2019年06月24日
ソーシャルスタイル(+ α)
ソーシャルスタイル。知っている人は少ないようです。
ソーシャルスタイルは感情開放度と思考開放度それぞれ高い低いから人を四つに分類するもの。
以前に4回に分けて書かせていただきました。
2017/8/31「ソーシャルスタイル(1)」
2017/9/01「ソーシャルスタイル(2)」
2017/9/05「ソーシャルスタイル(3)」
2017/9/19「ソーシャルスタイル(4)完」
四つのソーシャルスタイルは、“ドライバー”、“エクスプレッシブ”、“アナリティカル”、“エミアブル”があり、それぞれ特徴を持っています。
同じく人を四つに分けるもので血液型がありますね。
人付き合いするとき相手の血液型を踏まえ、対応を考えることはあると思います。
A型の人に対しては、あまり無計画な話をしないとか。
ソーシャルスタイルも同じで、例えば“ドライバー”の場合、会話をするときに結論から先に言います。
丁寧な解説とか、出来事であれば途中の経緯とか、そんなことどうでも良いのです。
合わせることで相手も安心します。
また、誰でもどれかのソーシャルスタイルに属しています。
もし相手が自分と同じソーシャルスタイルの人間だったら、相手に合わせることなく会話ができます。
昨日のことです。発信の仕事をしていて電話がつながると、間違いなく自分と同じソーシャルスタイルの人とわかりました。こっちの名乗りからそれに対して返してくる相手の返答。
会話が始まって10秒とたたないうちに理解できました。
もうその時点で
「この人からは獲得できる。」
そう確信しました。
あとは自分をありのまま、表に出して説明していくだけです。
また血液型でもあると思います。A型に間違えられるO型とか、B型に間違えられるAB型とか。
ソーシャルスタイルもそうで、アナリティカルに近いエミアブルや、ドライバーに近いエクスプレッシブなど。
でも昨日話した人は間違いなく私と同じソーシャルスタイルです。
きっと、私と同じタイプの“ど真ん中”だったのでしょう。
結果は、もちろん獲得できました。
きっと、お互いに良い契約ができたと満足したはずです。
同じソーシャルスタイルだと接していてお互いに安心できます。
違う場合でも相手に合わせることで相手を安心させることができるのです。
2019年06月23日
おかしな敬語
けっこう悩むんです。
このブログに書くネタはだいたい、朝には決まっています。
しかし、今日のように特に変わった出来事のない日は、午後10から11頃までPCに向かったまま、今日は何を書こうかと悩んでいます。
でもこの時間帯には大抵、私は酒(ウィスキー)を飲んでいるので、いったん何かを書き始めると酔っ払いが口数多くなるように何とか書くことはできてきます。
と、書いているうちに決めました。
今日は敬語の話にします。
正しい敬語を使うのに、年齢はそれほど関係ないようですね。
今日、隣に座った人は私より学年で3つ上の人です。
しかし気になる敬語の誤りが多い多い。
まず、
「○○様のお宅でいらっしゃいますか?」
“お宅”というのは“家族”や“家”という、ある“集まり”の“単位”であって、“人”ではない。
敬語はあくまで“人”を“敬う”ものだから、“単位”に「いらっしゃいますか?」と敬うのは誤りです。
また、
聞こえてくるのが
「お使いでおられますか?」
“お使い”ですでに敬語になっているのだから、さらに“おられますか?”と敬語を重ねるのは誤りです。
人生の先輩なので注意する気にはなれません。
しかし、あと数年で還暦になる人がこれなのだから、失礼ですが情けない気がします。
そして、
そういう人に限って、自信たっぷりに誤った敬語を使っているのです。
“自己陶酔”っていうんでしたっけ?こういうの。
年齢は関係ないと書きましたが、若い人は若い人なりにおかしな敬語を使っています。
それは、
何かと“過去形”にして話したがる傾向です。
「ご存知でしたでしょうか?」
「お時間いただいてよろしかったでしょうか?」
など。
なんというか、過去形にすると柔らかく伝わるイメージを抱いているのでしょうか。
これら、
