気にしないで)に迷惑をかけないこと、万引き、名誉を傷つける、人を傷つけるなど
自殺は決して許されることではないと私は思っています。身体を張って自殺者を止めることはできないが、自分の本の知識を活用して止めることや、考え直すきっかけを作ることはできるかもしれないと思っています
●うつ病の人の自殺は明け方が多い
うつ病の特徴的な症状の一つに、睡眠障害がある。多くの場合、うつ病の人は、眠りが浅く、朝早く目が覚めてしまう
うつ病によって生じた絶望感は、治療しない限り、消えることはない。そこへ辛い朝がとどめを刺すことになる
○小谷中広之の感情・・・承知の通り、朝は毎日やってくる。うつ病の人にとって、朝が一番自殺する確率が高い、そんなきっかけが毎朝やってくる。このことに実際耐えられなくなるのだろう
ラジオ体操では、「♪新しい朝が来た 希望の朝♪」という歌詞がある。毎朝が絶望へのカウントダウンのような朝をどのような考え方で希望の朝に変えることができるだろうか
毎朝を新しい一日の始まりと思い、昨日までの絶望感は嘘のように希望に満ち溢れるような朝を迎えるために、自分にはどんな言葉をかけれるだろうか
ありきたりの言葉でしかいまはないがこんな言葉を送ります
「毎朝、今日死ぬと思って一日を生きてみよう。死ぬ気で生きてみよう、死なないから」
●うつ病全体に共通するのは、次のような症状である
睡眠障害、食欲不振、性欲減退、抑鬱気分、身体症状に伴う疲労感、気力の低下や意欲の減退、趣味や喜びの損失
などである
○小谷中広之の感情・・・上記のような症状に注意をしよう。近医なる良な症状が出た場合は気にせずに精神科に受診しよう
放っておくと悪化して自ら命を絶つことを考えてしまうかもしれないから
●どんな人がうつ病になりやすいのか
「辛さを口に出して言えない人」「他人の分まで仕事を引き受けてしまうようなまじめ人間、仕事人間」「今までミスをしたことがないエリート」「環境の変化に対応できない人」
○小谷中広之の感情・・・辛さを平気で口に出し、自分の仕事に集中し、ミスをしっかりと認め、またはミスを受け入れる準備をし、環境が変化しても遅れてでもいいからしがみついてついていこうとする
●体の病気と間違えて、うつ病に気づかないことが多い
「仮面うつ病」
仮面うつ病ではあらゆる痛みが出る。頭がいたい、胸がいたい、お腹がいたい、腰が痛い、ひざがいたい。人によっていろいろ訴える
痛みの原因がわからなくて、あちこちの病院を回ってしまうケースも少なくないだろう
症状は、動揺性と言って、出たり引っ込んだりする。つまり、症状が強い時期と弱い時期の波があるところの特徴がある
また、いつも午前中には痛みがひどく、夜になると軽くなる、またはなくなるというように、一日の内でも症状が変化するのである
夜になると軽くなったり、痛みがなくなったりするなら、うつ病に起因する痛みである可能性があり、ずっと痛みが持続する場合は、他の病気を疑わなくてはならないということだ
○小谷中広之の感情・・・「仮面うつ病」初めて聞く言葉だ
世の中にはこのような仮面うつ病の患者さんがたくさんいるに違いない
●体が病気になると心も病気なることが少なくない
○小谷中広之の感情・・・今からでも遅くはない。自身の健康への投資をしっかりと考えて実行していこう
健康への投資は、お金がかからない散歩が一番なのではないだろうか
●パーキンソン病にも、その40%にうつ病が共存することがわかっている
パーキンソン病も、うつ病を起こす頻度が決して低くないということを担当の医師は知らなければならない
○小谷中広之の感情・・・私は医者ではないが、このことは覚えておこう
●血圧が高い状態が続くと、脳卒中や心筋梗塞などを起こしやすくなる。そのため、高血圧と診断された場合は、降圧薬で血圧をコントロールしなければならない
この降圧薬によって、うつ病が引き起こされる場合もあるということに注意しなければならない。薬の副作用によって、うつ病が引き起こされる場合もあるということに注意しなければならない。薬の副作用としてうつ病が起きるということで、このように薬によって引き起こされるうつ病は「薬物起因性うつ病」と呼ばれる
うつ病を起こす可能性のある薬には、様々な種類のものがある。主なものとしては、消炎鎮痛剤、抗生物質、抗がん薬、抗精神病薬、強心薬、抗てんかん薬、L-ドーパ剤、中枢賦活薬、鎮静薬、睡眠薬、ヒスタミンH ₂、受容体遮断薬、高脂血症治療薬がある
中でもよくみられるのは、ステロイド薬(コルチコステロイド)やパーキンソン病の治療薬(レボドパ)、その他排卵抑制剤(ピル)で起こるうつ病である
○小谷中広之の感情・・・薬物起因性うつ病
薬の副作用はやはりしっかりと自分で考え服用しなければ恐ろしいことになりかねない
●うつ病と思っていたら実際はガンだったということもある。このような場合に「警告うつ病」という名称がつけられる
警告うつ病では、うつ病ががんの前駆症状となっている
特に膵臓がんに「警告うつ病」が多い。膵臓がんは見つけにくいがんで、検査をしてもなかなか見つからない
○小谷中広之の感情・・・うつ病検診とガン検診は一緒に行おう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、筒井末春様の「うつと自殺」です
筒井末春様。1934年東京生まれ。東邦大学医学部卒業。東邦大学名誉教授、人間総合科学大学大学院教授、JICA健康管理センター総括顧問医
気になる文章
●誰かが自殺するということは、自殺の後に、その家族が残されるということである
○小谷中広之の感情・・・残される誰かのことを思うことすらできないかもしれない。それに残さる誰かのためを思って自殺を考える人も、残される誰かのせいで自殺を考えてしまう人もいるだろう
しかし、できることなら自殺に踏み切る前に一度だけ簡単な何かに夢中になってみてはいかがだろうか
それは無理難題だろうけれども簡単なことに集中してみるのはどうだろうか、それ例えば
「ルービックキューブ(バラバラにしてみて、一面だけまず本気で集中してやってみてみる、そして勢いがついたらすべての面をそろえてみる。そしたらもう一度自殺を考えてみる、きっとルービックキューブをする前とした後では考え方がほんの少しは違っているであろう)」
「部屋の壁紙を全てはがしてみる(実際やってみると結構集中してできることだと思う。その後にまた考えてみる)」
「絵具を買ってきて部屋中に落書き(落書きの絵は自由だが、文字は禁止)」
外なら
「自分の携帯電話を解体(細かい作業なので集中できそう)」
「自分の車を全て解体してみる(かなりの爽快感と集中力ですっきりしそうである)」
「地面などに日本地図を描く(都道府県もすべて間違いのないように書く、しかも携帯やパソコンは禁止。図書館や本屋さんなどで情報を仕入れる。もちろん離島も含む。さらには自分の生まれ故郷の市町村まで書くこと。集中しそうだし、なかなか解けないだろう)」
以上が例であるがこれ以外にもどんなことでもいいと思う。注意としては人様にあからさま(細かいことは気にしないで)に迷惑をかけないこと、万引き、名誉を傷つける、人を傷つけるなど
自殺は決して許されることではないと私は思っています。身体を張って自殺者を止めることはできないが、自分の本の知識を活用して止めることや、考え直すきっかけを作ることはできるかもしれないと思っています
●うつ病の人の自殺は明け方が多い
うつ病の特徴的な症状の一つに、睡眠障害がある。多くの場合、うつ病の人は、眠りが浅く、朝早く目が覚めてしまう
