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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年09月28日
警察無線!
 おはようございます。

今日は、警察無線!です。

マニアの方もいるのではないかと思います。

実際、私の中学の頃にも無線に興味を持っている同級生がいました。

かなりマニアの方には興味の引くものらしく、

警察の使う隠語などもかなり熟知していて、無線の内容も

手に取るようにわかるようなのです。

私の勤務する職場にもいて、暇があると警察無線を聞いていたのです。

警察無線も聞くのは問題がないようで少し性能のいいラジオでも

当時聞けたように記憶しているのです。

中にはトランシーバー型の本格的なものもあり、趣味として

楽しむ方も多いのだそうです。

この警察無線に私の情報が流れたことがあり、たまたま警察無線を傍受していた

同僚に気付かれたようなのです。

当時、車の免許をとったばかりの私は自分の乗用車を購入したくって

貯金を始めていたのです。

私のいた職場では車を購入するのに規制があるのです。

当時の記憶で、防衛庁共済組合の預貯金が30万、自賠責保険が無制限のもので

尚且つ自衛隊車両の走行キロが5000km無事故無違反。

しかも駐屯地内の駐車場に空きスペースがあり車を止めることができる

状態でないと保有することができなかったのです。

あと・・・そうそう、任意保険にも無制限で加入しなければならなく

若い隊員ではなかなか車を保有することは難しかったのです。

誰もが車の保有を願う頃、私も同じく預貯金に励んでいたのです。

それもどうにかクリアー、無事、車をかって間もなく。

休日の昼から駅近郊にある理髪店へ散髪に出かけたのです。

ところが日曜日であるにも関わらず店内は留守。

1時間ほど時間をつぶし再び理髪店へ、幸いその理髪店は店の横に駐車スペースを

幾つか持っていたので私はその駐車スペースへ車を止め、

時間を調整していたのです。

再び訪れた理髪店では散髪をしてもらいスッキリとした風貌で

店を後にしたのです。

ところが、車で理髪店へ来た事をこの時、すっかりと忘れてしまっていたのです。

駅前まで歩いて出た私は同僚と合い、居酒屋へと出かけたのです。

帰りはいつもの休日同様、数名の同僚とタクシーで帰ったのです。

当時、ワンメータの距離、数名の同僚と乗り合わせればバスよりはるかに安く

ほとんどの隊員はタクシーに乗り合わせていたようです。

休日も終り週明けを迎えた私の頭にはこの時すでに車の事はなく

いつものように業務についていたのです。

お昼を回る頃、ベットで横になっていた私の部屋に一人の同僚が

駆け込んできたのです。

同僚は私に車は今駐車場にあるか聞きただすのです。

キョトンとした私はよく考えもせずいつものように駐車場にある。

そう伝えたのです。

同僚も安心した様子で笑顔になり

「よかった、今警察無線で君の車の番号が聞こえた気がする」そう話したのです。

その事を聞いた私は昨日の理髪店へ車で出かけた事を思い出したのです。

今まですっかり忘れてしまっていた車の事を始めて思い出し、

理髪店の駐車場へとめた事を同僚へ伝えたのです。

警察の無線では車の持ち主の割り出しと所在を調べている様子で、

私のところに連絡が来るのは時間の問題。

あわてて事務所へゆき事情を話し外出の許可を得た時、

事務所にいる私の前の電話が鳴ったのです。

電話に出た私に交換から警察から内線○○○番へ電話です、とつないだのです。

電話から聞こえる警察官に事情を話したことは言うまでもありません。

電話で、駐車場の持ち主に手土産を持って

謝りに行ってきなさいと叱られたのです。

理髪店の方も駐車場に止めっぱなしになっている車に迷惑だったのでしょう。

どうすることもできない状態で警察へ連絡したようです。

警察も他人とは言え駐車場に止めている車を移動することができず

持ち主を調べ連絡をしたのだそうです。

すぐに理髪店へ向かった私は戦闘服のままお店に入り謝ったのです。

私の顔をみた店主は笑顔で許してくれたのです。

当時の私は、厳密に言えば車を保有したての若い隊員のほとんどは

自分の乗ってきた車の事をすっかり忘れ帰ってくることが

たびたびあったようです。

幸いにも私は駐車場へ止め、忘れて帰ったため駐車違反にもならず

刑事罰を受けることなく済んだのですが、中にはレッカー移動されて連絡の

来る隊員もいたようです。

とんだ人騒がせな、止め忘れの車。

警察無線を聞いていた同僚隊員もよくナンバープレとの番号を覚えていたなと

感心する、それと興味がある分、無線の隠語にも詳しかったようだ。

とんだ昼下がりのドタバタ劇が警察無線の傍受から始まったのでした。





 あすは、目ん玉がひっくり返る!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 10:24 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月27日
クレペリン検査!
 おはようございます。

