2019年01月03日
常磐線1 Jōban Line 1
常磐線は東京都の上野から宮城県岩沼市の岩沼まで346kmのJRの路線です。快速電車は品川−取手の50kmの間を運行しています。各駅停車は常磐線内は綾瀬−取手の30kmの間を走り、綾瀬で地下鉄千代田線に乗入れ、代々木上原で小田急線に乗入れて急行、準急、または各駅停車として運行しています。
1971年に綾瀬−我孫子の24kmの複々線化が完成し、快速電車の運行と、各駅停車の地下鉄千代田線との相互乗入れが開始されました。また、1982年に我孫子−取手の6kmが複々線になりました。上野−取手の間を走っていた旧形のクハ79、クモハ73等は1971年に引退しました。
↑1960年に登場した長距離用キハ81系9輌編成の気動車特急「はつかり」。クリーム色の地に窓周りが赤色の塗装になっていました。キハ81系は1978年まで走りました。(1967年 水戸)
↑山手線、京浜東北線、東北本線との並走区間を走るクハ79等8輌編成上野行。(1970年 上野−日暮里)
↑1946年頃登場し、のちに前照灯が埋め込まれたクモハ73等8輌編成、取手行。(1970年 上野)
↑1956年に登場したクハ79等8輌編成、松戸行。(1970年 上野)
↑1971年に登場した長距離用415系。2007年まで走りました。(1991年 上野)
↑103系快速電車10輌編成取手行。(1991年 上野−日暮里)
↑後期103系快速電車10輌編成、取手行。103系は1967年から2006年まで走りました。(1991年 上野−日暮里)
↑103系1000番台各駅停車10輌編成、綾瀬行。1971年から1986年まで各駅停車に使用され、その後、快速電車に転用されました。(1984年 千代田線・代々木上原−代々木公園)
↑快速電車に転用された103系1000番台10輌編成、取手行。103系1000番台は2004年まで走りました。(1991年 上野)
思い出の歌 … 中学校を卒業して親元を離れ、集団就職列車で上京 …
「♪ あゝ上野駅」(1964年)
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1971年に綾瀬−我孫子の24kmの複々線化が完成し、快速電車の運行と、各駅停車の地下鉄千代田線との相互乗入れが開始されました。また、1982年に我孫子−取手の6kmが複々線になりました。上野−取手の間を走っていた旧形のクハ79、クモハ73等は1971年に引退しました。
↑1960年に登場した長距離用キハ81系9輌編成の気動車特急「はつかり」。クリーム色の地に窓周りが赤色の塗装になっていました。キハ81系は1978年まで走りました。(1967年 水戸)
↑山手線、京浜東北線、東北本線との並走区間を走るクハ79等8輌編成上野行。(1970年 上野−日暮里)
↑1946年頃登場し、のちに前照灯が埋め込まれたクモハ73等8輌編成、取手行。(1970年 上野)
↑1956年に登場したクハ79等8輌編成、松戸行。(1970年 上野)
↑1971年に登場した長距離用415系。2007年まで走りました。(1991年 上野)
↑103系快速電車10輌編成取手行。(1991年 上野−日暮里)
↑後期103系快速電車10輌編成、取手行。103系は1967年から2006年まで走りました。(1991年 上野−日暮里)
↑103系1000番台各駅停車10輌編成、綾瀬行。1971年から1986年まで各駅停車に使用され、その後、快速電車に転用されました。(1984年 千代田線・代々木上原−代々木公園)
↑快速電車に転用された103系1000番台10輌編成、取手行。103系1000番台は2004年まで走りました。(1991年 上野)
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