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2018年09月23日

パーソナルスペース(2)

 “パーソナルスペース”というのがあります。
他人に近付かれると不快に感じる空間のことです。
このブログでも過去に何度か触れてきました。

このブログ、右上にある検索から“パーソナルスペース”で探すといくつか出てきます。

よく、人の前を横切らなければならないとき、手のひらを腰または胸の高さまで上げて、
「すいません」
とやる、あのオヤジくさい仕草は、パーソナルスペースを失礼しますというものですね。

ところが、それを気にせずに横切っていく輩がずいぶん増えたものだと嘆きます。

今日、JRのホームで電車を待っていました。土曜のため、駅は割に閑散としていました。

左から年配の男性が近づいてきます。
この地区は比較的に富裕層が多いとされているところで、私がこの駅を初めて使ったときの印象は、人の前を横切らず、わざわざ後ろを回っていくという好印象でした。

IMG_6315.jpeg

しかし、必ずそうとは限らないんですね。
その年配の男性が歩いてきた軌跡を延長すると、私の目の前を通ります。

〜 このまま前を横切ろうとしているのか?〜

私はとっさに、右足を軽く前に出しました。
とっさのことで、足を出したといってもそんなに大きく出してはいません。

すると年配男性はそれに気づいて立ち止まりました。
「何をするんだ?」
と。
私は
「人の目の前を横切るんじゃない!」
と言いました。

年配の男性は70歳くらいか。元気のいい爺さんです。

男性は
「だったら前に出ればいい」
といいます。

どういう意味でしょうか。
私が前に出れば、男性は私の前でなく後ろを通ることになると言いたかったのでしょうか。

でもそんなの、1mは前に出なくてはならないでしょう。
仮に30〜50cm出たくらいなら、今度は私が男性の行く手を遮ることになり私が失礼してしまいます。
何より、私の立っていたところは列車の停車位置を示す、ドア入り口のラインすぐ後ろです。

私は
「線があるから出られないだろう」
そう言いました。

さらに続けて、少し暴言を・・・

どうなんでしょう。
足を出すという行為は危険を招く行為です。
もし突っかかって男性が転んだら、高齢のため場合によっては危険です。

でも「これは私の直前を横切る」と判断するまで1秒くらいしかないと思います。
その瞬間に足を前にずらせる位置は、きっと頑張って靴ひとつ分くらいでしょう。
もちろん、本当に転ばせようとしたわけでなく、威嚇しようとしただけなのです。

それでもし、男性が私の足につまずくのであれば、その男性は私の靴ひとつ分という、非常に目前を横切ることになります。それこそ、身体と体が触れ合う近さです。

西出 和彦さんという、パーソナルスペースについて著書を出している人によれば、

 50cm 以下は排他域といい、絶対的に他人を入れたくない範囲で会話などはこんなに近づいては行わない。

と書いてあります。

 私は悩みます。
確かに足を出すのは危険行為。こっちが悪くなることはしたくありません。
では他の人ならどうしているのでしょうか。

・我慢する
 私にはとてもできそうにありません。

・抗議する
 これが正当なのでしょう。

しかし私はこう考えます。
もし、抗議したならばお互いの意見をぶつけ合い、勝者・敗者はできるでしょう。
でも、どっちが勝ったところで、世の中には自分と違う考えの人がいるという、当たり前の結論になるだけ。

そしてまた明日から変わらない一日が続いていく。
その前に口論しているうち電車が来てしまうというのがオチです。

ですが、あの男性のしたことは明らかに“無礼”な行為です。
私はその無礼を二度とさせたくありません。
そんな無礼を働いたら、こんなに不快な思いをするんだと、ある意味“教育”しているつもりです。
偉そうですね。^^;

さらに言えば、そういったパーソナルスペースに入ってくるのは明らかに女性が多いということ。

不思議と荒くれ者の兄さんやおっさんが、してくることはありません。
そういう輩は、私を見て
「こいつは面倒くさいことになる」
と、避けているのかも知れません。
というより、一見荒くれ者である輩こそ、自ら無礼は働かないのでしょう。