うつ病によって生じた絶望感は、治療しない限り、消えることはない。そこへ辛い朝がとどめを刺すことになる
○小谷中広之の感情・・・承知の通り、朝は毎日やってくる。うつ病の人にとって、朝が一番自殺する確率が高い、そんなきっかけが毎朝やってくる。このことに実際耐えられなくなるのだろう
ラジオ体操では、「♪新しい朝が来た 希望の朝♪」という歌詞がある。毎朝が絶望へのカウントダウンのような朝をどのような考え方で希望の朝に変えることができるだろうか
毎朝を新しい一日の始まりと思い、昨日までの絶望感は嘘のように希望に満ち溢れるような朝を迎えるために、自分にはどんな言葉をかけれるだろうか
ありきたりの言葉でしかいまはないがこんな言葉を送ります
「毎朝、今日死ぬと思って一日を生きてみよう。死ぬ気で生きてみよう、死なないから」
●うつ病全体に共通するのは、次のような症状である
睡眠障害、食欲不振、性欲減退、抑鬱気分、身体症状に伴う疲労感、気力の低下や意欲の減退、趣味や喜びの損失
などである
○小谷中広之の感情・・・上記のような症状に注意をしよう。近医なる良な症状が出た場合は気にせずに精神科に受診しよう
放っておくと悪化して自ら命を絶つことを考えてしまうかもしれないから
●どんな人がうつ病になりやすいのか
「辛さを口に出して言えない人」「他人の分まで仕事を引き受けてしまうようなまじめ人間、仕事人間」「今までミスをしたことがないエリート」「環境の変化に対応できない人」
○小谷中広之の感情・・・辛さを平気で口に出し、自分の仕事に集中し、ミスをしっかりと認め、またはミスを受け入れる準備をし、環境が変化しても遅れてでもいいからしがみついてついていこうとする
●体の病気と間違えて、うつ病に気づかないことが多い
「仮面うつ病」
仮面うつ病ではあらゆる痛みが出る。頭がいたい、胸がいたい、お腹がいたい、腰が痛い、ひざがいたい。人によっていろいろ訴える
痛みの原因がわからなくて、あちこちの病院を回ってしまうケースも少なくないだろう
症状は、動揺性と言って、出たり引っ込んだりする。つまり、症状が強い時期と弱い時期の波があるところの特徴がある
また、いつも午前中には痛みがひどく、夜になると軽くなる、またはなくなるというように、一日の内でも症状が変化するのである
夜になると軽くなったり、痛みがなくなったりするなら、うつ病に起因する痛みである可能性があり、ずっと痛みが持続する場合は、他の病気を疑わなくてはならないということだ
○小谷中広之の感情・・・「仮面うつ病」初めて聞く言葉だ
世の中にはこのような仮面うつ病の患者さんがたくさんいるに違いない
●体が病気になると心も病気なることが少なくない
○小谷中広之の感情・・・今からでも遅くはない。自身の健康への投資をしっかりと考えて実行していこう
健康への投資は、お金がかからない散歩が一番なのではないだろうか
●パーキンソン病にも、その40%にうつ病が共存することがわかっている
パーキンソン病も、うつ病を起こす頻度が決して低くないということを担当の医師は知らなければならない
○小谷中広之の感情・・・私は医者ではないが、このことは覚えておこう
●血圧が高い状態が続くと、脳卒中や心筋梗塞などを起こしやすくなる。そのため、高血圧と診断された場合は、降圧薬で血圧をコントロールしなければならない
この降圧薬によって、うつ病が引き起こされる場合もあるということに注意しなければならない。薬の副作用によって、うつ病が引き起こされる場合もあるということに注意しなければならない。薬の副作用としてうつ病が起きるということで、このように薬によって引き起こされるうつ病は「薬物起因性うつ病」と呼ばれる
うつ病を起こす可能性のある薬には、様々な種類のものがある。主なものとしては、消炎鎮痛剤、抗生物質、抗がん薬、抗精神病薬、強心薬、抗てんかん薬、L-ドーパ剤、中枢賦活薬、鎮静薬、睡眠薬、ヒスタミンH ₂、受容体遮断薬、高脂血症治療薬がある
中でもよくみられるのは、ステロイド薬(コルチコステロイド)やパーキンソン病の治療薬(レボドパ)、その他排卵抑制剤(ピル)で起こるうつ病である
○小谷中広之の感情・・・薬物起因性うつ病
薬の副作用はやはりしっかりと自分で考え服用しなければ恐ろしいことになりかねない
●うつ病と思っていたら実際はガンだったということもある。このような場合に「警告うつ病」という名称がつけられる
警告うつ病では、うつ病ががんの前駆症状となっている
特に膵臓がんに「警告うつ病」が多い。膵臓がんは見つけにくいがんで、検査をしてもなかなか見つからない
○小谷中広之の感情・・・うつ病検診とガン検診は一緒に行おう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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2015年12月15日
読書感想文『ホッとする』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、すがのたいぞう様の「心がホッとする考え方」です
すがのたいぞう様。1953年東京生まれ。学習院大学文学部卒業。臨床心理士
気になる文章
●当時がどんな日か?と問われた時「一年で昼が一番短い日」と答えるのが普通である。しかし「夜が一番長い日」という答え方もある。どちらも正解なのである。その上で「一番夜遊びができる日だ。嬉しいな」となれば、レベルの高いプラス思考といえるだろう
○小谷中広之の感情・・・他にも「夜飯が一番早い日」「紫外線の少ない日」「月や星が長く見れる日」などがある
●「争う」のではなく「与える」という感覚が身につけば、人間関係は楽になっていくのである
○小谷中広之の感情・・・そして、与えたとしても、「求める」をしないことだろう
無理かもしれないが無理でも口に出さないでいよう
●文化は色々である。国や地域だけではなく、男と女、世代など、私たちも色々な違いによって文化が異なることを理解したい
○小谷中広之の感情・・・家族ですら違うことが多いのだか、無理に変えようとはせずに双方が一番良い方法を考えよう、それができなければ、まずは受け入れる姿勢で生きよう
●休みの日はごろごろしているのが一番だと思えば、何もしないでごろごろするのが良いのである。ついでに言えば「趣味はごろごろすることです」「何もしないことです」と堂々と言えるようになれば、もっといいかもしれない
○小谷中広之の感情・・・ゴロゴロすることにも全力で行ってみよう
つまり、誰に何を言われても動じない「ゴロゴロ」をするのである
●いつも最悪の事態を考えるような、悲観的な見方をもつことは、その人の個性というのかもしれない。その慎重さは悪くない。しかし、問題はそこから先のことだ。最悪の事態が起こることを「覚悟」できるかどうかである
「そういう結果になってもいい。仕方ない」そう思えるかどうかがカギなのである
これこそが脳天気ではない楽観というものであり、後悔しない考え方というものなのだ
○小谷中広之の感情・・・最悪の事態が起きたときのための精神づくりはとても大切なこと
そのためにもたくさんの本を読もう
●どんな場合も、結果がどう出るかはわからない。しかし、後悔しないような失敗を目指すことはできるのである
○小谷中広之の感情・・・とにかく後悔しない失敗を最も避ける、または受け入れる方法は、「今目の前のことに全力で取り組む」ことなのではないだろうか
●過去にどんなことがあろうが、未来がいかに不安に満ちていようが、いつも「いま」を生きることを手放してはならない