今日は、クレペリン検査です。

ここ最近では、あまり受けることがなくなった検査です。

以前は、毎年のように受けていたのです。

職種がらこうした検査が一年に数度・・・・・

ま、自衛隊だから仕方がないと言えば仕方がないのです。

その検査いかんでは配置替えの隊員もいるほどです。

去年適性が今一つでも、数年希望を出しているとかなう場合がある。

その年の検査に適性が認められることも少なくないのです。

航空機・・・といっても陸上自衛隊ですからヘリですが

操縦士としての募集も時々ある。

現職の一般隊員の中から適性のあるものを選び試験があるのです。

幸いなことに私には試験に受かるほどの能力がなかったため

危ない大空への職種の声はかかりませんでした。

過酷な訓練に参加するのもこうした適性検査を受け判断される。

中には、体力や知力があっても適正検査でダメになる隊員も少なくはないのです。

そんな一年に数度ある検査の中の記憶に深く残るものの中に

クレペリン検査があるのです。

ご存じの方もいるでしょう、数字の左右を足し算してゆく検査。

計算できた量もさることながらその曲線の出方にも判断する

材料が数多くあり一枚の検査で性格から能力精神力と様々な判断をせれるのです。

検査の前に、数多くできたものが優秀ではないことの説明もあるのですが

どうしてか2枚配布される隊員もいるのです。

よく聞いてみると職種が通信とあってかなり数字の計算には錬度を要する

ものがあるようなのです。

ほとんどの隊員が用紙の6割から8割の範囲でする検査を

2枚目を使わないと書ききれないのです。

見てみるとかなりの錬度、本来計算するはずの足し算が並んだ数字の下に

でたらめに数字を書いているようなのです。

しかし、検査ですから正確さも問われる。

でたらめに見えている数字も計算されているようなのです。

自衛隊の中にもいくつか特殊な職種もあるのですが

これも一つの能力、書くだけでも大変な検査で

ふつうは一枚のところ二枚の検査をするのですから

普通の人ではないのでしょう。

自衛隊の中でもまだまだ特殊な能力があるようです。





 明日は、警察無線!です。






 では、また。

2009年09月26日
インターバル!
 おはようございます。

今日は、インターバル!です。

ここ最近、自宅近くの河川敷をジョギングしているのです。

もう3ヶ月ほど頑張って走っているのですが、

昔の記憶と今の体力に差が激しい気がする。

ジョギングも、年月をさかのぼること4年。

始めた頃、のタイムは6分40秒。

自衛隊でいう体力検定の6級、前期教育を終了するまでに備えておかなければ

ならない体力の一番最低ライン。

しかし、年々タイムは悪くなり今では11分。

かなり体力の衰える速度が速くなってきた。

40歳を過ぎてから始めたジョギング、維持するどこか衰える一方。

それでも、最近は気力を振り絞り懸命にジョギングに励んでいる。

今では、距離も伸ばしやく5.5kを毎朝。

タイムはと言えば、34分前後、これでも今の自分では精一杯の早さ。

しかし昔と比べるとどうしても喜べない自分がいる。

まだ、年も25歳を迎えて間もないころ、7kのみかん畑を28分以内に走らないと

いけなかった時期があったのです。

しかも自衛隊の戦闘服に半長靴、背中には小銃を担いでである。

その頃の思い出があるだけにタイムの差が不思議なほど信じられないのです。

当時を振り返ると日々普通に生活をしていた時期よりかなり訓練を受け

自衛隊生活でも一番ではと思えるほど体力も気力もあったのは間違いない。

体重も今の60kgよりはるかに少ない43kg。

しかし、腕は今より太く胸の筋肉も今より隆々としていた。

違うのは今ほどお腹に起伏がない。

走り始めるとどうしても昔の記憶や気持ちが表れてくる。

少しでも前に追いつき一人でも追い越して自分のタイムの向上を