人ごみを歩いていてもそれはあり、すれ違いざまぶつかってくる = よけない
のは100%女性で、男性がぶつかってくることはまずありません。

女性や今日の高齢者は心のどこかに
「私は許される」
という意識が働いているのではないでしょうか。















2018年09月22日

Avaya

 - Avaya -

アバイアという、アメリカの通信、ネットワーク機器メーカーです。

あっちこっちのコールセンターを転々としている私ですが、最近では特に、このアバイアの電話機しか見たことがありません。

 どこのコールセンターでも、デスクにはPCがあります。
オペレーターひとりにはPCが1台か2台。

 昔は見たこともないインターフェイスがPCにつながっていて、そのインターフェイスから電話回線につながっており、電話機はないというセンターもありました。

しかし今ではどこへ行っても必ず、PCの横には電話機があり、しかも間違いなくAvaya製品なのです。

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コールセンターに勤務したことがある人なら、Avayaの電話機を一度は見たことがあると思います。

Wikipediaによると、コールセンターにおけるAvaya製品の国内シェアは53.2%で、2位は30%だとか。
ということは、1位と2位で寡占状態のあるといって良いでしょう。

 そのコールセンター。
今、コンタクトセンターに呼称を改めてきているそうです。
今ではお客様対応が、電話 = コール に限らずメール、また今後はさらにメディアが増えるだろうことから、「コールセンター」という限定した言葉は「コンタクトセンター」に変わろうとしているようです。

でも、それでは困るのがこのブログ、“コールセンターおじさんのブログ”なんですから。


さておいて、そのAvaya製品は、小さなコンタクトセンターでも数十台。
大きなセンターでは数百台あるのです。

さらに札幌市はコンタクトセンターがたくさんあります。
もう数年前になってしまいましたが、
新聞の記事では札幌市でコールセンターに勤務jする人の数は1万7千人。

さすがに毎日1万7千人が働いているわけではありませんね。
それでは無休になってしまいます。

週5日勤務の人もいれば、3日勤務の人もいるでしょう。
仮に6割の人が働いているとすれば、約1万人が働いています。
また、
働いている人の数 = 電話機の数でもありません。
余っている電話機は必ずあるはずです。

なら、ざっと概算で1万1千台の電話機があるとしましょうか。
そして電話機の単価は3万円くらいと考えられます。
なら、3億3千万円!!

いや、
「そんなものか。」
という感覚の方が強いか。

でも、拠点は札幌だけでなく、大きな都市には必ずあります。

さらに日本だけでなく、世界中に。
特に中国はすごいかも知れない。

さらには“PBX”と云ったか、サーバーのような親機も必要です。

恐るべし、Avaya。

















2018年09月21日

バス時間

 新たな派遣先で研修を受け、今日で4日目です。
予定外だったのは、朝8:50に開始なのです。そうは書いていなかった。

8:50から18:00までの勤務は全然早い時間ではなく、むしろごく一般的な時間だと思います。
しかし、発信業務が数年続いた私にとっては、ちょっと早いんです。
何しろ発信業務は大概、始業時間が10:00や11:00からです。

幸い、通勤時間がそんなに長くかかるわけではなく、初めは8:04発のバスでちょうど間に合いました。
ところがそれはたまたま、早く着いたからだったようです。

派遣先の会社は札幌駅に近く、北口を出たところにあります。
そしてバスは、札幌駅の南口に着きます。
南口から札幌駅に入り、北口に向かうと途中、喫煙所があります。

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できれば、私は一服してから会社へ向かいたいので、初日のように8:04のバスで間に合うなら時間的にはとても良いと思っていました。

でも2日目はギリギリで、一服している余裕はなく、3日目もギリギリ。
そこで今日はバスを1本早いのにしてみました。

ところが
今日もギリギリ、一服している余裕などありません。

どうやら、その1本早いバスまでが通勤ラッシュなんですね。
まず大抵、座ることのできるバスが、1本早くすると空いている席はありません。
乗る人も多く、混んでいます。混んでいるということは、乗る人も多いし、また降りる人も多い。

全てのバス停に停車。
当然、バスの遅れは積み重なり結局、一本早くした意味がなくなってしまうのでした。

なら、2本早くするしかないのか。
混んでるバスは早くから並んでいる必要があります。
簡単なようで、しかし20分早く家を出るのは容易ではありません。
さらに、通勤ラッシュ時間の真ん中で、バスはもっと混んでいることでしょう。