○小谷中広之の感情・・・起きるかもわからない未来を心配する暇は自分にはない、いまを一生懸命に生きよう
●たぶんほとんどの人は、どうなるかわからない不安な未来よりも、どんなに嫌だと思っても、よく知っている現状を選ぶものなのだろう。文化的な影響もあるのだろうが、人は基本的に保守的で、大きな変化を望まないものなのだろう
○小谷中広之の感情・・・不安や恐怖から逃げれば倍増し、立ち向かえば半減する
ならばそこに立ち止まっていればどうなるのだろうか、きっといつまで経っても何も変わらない現実しかないだろう
行動がすべてのカギを握っていると考えます
●相対的に物事を考えることは、柔らかな思考を保つための基本であろう。人の性格、自分の性格についても、固定化しないで、今一度、人間関係の中において吟味してみることをしたいものである
○小谷中広之の感情・・・人の性格などどれが真実かはきっとわからないだろう
わからないものはその都度その都度正面で考えよう
●自殺を思い立ったある女性は、真夜中に刃物を探し始めた。すると机の奥から小学生時代に使うようなナイフが出てきた。しばらくそれを眺めた彼女は、ふと小さいころのように鉛筆を削ってみたいと思った。そして家中の鉛筆を削り始めたのである。その間、彼女は自殺することを忘れていた
「死ぬ前なのに、こんなことに一心不乱になっている自分てなんだろうと思ったんです。バカバカしくなって、とりあえず死ぬのをやめました」
「バカバカしい」と思うこと、それは高度な心の整理かもしれない
○小谷中広之の感情・・・無意識の集中がきっと彼女を自殺から避けさせたのだろう
自殺願望のある人に「鉛筆を削ってから自殺を考えてみよう」といっても大半は自殺を避けるきっかけにはならないだろう。やはり本人が意識的に何かをして心を整えるのではなく、すべては無意識の中から作られるのだろう
●心配なことがあるからと言って、本気で考えているかというとそうでもない。これが「心配症」と呼ばれる人の正体であろう。「どうしよう」と口には出すが、そこから先を考えようとはしないのである。考えるにしても漠然としているのだ
一度じっくりと考えてみよう。考えるにあたって大事なのは、漠然とではなく、具体的に考えることである。リアルで細かいほどいい
愉快でないシミュレーションであるが、嫌になるほど考えてみよう。その中からある種の覚悟が生まれるかもしれない。あるいは、どうなるかわからない事を、そんなに具体的に考えたところでどうしようもないとあきらめるかもしれない。覚悟と諦めは、心配症の一番の治療薬なのだ
○小谷中広之の感情・・・考え込んでみよう、それが無理なら諦める覚悟を持つ選択を選んでみよう
●色々な問題を抱えていても同じことである。できそうなことから一つずつ片付けていくしかないのだ。つまり、たくさんの問題を抱えているとはいっても、目の前には、いつも一つの問題しかないと考えてみてはどうだろうか
「いいか、わからない問題は飛ばしておいて、できる問題から片付けていくんだぞう」
悩める人というのは、簡単には解けそうにない問題ばかりと格闘してしまう傾向があるようだ。それを何とかしないと、先に進めないと思っている。だからますます悩みは深くなってしまう
「コツコツやれ」とは言わないが、要は、今できることを片付けておくのが肝心なのである
○小谷中広之の感情・・・今できる目の前のことから片付けていこう
ドンドン片付けていき勢いがついてきたときに難しい問題に取り掛かってみよう
●自分の言葉がどれだけ相手に届くのか、それを考えなければならない。自分の意見やアドバイスがどれほど的確で良い意見だと思っても、相手の心に届かなければ、まったく無意味なのである。商品も買い手がつかなければ、ただのガラクタであるのと同じように
○小谷中広之の感情・・・独りよがりでは何も相手には伝わらない
伝えるためにも、伝わりやすくするためにもたくさんの本を読もう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、すがのたいぞう様の「心がホッとする考え方」です
すがのたいぞう様。1953年東京生まれ。学習院大学文学部卒業。臨床心理士
気になる文章
●当時がどんな日か?と問われた時「一年で昼が一番短い日」と答えるのが普通である。しかし「夜が一番長い日」という答え方もある。どちらも正解なのである。その上で「一番夜遊びができる日だ。嬉しいな」となれば、レベルの高いプラス思考といえるだろう
○小谷中広之の感情・・・他にも「夜飯が一番早い日」「紫外線の少ない日」「月や星が長く見れる日」などがある
●「争う」のではなく「与える」という感覚が身につけば、人間関係は楽になっていくのである
○小谷中広之の感情・・・そして、与えたとしても、「求める」をしないことだろう
無理かもしれないが無理でも口に出さないでいよう
●文化は色々である。国や地域だけではなく、男と女、世代など、私たちも色々な違いによって文化が異なることを理解したい
○小谷中広之の感情・・・家族ですら違うことが多いのだか、無理に変えようとはせずに双方が一番良い方法を考えよう、それができなければ、まずは受け入れる姿勢で生きよう
●休みの日はごろごろしているのが一番だと思えば、何もしないでごろごろするのが良いのである。ついでに言えば「趣味はごろごろすることです」「何もしないことです」と堂々と言えるようになれば、もっといいかもしれない
○小谷中広之の感情・・・ゴロゴロすることにも全力で行ってみよう
つまり、誰に何を言われても動じない「ゴロゴロ」をするのである
●いつも最悪の事態を考えるような、悲観的な見方をもつことは、その人の個性というのかもしれない。その慎重さは悪くない。しかし、問題はそこから先のことだ。最悪の事態が起こることを「覚悟」できるかどうかである
「そういう結果になってもいい。仕方ない」そう思えるかどうかがカギなのである
これこそが脳天気ではない楽観というものであり、後悔しない考え方というものなのだ
○小谷中広之の感情・・・最悪の事態が起きたときのための精神づくりはとても大切なこと
そのためにもたくさんの本を読もう
●どんな場合も、結果がどう出るかはわからない。しかし、後悔しないような失敗を目指すことはできるのである
○小谷中広之の感情・・・とにかく後悔しない失敗を最も避ける、または受け入れる方法は、「今目の前のことに全力で取り組む」ことなのではないだろうか
●過去にどんなことがあろうが、未来がいかに不安に満ちていようが、いつも「いま」を生きることを手放してはならない
○小谷中広之の感情・・・起きるかもわからない未来を心配する暇は自分にはない、いまを一生懸命に生きよう
●たぶんほとんどの人は、どうなるかわからない不安な未来よりも、どんなに嫌だと思っても、よく知っている現状を選ぶものなのだろう。文化的な影響もあるのだろうが、人は基本的に保守的で、大きな変化を望まないものなのだろう
○小谷中広之の感情・・・不安や恐怖から逃げれば倍増し、立ち向かえば半減する
ならばそこに立ち止まっていればどうなるのだろうか、きっといつまで経っても何も変わらない現実しかないだろう
行動がすべてのカギを握っていると考えます
●相対的に物事を考えることは、柔らかな思考を保つための基本であろう。人の性格、自分の性格についても、固定化しないで、今一度、人間関係の中において吟味してみることをしたいものである
○小谷中広之の感情・・・人の性格などどれが真実かはきっとわからないだろう
