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 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2009年09月17日
ツツガ虫
 おはようございます。

今日は、ツツガ虫です。

昨日のお話でも紹介した富士演習場の総合火力演習、この時期になると

思いだすのがツツガ虫病です。

年間通して2回ツツガ虫の活動が活発になる時季が来るのです。

梅雨前の時期とこの時期9月以降。

富士山特有の虫だと聞いた事があり訓練に参加する時には

十分注意をしなければいけないのです。

富士演習場にも東富士演習場と北富士演習場と二か所あり確か東富士演習場、

に多く見られる虫だと記憶にあるのです。

自衛隊の訓練ですから時には穴も掘るし上着を脱いでの作業もしばしば

こんな時に注意が一番必要になってくるのです。

ツツガ虫から出てくることはまれで大半は地域にある石を動かしたしたあたりに

生息、訓練上必要で石を動かすと危険なのです。

私自身実際には見たことがないのですが、かなりの高熱となり死につながることも

この時期の富士の訓練に行くときには必ず注意がある。

私の所属する部隊はこの時期北富士の演習場での訓練が多く感じられたのです。

訓練を計画する幹部隊員も十分に警戒してのことなのでしょう。

東富士演習場から山中湖を抜け峠には各大手企業の研修場や

保養施設の中を抜けると河口湖に出てくるのです。

そこから進路はさらに北へ、青木ヶ原樹海を左右に見えた頃北富士演習場の

入口となるのです。

中に入るとそこにはいくつかの棟があり宿営施設があるのです。

この光景が昨日の岡山県奈義町にある日本原演習場とよく似ているのです。

北富士演習場の門をくぐり外へ、一般道路を左に進路をとるとそこには

富士の樹海でも有名な氷穴・風穴があり確か200円ほどの入場料を

支払えば中に入ることができる。

氷穴ではまるで氷室と同じ状態、夏でも肌寒く足元は小さい頃に行った

遊園地のお化け屋敷のようで油断すると滑ってこける隊員も少なくない。

風穴では、富士の洞窟らしく鍾乳洞を見ることもできかなり充実した休日を

過ごすことができる。

私のいた部隊も伊丹から富士演習場まで機動訓練を兼ね自衛隊車両で移動する。

高速道路は高速道路の訓練を兼ねての機動なのです。

今の日本ではナンセンスと思うでしょうが自衛隊の車両と車両の間にある

一般の人の車はないものと考え訓練を本来はしているのです。

移動するのに一般道を使用した場合二日の移動となり一度富士演習場へ

行くと部隊へは一月近くは帰らないことも多いのです。

演習場でも当然休日はある、そんな時の自衛隊車両の操縦訓練を兼ねて

名所へ行くこともしばしばあったのです。

当時の私の記憶に残るものでは映画監督の北野たけしの経営するカレーやさんが

川口湖のほとりにオープンしたばかり、

カメラを片手に戦闘服姿で見に行ったことも・・・

ひとたび行くと容易には帰ることができない演習場でもほんのひと時・・・

数時間の楽しみがなぜか思い出として鮮明に残るのです。

幸いにも私が自衛官として勤務する中でツツガ虫の被害にあったという

話は聞いた事がなく大事には至らなかったようです。




 明日は、ヘルメットの白線!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 10:36 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月16日
日本原!
 おはようございます。