「ご存知ですか?」
「お時間いただいてよろしいでしょうか?」
本来これです。
別におかしくも何ともないでしょう。
不思議なのは、どうして話す言葉の文字数を増やしたがるのか。
失礼にならない敬語なら、文字数は少ない方が良い。
いま私は発信業務をしています。
発信の方が私には合っている気がします。
昨年の11月、私はつなぎで受信のセンターに行きました。
あくまで“つなぎ”です。
研修期間として勤務しますが、実はデビュー前に辞めてしまうという、派遣会社が仕組んだ作戦です。
その受信するセンターでは二人の若い人と一緒に研修を受けました。
すると、ロールプレイングとか、実際にお客様と話してみる研修段階でその若い二人は、私からすると信じられない言葉も過去形にしてしまうのです。
私からはあまりに不自然だったので、いったいどんな言葉を過去形にしたのか、憶えていません。
でもこれが若い人の傾向なのだとしたら、この先、珍しいことではなく普段から当たり前に耳に入ってくるようになるのでしょう。
何か、どんどん崩れていく、美しい日本の敬語です。
2019年06月22日
攻撃
電話に出たのはMモトさんではありませんでした。
昨日、2019/06/22「鬼の首を取ったよう」の続きです。
電話に出たのはEさん。Eさんとも前に話したことがあります。聞けばEさんも私を憶えていると。
あまり、、というか小さなセンターだと思います。
Eさんは私の名前等確認すると、今日はどんなお問い合わせかと尋ねます。
私は、
「クレームです。」
と言いました。そこでEさんは身構えるのがわかります。
ざっと経緯を話したあと、Mモトさんに代わってと言いました。
しかしほとんどのコールセンターは“担当制”ではありません。電話を受けた人が対応するのが普通です。
普通の問合せでないことを理解したEさんは折り返しの連絡になると言いました。
その際、私はMモトさんからの折り返しを求めました。
が、コールセンターって仲間意識が強く、特に対クレームについては防衛心理が働いて同僚のMモトさんを守ろうとします。決して突き出すようなことはしません。
10分と少し待った後、架けてきたのはN田さんです。スーパーバイザー(SV)だと言います。
これまでの経緯を踏まえて私に対し、大変失礼な対応をしたと謝罪します。
私は、その通りだと言いました。
昨日、言われた通りにカード登録したが、またも「そのカードは利用できません。」となったこと。
苦情を言うと、なんと
「確認しましたが今なら登録可能です。」
と言います。また蕎麦屋の出前か?
まったく、とぼけた発言に呆れてしまいます。
私は、
「登録はそっちでやってくれ。もうマイページの画面すら見たくもない。」
と拒否しました。
しかし向こうもそれだけはお客様にしてもらう必要があると言います。
おそらく、向こうでやってできないことではないのでしょう。しかし万が一の責任は負いたくないのか。
そして今回は普通の問合せではないこと。
例えば「使い方がわからないから教えて」というのなら時間がかかっても仕方がない。
しかし私の過失ではないのに、これだけの手間と時間を費やして何ら解決していないこと、どうしてくれるのかと詰めました。
N田SVは私に、すべて過失がないことを理解しているとした上で、どうして欲しいのかと聞いてきます。
「金を要求しているのではない。満足するまでのことをしてくれ。」
と言いました。
相手はブルーレイやDVD等の動画配信です。何を要求すれば良いのでしょうか。
今度は私が、例えばどういうことをしてくれる?と聞きます。
N田SVは
「新作も使える単品レンタルチケット4枚でどうか?」
と。
そのチケットがよくわからないので私は
「じゃあ、10枚で。」
と言いました。10枚はN田SVの権限ではできないそうです。
上と協議して26日まで返事をするということになりました。
電話が終わったあと、その“新作でも使える単品レンタルチケット”を調べてみましたが、キャンペーン賞品のようです。金額に換算できるものではありません。
6月中にDVD、CDを17枚以上借りたら1枚そのチケットが付与されるそうなので、価値はそこそこか。
ん?