わからないものはその都度その都度正面で考えよう
●自殺を思い立ったある女性は、真夜中に刃物を探し始めた。すると机の奥から小学生時代に使うようなナイフが出てきた。しばらくそれを眺めた彼女は、ふと小さいころのように鉛筆を削ってみたいと思った。そして家中の鉛筆を削り始めたのである。その間、彼女は自殺することを忘れていた
「死ぬ前なのに、こんなことに一心不乱になっている自分てなんだろうと思ったんです。バカバカしくなって、とりあえず死ぬのをやめました」
「バカバカしい」と思うこと、それは高度な心の整理かもしれない
○小谷中広之の感情・・・無意識の集中がきっと彼女を自殺から避けさせたのだろう
自殺願望のある人に「鉛筆を削ってから自殺を考えてみよう」といっても大半は自殺を避けるきっかけにはならないだろう。やはり本人が意識的に何かをして心を整えるのではなく、すべては無意識の中から作られるのだろう
●心配なことがあるからと言って、本気で考えているかというとそうでもない。これが「心配症」と呼ばれる人の正体であろう。「どうしよう」と口には出すが、そこから先を考えようとはしないのである。考えるにしても漠然としているのだ
一度じっくりと考えてみよう。考えるにあたって大事なのは、漠然とではなく、具体的に考えることである。リアルで細かいほどいい
愉快でないシミュレーションであるが、嫌になるほど考えてみよう。その中からある種の覚悟が生まれるかもしれない。あるいは、どうなるかわからない事を、そんなに具体的に考えたところでどうしようもないとあきらめるかもしれない。覚悟と諦めは、心配症の一番の治療薬なのだ
○小谷中広之の感情・・・考え込んでみよう、それが無理なら諦める覚悟を持つ選択を選んでみよう
●色々な問題を抱えていても同じことである。できそうなことから一つずつ片付けていくしかないのだ。つまり、たくさんの問題を抱えているとはいっても、目の前には、いつも一つの問題しかないと考えてみてはどうだろうか
「いいか、わからない問題は飛ばしておいて、できる問題から片付けていくんだぞう」
悩める人というのは、簡単には解けそうにない問題ばかりと格闘してしまう傾向があるようだ。それを何とかしないと、先に進めないと思っている。だからますます悩みは深くなってしまう
「コツコツやれ」とは言わないが、要は、今できることを片付けておくのが肝心なのである
○小谷中広之の感情・・・今できる目の前のことから片付けていこう
ドンドン片付けていき勢いがついてきたときに難しい問題に取り掛かってみよう
●自分の言葉がどれだけ相手に届くのか、それを考えなければならない。自分の意見やアドバイスがどれほど的確で良い意見だと思っても、相手の心に届かなければ、まったく無意味なのである。商品も買い手がつかなければ、ただのガラクタであるのと同じように
○小谷中広之の感情・・・独りよがりでは何も相手には伝わらない
伝えるためにも、伝わりやすくするためにもたくさんの本を読もう
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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タグ:すがのたいぞう 様
2015年12月14日
読書感想文『今日が一番よい』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、玉村豊男様の「今日よりよい明日はない」です
玉村豊男様。1945年東京生まれ。東京大学仏文化卒業。ワイナリーオーナー、画家
気になる文章
●目の前に現れる現実は、どうあがいても現実です
先ずその現実を受け入れて、新しい現実を踏まえたプランをつくり直す。ある計画がダメになるのはどこかに必然的な理由があるからで、壁にぶつかるたびに一つ一つ隠れていた無理や無駄や矛盾が洗いだされ、よりスマートな解答が見えてきます。つまり、計画は一つ潰れるたびに現実に近づくのです
目の前のことだけに集中して、その先のことはあまり考えない。次のことは、次の現実にぶつかってから考えればよいのです
○小谷中広之の感情・・・今、起きている目の前の現実に思いっきり集中して生きてみよう
かならず人生の流れが変わるだろう
●今日より良い明日はない。この言葉を借りて私が言いたいのは、決して未来を悲観せよということではありません。そうではなくて、今目の前にある現実を愉しもう、ということなのです。今そこにない、わけのわからないものを追いかけずに
○小谷中広之の感情・・・意識せずとも、無意識のレベルですら「まだない」に勝手に向かってくれているのだから、意識は今、目の前に向けよう
●これまで生の魚なんか一度も食べたことのない人が、ある日突然平気で寿司を食べ始める。今世界中でそういう現象が起きていますが、それは人々が情報でものを食べるようになったからです
大衆情報社会では、新しい食べ物は実際に見るよりも先に、まずそれに関しての情報が入ってきます。その情報から食べる前に頭の中にイメージが出来上がり、人々はそのイメージを前提にものを食べるのです
アメリカで寿司店のマーケットリサーチをやっている人に聞くと、その年で寿司が受け入れられるかどうかは、海が近いとか、魚を食べる習慣があるとかという条件は一切関係がない、といいます。重要なのは、その都市に住む人の知的レベル、あるいは情報感度、だそうです。社会や経済の動きに関心があり、流行に敏感で、健康的な生活をしたいと願っている、料理やレストランの情報にも詳しい人。そんな人がどのくらいいるかによって、出店が成功するかどうかが決まる
○小谷中広之の感情・・・情報社会は様々な出来事に当てはまる
結局テレビなどのメディアの影響がほとんどの人の人生観を決めているだろう
全く聞いたことのないような情報を誰か知人などが仕入れてきて、その情報をまだ知らない知人にこっそりと教えたとしても教えられた方はそんなことをきいたこともないため必ず否定的な感情から入ることになるが、これがもしメディアを通しての情報の場合は聞き入れる態度から始まるのではないだろうか
結局のところ、自分で考えることができなくなってしまっているのではないだろうか。メディアからの情報ならおおよそ自分で考えることはしなくてもよいのだろうから
しかし自分からその情報を取り入れようとするものは、自分の足で探し、考え、行動し、分析し、発信していく。自分はこうありたいと思っているので、一週間でテレビを見る時間はだいたい合計で2時間もないのではないだろうか
情報社会は結局のところ、どこかで支配しようとしている人間が発信し、何も考えずにそれを見てしまう人たちがその情報に支配されてしまっているのではないだろうか
その典型的な物がブランド物ではないだろうか。そのブランドが流行ったから、メディアなどでの紹介で知ったからこそ使っている、買ってしまっている事に気が付かないとお金の使い方を間違えてしまうのではないだろうか
実際にもしそのブランドが全く流行らなく独自で入手した情報でそのブランドに出会い使っているものはいったいどれほどあるのだろうか
●人は他人に依存する気持ちをもった瞬間から、病気になるのではないでしょうか
一人でできることをやろうとせず、自分のことを他人まかせにして、何か問題があるとすぐ人のせいにする。胃に穴があるとか腸にポリープがあるとか肺が炎症を起こしているとかいうこととは関係なく、自立する気概を失った時から本当の病気が始まるのかもしれません
病院に入ると、誰でも病人として扱われます。そして病人として扱われているうちに、誰でも確実に本物の病人になっていくのです