実は前の派遣先も8:50からでした。
前の会社では同じく通勤ラッシュを避けるため、早い時間のバスに乗っていました。
それは、早く着いても待っていられる場所があったからです。

なのに、今度の派遣先は早出が認められていません。
あまり早く着いても、どこかで時間を潰さなくてはなりません。

とはいえ、その早いバスに乗るために前の会社のときは朝5:30起きでした。
今度は6:30に起きても間に合うと思っていたのに、いったいどうしたものか、、、。














posted by CSおじさん at 23:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 通勤

若者

 すみません。もう眠たい。
今まである「手紙」を書いていました。

本当に、次から次からトラブルです。
「手紙」というのは、ケジメをつけて下さいというもの。
でもその相手は、少し大きいのかな?


 まだ研修3日目です。
座学で、親切だとは思うのですが何度も繰り返し、ゆっくりペースです。

今度はテクニカルです。
テクニカルのサポート。受信です。
テクニカルサポートはもう、7年振りです。

で、同じ派遣会社から若者が同期で配属されたのですが、若い割には腰がある。
帰りに突然、飲みに行くか?
と、冗談半分に誘ってもついてきます。

そして50代のおじさん二人の話を親身に聞いては「面白い」と言ってくれる。

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いま、異世代の付き合いは稀になったと聞いてきましたが、この青年は違う。
私の娘より若いけど、きっとそこいらの若者とは違う。

ひとことで言うと、「吸収力がある」のでしょう。
私は昔、「店番」をしていたことがあります。
店に立ち、お客様が入ってきたら、いらっしゃいませと。

もちろんお客様の質問に答え、望む商品を勧める。

お客様も十人十色です。
子供もいます。

その子供にもいろいろタイプがあり、たまによく質問ばかりしてくる子供がいました。
いちいち質問ばかりで、こっちも嫌気がさしたものです。
でも、
あとになってわかりました。

子供の成長は速いので、あっという間に小学生〜高校生 → 社会人です。
すると、
うるさいくらい質問してきた子供は、まず例外なく賢いのです。
当たり前かもしれません。
いろいろ質問してくるのですから、知識が豊富で、根は好奇心が旺盛です。

それで性格も謙虚で、先輩に可愛がられるタイプだと、いわゆるエリートコースです。

今日の若者もそうかも知れない。
また、父親は私より10歳前後、年上のようです。
きっと大事に育てられたのでしょう。

頑張って欲しいと思います。

できれば、長く付き合っていきたい若者です。















2018年09月20日

好みの変化

 スーパーアルバムというのか、、、
アーティスト達のアルバムは無数にあれど、すげえってアルバムがいくつかあると思います。
もちろん、人それぞれ好みは違います。

余談ですが、昔は“アルバム”というより、“LP”と言っていましたね。
まだアナログのレコード盤時代です。

レコード盤はサイズがいくつもあり、一般的だったのは直径17cmのシングル(EP)と30cmのLP。
レコードプレイヤーに乗せて、針を落とす。

レコード盤はA面とB面があり、A面の裏側がB面です。
シングル盤は片面に普通1曲収容。LP盤はアルバムですから片面に10曲弱というところか。

回転数は2種類あり、一分間に45回転と、33と1/3回転。レコードプレイヤーで切替えます。
主に小さなシングル盤は45回転で、大きなLP盤は33と1/3回転。

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ところが稀に、30cmLPで45回転というのがあり、例えば15分くらいの長い歌になると、そういった例外で対処していました。

CDにもシングルCDというのがありましたが、聞かなくなりましたね。

レコード盤を乗せる円盤を“ターンテーブル”と呼びました。
このターンテーブルに何ヵ所か穴が開いており、ターンテーブルの近くに上から光を当てる突起が付いていました。ターンテーブルの下には受光部があって、レコード盤の中心から約、20cmくらい外周側だったと思います。

この受光部が光を受けると、それはターンテーブルにシングル盤が乗っていることになり、回転数は自動的に45回転に。光を受けないとLP盤が乗っていると、33と1/3回転になる。
そんな仕組みも付いていました。