目指していた頃に、ただ違うのは体と気持ちがアンバランスなのです。

今でも時々思う事がある、インターバルを当時のように・・・・

300メートルトラックを一周50秒、これを10本約1時間30秒。

休むことなく酸素供給能力を高める、次第に走り始めから終わるまで

タイムのばらつきがなくなる。

来る日も来る日も毎日、インターバルの時間が、気持ち的にもつらくなる、

しかし、走りはじめるといつしか心の中の自分が出てくる。

周りに負けないよう、すこしでも周りについてゆく気持ちが・・・・

周りもみんな同じだったのだろう、誰一人口をきくものはなく

ただ一周50秒をつらいともいわず走る。

気がついたころには、一人の脱落者もなく全員が規定タイム内での完走で

教育を修了するのです。

まわりの環境も大きく影響する。

同じタイムのグループに分かれて初めて切磋琢磨ができたのだろう。

数ヶ月前、大阪の繁華街である人物と出会った。

その人物は大阪の人ごみの中をまるで縫うように素早い動作で駆け抜けた。

人間の早さとは思えない俊敏さで・・・・・

顔も後ろ姿もあの頃のまま、インターバルで鍛えた頃の

面影を残して足早に走りすぎた、元気そうな風貌、すれ違うとき、心持

微笑んでいたようだ。

彼もきっと気がついたに違いない。

お互い元気である事を確信したようです。




 明日は、クレペリン検査!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 09:41 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月25日
牛乳!
 おはようございます。

今日は、牛乳!です。

昔、そう小学生の頃、学校の先生に給食の時間、牛乳をよく噛んで飲みなさい?

こう指導されたことが頭の中によみがえる。

牛乳を噛む???

お肉や魚といった食べ物なら良く噛んでも理解ができる。

しかし牛乳となると理解しがたい、当時の私はそれでも

口に含んだ牛乳を噛むように飲んでいた事を思い出す。

まわりから見ればコッケイ以外に言い表せないと思う。

本人もヘンテコな感じがする中、噛むということに意識していた。

年々歳を重ね気付き始める。

ワイン・・・口の中で転がすように味わう?

これも当時の牛乳をよく噛んでに当たるのでしょう。

お酒の試飲も見よう見まねではあるが試してみる。

今では、なんだか大人の様相、お酒の香りが口いっぱいに、なんてことも

恥ずかしくもなく口から出てくる。

未だよくお酒の味もわからない私でも一人前である。

当時の、小さかった頃、今のような感覚はどこか不自然で表現の仕方が

可笑しいと感じていたことが、今ではおしゃれで、大人でアダルトな雰囲気には、

必要になってくる。

幾つかの経験がそうさせているのだと思う。

言葉で伝えることの難しさ、表現の複雑さが当時の私にはなかったようだ。

今は、少し大人びた私がいる。

伝えることの難しさも気が付き表現の複雑さに苛立たしさを覚え

幾度も挫折を繰り返した自分がいて、はじめて理解できる。

素直な頃の一生懸命噛んだ牛乳。

数日前のあるパンとの出会いを掲載する中で心の中に当時の噛む牛乳が

思い出され、苦笑する。

今の小学生に牛乳はよく噛んでなど話そうものなら

ヘンテコなおじさんの一言でかたずけられそうだ・・・・

当時の私のように一生懸命牛乳を噛む子供が何人いるのだろう。

少し・・・見てみたい気がする。





 明日は、インターバル!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 10:33 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月24日
缶飯!
 おはようございます。