○小谷中広之の感情・・・入院は病人になる登竜門と心得よう
●人間にとって最も基本的な欲望は、接触欲。あるいは集団欲である、と説明されました。人間が、どんなに憎しみ合い、ときに殺しあいながらも、それでも群れをつくって生きることを選ぶのはなぜか。赤ん坊が母親に抱かれて育つように、人は触れ合いを求めて生きるのだ
○小谷中広之の感情・・・死にゆく人に直面したら、最後の瞬間まで手を握ってあげれるような人間になろう
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今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、玉村豊男様の「今日よりよい明日はない」です
玉村豊男様。1945年東京生まれ。東京大学仏文化卒業。ワイナリーオーナー、画家
気になる文章
●目の前に現れる現実は、どうあがいても現実です
先ずその現実を受け入れて、新しい現実を踏まえたプランをつくり直す。ある計画がダメになるのはどこかに必然的な理由があるからで、壁にぶつかるたびに一つ一つ隠れていた無理や無駄や矛盾が洗いだされ、よりスマートな解答が見えてきます。つまり、計画は一つ潰れるたびに現実に近づくのです
目の前のことだけに集中して、その先のことはあまり考えない。次のことは、次の現実にぶつかってから考えればよいのです
○小谷中広之の感情・・・今、起きている目の前の現実に思いっきり集中して生きてみよう
かならず人生の流れが変わるだろう
●今日より良い明日はない。この言葉を借りて私が言いたいのは、決して未来を悲観せよということではありません。そうではなくて、今目の前にある現実を愉しもう、ということなのです。今そこにない、わけのわからないものを追いかけずに
○小谷中広之の感情・・・意識せずとも、無意識のレベルですら「まだない」に勝手に向かってくれているのだから、意識は今、目の前に向けよう
●これまで生の魚なんか一度も食べたことのない人が、ある日突然平気で寿司を食べ始める。今世界中でそういう現象が起きていますが、それは人々が情報でものを食べるようになったからです
大衆情報社会では、新しい食べ物は実際に見るよりも先に、まずそれに関しての情報が入ってきます。その情報から食べる前に頭の中にイメージが出来上がり、人々はそのイメージを前提にものを食べるのです
アメリカで寿司店のマーケットリサーチをやっている人に聞くと、その年で寿司が受け入れられるかどうかは、海が近いとか、魚を食べる習慣があるとかという条件は一切関係がない、といいます。重要なのは、その都市に住む人の知的レベル、あるいは情報感度、だそうです。社会や経済の動きに関心があり、流行に敏感で、健康的な生活をしたいと願っている、料理やレストランの情報にも詳しい人。そんな人がどのくらいいるかによって、出店が成功するかどうかが決まる
○小谷中広之の感情・・・情報社会は様々な出来事に当てはまる
結局テレビなどのメディアの影響がほとんどの人の人生観を決めているだろう
全く聞いたことのないような情報を誰か知人などが仕入れてきて、その情報をまだ知らない知人にこっそりと教えたとしても教えられた方はそんなことをきいたこともないため必ず否定的な感情から入ることになるが、これがもしメディアを通しての情報の場合は聞き入れる態度から始まるのではないだろうか
結局のところ、自分で考えることができなくなってしまっているのではないだろうか。メディアからの情報ならおおよそ自分で考えることはしなくてもよいのだろうから
しかし自分からその情報を取り入れようとするものは、自分の足で探し、考え、行動し、分析し、発信していく。自分はこうありたいと思っているので、一週間でテレビを見る時間はだいたい合計で2時間もないのではないだろうか
情報社会は結局のところ、どこかで支配しようとしている人間が発信し、何も考えずにそれを見てしまう人たちがその情報に支配されてしまっているのではないだろうか
その典型的な物がブランド物ではないだろうか。そのブランドが流行ったから、メディアなどでの紹介で知ったからこそ使っている、買ってしまっている事に気が付かないとお金の使い方を間違えてしまうのではないだろうか
実際にもしそのブランドが全く流行らなく独自で入手した情報でそのブランドに出会い使っているものはいったいどれほどあるのだろうか
●人は他人に依存する気持ちをもった瞬間から、病気になるのではないでしょうか
一人でできることをやろうとせず、自分のことを他人まかせにして、何か問題があるとすぐ人のせいにする。胃に穴があるとか腸にポリープがあるとか肺が炎症を起こしているとかいうこととは関係なく、自立する気概を失った時から本当の病気が始まるのかもしれません
病院に入ると、誰でも病人として扱われます。そして病人として扱われているうちに、誰でも確実に本物の病人になっていくのです
○小谷中広之の感情・・・入院は病人になる登竜門と心得よう
●人間にとって最も基本的な欲望は、接触欲。あるいは集団欲である、と説明されました。人間が、どんなに憎しみ合い、ときに殺しあいながらも、それでも群れをつくって生きることを選ぶのはなぜか。赤ん坊が母親に抱かれて育つように、人は触れ合いを求めて生きるのだ
○小谷中広之の感情・・・死にゆく人に直面したら、最後の瞬間まで手を握ってあげれるような人間になろう
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2015年12月13日
読書感想文『悔いなき人生を生きる』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、小池龍之介様の「いま、死んでもいいように」です
小池龍之介様。1978年山口県生まれ。僧名は、龍照。東京大学教養学部卒業。月読寺の住職、正現寺の住職
気になる文章
●楠木正成が劣勢な決戦を前にして恐れる心の内を禅僧に打ち明けたエピソード
出陣を前に「生きるか、死ぬかと、自分の心は動揺している」と。それに対して僧が答えた言葉が「両頭ともに截断して、一剣天に依りて寒じ」でした。すなわち「両方の首を切り落として心が自由になったなら、心は迷いなき剣となり天にあって大威力なのだ」と。両方の首を切り落とすという比喩は穏やかではありませんが「生きていたい」「死にたくない」という二つの思いのことでしょう。それらの迷いをこそ言わばズバリと切り殺すことによって「お前はブレない剣となり最大限の力を発揮できるだろう」というのです
「生きたい」「死にたくない」というのは、自分の好きなことをもっとしたいという欲望のための、土台にあるモノです。その生存欲望にすら制約をかけて捨て去るところに、心はシャキッとし、普段の自分をずっと超えた捨て身の働きができる
○小谷中広之の感情・・・いつでも死ねる覚悟で生きるこことはできないが、常に目の前の事柄を一生懸命に取り組むことはできる
例えば朝目が覚めて顔を洗った後の鏡に映っている自分に向かって「もし今日が人生最後の日だったら今日一日をどんな風に過ごしたいか?」という質問を問い掛けてみよう
その時の答え通りに一日をいや、毎日を過ごせたのなら画期的に人生は自分の思い通りになるだろう
●たとえ、毒蛇の口の中に男性性器を挿入することがあっても女性性器に挿入してはならない
「律蔵」に残る、ブッダの言葉とされるものです