でもそれでは先の30cmLPは、33と1/3回転になるため、そういった例外のレコードは手動で切替えなくてはなりませんでした。


 ところで、分数です。
私は「33と1/3回転」と習いました。
でも姉は「33か1/3回転」といいます。

学年で二つしか違わないのに、教育方針で違いが生じるのですね。
今でもときどき耳にする「ゆとり世代」も、その1学年前までは該当しないのですからね。


さて、私がすげえと思うアルバム
例えば、ジャーニーなら「ESCAPE」、RCサクセションなら「EP/LP」、ビリージョエルなら「ストレンジャー」、中島みゆきなら「あ・り・が・と・う」、相曽晴日なら「紅いペディキュア」、デフレパードなら「On Through the Night」、サザンオールスターズなら「Young Love」。

どのアルバムも、収録されている曲がすべて良いのです。
私にとって1曲も無駄がありません。


 ただ、
年齢とともに好みも変化してまいりました。

今は軽快な歌が聞いていて快くなりました。
いま思うに、十代の頃は、かえって重たい歌が好きでした。

ビリージョエルの歌で比較してみると、十代のとき良いと思ったのは、

(YouTube:Billy Joel)

- The Stranger -


(YouTube:Billy Joel)

- Honesty -


でも、
この歳になって良いと思うビリージョエルの歌は、

(YouTube:333shouichi)

- Just The Way You Are -


(YouTube:Billy Joel)

- She's Always A Woman -


映像のビリージョエルは私ともども、歳を取っていますが、どれも同じ時代の歌です。

ジョンレノンも同じように変わってきました。
十代の頃は、

(YouTube:johnlennon)

- Woman -


今は、


(YouTube:johnlennon)

- Watching The Wheels -


もちろん、むかし好んで聞いた歌は今も好きなまま。
しかし、新たに良いと思った歌は、いずれも軽めの歌です。
でも、軽い印象の歌でも実は深い味付けがしてあると思います。

















posted by CSおじさん at 00:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 音楽

2018年09月18日

また次のセンター

 今日からまた新しいセンターです。

先日、いまの業務は公益財団を名乗り、アンケートすると書きました。
が、それは2週間の超短期。土日祝休み。
しかも北海道地震で二日間、休みになったので、2週間といえ勤務したのはたったの8日間でした。

14日に最終日を終え、土日祝と3連休。
今日の火曜日から研修が始まりました。が、これも11月末までの短期。
そしてまた今度の土日月と3連休。固定給の人は嬉しい9月かも知れませんが、私にとって貧乏な9月です。

派遣先の会社は、かなり古くからある大企業で名前はかなり昔から知っていましたが、この世界に入るまでコールセンターもしているとは知りませんでした。きっと途中から始めたのでしょう。
コールセンターとして噂には聞いていたものの、自分もお世話になるとは思っていませんでした。

タイトルなし2.jpg

そして、コールセンターによって独特の習慣がある気がします。
それは組織の上部にいる、いわゆる重役を崇拝しているのではないか?という風調。
コールセンターとして大きな会社になればなるほど、重役は重んじられるべくあるのでしょう。

でも、短期で派遣される我々にとって、言っては悪いですが、
そんなに重要なことではない。
ということです。

ただ、忙しいのかどうなのかわかりませんが今日、その重役がわざわざ挨拶に来てくれました。研修中に。
気遣ってくれることには感謝します。

しかし、今日の研修を執って下さった方は、それなりに持ち上げるというか、崇高感を演出しますが私にとってはどうでもいいことなのです。

 札幌にもある東京が本社の、ある大手コールセンターでは、社長を神様のように崇拝していると聞いたことがあります。幸い私は行ったことがありません。

何と言って良いのか、現実に私と、それから同じ立場の人間は、あくまで外部の人間であるという意識が抜けません。働く立場としてそれではいけないのかも知れませんが事実、短期の雇用で終身雇用ではありません。
常にここが終ったり、辞めたりすれば、同時に次を探さなければならないと、そんな緊張感が抜けません。

 このように職場内で上司を奉る(?)習慣は、役所に多いと思います。
きっといまだに残る悪しき習慣なのです。

電話をして指名すると、
「○○課長ですね、○○課長はいま席を外していらっしゃいます。」

こんな応対があるたびに私は、「バカか?」と思います。
下線を引いたところは、言ってはいけないのですから。

電話に出たあんたにとって、○○さんは偉い人、または怖い人かも知れません。
でも、電話をしている私は、少なくともお客様扱いされるべきで、例え上司であっても立場はそれ以上です。
また実際に、電話をかけている私にとって○○さんは私より偉いとは限らないのですから。