今日は、缶飯!です。

自衛隊の代表的な携行食と言えばやっぱり缶飯を置いてほかにはないでしょう。

入隊した当初から部外へ行くときには必ず缶飯を持って行くのです。

自衛隊車両の荷台に乗り訓練の出来る演習場まで・・・・

そこで訓練を受け昼食には缶飯が各人に配られるのです。

幾つかに一つ缶切りも付いていて野外でも空けることができる。

おいしい、おいしくないはかなり個人差がある。

私はどちらかというとあまり好きではない。

しかし、ある隊員によればもち米独特の甘味があり

おこわとしてはかなりのものだそうである。

自衛隊にもかなりの割合で地方出身者がいる。

中には自衛隊で2年から4年勤務をしたのち、

実家の農家を継ぐ隊員も少なくない。

もともともち米を食べることが少ない私にはあまりおいしいとは言えない、

しかし、レパートリーは豊富にあるのです。

キノコご飯から赤飯、鳥五目に山菜ごはん、

ありとあらゆる種類があるようなのです。

ある隊員は、訓練中の真夜中になるとトラックの後ろに行き何やらごそごそ、

手に持ってきたのは赤飯と、鳥五目ご飯、この二つが好きなようで

他の隊員のものまでたいらげる始末。

しかし、中には私のようなものもいるのでしょう。

訓練終了時には、大半の缶飯が残ることになるのです。

食べる時間のなかったもの、明らかに食べなかったもの

色々あるようですが残る。

大半は持ち帰り自衛隊糧食班の倉庫へ戻されるのです。

市場やスーパーなどで売られている缶詰めと同様おかずやお漬け物に至るまで

缶詰めで賄われるのです。

訓練場でもご飯は、残るものの反対におかずは残ることがほとんどない。

晩酌のおつまみと化してしまうからなのです。

缶詰めのかば焼きや鯖の水炊き、ウインナーに至るまでまで缶詰めなのです。

気の利いたものはガスコンロで温め焼酎とお酒の当てに。

この時ばかりは宿営地は山小屋となりいたるところから笑い声や

悲鳴に近い奇声が聞こえ楽しいひと時を迎えるのです。

どうしたことか、一年を通じて幾度か、駐屯地の食堂でも

この缶飯が食事として出されることがあるのです。

綺麗に清掃された食堂には缶飯が並べられ、

各人のお盆の上にはまるで演習場のように缶飯が・・・・・

心の中ではこの一年野外で食べなかった缶飯を消化している。

残した分仕方ないか、と思いながらもさびしい気がする。

心持、食堂の電気も演習場のように薄暗い感じがする。

食べるもの一つでその場の雰囲気もかなり違ってくるのを今でも思い出すのです。







 明日は、牛乳!です。







 では、また。

Posted by ビギン at 17:26 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月23日
味噌汁!
 おはようございます。

今日は、味噌汁です。

以前、お話の中でも紹介したでしょうか?