いま“単品レンタル”で調べてみたら、1枚238円。
10枚でも2,380円。それじゃ大したことない・・・
しかも使用期限があるようで、7/5〜7/31まで。
気になるのは、有料単品レンタルと違い、
「2枚以上まとめて単品レンタルされる場合は、チケット適用されず、別途料金が発生します。」
という但し書きです。
もしかしたら使用期限内に10枚使い切るのは無理なのかも??
返事が来たら確認して、無理なら別な要求にしても良いのでしょう。
そしてもう一つ。
前回、とても不快な対応をしたMモトさんからの謝罪が欲しいと言いました。
昨日も書きましたが、私からの苦情に対し、
「21日以降にして下さいと、すでに伝えてあります。」
と逃げるような対応。そしてこっちの揚げ足を取るような対応。
Mモトさんからの謝罪があるまで、この件は終わらせないとも言いました。
N田SVは言います。オペレーター個人の失礼があれば管理者(上司)から代わってお詫びをしますと。
コールセンターですから、オペレーター個人を突き出したくないのでしょう。
でも言いました。
これはMモトさん個人へのクレームなのだと。
もし、管理者が代わって済むことなら、社員の失態を会社で償うこと。
仮にAさんに殴られたとします。その仕返しにBさんを殴ってもぜんぜん気が済みません。
Mモトさんの謝罪をセンターが代わるなら慰謝料を請求しても良いと思います。
また、Mモトさんに謝罪を求めるなら他にも方法はあります。
2019年06月21日
鬼の首を取ったよう
これは2019/06/17「蕎麦屋の出前」の続きです。
また「蕎麦屋の出前」は、2019/06/03「フルボッコ(後編)」の続きです。
「蕎麦屋の出前」では、
> 結論からすると、今回の預かりはフルボッコまで行きそうにありません。
と書いています。
しかし、フルボッコにしなければ気が済まない状況になってきました。
ここまでの経緯について簡単にいうと、私はDVDなどのレンタルでツ○○ディスカスを使ってきました。
ずっと決済に使っていたクレジットカードをある理由から解約することになり、他のカードにWeb上から変更しました。
しかしツ○○ディスカスだけ、そのカードが使えないというのです。
そのカードは電気代、保険料、電話代など公共料金含めメインに使用しているカードです。
使えないというのは、ツ○○ディスカスさんの都合でしょ? というお話。
そして今、決済手段のないツ○○ディスカスでマイページを開くと「サービス停止中」と書いてあります。
何度も電話でやり取りをして余計な時間を費やし、言われた通りカードを再登録しても「そのカードは利用できません」となってしまいます。
詳しくは、「蕎麦屋の出前」をお読みください。
6月5日、電話を受け、登録したいカード情報を口頭で伝えました。
カードの確認が取れ次第、また連絡をもらえるはずだったのですが、6/17になっても連絡がないので電話で催促しました。
すると、
「今日、返事が来ました。」
と、まるで“蕎麦屋の出前”です。
そしてカードの確認は取れたといいます。
翌18日、またカードを再登録したのですが、またも「そのカードは利用できません」です。
19日、ツ○○ディスカスに電話し苦情を言いました。
ところが、対応したオペレーター、Mモトさんは21日以降に登録してくださいと先日伝えてあると言います。
私は聞いた覚えがないと言いましたが、履歴にそう書いてあると言います。
コールセンターの履歴に間違いはありません。
私は引き下がりました。
これまでのやりとりで何度かイジメてしまったMモトさんです。
そのときのMモトは、まるで“鬼の首を取ったよう”になっていました。
“鬼の首を取る”をネットで調べると、
