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2018年08月31日

それあり?お祝い金

 母が老人ホームに入所してから父が単身になり、そのまま住んでいたアパート。
昨年、高齢を理由に契約更新がされませんでした。恐らく、どこのアパートもそうでしょう。

転居先が決まるまで部屋を空ける猶予を与えられていたので、サ高住(サービス付高齢者向け住宅)の空きを待つことにしました。
そして、ようやく空いたので、5月に転居しました。

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今は何をするにもネットが良い情報源になりますね。
そしてそのまま、入居の申請もできるようになっています。
私は「みんなの介護」というサイトから申し込むことにしました。

ただ、実際にはサイトで申し込みをしても、施設と直接書類で契約を交わす必要があったりします。


サイトから申し込むと、最大10万円のお祝い金と書いてあります。
私は父の入居後に早速、お祝い金の申請をしました。

お祝い金は入居日から3か月経過後の月末に振込みとあります。
ちょうど今日がその月末でした。

スマホで口座の残高を確認すると、、、、

え゛?

だいたい何でも相場ってあるものだと思います。
最大10万円。
最大は無理だとしても、だいたい半分くらいかと思っていました。

いくらだったと思います?

 2,000円!

わお!
10万円だと6ケタ。ひとケタ違いで少なければ2-3万円かも、、と思ってはいましたが、
まさか2ケタも違うとは、、、

入居までには“みんなの介護”から何度も何度も電話がありました。
「進み具合はどうですか?」
と。

3月に肋骨骨折し、整形外科にいたときにもお構いなしに電話はかかってきました。
別にお祝い金が欲しいから電話を取ったわけではありません。
でも、まったくそうではないかというと、いくらかはお祝い金のためというのもありました。(笑)

けど、サイトを開いてユーザー登録し、施設を登録し、何度も何度も電話を受けて、入居した報告をいちいちおこない、お祝い金申請の登録をして、そこまでして2,000円ですか?
あえて言います。

たったの2,000円ですか?

最大10万円をもらえる人っているの?
いるとしたらどんな条件なの?
つい聞きたくなります。

もし、同じように家族がサ高住へ入居するのを考えることがあったら、覚えておいてください。
















2018年08月30日

退職

 今日、4月から今日までお世話になった会社の最終出勤日でした。
終ってホッとしています。
3月で前のブースが終ることになり、4月からの仕事を探したものの見つからず、少し条件がきついと感じながらも申し込んだ会社です。

入ってみるとビックリしました。
ひと言で例えるなら「昭和の会社」です。

役職が物を言い、年齢差は関係ありません。
SV(スーパーバイザー)など上の管理者はふんぞり返り、あまり忙しくしている様子もない。

何よりびっくりしたのは、手挙げができないこと。

普通、コールセンターといえば、手挙げがあります。
オペレーターが電話対応しているとき、わからないことがあれば手挙げします。
すると管理者がすっ飛んできて教えてくれるという体制です。

しかしここは手挙げする文化(笑)がありません。
わからないことがあれば、たとえお客様を待たせてでも一旦電話を保留にし、管理者のところまで歩いて、または走っていき、聞くというのです。

はじめ、このシステムには文句をつけました。しかし、会社の体制なので変えられないと云います。
でも実際には聞くための管理者も席を立って不在のことがあります。
まあ、お客様を優先していないというのか。

また、手挙げだとすっ飛んできた管理者が丁寧に教えてくれますが、こちらから聞きに行くのでは、いい年をこいて10も20も年下の管理者に「教えてください」とはとても言いたくありません。

ですが、気にしない人、またはこの会社しか知らない人はそれが当たり前だと思うのでしょう。
結果、ますます管理者は天狗になっていく構図ができているのです。

手挙げのできないコールセンターは、10ヵ所目にして初めてでした。

そもそも4月から一時しのぎのつもりで入った会社。
それが次のあてが外れ、5か月という、こんなに長く世話になるとは思っていませんでした。

ハッキリ言って未熟な会社です。効率を考えてない。
大手企業から仕事をあてがわれ、成り立っていると言って良い。
そしてまた、この会社しか務めたことがない社員、管理者が実に多いことか。