自衛隊の食堂の調理場での作業の事なのです。

昨日のお話でも出て来たように自衛隊の訓練の中でも調理の部分は重要と

されているのです。

階級を一つ昇任するのにいくつかの経験が必要になるのです。

自衛隊内で生活する営内の班長を経験しなければいけなかったり

教育隊の前期・後期のいずれかの教育に携わらなければいけなかったり

ある一定の要件を満たさないと昇任の対象にはならないのです。

その中の一つに臨時勤務があるのですが中でも糧食の直長としての勤務は

職種を指定されているものなのです。

指定されているということは重要な要素を持っているということなのです。

野外における訓練でも食事をしない訓練はないわけで、食事に関することは

生きてゆく中でも重要なものなのです。

直長といっても民間企業に勤めている方にはピント来ないでしょう。

簡単に言えば主任にあたる職域と思っていただければいいのかも知れません。

調理の部分ではまだ、浅く料理長の指揮下の元指示された調理を行うのです。

業務のほとんどは直に勤務する隊員の休みの調整だったり勤務時間の調整、

早出、遅出の調整、指示がほとんどなのです。

行って見れば調理以外の調整事項は直長の仕事となるのです。

調理については栄養士の先生や料理長の指示でその日の献立の

切り込みや調理をするのです。

勤務自体はある程度の年数を自衛隊で生活すればわかるものが多く

食材を調理に適した切り方などはたいていわかるものなのです。

そんな中、調理に関し直長の調理する品目があるのです。

それは、毎食出る味噌汁の調理、これに関しては直長と

ひとまず決められているようなのです。

一般に食堂などで勤務すれば煮方にあたるのでしょう。

その日の出しや味付けの基本は直長となるわけです。

野外で訓練中の食事にも味噌汁の占める重要な割合は大きく、

味が薄いと食事もあまりおいしくは感じられないのです。

どちらかと言えば濃いい味・・・・私の場合ですが、好まれるように思うのです。

野外の訓練中の食事ですからスープのように飲む味噌汁よりご飯と一緒にいただく

おかずの要素があるのかも知れません。

どうしたことか私の小さ頃の家の味が濃かったのでしょう。

調理の度、料理長からクレームが・・・・

私にはちょうど良いい味が調理長にはかなりの濃いい味に感じるようなのです。

勤務の間、調理長にいつもお前のは辛い・・・

この辛いの意味が少し調理の部分ではニュアンスが違うことに気付いたのです。

駐屯地でも野外の隊員と基地内で勤務する隊員といるわけです。

野外の心地よい味が基地内で勤務する隊員には

かなり濃いい味に感じられていたのでしょう。

きっと調理長もしくは栄養士の先生にたびたびの

クレームとしてあったに違いないと思うのです。

しかし、野外で訓練中にいただく食事のとき濃いい味の味噌汁が

心地よく感じることを知っている隊員もいたのでしょう。

辛いの指摘は別の意味を持っているように感じた私の作る味噌汁は

私が糧食班へ勤務する間、変わることなく濃いい味のまま食卓に出ていたのです。

うどん・そばのだしを勉強するまでは濃いい味と薄味の

感じがよく理解できなかった私も少し違いにわかったように思うのです。

でも、やっぱりあの頃同様、今でも自宅でいただく味噌汁は味の濃いいものが

心地よく感じるのです。





 明日は、缶飯!です。







 では、また、

Posted by ビギン at 09:52 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月22日
あるパンとの出会い!
 こんにちは。

