2018年08月03日
「忖度」と「リベンジ」
昨年、ワイドショー番組などを盛り立てた「森友学園問題」。
以来、「忖度(そんたく)」という言葉が、これもワイドショー番組で特に、聞かない日はないというくらい日常の言葉になりました。
でも、学校で習いましたか?または親から「忖度ということばはね・・」という教育を受けましたか?
「忖度」という言葉、私はそんな日常でありふれるような普通の言葉ではないと思っています。
もっと特殊というか、難しい言葉。
たとえば、親や友達と話しているとき、
「今の人間関係や経済状況を鑑み・・」
なんて言いますか?
「忖度」もそんなありふれた言葉であって欲しくないんです。
そんな日常から使い始めるので、意味だって履き違えられていませんか?
今、日本ボクシング連盟の山根会長が盛んに取りざたされています。
<注意!>
山根明会長は日本ボクシング連盟の会長で、ボクシング協会ではありません。
会長というから、私もボクシング協会かと思いましたが、違うようです。
このことで日本ボクシング協会はかなり迷惑を被っているのだとか。
日本ボクシング連盟の山根明会長が、本人は要求していないのにカンロ飴やミネラルウォーターを振舞われたり、来賓席でもひときわ背の高い椅子を用意されたりと、それは周りの『忖度』と報道されています。
でも、「忖度」ってそうでしょうか?
私は国語学者ではありませんし、評論家でもありませんけど、新しい知識は一応、調べることにしています。
「忖度」とは、相手の気持ちを推しはかる意味であり、気遣いと言って良いでしょう。
でも、山根明会長については「推しはかる」ことには違いはありませんが、どちらかというと「ご機嫌取り」とか「ゴマすり」のような意味合いに使われていると思います。
これは、森友学園問題で籠池理事長が初めにつかったとされています。
それを国会で野党議員が取り上げ、ワイドショー番組が取り上げ、ここまで日常の言葉になったのではないでしょうか。もっとも、私も友人、知人との会話で「忖度」という言葉はつかいません。
いまのところ、ワイドショー番組どまりといったところか。
では本来、「忖度」の使い方とは。
相手の気持ちを推しはかるのですから、
「精一杯トレーニングにかけた試合に敗れた友人を忖度し、あえて言葉はかけなかった。」
こんな使い方になると思います。
そもそも「忖度」とは悪い言葉ではないと思います。
また、「リベンジ」も大衆が使うことによって、意味合いが変わった言葉だと思います。
もともとは、ひと言で言い表すなら「雪辱」です。
「雪辱」には「前段」があります。そして敗れた悔しさを晴らす。
悪い言い方をするなら、「恨み」を晴らす。または「復讐」です。
「雪辱」を調べると、
〜 中国古代の春秋時代、越(えつ)国の王が、呉(ご)国に会稽山という所で敗れ、ひどい屈辱を味わいましたが、その後何年も苦労を重ねた上で、最後には呉国を滅ぼすに至った。〜
と書いてありました。
敗れるというのは生まれ育った土地を追われ、難民のような生活を強いられといった、これくらい酷い仕打ちを受けることで、中国の故事成語である「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」もこれから来ています。
なのに今では単なる再挑戦のように軽く使われることが多くなっていると思います。
「よーし、昨日のリベンジ!」
といったような、簡単な言葉ではないと思っています。
人は自分の感情を訴えたいがあまり、大げさな表現を使うというのがあると思います。
今は「めっちゃ」とか「ガチで」というのが若い人を中心によく使われているようですが、昔からこのような程度を示す副詞はさまざまに姿を変えてきました。
少し前なら「チョー(超)やばくね?」。
関西なら「ごっつ」。
私の高校時代なら「爆〇〇」。悲惨なことなら「爆さん」のように。
「リベンジ」のように感情と密接な言葉なら、大いに取り入れられ本来の意味というのは二の次にされてしまうのかも知れないですね。
もしくは大衆というのはもっと感覚的で、新しい言葉を受け入れることに抵抗がなく、意味なんてどうでも良いのかも知れないですね。
以来、「忖度(そんたく)」という言葉が、これもワイドショー番組で特に、聞かない日はないというくらい日常の言葉になりました。
でも、学校で習いましたか?または親から「忖度ということばはね・・」という教育を受けましたか?