今日は、日本原!です。

岡山県の北部に位置する那岐山のふもとに自衛隊の演習場があるのです。

岡山県美作から53号線を北上奈義町へ入るとそこは日本原演習場。

今まで自衛隊でいくつか演習場で訓練を受けてきたのですが

この演習場は今までのものとは少し雰囲気が違う。

私の見たん感じ静岡県にある富士演習場の雰囲気のする演習場なのです。

しかも北富士演習場に雰囲気が似てる。

富士演習場は自衛官でなくても民間の方でも聞いたことはあると思う。

一年に一度・・・ちょうど今頃の時季、9月には総合火力演習がある。

一年の弾薬の予算の大半を占める自衛隊の総合演習。

一般の人もかなり見学に来る自衛隊では一番大きな演習。

その演習をする場所に何処となく似ているのです。

冬ともなると那岐おろしが吹き体も芯から冷える、自然の厳しい地域でもある。

そこからさらに北に進めば智頭町があり峠にあるループ橋は有名です。

その演習場へ行かないとできない訓練があり士官への昇任は・・・

その訓練を受けるため海を越え四国松山から日本原演習場へ・・・・・

私は一般部隊からも行く機会があったのですが

この演習場の周りの民家に住む人もかなり個性があるようなのです。

民家の方とのトラブルも数回あったと聞いた事もある特徴のある地域。

その理由がわかる日が来たのです。

私がいた中部方面隊にはいくつかの演習場があるのですが、

ここ、日本原演習場でしかできない訓練。

その訓練を受けた時のことはいまだに思い出として残っているのです。

訓練のあまりのすごさに我を忘れ入ってはいけない場所へ必死でほふく。

ヘルメットや背中に担いだ小銃が柵に引っ掛かり寸前のところで止まったのです。

後ずさった私の目の前は弾薬が爆発、

もう少しのところだったことを今でも思い出す。

その演習場に似た地域が私の住む町の近郊にある。

どこかの自衛隊出身者が工事にかかわったのだろうか・・・・

淀川を川上に向い4〜5k歩くと川沿いに見えてくる。

河川敷の公園にその時の訓練場と同じつくりの公園。

見れば見るほど思い出す、あの、日本原演習場での必死の訓練。

今でも時々通ると柵の中に咲く花に苦笑いをする自分の心があるのです。

あの日の訓練もこの花のようにいい香りだとよかったのですが、

泥にまみれた体からはドブから這い上がった亀の匂いがしたのです。




 明日は、ツツガ虫!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 10:14 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月15日
我が町の凧上げ!
 おはようございます。

今日は、我が町の凧上げ!です。

我が町の・・・盛大な凧上げかと思いきや・・・

なんでもないただ子供のする凧上げなんです。

ところが自宅前に淀川の堤防があることから少し変わった感覚。

今では河川敷ができ凧をかなり高く上げても電線や周りの民家に

迷惑をかける事がなく出来るのですが、当時はまだ河川敷もなく

堤防の中ほどにある場所での凧上げが主だったんです。

近くには電線もあり時々電線に引っ掛かってる凧も・・・・

ところが凧を揚げている子供の感覚は・・・・

大人が思うよりすごい感覚なのです。

堤防ですから傾斜があり中ほどにある高さとは言え車の通る道路までは

かなりの高さがあるのです。

そこで上を向いて凧を揚げるのですからかなりの恐怖感があるのです。

凧が上がれば上がるほど恐怖感も大きくなる。

まるで堤防の上から下に転げて落ちる感覚がある。

それは小さい子供にはすごい恐怖となり襲いかかるのです。

空高く凧の上がる恐怖感と両方で子供にはかなりのものです。

上を向けば向くほど高低差が感じられ恐怖を感じるのです。

小さい頃にはよく高くまで凧が上がると将来出世するとか

その一年成果が上がるといわれてたのですが、凧が上がればそれに比例して

気持ちの持ち方がかなり変わってくる。

平らな地面で上げる凧あげとはまた違った感覚があるのです。

今では安全上堤防での凧上げはほとんど見ることがなくなりましたが

私の小さい頃はよく上げては楽しんだものです。

今ではそんな堤防も犬の散歩で利用している人を見るだけとなりました。

交通量も多く危険だという理由からなのでしょう。

少し、さびしい感じもします。

昔の子供が走りまわる堤防の中段・・・・

凧上げもまた格別のものがあったのです。

これも淀川があり堤防がある地域ならではの凧上げではないでしょうか。

我が町の凧上げとして心の中に残っているのです。





 明日は、日本原!です。






 では、また。

Posted by ビギン at 07:21 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月14日
チェック&チェック
 おはようございます。