今日は、あるパンとの出会い!です。

昨日の自衛隊食・・・・レトルト食の中にその出会いはあったのです。

訓練も雨や不眠不休の中の疲れが重なると食事もおいしく感じなくなるのです。

冷えたご飯に冷えた味噌汁おかずもあるにはあるのですが食事と言えない状況で

いただくことも少なくないのです。

そんな中、レトルト食は今までと違い移動中の車の中や少しの仮眠のときに

いただく事が出来落ち着いた気持ちの中でいただく事が出来るのです。

そうした意味からもおいしく感じたのでしょう。

訓練中に必要な食事の幾つかを各人で持っているのです、その中にある食事に

そのパンが付いていたのです。

袋の中にはパンのほか、6Pチーズとウインナー・みかんジュース・・・・

簡単な朝食と思ってもらっていいと思います。

そのパンの美味しく感じること。

私の一時の幸せを感じる食事があったのです。

サンドイッチやクリームパンといったものも大好きではある。

しかし、訓練中に食べるこの時のパンは少し違う。

口の中ではぼそぼそになり、おそらく皆の感じるようなおいしいものでは、

あまりないのかも知れない。

濡れた体は口の中に比例して暖かく感じ、今まで感じた事がなくらい

チーズのおいしさが感じられる。

ウインナーも同様、のどが詰まるくらいぼそぼそになったパンにウインナーの

味も引き立つ、みかんジュースを口に含むと今までぼそぼそになっていた

パンが一斉に消えてなくなる。

新たにパンの口に頬張る、今度はパンの甘味が口いっぱいに広がる。

ぼそぼそだったパンがいろいろなものに良くあってなお、甘さを感じるのです。

口の中がぼそぼそになるたび濡れた体は渇きを感じる。

車の荷台にうずくまり頬張るパンに暖かくいろんな美味しさを感じるのです。

寒さも忘れただおいしいを感じながらの一時がすごく幸せに感じる。

この時、こんなにおいしいと感じたパンはないと思ったのです。

しかし、心の中に懐かしさが蘇ってくるものがある。

遠い昔がほんの少し心の中に・・・・・

小さい頃、食べたパンだ、その時は、確かカニのようになっていた。

それを形通り切り取り食べてたあのパンに似てる。

小さい頃にはカニパンと呼んでいたのを思い出す。

知らない間に眠った夢の中で思い出し当時を懐かしんでいる自分がいたのです。

今では三立パンと社名も思い出した。

三つに分かれていることからきた社名なのだろうか・・・・

カニの前は確かに三つに分かれていた記憶がある。

最近でもたまに目にすると買って食べるときがある。

しかし、残念な事にあの時の、小さい頃カニの形に切り取って食べた時の・・・

ずぶぬれになった体を温めてくれた・・・

あの時のパンの味とは違って感じる。

あの食感も違うように思う。

口の中が乾けば乾くほど濡れた体が乾く感じのする食感と・・・

現代風にどこか上品な味になり素朴な感じも、口に残るぼそぼその感じも、

今では遠い昔の思い出になってしまったのだろうか?

お酒の味も覚え時々ワインなんかを気取って飲んでみる時がある。

妙にこの時のぼそぼそのパンを食べたくなる。

あの時のみかんジュースのように口の中をワインできれいに流せたら

どんなにおいしく感じるだろう。

素朴なおいしいパンとワインの一時を今はイメージできる私がいるのです。





 明日は、味噌汁!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 17:07 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月21日
土の中から!
 こんにちは。