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些細な成功なのにさも大手柄であるかのように振る舞うことを言う慣用句です。 その鬼の首を取るということは容易ではありません。 それをやってのけたかのような言動をすることを言ったものです。 誰でも犯しがちな小さなミスを見付けて、まるで致命的な欠陥を発見したかのように、大げさに騒ぎ立てる場合などに使われます。
----------------
と出てきます。
そして今日、21日です。
さっき、カードの再登録をしました。
私は解決するのが一番だと思っています。
だから登録できればそれで良いんです。
といっても、私の気持ちは「めでたし めでたし」では済まされません。
だって私が何か悪いことをしたのでしょうか。
なのにサービスは停止。何度も電話でのやり取りと無駄手間のカード再登録。
そして、、、
カード再登録の結果は・・
「そのカードは利用できません」
“はらわたが煮えくり返る”とはこのことです。
さて、明日また電話します。
電話を取るのがMモトさんでなかったら指名しましょうか。
鬼の首を取ったあと、私はMモトさんに
「では21日以降であれば間違いなくカード登録はできるんだな?」
と念を押しています。
ツボ
今日、返された言葉がツボりました。
お客様によって様々ですが、中には我々コールセンターのオペレーターは皆、若い人と思い込む人がいるようです。
話していて私と同世代か、それよりも下。
なのに、終話するとき
「ありがとう!」
という人がたまにいます。
もし下の世代であれば目上に対して
「ありがとう!」
はないでしょう。日本人なら。
「ありがとうございます!」
です。
ということは私は目下に見られたのか?
確かにお客様にとって業者は目下かも知れません。
でもそれまで互いに敬語で話しているのですから、まるっきり目下というのはないはずです。
なのに
「ありがとう!」
ですから、この人は私をまだ若いオニイチャンと勘違いしてるのだと思います。
・コールセンター経験が長くなると、お客様の反応を楽しむことがあります。
そんなとき私は
「どういたしまして!」
と返します。
面白いもので、この一言でお客様の態度は一変します。
急に引き下がるというのか、
「ありがとう!」
で、一瞬上からきた態度がまた敬語に戻るのです。
本当に人間の心理というのは同じで、誰だって自分を否定されたら反抗するし、肯定されたら嬉しいと感じるように。
このことを今日、電話がつながりにくい時間帯、ヒマな時間帯に隣の同僚に話しました。
すると返ってきた言葉が、
「『頑張れよ!』と言ったら『おめーもな!』と返されたようだね。」
と。
これはツボでした。
この関連って、だれでも思いつくことではないと思います。
多分、その同僚は右脳をうまく使える人。
こういう連想って、右脳がなせる業ではないかと思います。
今日は成績が悪い一日でしたが、それだけでとても充実したと感じることができる日でした。
最近の通勤事情
私が毎朝、通勤に使うバス停は児童福祉・児童発達支援施設の前にあります。
福祉という性質からか、バス停看板の奥側に善意でベンチを置いてくれています。
お年寄りはバス停に立って待つのは辛いでしょうから、ベンチに座る人がいます。
でもバス停の看板を起点に人が並び始めると、ベンチは車道から見て奥側になるので、立ち上がりそのまま列に加わると、後ろから列に割り込んだようになってしまいます。
実際に後から来てベンチに座っても、立ち上がればそこにバス停看板があるから故意に割り込むことも可能です。
そこで私の考えだと、バスに乗る順番というのは、早く来た順でなく、早く並んだ順だと思っています。
早くから待っていたとしてもベンチに座っていては、立って列を組み並んでいる人より後順だと思うのです。
その代わり高齢者は乗車後に優先席があります。乗ってから優先されるのだから、バスが見えてから列に入るのは割り込みだと思っています。
昨日、私が先頭で次に来た高齢者はベンチに座りました。