30代の管理者が50代の私に説教する会社。
私は30代のことを思い出すことはできます。だけど、
30代の人間がまだ経験していない50代の心をどう考えるというのか。

今日はかなり愚痴になってしまいました。



















チャリ

 バス通をしていて最近、よく見るのが、バスより右側を走る自転車。

自転車ですよ。

私は16歳のとき原動機付自転車の免許を取りました。
もともと、原付の法定速度は30km/hというのを知ってはいました。
が、
講習で原付は“(道路左側の)路側帯を走る”というのを聞いてガッカリしました。

以来、原付でも走ることができない、センターラインに近い車線を走るということに夢を抱きました。
憧れたのは自動二輪。これは私の人生で初めてあきらめた夢になりました。
でも、普通免許でも中央車線を走ることはできます。

なのに、、
自転車がバスより右を走っている。しかもノロノロ。

そいつは自動車の免許証を持っているのでしょうか。
持っているのなら知っているはずなので
「遠慮しろ!」
そう言いたいです。

持っていないのなら、
“知らぬが仏”


 いま自動車免許を持っていない若者が増えていますね。
私の頃は皆、18歳になったら普通免許を取るというのが世間一般だったと思います。
しかし時代の流れとともに、若者の自動車離れ、少子化、そんなことで自動車学校の閉鎖も多く、自動車免許を取るのにかかる費用も膨大になることから余計に自動車離れが加速しています。

確か、私が自動車免許を取るのに要した額は13万5千円だった気がします。
でも今は相対的に高くなり、特にマニュアル車は30万円強だとか。

私が免許を取った当時、原動機付自転車の免許は確か7千円。
でも、特別な待遇を得た気がしました。

それは公道を走れるということ。
小さなころから道路は見ていた。
でも、子供が行き来できるのは歩道だけ。

車道に出るというのは免許を持っている者だけの特権だと思っていました。

自転車は道路交通法で何かと拘束のある乗り物のはず。
しかし、やりたい放題の現代はどうかと思います。

今、自転車に乗る一部の人は、あるときは歩行者信号を見て、またあるときは自動車の信号に合わせるという、自分に都合の良い乗り方をしています。
でも乗っている自転車は歩行者ではありません。

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最近、ようやく自転車が人を轢いて賠償問題が起きるようになってから自転車に乗る人たちのセオリーに関心が湧いてきたように思います。
どの世界にも淘汰は起こるものだと思います。
やがて、すべての自転車が相応の走り方をするようになる時代が来ることを願っています。















※さて、時間的に辛かったセンターも明日(今日)が最終出勤日。
また連日ブログをアップできるようになればと思っています。



posted by CSおじさん at 00:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2018年08月29日

朝のバス停にて

 相変わらずバス通勤をしています。
久しぶりにバス停でまたうるさいことを言ってしまいました。

昨日です。
バス停に着くと二人、先着がいました。
ひとりは30代くらいの女性、もう一人は高齢の女性。

バス停には看板が立っています。
若い方の女性は看板から1メートル以上、離れて立っていました。
高齢の女性はその後ろにいます。

バス停には並ぶもの。
並ぶというのは一列に並ぶものだと思っています。
しかし、その二人はバス停の看板近くに立ってはいるものの、並んでいるとは言い難い状態。

はてさて、私はどこに立ったら良いものか。

その二人を尊重するのなら、私が加わっても私も並んでいるとは言えない状況になるでしょう。
何しろ看板の横には誰もいないので、後から割り込まれるのも頭に来ます。

そこで、若い方の女性に声をかけました。
「もっと詰めたらどうですか?」
と。
しかし、その女性は何を言われているのかわかっていない様子。

さらに言います。
「看板横にきちんと並んだらどうですか?」
と。

すると女性はどうぞと手を差し出します。
そんなに並びたいなら私よりも先にどうぞと言いたかったのでしょう。

私は遠慮することなく看板横に立ちました。
そして、
「ごめんなさいね、ハッキリしないのが嫌いなんで。」
そう言いました。



イメージ


女性ら二人は私の批判をしているようでした。
でも私はイヤホンで音楽を聞き始めたので、内容は聞き取れませんでした。

その後、バス停は人が並び始め、最終的に10人以上なりました。
初め、私と距離を取るように立っていた二人の女性たちも人が増えるにつれ、割り込まれまいと私に近づいてきました。最終的にはきちんとした一列が完成しました。