それが高校を出たばかりの若い兄ちゃん、姉ちゃんがするのなら仕方ないかも知れません。
でも、声を聞くと、ある程度年配者でもそんな対応しかできていない。
そんな常識を学ぶ機会に巡り合えなかった悲しい人か。
















2018年09月17日

依存しない生き方

 先日「不幸続き」で書きましたが、いま経験したことがないくらい大小のトラブルが舞い込んできます。
もちろん、悪いことばかりではないですが。

何だか、自分が宇宙を旅する天体に例えれば、隕石が次から次からぶつかってくる感じです。

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2018/08/19「因果応報」に書いています。
映画「土竜の唄」で聞いた、
「いい種も悪い種も、自分(てめえ)が蒔いたモノを刈り取るのが人生だ。」
というセリフ。

いま降ってくる隕石たちはまず、自分のまいた種ではありません。
悪いことが起こる原因はすべて自分の責任とは限らないのです。

※ここで熱心な読者の方は、
「じゃあ、SNSに“荒らし”が来たのは私のコメントが悪かったため、それが種ではないか?」
と仰るかもしれません。でも私をフォローしてくれる人が現れたため、“荒らし”はそれ以降なくなり平和解決だと私は思っています


 いま降ってきている隕石たちは仕方がないとして、大切なのは降ってくる隕石たちをどうするか?

ということです。
降ってくる隕石たちに私はこれから種をまきます。
その種をどんな形にするか、なのです。

 先日の北海道地震で壊れた電気式給湯器が昨日交換、今日からようやくお湯が使えるようになりました。
それまでに要した手間、時間、そういった労力や金銭的なこと。
これが初めてならまだしも、何度もたび重なってきた。

そういったことで管理会社がもし、
「はい、給湯器は直りました。これで問題なく完了です。」
これでは済まされないだろうと思っていた私。誠意を形にしてくれよと思っていました。

しかし妻は言います。
「覚悟していたより早く直ったから良かったんじゃないか?」

性格の違いはあります。
それはソーシャルスタイルで説明できると思います。

以前に
 2017/8/31「ソーシャルスタイル(1)
 2017/9/01「ソーシャルスタイル(2)
 2017/9/05「ソーシャルスタイル(3)
 2017/9/19「ソーシャルスタイル(4)完

それぞれ記事にしています。時間のある方にはぜひ読んでいただきたいと思います。

簡単に言うと、
アナリティカルの私は、じっくり考えたいタイプ。悪く言えば頑固。
エミアブルの妻は、争いごとを避けたいタイプ。悪く言えば気苦労。


 確かに何でもかんでも争えば良いものではありません。
引くところは引く、、というのも大切なことだと思います。
「損して得取れ」という言葉もあることですし。

 今回は何も言わないことにしました。
そのことで貸しを作る。それで良いのかと思っています。
同時に、大人しくいることで相手の性格が見えてくるということもあります。

先の“隕石に”例えるなら、
隕石を何か武器で撃ち落とす天体。
または隕石をまともに喰らい、そのまま進む天体。

月の裏側は隕石の衝突でクレーターだらけと聞きます。

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 因果応報を考えるなら、そのまま進んだ方が賢いのかも知れない。
でも、まともに喰らっているだけなら相手にナメられると思ってしまうのが私です。

中には耐えているのを理解し、手を差し伸べてくれる人も出てくるでしょう。
でもそれを私は「相手に依存している」そう考えるのです。

依存することを否定するわけではありません。
依存することで相手と仲良く打ち解けることができる可能性はあります。

でも自分の考えをあくまで通す、、というのは、自分を孤独な立場に置くという覚悟も必要です。
人付き合いで第一印象は大切です。
その第一印象で好感を持てた人でも、敵にしなければならないという覚悟も必要です。

さらにはそれを通し続けること。
どっちを取るか、私は後者を取ります。
















posted by CSおじさん at 00:37| Comment(0) | TrackBack(0) | 随想

2018年09月16日

平成30年北海道胆振東部地震 その後2

 ニュースでは「あの地震から今日で10日」と盛んに言っています。
あの時点では、これほどたくさんの犠牲者が出るとは思っていませんでした。
ご冥福をお祈りいたします。

