2018年08月02日
すごい歌2曲
すごいというのは私の主観ですが。
ともにすごいと思う歌が2曲あります。
・石狩挽歌
・舟唄
「石狩挽歌」は“北原ミレイ”さんの歌、「舟唄」は“八代亜紀”さんの歌です。
いまさら言うまでもありません。
また「石狩挽歌」は、“なかにし礼”さん作詞、「舟唄」は、“阿久悠”さん作詞です。
どちらもすごい作詞家です。
私にとって作詞家のトップ3は、“なかにし礼”さん、“阿久悠”さん、そして“阿木 燿子”さんですから。
そして作曲は「石狩挽歌」、「舟唄」ともに“浜 圭介”(はま けいすけ)本名:金野 孝(こんの たかし)さんなんです。
なにがすごいって、「石狩挽歌」はまだ私が小学生のときの歌で、「舟唄」は中学生のときです。
どちらもまだ子供のとき。なのに、ひたすら「良い!」と感じた歌だったからです。
「石狩挽歌」の歌詞は小学生だった私がどこまで理解していたのか。今ではわかりません。
当時、ニシンだって知っていたかどうか。ましてニシン番屋なんて知らなかったでしょう。
それでも、大人になった今と同じ気持ちで聞いていたと思っています。
いや、ちょっと違います。
私はニシン漁とニシン番屋を知る前から「石狩挽歌」で学んでいたのかも知れません。
ニシンといえば、北海道沿岸で産卵する春の魚です。が、当時の私は北海道人ではありませんでした。
Wikipediaではこのように説明しています。
-----------------------------
1910年以降急激に漁獲量が増えた北海道沿岸(小樽から稚内にかけて)の漁は明治末期から大正期の最盛期には春先の産卵期に回遊する北海道・サハリン系を主対象として100万t近くの漁獲高があり、北海道ではニシン漁で財を成した網元による「鰊御殿」が建ち並ぶほどであった。しかし、1953年(昭和28年)から減少が始まり、1955年には5万tにまで激減し衰退した。
-----------------------------
小樽のおさかな普及推進委員会より引用
以前、近くにあるニシン御殿を見たことがあります。
博物館も兼ねていて、当時使われた漁具や網、また契約書もありました。
何の契約書かというと、借金の形にニシン漁の労働力を提供するというものです。
期間が記されていて、その間、どんなに重労働で辛くても、逃げだすことは許されないというものでした。
ニシンで成功した網元は財を成し、ニシン御殿を建てますが、労働力を提供する者、またニシン漁を始めるのが遅かった者は、莫大な借金だけが残ったでしょう。
こちらもご覧ください。
〜 ニシン漁を伝える歴史的建造物小樽市鰊御殿でタイムスリップ 〜
「石狩挽歌」の歌詞に、
〜 わたしゃ夜通しメシを炊く 〜
というのがあります。
「石狩挽歌」は廃れた後の石狩地方を歌ったはずなのに「メシを炊いた」でなく、「メシを炊く」なのです。
こういうところもすごいと思います。
「舟唄」も大好きな歌です。
“高倉健”さん主演の映画、「駅〜station〜」ではテーマ曲のようによく流れています。
この映画を私は“大人の映画”と思っています。
それをうまく演出しているのが、この「舟唄」だと思っています。
多くに受け入れられる歌、曲というのを私は、人々の心に最大公約数を取ったと思います。
この最大公約数を大きくできる作詞・作曲者がすごいと思います。
(YouTube:takalive20)
(YouTube:sinsain100)
ともにすごいと思う歌が2曲あります。
・石狩挽歌
・舟唄
「石狩挽歌」は“北原ミレイ”さんの歌、「舟唄」は“八代亜紀”さんの歌です。
いまさら言うまでもありません。
また「石狩挽歌」は、“なかにし礼”さん作詞、「舟唄」は、“阿久悠”さん作詞です。
どちらもすごい作詞家です。
私にとって作詞家のトップ3は、“なかにし礼”さん、“阿久悠”さん、そして“阿木 燿子”さんですから。
そして作曲は「石狩挽歌」、「舟唄」ともに“浜 圭介”(はま けいすけ)本名:金野 孝(こんの たかし)さんなんです。
なにがすごいって、「石狩挽歌」はまだ私が小学生のときの歌で、「舟唄」は中学生のときです。
どちらもまだ子供のとき。なのに、ひたすら「良い!」と感じた歌だったからです。
「石狩挽歌」の歌詞は小学生だった私がどこまで理解していたのか。今ではわかりません。
当時、ニシンだって知っていたかどうか。ましてニシン番屋なんて知らなかったでしょう。
それでも、大人になった今と同じ気持ちで聞いていたと思っています。
いや、ちょっと違います。
私はニシン漁とニシン番屋を知る前から「石狩挽歌」で学んでいたのかも知れません。
ニシンといえば、北海道沿岸で産卵する春の魚です。が、当時の私は北海道人ではありませんでした。
Wikipediaではこのように説明しています。
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1910年以降急激に漁獲量が増えた北海道沿岸(小樽から稚内にかけて)の漁は明治末期から大正期の最盛期には春先の産卵期に回遊する北海道・サハリン系を主対象として100万t近くの漁獲高があり、北海道ではニシン漁で財を成した網元による「鰊御殿」が建ち並ぶほどであった。しかし、1953年(昭和28年)から減少が始まり、1955年には5万tにまで激減し衰退した。
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小樽のおさかな普及推進委員会より引用
以前、近くにあるニシン御殿を見たことがあります。
博物館も兼ねていて、当時使われた漁具や網、また契約書もありました。
何の契約書かというと、借金の形にニシン漁の労働力を提供するというものです。
期間が記されていて、その間、どんなに重労働で辛くても、逃げだすことは許されないというものでした。
ニシンで成功した網元は財を成し、ニシン御殿を建てますが、労働力を提供する者、またニシン漁を始めるのが遅かった者は、莫大な借金だけが残ったでしょう。
こちらもご覧ください。
〜 ニシン漁を伝える歴史的建造物小樽市鰊御殿でタイムスリップ 〜
「石狩挽歌」の歌詞に、
〜 わたしゃ夜通しメシを炊く 〜
というのがあります。
「石狩挽歌」は廃れた後の石狩地方を歌ったはずなのに「メシを炊いた」でなく、「メシを炊く」なのです。
こういうところもすごいと思います。
「舟唄」も大好きな歌です。
“高倉健”さん主演の映画、「駅〜station〜」ではテーマ曲のようによく流れています。
この映画を私は“大人の映画”と思っています。
それをうまく演出しているのが、この「舟唄」だと思っています。
多くに受け入れられる歌、曲というのを私は、人々の心に最大公約数を取ったと思います。
この最大公約数を大きくできる作詞・作曲者がすごいと思います。
(YouTube:takalive20)
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