今日は、チェック&チェック!です。

私が社会人として働き出して約2年当時のお給料はというと

月105,000程度、税金をひかれると手元には80,000程度が残る。

公務員の給料は皆こんなものである。

この中から実家に仕送りをするものはしたり自分の欲しいものはこの中から

買ったり当たり前の生活と言えば生活を送っていたのです。

街へ出て派手に遊ぶなんてなかなかできるものではなく

同級生の給料と見合わせてもかなりの格差が当時の公務員の給料には

あったのです。

たまに実家へ帰って飲みに行くなんてことになるとそれはお盆や正月と同じほど

金額のかかる状態だったのです。

しかし街に出ると若いだけにどうしても遊びも派手になる。

そんな中、一枚のメンバカードとの出会いがあったのです。

C&Cクラブ・・・・当時チェック&チェックと私たちの間では呼んでいたのです。

大阪北と南に分かれ各飲食店はじめいろいろな店舗の割引が

受けられるというものだったのです。

年会費1,500円とあまり高いものではなく遊びに出掛けるたびに

持ち歩いたのを思い出します。

当時のお給料では到底いけない高級なクラブなども行くことができたのです。

今では雰囲気も変わってしまった大阪駅前第四ビル・・・・

当時、ビルの各階にはおしゃれなテナントが多くあり大阪駅前第一ビルとは

様子が違ったビル、その4階にピアノの生演奏で楽しめるクラブにも

かなりの頻度で行けたのです。

当時の金額でボトル一本5,000テーブルチャージは無料の特典付きとあって

4〜5人で入っても6、7,000円と割安。

他にも大阪では当時話題になっていたバニーガールのいる店なども格安の金額で

入ることができかなり高級な遊びもできたのです。

今では、あまり聞くこともなくなったのですが

当時の私のお給料でも有り余るほど。

店を選んで行けばほとんどお金のかからない

店舗も多くあったのを覚えているんです。

どうした訳か、大阪南にはいく機会がなかったのですが北のあらゆる店舗に

行ったことを思い出します。

今では懐かしいC&Cクラブ・・・・

当時の私はかなりお世話になったのです。

確か・・・大和実業・・・・

あの頃とは日本の経済もかなり違ってきたようです。

妙に懐かしく当時の良き思い出を時々懐かしく思い返してみるのです。





 明日は、我が町の凧上げ!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 08:53 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月13日
お好みソース!
 おはようございます。

今日は、お好みソース!です。

私のお好み焼きの出会いの中にこれを省いては語れないものがあるのです。

それは、お好みソースなのです。

ソースといっても自分で作れるはずもなくただお店で出されたものなのですが

今までにないソースの味が感じられた瞬間があったのです。

私がまだ高校生の頃だったでしょう。

自宅近くの駅前にあるビリヤード場に通っていた頃です。

高校生でビリヤード・・・今ではそう問題にはならないのでしょうが

当時では出入りするのもためらう感じも・・・・・

ところがどうした訳かそのビリヤード場には沢山の同級生が通っていたのです。

中にはプロになろうかという上手な友達もいたり、私みたいにまねごと状態の

ものもいたりとかなり入り浸り状態。

何時間か通うと自分専用のキューが

もらえるというのでかなり真剣に通っていたのです。

そのビリヤード場の近くに一軒のお好み焼屋さんがあったのです。

名前は確か「味相」?だったと思うのですがそこで出されるお好みのソースが

今までに食べた事のないスタイルだったのです。

小皿にケチャップとマヨネーズそれにからしを出してくれるのです。

今まで食べるお好み焼きはよくてマヨネーズまで・・・・

ケチャップもソースには入っていたのでしょうがソースはソースだったのが

今までにない斬新な感じに思えたのです。

からしのピリッと来る感じとケチャップの甘さが程良く

マヨネーズの酸味も加わりおいしさを引き立ててくれていたように感じます。

本来お好み焼きも自分で焼くのが好きな私にはソースとは別に

オリジナルの味が楽しめる感じがしてよく通ったのです。

その時の味が今でも残っているのでしょう。

お好み焼きを食べに行くと必ずからしとマヨネーズを頼むのです。

時々、自宅近くで食べた昔のお好み焼きも懐かしく

お水でいただく事があるのですがその時は本来のソースだけですが・・・・

以外に記憶に残る味との出会いが昔にあったのです。




 明日は、チェック&チェック!です。





 では、また。



Posted by ビギン at 11:35 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月11日
王将の餃子!
 おはようございます。