出家僧は男女ともに決して性行為をしてはならない、という戒律がありました。その戒を破った場合、教団を追放されるという点では、殺人と同じレベルの重罪として扱われていたのです
○小谷中広之の感情・・・自分には理解が全くできないが、このような教えすら忠実に守っていた人ももちろん存在し、またその逆も存在していたんだろうな
戒律とは、それを破る者が存在するという想定で出来ているのだろう、もちろん法律もきっとそうなのではないだろうか
つまり、それを破った者が存在していたという証拠になるのではないだろうか
●しわくちゃの老人であろうと絶世の美女であろうと、その皮に覆われた中身は、血と肉が詰まっていて、骨でできた骨組みがあるだけで、どちらも似たようなもの
どんな外見の良い人間を見て「かっこいい」「かわいい」と感じたとしても、その人の血管や内臓を見せられて「かっこいい」「かわいい」と感じることはなく、平均的にはおぞましいものと感じるもの
○小谷中広之の感情・・・まぁこの言葉通りの考え方で人を見ている人は、まず自分の近くには存在していないが自分がこの言葉と出会ったことによって、自分は先日行きかう人々をこのような考え方で見ていた自分に気づいてしまいました
やはり、本の影響は計り知れない
●若い者も老いた者も、一時間経てば、死に向かって一時間ほど、近づく。そのようなすべての生き物に共通するレベルで、私たちは刻一刻と死に向かって走っていっています
死を覚悟することで人間の意識は覚醒します。例えば「あ、いま一回呼吸をした間にも、一呼吸分寿命が尽きたのであることよなぁ」
皆様がこれを読んでいる最中にも寿命が刻一刻と朽ち果てている
そのことを意識しながら読んでいただけるなら、読んでいる最中にきっと心がさえてきて、読み進める読解力も強化されてきているではないでしょうか
目の前のよしなしごとにとらわれて視野が狭くなった時は「ああ、この一瞬にも腐敗して寿命が尽きてゆく」と思いだし、自らに喝を入れて一回、リセット
○小谷中広之の感情・・・今、自分は家に帰るべく歩いている
しかし家に向かっているのは、表面上の事柄で、もっと根本的に考えてみると実際は死に一歩一歩近づいている
そう考えながら、一瞬一瞬を生きてみよう
●昔でしたら、ガンや結核や疫病を患った時点で「ああ死ぬんだな」と諦めざるを得なかった事態に対して、現代医療を用いれば人為によって克服できるようになっていて、いわば諦めさせてくれなくなっている。結果として誰もが90歳くらいまで生きるようになりますから、異様な高齢化社会が実現しているという側面があることでしょう
○小谷中広之の感情・・・今後も、医療技術が進めば進むほど、平均寿命が延び、諦めさせてくれなくなる世の中になるだろう
そして平均寿命が延びて長寿者が増えれば増えるほど介護問題や年金問題、病院問題、雇用問題などが倍増して増えていくことだろう
●自分と雲や水や風や石や犬や猫や他人などを、宇宙的な大きな視点で見渡すなら、それらの問題に大した差など、有りはしません。「あーどれもこれも、自然現象であることよ」
自分が特別でない自然現象にすぎないのなら、あとどれだけ生きるのも、いつ死ぬのかも、操作せずに自然に任せてやればいい
○小谷中広之の感情・・・人間はほかの動植物と違って、脳が発達していているとはいえ、結局は自然現象の中で生きている、そしてそんな人間さえも自然現象なのだろうか
●何らかの問題を解決するためには、まずは何はともあれ「この自分が苦しんでいる」という事実に、目覚めることが大前提になります
○小谷中広之の感情・・・まずは認めてしまおう。「俺は辛い、苦しい」と。そしてその対策を深くしっかりと考え、楽天的に行動に移していこう
●「私はこれをやった。次はこれをしよう。その次は将来にあれをしなくては」こうして先のことばかり考えていて「いま」に心がない人を老いと死があっさりと殺してしまう
なぜ誰もが「自分はボケたり不随になって、介護を必要とする老年期を送るだろう」という将来予想図を、いつの間にか描いてしまっているのでしょうか。ある意味では、社会的に誰もがそのようにマインドコントロールされているせいで「将来ちゃんとした介護が受けられるだろうか」と、心配するハメになっているように思われるのです
それを確言すれば「将来、何歳になってもボケないで明晰な意識を保っていられるようにしよう」「介護など必要としないほど、健全なまま死んでゆけるよう、身体をメンテナンスしておこう」という、概念や信念が欠けているということではないでしょうか
心をボケへと向かわせるのは、過去をダラダラと思い煩ってみたり、もしくは過去の栄光を思い出して、自分がどれほど立派だったのかをつらつら考えたり、他人に自慢して聞かせることでしょう。それを繰り返すほど、頭の中では過去の情報が「より重要なもの」として位置づけられ、反復してそのことばかりを考えるようになります
「いま」を生きるという感覚からしますと、仮に倒れて助けてもらえないまま息絶えたとしても、何か問題があるでしょうか。世間では孤独死を、非常に恐ろしい、あってはならないもののようにあげつらう傾向がありますけれども、それを一種の社会的マインドコントロールを受けてのことのように思えるところがあります。多額のお金を支払わなければ介護してもらえないような社会に対して、自分の生活の基盤をゆだねてしまい、生きることの誇りを失うというのは決して、惨めでもなんでもないと思うのです
私は、人の一生とは要するに、死の間際に「自分の人生、これで悔い無しっ」と笑えるならよし、と考えます。ですから、世間のマインドコントロールを説いて、孤独死するにしても自分はその直前まで「いま」を生き抜く以上は、どう死んでも笑えるからOK
○小谷中広之の感情・・・「将来、介護が必要になったらどうしよう」と悩んでいる暇があるなら、「将来、介護なんか必要としない健康な身体を保つために今、何をするのか」を考える
●生まれるのも老いるのも病むのも、そして究極的には死ぬのも、自分の思い通りには、決してならないもの
○小谷中広之の感情・・・諦め、受け入れるしかない。しかし、今の一瞬一瞬に全力で生きることを決して忘れてはいけない
●はじめに掲げた「老経」の言葉の、前におかれた言葉を引いてみましょう。「ああ、人の命は何と短いもの。百歳にもならず死ぬのか、それより長生きしたとしても老いぼれて死ぬ。人は「自分のものだ」と執着したモノのせいで、苦しむ羽目になる。所有しているものは、永遠ではないのだから。この世のあらゆるものは、存在したかと思えば次には滅び去ってゆくものなのだと観じ、仏道を歩むように」
○小谷中広之の感情・・・所有物は少ないに限る
●死者を泣き悲しむ者が嘆くことによって、自分の身心を害し、やつれ顔色が悪くなるが、それによって死者に良いことは何も起きない
死を嘆き悲しむのは、無意味なこと
それゆえ、嘆き悲しみを捨てるように
命の尽きた亡者に対して「この人にはもう、私は何もできない」と知れ
○小谷中広之の感情・・・ストレートすぎて、面と向かって人にはこんなことは伝えられない
しかし、自分の心の中には残しておこう
●「死後も人々の中で生きる」というバーチャル延命の幻想によって「死」の圧倒的脅威をごまかすという戦略。その戦略のインチキさを見破れば、死の脅威が露出します
そうして死の持つ本来の脅威に向かい合ってこそ、死の問題を本気で乗り越えようとする、仏道の方法論が生きてこようというものなのです
○小谷中広之の感情・・・死は必ず訪れるイベント。その自分のイベントにしっかりと向き合えるようにしよう
●墓に入るのは、あなたなのですか?骨という物体なのですか?