直接の犠牲者は、命を落とされた方、住居を奪われた方などがいます。
それに比べて私なんかは停電の影響を受けたという間接的な犠牲者でしかありません。

とはいえ、仕事が二日間休みになったり銭湯へ行ったり等、金銭的な負担はありました。
そこへ昨日、ようやく電気式給湯機が交換されました。

給湯機(ボイラー)については何度か触れてきました。
が、覚悟していたより少し早く交換されたので、不幸中の幸いです。

IMG_6442s.jpeg

でも電気式給湯機は深夜電力で沸かすため、交換されても次の日までお湯は使えません。
可愛そうだったのは隣の世帯です。
まず給湯機にブレーカーが付いています。

交換してくれた業者は説明の際、このブレーカーを入れて帰りました。
しかしブレーカーはこれだけではありません。
深夜電力のブレーカーがもうひとつあるのです。

集電盤というのが大抵の家に付いていると思います。
壁の高いところや玄関など、ブレーカーがたくさんついているヤツです。
これに深夜電力、200Vのブレーカーが別系統として、もうひとつあるのです。

災い転じて福となるのか、以前200Vブレーカーが落ちていたためお湯が使えなかったとき、このブレーカーの存在を聞かされました。
あの時も深夜電力でお湯を沸かすため、解決して次の日まで計二日間、お湯が使えなくて困りました。

でも隣の家は知らなかったのでしょう。
業者が給湯器のブレーカーだけ入れて、集電盤のブレーカーは入れていかなかったことを。
隣の家も昨日、給湯器の交換は終わったのに、お湯を使えるのは明日からになってしまいます。

 先日、私が移り住んできた各地で大きな地震に遭ってきたと書きましたが、電気や水、食糧に影響を受けたのは幸い、これが初めてでした。
ようやく10日たった今日、元の生活に戻った気がしています。

 いまの業務は公益財団を名乗り、アンケートするもの。
全国相手ですから、北海道にもかけます。
すると札幌市であった場合、地震の後始末でそれどころではないと、断ったところがありました。

こっちも札幌なんですが、仕事しています。
そんなに大変だったのでしょうか。

 家の中は平常を取り戻したようです。
ですが、コンビニはまだ品薄です。
いつも贔屓(ひいき)にしているローソンのお茶、900mlで108円はいまだ陳列されていません。
















2018年09月14日

恐らく・・・かも知れない

 最近では公私ともに何かしらの出来事に見舞われ、落ち着けるヒマのない状況。
それでもなぜかYouTubeは寝る前に必ず見ています。

見ていたYouTubeに、
「あれ?」
と思うテロップがありました。

それは、
「恐らく、〇〇〇〇かも知れない。」
という一節。

おかしいと思いませんか?

本来、“恐らく”は、“○○だろう。”
につながり、
“かも知れない。”は、“もしかしたら”を受ける言葉だと思っています。

なので「恐らく」で始まり「かも知れない」で終るのは始まりと終わりが一致していません。

その記事を投稿した上げ主は莫大なアクセスを稼ぐYouTuberのようですから、じっくり書き上げる時間がないのだろうと思われます。
でも、それで良いのか? そう感じてしまいます。

普段から“ことば”を大切にしている人は、テレビを見ながらでも人と話しをしていても常に“ことば”を考え、気にしていると思うのです。
そういう人は忙しいとか関係なく、自分の発した言葉には敏感になっていると思います。

 小学校だったか、中学校だったか、
国語の教科書に「あわやホームラン」というタイトルの単元がありました。
内容は筆者が新聞か、スポーツ誌で読んだ記事のタイトルを読んで感じたというもの。

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それは「あわや」の使い方が間違っているという教材でした。
「ホームラン」は打者にとって功績です。
でも「あわや」は、危機から脱したときに使う言葉。

ここで“功績”と“危機”がゴッチャになっているというのです。

ただ、ピッチャーにしてみれば、「あわや」というのは正解かも知れません。
しかし
「ホームラン」そのものが良いことか悪いことかといえば、一般には打った打者をたたえる功績です。