「忖度」という言葉、私はそんな日常でありふれるような普通の言葉ではないと思っています。
もっと特殊というか、難しい言葉。
たとえば、親や友達と話しているとき、
「今の人間関係や経済状況を鑑み・・」
なんて言いますか?
「忖度」もそんなありふれた言葉であって欲しくないんです。
そんな日常から使い始めるので、意味だって履き違えられていませんか?
今、日本ボクシング連盟の山根会長が盛んに取りざたされています。
<注意!>
山根明会長は日本ボクシング連盟の会長で、ボクシング協会ではありません。
会長というから、私もボクシング協会かと思いましたが、違うようです。
このことで日本ボクシング協会はかなり迷惑を被っているのだとか。
日本ボクシング連盟の山根明会長が、本人は要求していないのにカンロ飴やミネラルウォーターを振舞われたり、来賓席でもひときわ背の高い椅子を用意されたりと、それは周りの『忖度』と報道されています。
でも、「忖度」ってそうでしょうか?
私は国語学者ではありませんし、評論家でもありませんけど、新しい知識は一応、調べることにしています。
「忖度」とは、相手の気持ちを推しはかる意味であり、気遣いと言って良いでしょう。
でも、山根明会長については「推しはかる」ことには違いはありませんが、どちらかというと「ご機嫌取り」とか「ゴマすり」のような意味合いに使われていると思います。
これは、森友学園問題で籠池理事長が初めにつかったとされています。
それを国会で野党議員が取り上げ、ワイドショー番組が取り上げ、ここまで日常の言葉になったのではないでしょうか。もっとも、私も友人、知人との会話で「忖度」という言葉はつかいません。
いまのところ、ワイドショー番組どまりといったところか。
では本来、「忖度」の使い方とは。
相手の気持ちを推しはかるのですから、
「精一杯トレーニングにかけた試合に敗れた友人を忖度し、あえて言葉はかけなかった。」
こんな使い方になると思います。
そもそも「忖度」とは悪い言葉ではないと思います。
また、「リベンジ」も大衆が使うことによって、意味合いが変わった言葉だと思います。
もともとは、ひと言で言い表すなら「雪辱」です。
「雪辱」には「前段」があります。そして敗れた悔しさを晴らす。
悪い言い方をするなら、「恨み」を晴らす。または「復讐」です。
「雪辱」を調べると、
〜 中国古代の春秋時代、越(えつ)国の王が、呉(ご)国に会稽山という所で敗れ、ひどい屈辱を味わいましたが、その後何年も苦労を重ねた上で、最後には呉国を滅ぼすに至った。〜
と書いてありました。
敗れるというのは生まれ育った土地を追われ、難民のような生活を強いられといった、これくらい酷い仕打ちを受けることで、中国の故事成語である「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」もこれから来ています。
なのに今では単なる再挑戦のように軽く使われることが多くなっていると思います。
「よーし、昨日のリベンジ!」
といったような、簡単な言葉ではないと思っています。
人は自分の感情を訴えたいがあまり、大げさな表現を使うというのがあると思います。
今は「めっちゃ」とか「ガチで」というのが若い人を中心によく使われているようですが、昔からこのような程度を示す副詞はさまざまに姿を変えてきました。
少し前なら「チョー(超)やばくね?」。
関西なら「ごっつ」。
私の高校時代なら「爆〇〇」。悲惨なことなら「爆さん」のように。
「リベンジ」のように感情と密接な言葉なら、大いに取り入れられ本来の意味というのは二の次にされてしまうのかも知れないですね。
もしくは大衆というのはもっと感覚的で、新しい言葉を受け入れることに抵抗がなく、意味なんてどうでも良いのかも知れないですね。
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