死んだからには、もう墓に入る私なるものは、ここには存在しないのです
そうか、明後日も、半年後も、一年後も、十年後も、その後もずーっとこの意識が永続するかのように錯覚しているからこそ、争いたくもなるのです
この私が死に、いなくなることを、体感するまでイメージする。いなくなるのなら、墓もどうでもいいし、他人の失礼さもどうでもいいし、意見の違いもどうでもよくなるのです。己が去りゆくものであることを知れば、平和
○小谷中広之の感情・・・奪い合うことがなくなること間違いなし
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、小池龍之介様の「いま、死んでもいいように」です
小池龍之介様。1978年山口県生まれ。僧名は、龍照。東京大学教養学部卒業。月読寺の住職、正現寺の住職
気になる文章
●楠木正成が劣勢な決戦を前にして恐れる心の内を禅僧に打ち明けたエピソード
出陣を前に「生きるか、死ぬかと、自分の心は動揺している」と。それに対して僧が答えた言葉が「両頭ともに截断して、一剣天に依りて寒じ」でした。すなわち「両方の首を切り落として心が自由になったなら、心は迷いなき剣となり天にあって大威力なのだ」と。両方の首を切り落とすという比喩は穏やかではありませんが「生きていたい」「死にたくない」という二つの思いのことでしょう。それらの迷いをこそ言わばズバリと切り殺すことによって「お前はブレない剣となり最大限の力を発揮できるだろう」というのです
「生きたい」「死にたくない」というのは、自分の好きなことをもっとしたいという欲望のための、土台にあるモノです。その生存欲望にすら制約をかけて捨て去るところに、心はシャキッとし、普段の自分をずっと超えた捨て身の働きができる
○小谷中広之の感情・・・いつでも死ねる覚悟で生きるこことはできないが、常に目の前の事柄を一生懸命に取り組むことはできる
例えば朝目が覚めて顔を洗った後の鏡に映っている自分に向かって「もし今日が人生最後の日だったら今日一日をどんな風に過ごしたいか?」という質問を問い掛けてみよう
その時の答え通りに一日をいや、毎日を過ごせたのなら画期的に人生は自分の思い通りになるだろう
●たとえ、毒蛇の口の中に男性性器を挿入することがあっても女性性器に挿入してはならない
「律蔵」に残る、ブッダの言葉とされるものです
出家僧は男女ともに決して性行為をしてはならない、という戒律がありました。その戒を破った場合、教団を追放されるという点では、殺人と同じレベルの重罪として扱われていたのです
○小谷中広之の感情・・・自分には理解が全くできないが、このような教えすら忠実に守っていた人ももちろん存在し、またその逆も存在していたんだろうな
戒律とは、それを破る者が存在するという想定で出来ているのだろう、もちろん法律もきっとそうなのではないだろうか
つまり、それを破った者が存在していたという証拠になるのではないだろうか
●しわくちゃの老人であろうと絶世の美女であろうと、その皮に覆われた中身は、血と肉が詰まっていて、骨でできた骨組みがあるだけで、どちらも似たようなもの
どんな外見の良い人間を見て「かっこいい」「かわいい」と感じたとしても、その人の血管や内臓を見せられて「かっこいい」「かわいい」と感じることはなく、平均的にはおぞましいものと感じるもの
○小谷中広之の感情・・・まぁこの言葉通りの考え方で人を見ている人は、まず自分の近くには存在していないが自分がこの言葉と出会ったことによって、自分は先日行きかう人々をこのような考え方で見ていた自分に気づいてしまいました
やはり、本の影響は計り知れない
●若い者も老いた者も、一時間経てば、死に向かって一時間ほど、近づく。そのようなすべての生き物に共通するレベルで、私たちは刻一刻と死に向かって走っていっています
死を覚悟することで人間の意識は覚醒します。例えば「あ、いま一回呼吸をした間にも、一呼吸分寿命が尽きたのであることよなぁ」
皆様がこれを読んでいる最中にも寿命が刻一刻と朽ち果てている
そのことを意識しながら読んでいただけるなら、読んでいる最中にきっと心がさえてきて、読み進める読解力も強化されてきているではないでしょうか
目の前のよしなしごとにとらわれて視野が狭くなった時は「ああ、この一瞬にも腐敗して寿命が尽きてゆく」と思いだし、自らに喝を入れて一回、リセット
○小谷中広之の感情・・・今、自分は家に帰るべく歩いている
しかし家に向かっているのは、表面上の事柄で、もっと根本的に考えてみると実際は死に一歩一歩近づいている
そう考えながら、一瞬一瞬を生きてみよう
●昔でしたら、ガンや結核や疫病を患った時点で「ああ死ぬんだな」と諦めざるを得なかった事態に対して、現代医療を用いれば人為によって克服できるようになっていて、いわば諦めさせてくれなくなっている。結果として誰もが90歳くらいまで生きるようになりますから、異様な高齢化社会が実現しているという側面があることでしょう
○小谷中広之の感情・・・今後も、医療技術が進めば進むほど、平均寿命が延び、諦めさせてくれなくなる世の中になるだろう
そして平均寿命が延びて長寿者が増えれば増えるほど介護問題や年金問題、病院問題、雇用問題などが倍増して増えていくことだろう
●自分と雲や水や風や石や犬や猫や他人などを、宇宙的な大きな視点で見渡すなら、それらの問題に大した差など、有りはしません。「あーどれもこれも、自然現象であることよ」
自分が特別でない自然現象にすぎないのなら、あとどれだけ生きるのも、いつ死ぬのかも、操作せずに自然に任せてやればいい
○小谷中広之の感情・・・人間はほかの動植物と違って、脳が発達していているとはいえ、結局は自然現象の中で生きている、そしてそんな人間さえも自然現象なのだろうか
●何らかの問題を解決するためには、まずは何はともあれ「この自分が苦しんでいる」という事実に、目覚めることが大前提になります
○小谷中広之の感情・・・まずは認めてしまおう。「俺は辛い、苦しい」と。そしてその対策を深くしっかりと考え、楽天的に行動に移していこう
●「私はこれをやった。次はこれをしよう。その次は将来にあれをしなくては」こうして先のことばかり考えていて「いま」に心がない人を老いと死があっさりと殺してしまう
なぜ誰もが「自分はボケたり不随になって、介護を必要とする老年期を送るだろう」という将来予想図を、いつの間にか描いてしまっているのでしょうか。ある意味では、社会的に誰もがそのようにマインドコントロールされているせいで「将来ちゃんとした介護が受けられるだろうか」と、心配するハメになっているように思われるのです
それを確言すれば「将来、何歳になってもボケないで明晰な意識を保っていられるようにしよう」「介護など必要としないほど、健全なまま死んでゆけるよう、身体をメンテナンスしておこう」という、概念や信念が欠けているということではないでしょうか
心をボケへと向かわせるのは、過去をダラダラと思い煩ってみたり、もしくは過去の栄光を思い出して、自分がどれほど立派だったのかをつらつら考えたり、他人に自慢して聞かせることでしょう。それを繰り返すほど、頭の中では過去の情報が「より重要なもの」として位置づけられ、反復してそのことばかりを考えるようになります
「いま」を生きるという感覚からしますと、仮に倒れて助けてもらえないまま息絶えたとしても、何か問題があるでしょうか。世間では孤独死を、非常に恐ろしい、あってはならないもののようにあげつらう傾向がありますけれども、それを一種の社会的マインドコントロールを受けてのことのように思えるところがあります。多額のお金を支払わなければ介護してもらえないような社会に対して、自分の生活の基盤をゆだねてしまい、生きることの誇りを失うというのは決して、惨めでもなんでもないと思うのです
私は、人の一生とは要するに、死の間際に「自分の人生、これで悔い無しっ」と笑えるならよし、と考えます。ですから、世間のマインドコントロールを説いて、孤独死するにしても自分はその直前まで「いま」を生き抜く以上は、どう死んでも笑えるからOK
○小谷中広之の感情・・・「将来、介護が必要になったらどうしよう」と悩んでいる暇があるなら、「将来、介護なんか必要としない健康な身体を保つために今、何をするのか」を考える
●生まれるのも老いるのも病むのも、そして究極的には死ぬのも、自分の思い通りには、決してならないもの
○小谷中広之の感情・・・諦め、受け入れるしかない。しかし、今の一瞬一瞬に全力で生きることを決して忘れてはいけない
●はじめに掲げた「老経」の言葉の、前におかれた言葉を引いてみましょう。「ああ、人の命は何と短いもの。百歳にもならず死ぬのか、それより長生きしたとしても老いぼれて死ぬ。人は「自分のものだ」と執着したモノのせいで、苦しむ羽目になる。所有しているものは、永遠ではないのだから。この世のあらゆるものは、存在したかと思えば次には滅び去ってゆくものなのだと観じ、仏道を歩むように」
○小谷中広之の感情・・・所有物は少ないに限る
●死者を泣き悲しむ者が嘆くことによって、自分の身心を害し、やつれ顔色が悪くなるが、それによって死者に良いことは何も起きない
死を嘆き悲しむのは、無意味なこと
それゆえ、嘆き悲しみを捨てるように
命の尽きた亡者に対して「この人にはもう、私は何もできない」と知れ
○小谷中広之の感情・・・ストレートすぎて、面と向かって人にはこんなことは伝えられない
しかし、自分の心の中には残しておこう
●「死後も人々の中で生きる」というバーチャル延命の幻想によって「死」の圧倒的脅威をごまかすという戦略。その戦略のインチキさを見破れば、死の脅威が露出します
そうして死の持つ本来の脅威に向かい合ってこそ、死の問題を本気で乗り越えようとする、仏道の方法論が生きてこようというものなのです
○小谷中広之の感情・・・死は必ず訪れるイベント。その自分のイベントにしっかりと向き合えるようにしよう
●墓に入るのは、あなたなのですか?骨という物体なのですか?