それをピッチャーの立場を優先させ、タイトルにしたのが悪いのです。
せめて、「あわや被本塁打」と書けば、何ら問題もなかったのかも知れません。

 また、もう20年前にはあったと思う言葉に、
「なるほどですね。」
があります。

「なるほど」
というのは、何となく上から目線というのがわかると思います。
でも、私どもコールセンターのオペレーターや、営業の人間はあくまで、下から目線が前提です。

すると、上から目線である「なるほど」では失礼かもしれない。
だから、決して失礼にはならないようにと気遣うばっかりに、取ってつけたような
「ですね」
をくっつけたのではないかと、おかしく感じています。

「とんでもございません。」
もそうです。

元は「とんでもない」です。
しかし、これも上から目線の言葉に感じます。
それを避けるため、「ない」を丁寧に「ございません」にしたのでしょう。

ところが「とんでもない」という一つの言葉は、
「とんでも」と「ない」という二つに分かれません。
あくまで「とんでもない」がひとつの言葉です。

なので、上から目線にならないよう、「とんでもない」を言うのであれば、
「とんでもないことでございます。」
これが正解です。

先日に記事で私は「忖度(そんたく)」について書いています。

2018/08/03『「忖度」と「リベンジ」

 言葉はどんどん進化していくので、誰にも止めることはできません。
でも、新しく(本来は古い言葉で)登場した言葉を使うのも、古くからの言葉を応用するのも、考えてから口にして欲しいと私は考えています。

例えばテレビからの情報だけで、その中身を考えずにサルまねのように話す。
しかし使い方としては本来からまったく逸脱している。

機械が便利になってくると、人はどうしても機械に頼りがちです。

少し飛躍しがちですが、
恐らく短縮ダイアルや携帯電話のアドレス帳が登場してから機械に頼り、電話番号そのものを憶えなくて済むようになった、そのため憶えなくなった脳の退化だとも思えてなりません。
















2018年09月13日

通勤時のストレス

 朝、会社へ行くまでに何らかのストレスを抱えます。
地下鉄で通勤していたときは地下鉄でのマナー違反等、バス通勤をすればバスでのマナー違反等。
田舎に住んでいたとき、通勤でストレスを感じることはなかったのに。

ただし、田舎の通勤は車で、乗りたくても地下鉄はありません。
町自体が小さいので、車通勤でも5〜10分くらいです。(笑)

最近、それといった大きな出来事もなく通勤できているのは多少のマナー違反なら気にしなくなったこと。
我慢できるようになったのか、それともただ慣れてきただけなのか。

バス通勤で今でも多く見るのは二人座席の通路側に一人、陣取って乗る輩。
8割がた女性ですね。年配者が多いと思っていたら昨日は若い人でした。

「あんたが二人分の座席を陣取っているせいで、今乗ってきた客が座れなかった。」
「二人分の座席を陣取って、あんた二人分の運賃を払っているのか?」
「どう見ても敬老パスで乗っている。半分の料金で二人分の座席か?」

そんなことを考えながら乗っています。

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そもとも公共交通機関乗るからマナー違反を見てストレスが溜まるのでしょうか。
もし車通勤出来たら、そんなストレスを感じなくても済むのでしょうか。

しかし車だってマナー違反はいます。
例えば赤信号を避けるように、角にコンビニがあれば駐車場をショートカットしていくやつ。
これはバス通勤していると見える光景ですが、車通勤でも見ることになりますね。

また渋滞や割り込まれるなど、あるかも知れません。
また、今では煽るとか報復措置ができません。(笑)
やはり都会では通勤時のストレスは避けられないのか。

しかしながら、まず勤務先に駐車場がないので、車通勤はできません。
ときどきいませんか?
何時間止めても最大料金1,200円といった駐車場に止めている人。
または、知人に駐車場を使う許可を得て止めている人。

タダで使って良い駐車場なら燃料代だけなので、良いですね。
でも駐車場料金もとなれば、経済的に限られた人でしょう。独身とか。ただ、
共通していえるのは、車で通勤している人、駐車場から会社まで10分くらい歩く場合が多いです。

そういったストレスは出勤時が殆どで、帰りにはほぼありません。
大抵の日々を、朝からイライラして過ごしています。

少しのストレスは必要とか聞きますが、私はない方が良いと思います。
間違ってますか?














posted by CSおじさん at 23:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 通勤
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コールセンターに勤務することになって13年目になりました。 日頃考えていることを綴ってまいります。
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