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玉電

 玉川電気鉄道は旅客輸送の他、多摩川の砂利を東京都心へ運ぶ目的で1907年に渋谷玉川(のちの二子玉川園)間9kmが路面鉄道として開通しました。
 また、1924年に多摩川に沿って玉川砧本村間2kmの専用軌道・砧線が開通し、1925年に三軒茶屋下高井戸間5kmの専用軌道(現在の世田谷線)が開通しました。
 玉川電気鉄道は1938年に東京横浜電鉄に合併され、東京横浜電鉄は1942年に「東京急行電鉄」に社名が変更されました。
 戦後、1960年頃からの高度経済成長による乗客の増加と自動車の増加に対応するため、首都高速道路と一体化した地下鉄建設を行なうことになり、1969年5月11日に渋谷二子玉川園間、及び二子玉川園砧本村間が廃止になりました。

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↑ 起点の渋谷駅にて。奥左側が200形、奥右側が80形、手前が全金属製150形。渋谷駅は百貨店と井の頭線ホームの中間の道路上2階に位置し、奥が降車場所で右方が乗車場所となっていました。上に見えるのは地下鉄銀座線の車輌です。)(1969年5月3日)

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↑ 三軒茶屋交差点を行く二子玉川園行き80形。(左方向が二子玉川園方面、右方向が下高井戸方面、中央の道路が世田谷通りです。)(1968年8月24日)

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↑ 終点の二子玉川園にて。(廃止を6日後に控えた玉電の200形(俗称「いもむし」)と高架を走る田園都市線車輌)(1969年5月5日)

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↑ 吉沢−砧本村間の野川を渡る砧線車輌60形。(1969年4月29日)

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↑ 砧線の終点、砧本村駅に佇む60形。(1968年8月19日)

200形は田園都市線宮崎台駅にある「電車とバスの博物館」に保存展示されているそうです。





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