今日は、土の中から!です。

自衛隊の訓練でえんたいやえん壕など穴を掘る機会がかなりある。

訓練で演習場へ行くと穴を掘らないことはないほどです。

土の中からはいろんなものが出てくることがあるのです。

本来、一度掘り返した穴にはゴミや物を埋めないよう指導しているはず。

しかしかなりの確率で出てくる。

食事をした後の残飯が出てくることもたびたび・・・・

ある程度は仕方がない・・・掘った穴は埋めても完全に元のようには戻らない

かなり土の量も足らないのです。

訓練で移動など痕跡を残さないようにするには伐採した木々を埋めることも

少なくはないのです。

ところが大きな演習場にもなるとこんなものが

と思うものまで出てくることがあるのです。

私の経験の中で最も驚いたものは機関銃の弾そのものが出てきたのです。

自衛隊のもの?であるはずはない。

自衛隊なら薬きょう一つなくしても訓練中止となり部隊全部であるまで探す。

出てきた機関銃の弾は一つどころではないカエルの卵のように

帯になり数十発もの実弾が出てきたのです。

弾を見ると自衛隊のものより少し大きく

弾奏には英語で記された表記が読み取れる。

もう、おわかりのように米軍のものだったのです。

それまで米軍に関しあまり興味もなくまた、知らない頃の出来事にビックリ。

日本と違い米軍の訓練で使用する弾はかなりの量。

一人の人間の消化できる量ではないのだ、この時初めて知ったのです。

日本では貴重な実弾一発つが米軍ともなるとお荷物にすぎない。

かなりの違いを感じると同時に訓練をしている自分が怖くなる。

実弾がかなりの数でしかもそれを実際に撃っている地域に私自身いるのだから・・

こればかりは、昨日のコレクションのようにはいかず持ち帰る事は危険を伴う。

小隊長へ報告するほかない・・・・

他にもかなりのものが当時訓練場から出てきたのです。

缶に入ったビスケット・ケーキ・かなり珍しいものが沢山ある。

当時の自衛隊ではレトルト食もまだ少なくこの時出てきたものと比べると

かなりの遅れが自衛隊にはあったのです。

穴をほり取り出してみたものはどれも珍しくこんなものが缶づめになって

食べられているとは思わないものばかり・・・・

この頃から陸上自衛隊の訓練の中での食事も少し変わってきたように感じる。

それ以前でも他の方面隊の訓練では食べられていたのかも知れないが

かなりレトルト食が多くなりレパートリーが

豊富に感じられるようになったのです。

いわゆる、スーパーでよく見る温めるカレーや中華丼や牛丼といったところだ。

違うのはどれも同じ色の包装で自衛隊色、OD色でおいしく感じるかと言えば

疑問の残るもののかなりこの頃から充実はしてきた。

それまでの缶飯と呼ばれるものから少し変わってきたのも

この時期だったように思うのです。

洋画などで見かける兵士が口にしているもの、何かを口にと思っていたものが

ビスケットやクッキー・ケーキといたものだったことが初めて感じられたのです。

今の自衛隊でもかなり食についても進んでいることは間違いないと思うのです。

人それぞれ好みはあるのでしょうが・・・・




 明日は、あるパンとの出会い!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 17:08 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月20日
射撃場の整備!
 おはようございます。

今日は射撃場の整備!です。

昨日はおやすみをいただいて地域の活動に参加。

お話の掲載もせず楽しみにして下さる訪問者の方には

ご迷惑をおかけいたしました事をお詫び申し上げます。

 前回の銃の弾の話で面白い事を思い出したので少しお話します。

自衛隊にも幾つかの射撃場があるのです。

当然と言えば当然なのですが・・・・

約十年勤務をした中で一度だけ射撃場の整備をする事があったのです。

射撃場などご存じない方が大半だと思う。

遠くから見れば段々畑の大きなものがあると思っていただいたら

いいのかも知れません。

100m単位で段差があり的のあるところは土手のようになっているのです。

的の後ろは工事現場で砂を置いた屋根のある場所を

イメージしてもらうと解りやすいと思います。

その畑の段差になっている部分や土手になっている部分、

当然、的の後ろの砂の山の部分と沢山の銃から撃たれた弾が埋まっているのです。

私がまだ自衛隊に入って間もないころ一度だけ

所属する大隊で射場の整備をしたのです。

砂をシャベルですくいふるいにかけるとそこには薬きょうから離れた弾が

沢山埋まっているのです。

今の時代鉛の弾は世界でも使っている国はなくどれも

真鍮で加工されたものなのです。

一説には鉛の弾は体内に入るとき形が崩れ殺傷能力が高くなるのと

体内から弾を摘出する時、鉛がはじけ体内に残り障害を残すことから

今では真鍮で弾のなまりの部分を加工していないものは

使用できないと聞いた事を思い出します。

実際にはまだ他の要素もたくさんあるのだと思います。

自衛隊の射撃場でも真鍮の弾が使われるのです。

ふるいにかけられ砂と弾に選別されたものは弾薬箱へ詰められるのです。

昔ではテレビでもよく見かけて木の箱でシャベルとほぼ同じ長さ、

約1mほどの木の箱へ・・・・

ふるいにかけられた弾にはいろんな特徴があり兆弾の軌跡のあるものや

射撃場の壁にあったた形跡のある真鍮が破れ鉛のむき出しになったもの

それは数多くの弾が射撃場の段差や土手砂の山には埋まっているのです。

綺麗に的に命中したものは弾の原型をそのまま残し線条痕の代わりに

砂に埋まるときできた砂の線が奇麗に浮かんでいるのです。

かなりの日数と時間をかけ射撃場の整備をしたのですが

弾の中には珍しいものも含まれていたのです。

本来、小さき時の性格からかコレクションの一つに・・・・

警察の拳銃から放たれたものは弾も少し小さめで刑事ドラマに出てくる弾と

同じように丸みを帯びたもの、また、各地にある猟友会の

ライフルから放たれたものは大きさが少し大きく感じられるもの、

自衛隊幹部の腰に持つ拳銃も同様、少し大きなものでよく見ると線条痕の

見えるものもたくさんあったのです。

弾薬箱に詰められた弾はかなり重く作業もかなり大変なものでしたが

始めてみる放たれた弾にいつしか疲れも忘れるほどだったのです。

上司の許可をもらい幾つかの弾をコレクションに持って帰ったのです。

集められた弾は業者に引き取られ鉛と真鍮に分けられ再び加工されるようです。

当時の私はこれだけの量があればかなりの金額に・・・・・

運び出された弾薬箱で射撃場が一般道路から見えなくなるほどの量だったのです。

自衛隊を退職する時も新隊員の頃、整備した射撃場から出てきた弾は

自宅へ持ち帰ったのです。

今ではどこに行ったのか屋根裏部屋の隅にあるのかも知れません。

自衛官でもあまりみる機会のない放たれた弾も今では思いでの一つです。




 明日は、土の中から!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 12:58 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月18日
ヘルメットの白線!
 おはようございます。