その次に来た高齢者は立って私の隣に並びました。バスが来た頃には6〜7人並んでいたと思います。
バスが見えるとベンチの高齢者は立ち上がり、私の隣に並びます。私は「これは割り込み?」と思いましたが、隣の高齢者は何も言わないので、ベンチの高齢者が私の次に乗り込みました。
先頭の私は乗車してすぐ、バスの後方に空いている二人掛けの座席を見つけ、そこへ向かいました。
しかし、すでに乗っていた人がすかさずその二人掛けの座席に座ってしまいました。
「しまった!」
時すでに遅し。
もう一つ空いていた前方の二人掛け座席は、ベンチに座っていた高齢者がいま座ったところでした。
「コノヤロ!」
そう思ってしまった私。
しかもその高齢者は二人掛けの座席、通路側に座りました。
二人掛けを一人で占有です。それをこの私が許すわけありません。
私はジェスチャーし、高齢者を窓側に追いやろうとしました。
高齢者は一旦立ち上がり、私を窓側に座らせました。
これでベンチ高齢者のずるさを封じ込めることができました。
と、ここまで書けば私は何とくだらないことに賭けているのかとお思いでしょう。
それは正解です。(笑)
でも、そんなことばかりしているわけではありません。
私が座っているとき、近くに高齢者が立つと、ちゃんと席を譲るんです。
今日も後方に立った高齢者に席を譲りました。
が、譲られる高齢者のマナーもどうかと思います。
今日の高齢者は私が譲ったことで、
「お、空いた空いた。」
とでも言いたげに、当然のような顔で座りました。礼もなく。80歳くらいでしょうか。
後悔するわけではありませんが、残念に思います。
「近頃の若い者は・・」
という言葉は昔から聞きますが、高齢者だって。
席を譲り高齢者の前に立った私の正面には優先席に悠然と座りスマホでゲームに興じる若者が。
2019年06月20日
空腹
お腹が減った。
昔の童謡のように、お腹と背中がくっつくことはありません。
だって、メタボの境界線なので。
さっきちょこっと間食をしたのですが満腹にはとても届きません。
届いてしまったら、あとで後悔することでしょう。
ちょっとした間食がすぐに体形に出ます。
まして酒好きな私は中性脂肪がとても多いんです。
思うと満足するまで食べていません。近年。
また食べられなくなったのもあります。
食べたいもの、美味しいものはまず、身体に好くないです。
若い頃はそんなこと気にせず食べることができたのに。
朝は、ゆでそばをお湯に通して二玉、食べます。
一見、多いようですが、昼食はこの7時間半後です。
そばは腹持ちがあまり良くないし、中性脂肪も少ないだろうから良いと思います。
が、盛りそばか、ざるそばにしてつゆに浸して食べるので、これも塩分の摂り過ぎが心配。
タバコ。
いつかやめようと思っています。
正しくは、いつかいらないと思う日が突然来るだろうと甘い考え。
ただ、どうでしょう。
食べ過ぎにはもちろん注意しています。
一日の大半は空腹で過ごすという、できる限り我慢の毎日です。
しかし寝酒を我慢しようとは思いません。
この辺、バランスなんですが、空腹は我慢できても好きな酒を我慢してまで長生きしようとは思いません。
30代の頃は大好きな鮭トバを、一晩で一袋、320gをペロッと食べていました。
もし今、そんなことをしたら大変です。
たちどころに“痛風”になってしまうでしょう。
前に書いたと思います。
昨年、父が亡くなりました。
病名は末期腎不全です。
昔からしょっぱい = 塩気の強いものが大好きだった父。
一時期、昼食は必ずインスタントラーメンの“マルちゃん正麺”にハマっていると聞きました。
その後、腎不全が見つかりました。
きっと塩気の強いものが好きだった父なので、毎日スープまで飲み干していたのではないかと思います。
それに気づいたのは腎不全が見つかってからでした。
もっと早く気づいていれば、、
注意できたのに・・・
でも注意しても父はそれに従っただろうか?