もし、あのまま二人が並ぶことなく立っていたら、10人以上の人たちはどのような配列になっていたのか。
そこまで私の意思を汲んでくれたとは思えません。

 先日スマホで読んだ記事にあったことです。
たまに通勤時、イヤホンで音楽を聞きながらボリュームを上げすぎ、周りに音が漏れるくらいの大音量で聞いている人がいます。「シャカシャカ」と聞こえてくるアレです。

あれはマナー違反とされているようですね。
そのマナー違反に対して、行うことが分類されていました。

・直接注意する系
・間接的に注意する系
・黙認する系
・ノリノリ系

直接注意する系は言うまでもありません。
間接的に注意するのは鉄道会社の人に通報するなど。
黙認も言うまでありません。
おもしろいのはノリノリ系です。

漏れている音楽に合わせて体をゆすり、リズムに乗るというのです。
これは考えもしなかったことです。

あと、地域的な分類もありました。
黙認するのは意外にも東京、大阪に多く、また北海道も多いのだそうです。
対して、間接でも直接でも注意するのは九州が多いそうで、そのバラエティにも富んでいるそうです。
ノリノリ系も九州に多いのか、、、?(地図が小さく、詳細までは記載されていませんでした。)

先ほどのバス停、二人の女性はそんな黙認が多い土地の産んだ性格かもと思いました。
ただ、私が思うに、その態度から見えるのは
「無責任」
そのひとことに集約される気がするのですが、、、





















posted by CSおじさん at 23:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 通勤

2018年08月27日

世にも奇妙な物語(2)

 ブログの更新、なかなかできなくてすみません。
でも、何かと厳しい今の会社は今月いっぱいで辞められることになりそうです。
体調の回復とブログ更新に充てられる時間が戻ることを期待しています。


 フジテレビ系列で放送している番組「世にも奇妙な物語」について、私の感想は過去2017/11/22に、「世にも奇妙な物語」で紹介しています。

その中の「越境」はとても好きな作品です。

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YouTubeで探してみると、ありました。
“JPN Channelアニメ”さんがアップロードしています。

ただ、著作権のことはどうなのでしょうか。
わかりません。

誰しも好きな番組とか映像はあると思います。
それをYouTubeにアップロードすることだってできるでしょう。

しかし著作権というのがあります。
例えばPCのソフト、プログラムを書いたことがある人は、逆に自分が書いたプログラムを第三者にコピーされることを拒絶したいものだと思います。

作る人と見る人の違いです。

 YouTubeではそれを厳しく規制していますね。
実は私、昔、TV放送された映像を、自分で撮っておきYouTubeにアップしていた頃があります。

毎日、仕事から帰るとどれだけ再生されたのか、また、どこの国から再生されたのかを楽しみにしていた時期がありました。
しかしある日、いつものように家に帰り、YouTubeの画面を開くと、画面がピンク色。

何でも、私のアップロードした映像が著作権者から指摘されたそうで、一回目は注意(警告?)でしたが、放っておくと続いて、アカウントの削除になり、画面がピンク色になったのでした。

“JPN Channelアニメ”さん、どのようなお立場でアップロードしているのかわかりません。
場合によっては、“JPN Channelアニメ”さんだってアカウントを取り消されるかもしてません。

もちろん、私は“JPN Channelアニメ”さんを応援します。

この作品、「越境」については過去の


2017/11/22にアップした「世にも奇妙な物語」を読んでいただきたいと思います。

作品はこれです。
(YouTube:JPN Channelアニメ)


今ではすっかり悪役になった俳優の塩見三省さんも出ています。



































posted by CSおじさん at 02:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2018年08月22日