今日は、王将の餃子です。

私の学生生活には欠かせないものの一つだったように思います。

いつ頃だったのでしょう。

おそらく中学生の頃だったと記憶しているのですが、

自宅近くで話題になったのです。

記憶にある人も多いと思います。

10人前食べるとただになると宣伝をしていたのです。

自宅近くの駅前にあるとき王将の餃子が出来たのです。

できた当時、5人前食べきるとただの宣伝で・・・・・

自宅で弟と遊んでいるところへ帰って来た母がいきなり餃子を食べに行こう。

変わった事もある・・・我が家では外食はほとんどなく

どこかへ出かけたときくらい、それもあまりいい思い出はないのにです。

私と弟と連れて駅前まで・・・そこには餃子のいい匂いの漂うなか

沢山の人でいっぱいになっている王将の餃子があったのです。

それまではあまり餃子を食べることがなかった私もおいしそうに感じたのです。

店はオープンしたばかりでたくさんの人が並び私たちの順番になるまで

少しの時間外で待っていたのです。

その時、母は、私と弟に5人前綺麗に食べなさいと言い出したのです。

私は食が細い方だったのですが弟は私とは違ってガメツイ。

あればあるだけ食べてしまうタイプ、母は私たちに

5人前食べるとただになることを話したのです。

とたん弟はやる気満々の体制。

私はというと5人前なんて食べれるはずが・・・そう思っていたのです。

ところが店から出てくるほとんどが5人前を食べたらしく満面の笑みで

帰ってゆくではないですか、しかもただになって得したと話しながら・・・

私たちの順番に、母は当時2人前を注文したのです。

ところが私と弟には5人前ずつしかも食べたらただになることを確認したのです。

喜んだのは弟、やる気も満々、私は、絶対無理、そう感じていたのを

察したのでしょう、私に食べれなかった分は持って

帰れるからと教えてくれたのです。

いよいよ餃子が目の前に・・・

弟は時間内に5人前食べる意気込みであふれていたのです。

私の目の前にもそれを挑戦したのです。

私はがんばって3人前でダウン、しかし持って帰れる事をしらない弟は

食べることに執念を燃やしているかの如く食べているのです。

当時、時間は30分だったと思うのですが4人前を食べ終わった頃には

20分をはるかに過ぎていたと記憶しているのです。

あと一人前・・・必死の形相に私はあきれる反面、ひょっとしたら食べきるかも

の思いも出てきたのです。

焼きたての熱い餃子を・・・制限時間ぎりぎり、あと一つおまけみたいなものです

口の中に無理やりねじ込みセーフ・・・

どうにか弟はただにしてもらったようです。

店の外に出てきた弟の口には閉じないほどの

餃子が見えていたのは今でも覚えているのです。

私の学生時代も長い間5人前ただの看板で営業をしていた王将がありました。

クラブの帰りにはみんなでよく行ったものです。

阪急十三駅の西出口、長い期間学生に餃子を出していたように思います。

今でもあるのか・・・最近は見かけない気がします。

改札を出て一つ目の筋を右に入った2件目。

通りからは見えないようになってました。



 明日は、お好みソース!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 09:41 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月10日
ピザの食べ放題!
 おはようございます。

今日は、ピザの食べ放題!です。

昨日の十三栄町商店街のお話を掲載していて当時のことを少し思い出したのです。

私も高校当時クラブ活動や野外活動とみんなと変わりなく

学生生活を送ってきたつもりなのです。

高校生ともなると学校の行き帰りには、立ち寄るところも多く

おこずかいも、かなり必要。

高校生活を楽しいものにするに情報が必要不可欠だったのです。

少ないおこずかいの中からいかに楽しめるかがポイントの一つ。

中には私のようにアルバイトをしている学生もいたはずです。

しかし大半はクラブ活動や日々の勉学に追われそれどころではなかったでしょう。

土曜日ともなると学校からの帰り少し足を伸ばし大阪梅田までなんてことも

多くあったのです。

交通の便もよくいろんな地域から通う学生が梅田だと集まれることも理由の一つ。

そんな時、やっぱり外食産業へ出入りすることが多くなるのです。

社会人のように一流店でとはなかなかいかないまでも知名度の高い店は

話の話題にもなり学生生活を賑やかなものにしてくれていたのです。

中でも思い出に残る店が数店あるのですがその中の一つ

ピザの食べ放題の店が大阪梅田阪急東通りのあたりにあったのです。

店名は今ではあまり聞かなくなったシェイキーズ!

当時、土曜日は500円で食べ放題!

高校生の財布の中身でもいけるおしゃれな店だったんです。

ピザもかなりの種類があったように思います。

高校生といえまだまだ子供気分の抜けない年代ですから

店内では今の回転するファミリー寿司と変わりなかったのです。

特に私のように男子校の学生には人気があり毎週土曜日には通ったものです。

おしゃれな店とあって店内には女子高生の姿も多く

ピザ以外の付加価値も多かったのでしょう。

社会に出て数年・・・気がついたころには阪急東通り商店街のあたりにあった

シェイキーズはなくなりさびしい気もしていたんです。

もう、店名が変わったかお店自体なくなったのか・・・そう思っていたのですが

ある日、大阪にある心斎橋筋商店街を歩いているとシェイキーズの看板を

発見、店内を見てみようと寄ったところ残念ながら改装工事の看板。

しかし、少しほっとした気持ちになったのです。

同時にもう一店、同じピザの店で同じように食べ放題をしていた店を・・・・

今では店名が頭の中に浮かんで来ない・・・・・

たしか、もう一店あったはず・・・・

当時を懐かしく入口に書いてあるメニューを見てみると

昔のまま、同じ土曜日の食べ放題の文字も・・・・

なぜか懐かしく寄ってみたい店の一つになったのです。




 明日は、王将の餃子!です。



 では、また。

Posted by ビギン at 09:54 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月09日
十三栄町商店街!
 おはようございます。