わからないところです。
また、父の最期まで7年間、誕生日には6回、糠にしんを贈っていました。
これには、さすがに父の近くで面倒を見てくれた私の従弟にもきつく注意されました。
しかし亡くなった昨年の誕生日には送っていなかったのです。
それは決して従弟の注意に従ったわけではありません。
一昨年、父が一人暮らししていたアパートの契約更新時、高齢者の独居を良しとしない家主の意向に沿い退去しなければならず、サービス付き高齢者住宅への転居を急いだため、うっかり忘れてしまったからです。
私は忘れたことを後悔しています。
6年間、糠にしんを送っていなければ父はあと2〜3年、長生きできたでしょうか。
しかし、それが父にとって幸せだったのかと思います。
それより、送らなかった年に亡くなった父です。
最後の誕生日に、好きなものを食べさせてあげられなかった後悔が残っています。
2019年06月19日
再会できず
昨夜2019/06/18「ラジオ」で私は「目覚めた」と書きました。
目覚めたというのは、世間に目が行った または 開眼したつもりで書きました。
自ら周囲に目を向け行動範囲が広がる。言い換えると成長した時期です。
それが私の場合、小学5〜6年のとき。また高校2年がそうでした。
その頃はとても楽しい思い出として残ります。
その小学5〜6年の担任をしてくれた先生がいます。
小学校は東京都江戸川区にあり、先生は毎朝千葉県から通っていました。
なぜかわかりません。先生とはいまだに年賀状のやり取りがあります。
年賀状には以前、電話番号が書かれていました。
昨年の2月、懐かしく思い電話をかけてみました。
40年振りに聞く声でした。
私たちを送り出した後、しばらくして結婚し今では平日、孫の子守をする毎日だそうです。
もう40年以上たっていますが当時のことをよく憶えていてくれました。
そして先生はまだ北海道に来たことがなく現在、北海道旅行を計画中とか。
それは偶然。ぜひ会いたいと話しました。
その後、特に連絡を取り合うこともなく今年になり、4月にまた電話してみました。
北海道旅行は終わってしまったのかと。
すると昨年は計画できず、今年に延期された。6月に計画しているとのことでした。
それは会いたい。ぜひ会いたい。
とても楽しみにしていたのですが、、、
6月になり連絡してみると、友人と二人で来ると言います。
しかし、函館旅行にしたと。
私はてっきり札幌へ来るものだと思っていました。
ところが函館。なるほど、夜景を見るなら私は函館の方が良いと思います。
今では札幌の夜景が函館を追い抜いたと聞きますが私、とてもそうは思えません。
それも夜に行って“夜景”を見るのではなく、明るいうちから暮れていくところを見るのが良いんです。
函館の夜景を見るのは函館山からで、函館山山頂には“レストラン ジェノバ”があります。
レストラン ジェノバ横には外に大きなカメラが置いてあります。
函館山からの映像を発信しているライブカメラです。
このジェノバでビール、ワインでも良いでしょう。
飲みながら暮れていく情景を観るのは何とも贅沢で良いんです。
ただ、先生は北海道の地理というのをどこまで把握しているのでしょうか。
函館、札幌間は最短で300km。とても先生方を「迎える」距離ではないのです。
こっちも函館までの旅行になってしまいます。
仮に札幌だったら、観光も限られてしまいます。
小樽にお連れし運河やオルゴール堂、天狗山、北一ヴェネツィア美術館など。
札幌では時計台、大倉山ジャンプ場、白い恋人パーク、食べるのは良いが観るのはあまり、、かな?