死んだからには、もう墓に入る私なるものは、ここには存在しないのです
そうか、明後日も、半年後も、一年後も、十年後も、その後もずーっとこの意識が永続するかのように錯覚しているからこそ、争いたくもなるのです
この私が死に、いなくなることを、体感するまでイメージする。いなくなるのなら、墓もどうでもいいし、他人の失礼さもどうでもいいし、意見の違いもどうでもよくなるのです。己が去りゆくものであることを知れば、平和
○小谷中広之の感情・・・奪い合うことがなくなること間違いなし
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
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2015年12月12日
読書感想文『幸せのよろこび』 おすすめの文章と自分なりの感情
こんにちわ、小谷中広之です
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、林覚上様の「しあわせを感じる喜び」です
林覚上様。昭和28年福岡県生まれ。南蔵院住職
気になる文章
●体の障害を、その人の欠点ではなく個性と考える
○小谷中広之の感情・・・まず、この意識をすることが大切なのではないでしょうか
●何にしても、形にとらわれることはないのです。粗末なものでも、心を込めることこそが大切なのです
○小谷中広之の感情・・・逆にどんなに高価なものでも結局心がこもっていなければ、ただの「買った物をあげる」だけの行動でしかない。それは誰にでもできる行動だ
自分で考え、心の底から相手のことを考えたプレゼントを渡そう、そうすればそれは世界でたった一人の人間(自分)でしか渡せない貴重なプレゼントとなるだろう
●お父さんが入浴しているところへ、娘のめぐみちゃんが靴を持ってきて洗い始めました
「おばあちゃんが洗ってくれたのだけれど、ちっとも汚れが取れていないの」と、不平を言いながら洗っています。お母さんは「どうして最初から自分で洗わないの」と叱っています
しかし、入浴していたお父さんのしかり方は、お母さんとは違っていました
「そのまま2,3日はいてから洗いなさい。一度も履かないで洗ってはいけないよ。めぐみも自分で洗った靴を一度も履かないで洗われたら嫌な気分がするでしょう。まして年をとったおばあちゃんが洗ってくれたのだから、ありがとうと言って、2,3日履いてからにしなさい」
さらに、「おばあちゃんに、年を摂って靴も満足に洗えなくなったと落胆させてはいけないよ。おばあちゃんが年をとっても靴を洗ってくれるなんて、よくよくめぐみがかわいいからじゃないのかな。本当ならめぐみがおばあちゃんの仕事を手伝ってあげるのが人間の道ではないのか。それをおばあちゃんの洗ってくれたものが気に入らないからといって洗い直しをするというのでは、おばあちゃんに悪いではないか。人間の行為は素直に受け取るものだよ」
するとめぐみちゃんは泣きながらうなずいて、風呂場から出ていきました
人からの行為を受けることになれてしまうと、こんな不満が出てきます。大人でもたくさんそんな事例があるのではないでしょうか
○小谷中広之の感情・・・こんな父親を目指そう
●もちろん営業戦略に基づいて利益を追求するのはとても重要なことです。徹底してやっていくつもりです。ただもっと重要な根本にあるべきものは「では何のために会社は利益を追求するのか」
○小谷中広之の感情・・・会社の利益の追求とは今の自分にとっては「三方良し」が考え方である
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
今回のブログでは私「小谷中広之」が読んだ本の中で気に入った文章を紹介するとともに私「小谷中広之」がその文章に対して感じたこと(感情)を書き、少しでも皆様の何かのきっかけになれればこのうえない喜びです(定期的に読書感想文は更新していきます)
決して細かくは書くことはありませんのでご了承ください
私「小谷中広之」が感じた文章を書きたいと思っております
今回のご紹介する本は、林覚上様の「しあわせを感じる喜び」です
林覚上様。昭和28年福岡県生まれ。南蔵院住職
気になる文章
●体の障害を、その人の欠点ではなく個性と考える
○小谷中広之の感情・・・まず、この意識をすることが大切なのではないでしょうか
●何にしても、形にとらわれることはないのです。粗末なものでも、心を込めることこそが大切なのです
○小谷中広之の感情・・・逆にどんなに高価なものでも結局心がこもっていなければ、ただの「買った物をあげる」だけの行動でしかない。それは誰にでもできる行動だ
自分で考え、心の底から相手のことを考えたプレゼントを渡そう、そうすればそれは世界でたった一人の人間(自分)でしか渡せない貴重なプレゼントとなるだろう
●お父さんが入浴しているところへ、娘のめぐみちゃんが靴を持ってきて洗い始めました
「おばあちゃんが洗ってくれたのだけれど、ちっとも汚れが取れていないの」と、不平を言いながら洗っています。お母さんは「どうして最初から自分で洗わないの」と叱っています
しかし、入浴していたお父さんのしかり方は、お母さんとは違っていました
「そのまま2,3日はいてから洗いなさい。一度も履かないで洗ってはいけないよ。めぐみも自分で洗った靴を一度も履かないで洗われたら嫌な気分がするでしょう。まして年をとったおばあちゃんが洗ってくれたのだから、ありがとうと言って、2,3日履いてからにしなさい」
さらに、「おばあちゃんに、年を摂って靴も満足に洗えなくなったと落胆させてはいけないよ。おばあちゃんが年をとっても靴を洗ってくれるなんて、よくよくめぐみがかわいいからじゃないのかな。本当ならめぐみがおばあちゃんの仕事を手伝ってあげるのが人間の道ではないのか。それをおばあちゃんの洗ってくれたものが気に入らないからといって洗い直しをするというのでは、おばあちゃんに悪いではないか。人間の行為は素直に受け取るものだよ」
するとめぐみちゃんは泣きながらうなずいて、風呂場から出ていきました
人からの行為を受けることになれてしまうと、こんな不満が出てきます。大人でもたくさんそんな事例があるのではないでしょうか
○小谷中広之の感情・・・こんな父親を目指そう
●もちろん営業戦略に基づいて利益を追求するのはとても重要なことです。徹底してやっていくつもりです。ただもっと重要な根本にあるべきものは「では何のために会社は利益を追求するのか」
○小谷中広之の感情・・・会社の利益の追求とは今の自分にとっては「三方良し」が考え方である
ここまで読んでいただきありがとうございます。読んでいただいた方の人生での何かのお役に立てればとても嬉しいです
この本の他の文章が気になった方下記のサイトで購入可能です。
【中古】 しあわせを感じる喜び /林覚乗(著者) 【中古】afb |
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