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小田急線2 Odakyu Electric Railway 2

 1954年に高性能モーターを搭載した2200形が登場しました。それまでは低音の唸りを発生する低加速度のモーターを使用していましたが、高性能モーターは軽快な高音を出しながら高加速度で速度を増していくモーターで、車体の明色塗装とともに車輌の近代化に貢献しました。


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↑ 1954年に登場した2200形(急行片瀬江の島行き4輌編成+急行箱根湯本行き4輌編成)。それまで特急車の色であった黄色・青色を一般車の色として初めて採用した車輌で、他の一般車と同様に1970年頃、乳白色に青のラインに変わり、1984年まで走りました。(1970年 新宿−南新宿)

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↑ 新塗色の2200形(各駅停車新百合ヶ丘行き4輌編成)。一般車輌は1970年頃この塗色に変更されました。(1983年 黒川−小田急永山)

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↑ 1958年、各側面両開き2扉のセミクロスシートの準特急*用車輌として登場した2320形(各駅停車新宿行き4輌編成)。セミクロスシートながら各駅停車としても使用されましたが、1963年頃片開き3扉、ロングシートに改造され1984年まで走りました。(1969年 経堂−千歳船橋)
(*準特急はロマンスカーを補完するため1958年から1963年まで週末に運転された列車で、停車駅は特急と同じく新宿−小田原−箱根湯本でした。)

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↑ 新塗色の2220形(各駅停車相模大野行き、2220形2輌編成+2400形4輌編成)。2220形は1957年に一般用車輌として4輌編成で登場し、1962年に急行の中型6輌編成化のため2輌編成になりました。(1983年 経堂−千歳船橋)

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↑ 1959年から100輌以上製造され、急行にも各駅停車にも活躍した2400形(急行箱根湯本行き4輌編成)。中型車輌で収容力は大きくなく、乗客の増加に伴って1969年から大型の5000形などに置換えられ、1989年までに退役しました。(1970年 渋沢−新松田)

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↑ 新塗色の2400形(急行新宿行き、2400形4輌編成+2200形2輌編成+2400形4輌編成)。(1982年 経堂−千歳船橋)

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↑ 2400形に比べ車幅が2.9mと0.2m広く、車長が20mと2m長い、1964年に登場した2600形6輌編成。当初は5輌編成で、数年後6輌編成となり主に快速準急*や各駅停車に使用され、2004年まで走りました。(1969年 経堂東電車基地)
(*快速準急は1964年から1972年まで昼間に30分間隔で運転され、当時の急行停車駅の他に経堂、成城学園前、登戸に停車しました。)

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↑ 1967年の新宿の小田急百貨店本館開店を記念して乳白色と朱色に金色のラインを配した3編成のうちの1編成の2600形6輌編成(各駅停車相模大野行き)。(1969年 南新宿)

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↑ 1983年3〜7月に向ヶ丘遊園で開催されたフラワーショーに合わせて乳白色と桃色の塗装を施した1編成の2600形6輌編成(各駅停車向ヶ丘遊園行き)。(1983年 経堂−千歳船橋)

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↑ 2600形と同型で3輌編成の旧4000形(各駅停車相模大野行き)。(1969年 参宮橋)
 旧4000形は廃車になった1200形などの旧式モーターを流用し、新形車輌なのに旧形車輌のように低音の唸りを上げる車輌で、町田以西や昼間の近郊区間の各駅停車に使用された他、「4000形3輌+ 4000形3輌+1800形2輌」の8輌編成で朝の急行にも使用されました。また、1973年から中間車輌2輌を組込んで5輌編成としました。1977年からは2編成を連結して10輌編成の急行としても使用されました。1985年頃から、廃車になった2400形の高性能モーターを流用し4輌編成、6輌編成に組換えられました。旧4000形は2005年まで走りました。



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