それでも札幌だったらお迎えして案内できたでしょう。
ですが函館なら、、
仕事を二日休み、一泊の予定でJRで行ったとしましょう。
ざっと計算して8万円かかります。
迷っていましたが、そこへ私の母の容体悪化。
先月私が行ったことで無理をさせたようなのです。
私はせっかく来たので、なるべく母のそばにいましたが、母は殆ど寝ています。
起きたときに話をしますが、それだけでも母にしてみれば相当体力を消費したのだと思います。
結果、函館で会う話は無しになりました。
もっとも経験上、きれいな思い出を追いかけると必ず、思い出は幻であると気づかされます。
これで良いんです。
2019年06月18日
黙字
さっき地方版のテレビ番組で紹介されていました。
黙字(もくじ)。書くけども読まれない字のこと。
そもそも番組ではクイズ形式で街頭調査。
名前の“服部(はっとり)”さん、“服”は何と読み、“部”はなんと読むか。
“服”を「はっ」、“部”は「とり」と読む人が多く、私もそうだと思っていました。
しかし正解は、“服”で「はっとり」、“部”は読まない“黙字”なんだそうです。
他にも“伊達(だて)”さんの“伊”が黙字、“和泉(いずみ)”さんの“和”が黙字です。
これはわかります。
番組では皆さん、「そうなんだ!」と納得していましたが、私には解せないんです。
それは
昔見た名刺です。
“部田”さん。
名刺にはわざわざ、ふりがながふってあり、“とりた”となってました。
“部”に「とり」、“田”に「た」と。
私はそれを見て、
「なるほど、だから服部さんなんだ。」
と納得したのです。
これでは矛盾しています。
テレビで言っていたことは間違いではないのでしょう。でも解せない。
ラジオ
私が目覚めたのはラジオからでした。
小学校5年から6年生にかけて、毎晩TBSラジオの“一慶・美雄(いっけい・よしお)の夜は友だち”を聞いていました。それは姉からの勧め。オープニングのナレーションをすべて暗記するくらい、楽しみに聞いていました。
でもその前、小学4年生の頃から私は夜になると子供部屋でラジオを聞くのが楽しみでした。
その頃、放課後の遊びというのは友だちと歩いてどこか遠くへ行くのが日課でした。
小学校低学年のときには駆け足や自転車で走り回っていたのですが、少し落ち着いたのかな?(笑)
あと、プラモデルです。
機械が大好きだった私は夕方以降、毎晩のようにラジオを聞きながらプラモデルを作っていました。
プラモデルは機械ではありません。でも3次元の構造物という共通点で好きだったのだと思います。
よく聞いたラジオ、それなりの知識をくれました。
強く憶えているのは天理教同友会のラジオCM。私は神道なので特に宗派は持ちません。
でも、なんだか心が温まるCMでした。
それから映画評論家の故、淀川長治さんが番組を持っていました。
淀川長治さんは本当に心から映画を愛した人です。
ある日の放送で、まだ彼が少年だった頃、きっと学校をサボって映画を観にいっていたのでしょう。
あまりに映画が面白かったので、映画館の電話を借りて家族を映画館へ呼んだといいます。
淀川長治さんは裕福な家の育ちです。
映画館に電話はあったでしょうが、架ける先の家に電話があったのは当時、きっと珍しかったろうと思います。
その、家族を誘うセリフをラジオで語った淀川長治さん。それが実に夢中で真剣でかわいくて、小学生だった私も感動しました。
さらにラジオでは当時の歌謡曲も流していました。
今日、ふと思い出したのは“片平なぎさ”さん。
片平なぎさといえば『火曜サスペンス劇場』『山村美紗サスペンス 赤い霊柩車シリーズ』『土曜ワイド劇場』などでおなじみです。
なんとなく惹かれた歌に、「頬にかかる涙」があります。
また、当時知った歌に“アン・ルイス”さんの「フォー・シーズン」もあります。
アン・ルイスさん、(今と違い(?))可愛くて当時、没頭したものです。(笑)
(YouTube:70mini)
(YouTube:アン・ルイス - トピック)