今日は、ヘルメットの白線!です。

自衛隊のかぶるヘルメット今では開発されたものが使用されていると思います。

私がまだ自衛官だった頃、誰もが知っているヘルメット。

小さい頃はテレビの前で釘付けになっていた忍者月光のようなタイプのものです。

かむっている姿は鉄のヘルメットと思っている方もあるのかも知れません。

中帽と鉄帽を合わせてヘルメットとしているのです。

呼び方は鉄鉢・・・鉄でできた鉢のようなものだったのでしょうか?

二つとも意味があってかぶっているのです。

外側の鉄帽だけでは意味がなく中帽(ライナー)あわせて初めて強度と

安全が確保されるのです。

私が自衛隊に入隊した頃には班長や・助教・区隊長に部隊長、それぞれ白い

ラインが入っていたのです。

階級章もどうよう線の数で階級等を表していたのです。

自衛隊の座学のときこのライン(白線)にまつわる話を聞いた事があるのです。

本来、銃・・・・一般に鉄砲やピストルと呼ばれるものは火薬が破裂して

弾が飛ぶのですがそのままでは銃口からでて1mも飛ばずに落ちるのです。

銃で撃った弾が威力や距離を飛ぶのには線条があり始めて前に飛ぶのです。

よく刑事ドラマなどで出てくる

犯人の撃った線条痕とは違うなど呼ばれるものです。

どんな銃でも必ず銃口の中に線の溝があり

その溝に沿って弾が回転し前に飛ぶのです。

火薬が爆発をしガスとなって銃口の外へ出る威力で球にも回転が加わる。

一つの溝だと一条痕、二つだと二条痕となり

溝の数が増えると威力も増すようなのです。

当然、遠くに飛ぶためにどんな弾も銃口から出ると回転をしているのですが

自衛隊のヘルメットはこの原理を利用したものだったのです。

弾が鉄の球体・・・・ヘルメットの丸みのあるものに当たったとき表面を破壊し

内部に入る時の進入角を計算し中帽の形や中帽と鉄帽の隙間を作っているのです。

表面の鉄を突き破るとき回転した弾は回転の方向に向かい角度ができる。

鉄帽を通る弾はまっすぐではなく斜めから来た球と同様の軌跡なのです。

この玉が鉄帽を通っても中帽の樹脂でできたものを

通らないように出来ているのです。

これは、あくまでも真っ直ぐにあたった場合と考えられるのですが・・・・

この時に鉄帽と中帽の間を通った弾が鉄帽と中帽の間を一回転して

外で出たそうなのです。

この時に中帽に黒く焼けたラインが一周できたことから当時の自衛隊では

階級を表すためのラインとして中帽に付けられていたのです。

遠くからはっきりと認識できるように白い線にしていたようです。

遠くからでも階級層がわかるように階級が上がれば白線も多くなるのは、

戦地で実弾の中をくぐりぬけてきた回数とも呼ばれ

一種の勲章のようなものだったのです。

遠くからでも白線の本数を見ると弾の下をくぐりぬけてきた

猛者とわかるものだったのです。

当時の自衛官がヘルメットを椅子代わりにしなかったのはヘルメットの形が

綺麗な球体でなければ意味を持たないことを知っていたからだと思うのです。

今でも工事現場に行ってもヘルメットに座らないのもこうした表れなのです。

工事現場に行くと責任の重くなるにつれラインの数が多くなるのも

昔の戦地で実弾の下をかいくぐり生き延びた猛者たち同様、

それだけの現場をこなしてきた表れだと思うのです。





 明日は、射撃場の整備!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 07:59 | 昔を散策 | この記事のURL
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