モルタル

 なかなか体調が好くならないので、今日は会社を早退して病院へ寄ってきました。

病院は内科にかかっており、毎月30日分の薬を処方してもらっています。

先週、薬をもらい同時に採血もしてきました。
もう結果は出ており、以前から指摘を受けていた中性脂肪と、それからコレステロールが異常な結果。
血液がドロドロなんですね。血管系の病気が心配です。
これならだるいだろうし、眩暈もするだろうと。

点滴を打たれ、薬は特に追加もなく(追加しようがないそうです)帰ってきました。
帰り道に改めて街の様子を見てみました。

住んでいるところは店や事業所よりも家やアパートマンションの多い、どちらかというと住宅街です。
家並みをみて思ったのですが、今やモルタル塗りの家がなくなりました。

19歳のときから保険代理店を手伝い始めました。
火災保険の保険料というのは、建っている地域や、住宅物件、一般物件、工場物件、倉庫物件など建物の用途、また構造によって決まります。

構造というのは、鉄筋とか木造とか、また壁の材料によって決まっています。
その昔、私がまだ保険を頑張っていた頃は、住宅物件というと

 “木造モルタル塗り2階建て専用住宅”

というのがほぼ一般的なものでした。

が、改めて見た近所の家にはモルタル塗りの家など一軒もありませんでした。
全部で3〜40軒あったでしょうか。

 ところでモルタルといって通じますか?
このブログを見て下さる方々、年齢の分布というのが気になります。
しかし現実に調べることはできないのでしょうね。

調べると「砂(細骨材)とセメントと水とを練り混ぜて作る建築材料」とあります。

 昔はこのモルタルを表面に塗った構造の家が殆どといって良いほど多くありました。



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(建物が)ちょっと古すぎるか・・・


しかし、今は防火サイディング張りの家がほぼ、すべてになっていますね。
中には1軒だけ、防火サイディングの上からモルタルを塗ったような家がありました。それだけ。

防火サイディングが良いことは言うまでもないですね。
火災になったとき、周囲からの延焼を防ぐ防火構造のため、火災保険料が安くなります。

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外壁補修の際、百何十万多く支払っても、やがて保険料で元が取れます。

家の形も昔は三角屋根だったものが、今は平らな屋根になっています。
家でもファッションでもそうだと思いますが、古いものは古いと感じ、新しいものはそれなりに新しいと感じる。
しかしデザインでも歌でも本当に素晴らしいのは、時代を感じさせないものがありますね。



















2018年08月19日

因果応報

 不思議と最近、身の回りで起きることが“わかり易い”と感じます。

その日に起こった悪いことは特に、
「あそこであのようにした(言った)のだから当然だ」
といった具合に、起きたことの原因がわかるのです。

当たり前といえば当たり前ですが、、
いままでそのように感じたことはありませんでした。

それは経験を積んでわかるようになったのか、それとも偶然にわかり易い原因と結果が起こっているだけなのか。または両方なのか。
さらにはもっと深いところまで理解しなさいというメッセージなのか。


「土竜(もぐら)の唄」ってありますね。
私は映画でしか見たことがありません。“生田斗真”さん主演です。

原作がそうなのでしょうが、全体ギャグめいたストーリーです。
しかし、映画 〜 潜入捜査官 REIJI 〜 に出てくる、“堤真一”さんの言う、

 「いい種も悪い種も、自分(てめえ)が蒔いたモノを刈り取るのが人生だ。」

このセリフはとても明快で、その通りだと思います。まさに名言だと思います。

“因果応報”とはよく言ったものです。
悪い種を蒔くと、悪い芽が生えてくるのはもちろんですが、繰り返すうちに悪循環になります。
良くないのは、悪いことが続くと人間、ヤケになってしまう。

ヤケになると、まず、いい結果は返ってきませんね。

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名言ってすごいと思うのは、覚えやすく、気に留めておくのができることでしょう。
指針というか、導いてくれるありがたい言葉たちです。

 今日のテーマとは少し違うのですが、昔テレビドラマで「バブル」ってありました。
その「バブル」の中にも名言だと思うセリフがあります。“渡瀬恒彦”さんのセリフです。

「一人の者には いつも不安がつきまとう
 組織の者には いつも不満がつきまとう」

この組織とは会社などのこと。一人とは自分で仕事を興している人、または組織のトップでしょう。
他にもあるのですが、こういった“名言”を思い出すことで「なるほど」と気持ちを整理することができます。


















posted by CSおじさん at 00:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2018年08月15日

終戦記念日

 終戦記念日って意識していますか?

