他人に近付かれると不快に感じる空間のことです。
このブログでも過去に何度か触れてきました。
このブログ、右上にある検索から“パーソナルスペース”で探すといくつか出てきます。
よく、人の前を横切らなければならないとき、手のひらを腰または胸の高さまで上げて、
「すいません」
とやる、あのオヤジくさい仕草は、パーソナルスペースを失礼しますというものですね。
ところが、それを気にせずに横切っていく輩がずいぶん増えたものだと嘆きます。
今日、JRのホームで電車を待っていました。土曜のため、駅は割に閑散としていました。
左から年配の男性が近づいてきます。
この地区は比較的に富裕層が多いとされているところで、私がこの駅を初めて使ったときの印象は、人の前を横切らず、わざわざ後ろを回っていくという好印象でした。
しかし、必ずそうとは限らないんですね。
その年配の男性が歩いてきた軌跡を延長すると、私の目の前を通ります。
〜 このまま前を横切ろうとしているのか?〜
私はとっさに、右足を軽く前に出しました。
とっさのことで、足を出したといってもそんなに大きく出してはいません。
すると年配男性はそれに気づいて立ち止まりました。
「何をするんだ?」
と。
私は
「人の目の前を横切るんじゃない!」
と言いました。
年配の男性は70歳くらいか。元気のいい爺さんです。
男性は
「だったら前に出ればいい」
といいます。
どういう意味でしょうか。
私が前に出れば、男性は私の前でなく後ろを通ることになると言いたかったのでしょうか。
でもそんなの、1mは前に出なくてはならないでしょう。
仮に30〜50cm出たくらいなら、今度は私が男性の行く手を遮ることになり私が失礼してしまいます。
何より、私の立っていたところは列車の停車位置を示す、ドア入り口のラインすぐ後ろです。
私は
「線があるから出られないだろう」
そう言いました。
さらに続けて、少し暴言を・・・
どうなんでしょう。
足を出すという行為は危険を招く行為です。
もし突っかかって男性が転んだら、高齢のため場合によっては危険です。
でも「これは私の直前を横切る」と判断するまで1秒くらいしかないと思います。
その瞬間に足を前にずらせる位置は、きっと頑張って靴ひとつ分くらいでしょう。
もちろん、本当に転ばせようとしたわけでなく、威嚇しようとしただけなのです。
それでもし、男性が私の足につまずくのであれば、その男性は私の靴ひとつ分という、非常に目前を横切ることになります。それこそ、身体と体が触れ合う近さです。
西出 和彦さんという、パーソナルスペースについて著書を出している人によれば、
50cm 以下は排他域といい、絶対的に他人を入れたくない範囲で会話などはこんなに近づいては行わない。
と書いてあります。
私は悩みます。
確かに足を出すのは危険行為。こっちが悪くなることはしたくありません。
では他の人ならどうしているのでしょうか。
・我慢する
私にはとてもできそうにありません。
・抗議する
これが正当なのでしょう。
しかし私はこう考えます。
もし、抗議したならばお互いの意見をぶつけ合い、勝者・敗者はできるでしょう。
でも、どっちが勝ったところで、世の中には自分と違う考えの人がいるという、当たり前の結論になるだけ。
そしてまた明日から変わらない一日が続いていく。
その前に口論しているうち電車が来てしまうというのがオチです。
ですが、あの男性のしたことは明らかに“無礼”な行為です。
私はその無礼を二度とさせたくありません。
そんな無礼を働いたら、こんなに不快な思いをするんだと、ある意味“教育”しているつもりです。
偉そうですね。^^;
さらに言えば、そういったパーソナルスペースに入ってくるのは明らかに女性が多いということ。
不思議と荒くれ者の兄さんやおっさんが、してくることはありません。
そういう輩は、私を見て
「こいつは面倒くさいことになる」
と、避けているのかも知れません。
というより、一見荒くれ者である輩こそ、自ら無礼は働かないのでしょう。
人ごみを歩いていてもそれはあり、すれ違いざまぶつかってくる = よけない
のは100%女性で、男性がぶつかってくることはまずありません。
女性や今日の高齢者は心のどこかに
「私は許される」
という意識が働いているのではないでしょうか。
タグ:パーソナルスペース
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