2019年01月05日
下河原線 Shimogawara Line
下河原線は、かつて東京都国分寺市の国分寺と東京都府中市の東京競馬場前を結んでいた旅客線5.6km、3駅の国鉄(日本国有鉄道)路線で、北府中−東京競馬場前間から分岐して多摩川の河原付近の下河原駅までを結ぶ3kmほどの貨物線もありました。下河原線は多摩川の砂利を運搬する目的で1910年に貨物専用鉄道として開業し、1934年に東京競馬場への客を運ぶために旅客営業を開始しました。1970年前後はラッシュ時及び競馬開催時には101系などの5輌編成で運行されていましたが、閑散時はクモハ40が1輌で走っていました。
下河原線は1973年に開通した武蔵野線とほとんど重なるため、武蔵野線開通に伴い廃止になりました。中央線からは新設された西国分寺駅が乗換え駅となり、東京競馬場の玄関口は東京競馬場前駅から300mほど離れた武蔵野線・南武線の府中本町駅になりました。
↑国分寺駅で発車を待つクモハ40。跨線橋から駅南側を望んだ風景です。(1971年)
↑クモハ40の車内。床、窓枠、吊輪を吊す横棒と網棚の横棒は木製で、中央に旧形国電特有のポールが立っていました。(1971年)
↑クモハ40の運転室付近です(1971年)
↑国分寺駅時刻表(朝の数本は北府中行き101系5輌編成で、うち2本は北府中発の東京競馬場前行き(クモハ40)に接続していました。)(1972年)
↑国分寺駅を発車して中央線と並走(1972年)
↑中央線から分かれて南へカーブ(1972年)
↑車輌先頭から(1971年 国分寺−北府中)
↑貨物線との分岐点(右方向は東京競馬場前駅方面、手前方向は貨物駅の下河原駅方面です)(1972年 北府中−東京競馬場前)
↑東京競馬場前にて(1971年)
↑当時は最長の駅名「東京競馬場前」(1972年)
↑後方を走るのは南武線車輌(1972年 東京競馬場前)
思い出の歌…往年の名馬を歌った 「♪ さらばハイセイコー」
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下河原線は1973年に開通した武蔵野線とほとんど重なるため、武蔵野線開通に伴い廃止になりました。中央線からは新設された西国分寺駅が乗換え駅となり、東京競馬場の玄関口は東京競馬場前駅から300mほど離れた武蔵野線・南武線の府中本町駅になりました。
↑国分寺駅で発車を待つクモハ40。跨線橋から駅南側を望んだ風景です。(1971年)
↑クモハ40の車内。床、窓枠、吊輪を吊す横棒と網棚の横棒は木製で、中央に旧形国電特有のポールが立っていました。(1971年)
↑クモハ40の運転室付近です(1971年)
↑国分寺駅時刻表(朝の数本は北府中行き101系5輌編成で、うち2本は北府中発の東京競馬場前行き(クモハ40)に接続していました。)(1972年)
↑国分寺駅を発車して中央線と並走(1972年)
↑中央線から分かれて南へカーブ(1972年)
↑車輌先頭から(1971年 国分寺−北府中)
↑貨物線との分岐点(右方向は東京競馬場前駅方面、手前方向は貨物駅の下河原駅方面です)(1972年 北府中−東京競馬場前)
↑東京競馬場前にて(1971年)
↑当時は最長の駅名「東京競馬場前」(1972年)
↑後方を走るのは南武線車輌(1972年 東京競馬場前)
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