まだ小さなころから親に戦争体験を聞かされていたこと。
また、小学生のとき読んだ、松本零士先生の戦場まんがシリーズ。
さらに新婚旅行で訪ねた広島市にある平和祈念館のこと。

それらから終戦記念日は毎年、意識するようになっていました。

ただ、今年の終戦記念日は少し複雑な心境です。
なぜなら、先日帰省した先で見た長崎の原爆を取り上げたNHKの番組を見たから。

途中から見たので、すべてを把握しているわけではないのですが、、
アメリカ人の女性があることから長崎に落とされた原爆のことを論文にし、アメリカで公表したというもの。

アメリカでは広島、長崎の原爆投下に対して、肯定的な意見が多いことは皆さまご存知のことと思います。
広島、長崎に原爆が投下され終戦に至ったこと。また、
終戦に至らしめたことで200万人以上の、新たな犠牲者を生まなくて済んだ雄弁として認識されているようですね。

しかし、アメリカ人のほとんどは原爆雲を知っていても、その下でどんなことが起こっていたのか、
聞かされていないと云います。

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また、それとは反対に
広島、長崎の人々は原爆の生んだ悲惨な光景は目にしていても、原爆雲を見ていないと云います。

私はマンガ、“はだしのゲン”を知っていますし、原爆で被害を受けた方々を描いた絵や写真を見ているし、体験談も聞かされています。
だから原爆はもういけないものだと思ってきました。

だけど昨年、北の某国が核実験を連発し、ミサイル実験も繰り返しました。
さらには2度ほど、北海道上空をミサイルが横断し、太平洋に落下したこと。
それらを経験すると、いつの間にかアメリカが持つ核の傘に隠れたいと思うようになっていました。

もしトランプ大統領が北に核ミサイルを投下していれば、世界は変わっていたでしょう。
もう北の脅威に脅かされることもなくなっていたかも知れません。

しかし、それでは私も原爆投下を肯定するアメリカ人と同じになってしまう。
原爆を投下された唯一の日本国民として広島、長崎の痛みを忘れたことになる。

そう考えると複雑な思いの終戦記念日を迎えることになりました。
























posted by CSおじさん at 01:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2018年08月14日

近況 2018.8

 まず、近況について。
3月で派遣終了を告げられていた元のセンター。
急いで次の派遣先を探していたものの、良い派遣先は見つかりませんでした。

4月からの仕事先を確保しなければならないと、とりあえず今の職場を希望しました。
時給が下がった分を、勤務時間でカバーしようと思いました。

しかし月に220時間働くというのは、そうそう楽なものではありません。
なにしろ、いつの間にか身体がついて行かなくなっていました。

体調を崩し、このブログの更新さえも容易ではありません。
朝起きて、帰宅すると間もなく夜の12時。それからブログを書いても寝不足は必至です。

5月には約220時間、頑張れたものの、疲れは蓄積し、休日は寝て終わり。
先日、盆休みで帰省しましたが、毎年、神社さんにお願いしている祝詞(のりと)の手配を、妻に聞かれるまでうっかり忘れていました。

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北海道なので、ジンギスカン鍋

このように毎年、決まって行うことさえ憶えていられない。
まったく余裕のない生活をしています。

いつだったか派遣先のコールセンターなどはいくらでもあると豪語しておりましたが、余裕がなくなると、そうも探してはいられなくなるくらい蟻地獄にでもハマったような生活を、このような良い年になって過ごしています。

















2018年08月03日

「忖度」と「リベンジ」

 昨年、ワイドショー番組などを盛り立てた「森友学園問題」。
以来、「忖度(そんたく)」という言葉が、これもワイドショー番組で特に、聞かない日はないというくらい日常の言葉になりました。

でも、学校で習いましたか?または親から「忖度ということばはね・・」という教育を受けましたか?
「忖度」という言葉、私はそんな日常でありふれるような普通の言葉ではないと思っています。
もっと特殊というか、難しい言葉。

 たとえば、親や友達と話しているとき、
「今の人間関係や経済状況を鑑み・・」
なんて言いますか?


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「忖度」もそんなありふれた言葉であって欲しくないんです。

 そんな日常から使い始めるので、意味だって履き違えられていませんか?
今、日本ボクシング連盟の山根会長が盛んに取りざたされています。

<注意!>
山根明会長は日本ボクシング連盟の会長で、ボクシング協会ではありません。
会長というから、私もボクシング協会かと思いましたが、違うようです。
このことで日本ボクシング協会はかなり迷惑を被っているのだとか。


日本ボクシング連盟の山根明会長が、本人は要求していないのにカンロ飴やミネラルウォーターを振舞われたり、来賓席でもひときわ背の高い椅子を用意されたりと、それは周りの『忖度』と報道されています。

でも、「忖度」ってそうでしょうか?
私は国語学者ではありませんし、評論家でもありませんけど、新しい知識は一応、調べることにしています。
「忖度」とは、相手の気持ちを推しはかる意味であり、気遣いと言って良いでしょう。

でも、山根明会長については「推しはかる」ことには違いはありませんが、どちらかというと「ご機嫌取り」とか「ゴマすり」のような意味合いに使われていると思います。

これは、森友学園問題で籠池理事長が初めにつかったとされています。
それを国会で野党議員が取り上げ、ワイドショー番組が取り上げ、ここまで日常の言葉になったのではないでしょうか。もっとも、私も友人、知人との会話で「忖度」という言葉はつかいません。
いまのところ、ワイドショー番組どまりといったところか。

では本来、「忖度」の使い方とは。
相手の気持ちを推しはかるのですから、
「精一杯トレーニングにかけた試合に敗れた友人を忖度し、あえて言葉はかけなかった。」
こんな使い方になると思います。

そもそも「忖度」とは悪い言葉ではないと思います。


また、「リベンジ」も大衆が使うことによって、意味合いが変わった言葉だと思います。
もともとは、ひと言で言い表すなら「雪辱」です。

「雪辱」には「前段」があります。そして敗れた悔しさを晴らす。
悪い言い方をするなら、「恨み」を晴らす。または「復讐」です。

「雪辱」を調べると、
〜 中国古代の春秋時代、越(えつ)国の王が、呉(ご)国に会稽山という所で敗れ、ひどい屈辱を味わいましたが、その後何年も苦労を重ねた上で、最後には呉国を滅ぼすに至った。〜
と書いてありました。

敗れるというのは生まれ育った土地を追われ、難民のような生活を強いられといった、これくらい酷い仕打ちを受けることで、中国の故事成語である「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」もこれから来ています。

なのに今では単なる再挑戦のように軽く使われることが多くなっていると思います。
「よーし、昨日のリベンジ!」
といったような、簡単な言葉ではないと思っています。

 人は自分の感情を訴えたいがあまり、大げさな表現を使うというのがあると思います。
今は「めっちゃ」とか「ガチで」というのが若い人を中心によく使われているようですが、昔からこのような程度を示す副詞はさまざまに姿を変えてきました。

少し前なら「チョー(超)やばくね?」。
関西なら「ごっつ」。
私の高校時代なら「爆〇〇」。悲惨なことなら「爆さん」のように。

「リベンジ」のように感情と密接な言葉なら、大いに取り入れられ本来の意味というのは二の次にされてしまうのかも知れないですね。
もしくは大衆というのはもっと感覚的で、新しい言葉を受け入れることに抵抗がなく、意味なんてどうでも良いのかも知れないですね。


















posted by CSおじさん at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想
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