今日は、十三栄町商店街!です。

私の学生時代の最大の繁華街と言えば十三栄町商店街を置いて他はないです。

自宅から自転車に乗り阪急十三駅から宝塚線を利用していたことも

大きな要因の一つになっているのです。

今と昔とでは少し感じが違うようです。

やはり繁華街ですから風俗関連のお店も多くあり学生の行くところではの声も

多く聞かれたのは事実です。

しかし好奇心の多い年代ですから行かない若者はいなかったでしょう。

私もかなりの頻度で通ったこともあるのです。

商店街の入口から少し中に入れば界隈でも大きなゲームセンターもあり

学生も多く見受けられたのです。

別段、用がなくても栄町商店街の中を通り抜けるほど・・・

これは今でも変わらず通っていくのです。

しかし、以前とは明らかに様子が違う。

栄町商店街の道の真ん中辺りまで自転車が止まっているではないですか・・・・

人の往来の多い繁華街に・・・・

もうこれでは普通の駅前にある商店街と変わりない、そう感じたのです。

地域の風紀の問題もあるのかも知れません、

があまりにもさびしい気がしたのです。

本来、男とはそうして大きくなってきたはず・・・・

言っている私自身ここ最近では行く機会がないのは事実。

昔の・・・私の行っていた頃の十三栄町商店街を振り返ってみようと思います。

知っている人もいると思うのですが大阪南にある道頓堀と

本来姿は変わらないはずなのです。

道頓堀の栄えた頃のまま十三に移転してきたのですから。

言って見れば道頓堀の小さく縮小したものだと私は思っているのです。

中にはボウリング場を備えたビルもあり食事やビリヤード、カラオケにと

遊ぶところはたくさんあったのです。

高校生の頃にはこんなこともあったのです。

ある日の学校帰りのことです。

友人と二人いつものように阪急十三駅から栄町商店街に向かって歩いていると

黒い服の人が一斉に走ってくるではないですか・・・・

よく見ると手には提灯を持って・・・・

栄町商店街の中を左右に分かれ提灯を持って立っている中を二人で・・・

当時、提灯を見ることはなかったのですが明らかに

その筋の人の何かがあった事は察しがついたのです。

現に商店街の中にはそうした事務所もあったのです。

提灯を持った黒い服の人の中を友人と二人・・・・

友人は道を変えよう行ったのですが、本来人の往来のあるところ

気にせず通ろうと決めたのです。

当時、懸命に背伸びをしている頃です、心の中では怖さも沢山。

まるで映画のシーンを見るような中、学生服の私と友人は通り抜けたのです。

提灯を持った黒い服の人から見ると子供だしとるに足らない

思いだったのでしょうが、私としては精一杯の背伸びだったのです。

それから数年事務所も移転したのでしょう。

建物を見なくなった頃から十三栄町商店街の雰囲気は

変わったように感じるのです。

地域の住民や利用者の関係も多くあるのでしょう。

久しぶりに行った私は以前と変わった雰囲気にさびしい感じを受けるのです。

今も、当時の事務所の建物を覚えているんです。

今でも大阪南の繁華街の中には当時の建物のままの姿が残っている。

私が見ただけでも2か所東心斎橋とホテル街の真ん中と・・・・

当時の十三栄町商店街の面影のまま・・・・





 明日は、ピザの食べ放題!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 17:41 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月08日
ポートピア博覧会!
 おはようございます。

今日は、ポートピア博覧会!です。

昨日の真田山公園と並行して一年・・・・

高校三年の一年はポートピア博覧会へもアルバイトとして通っていたのです。

時には学校から帰ってすぐ神戸へ・・・

人でもかなりのものでいろいろなパビリオンや

売店・食道とそれは大きな博覧会だったのです。

そこへ売店を出店する話が、私にもアルバイトとして来るよう

お呼びがかかったのです。

夏の間は真田山公園の売店と並行してアルバイト。

夜は神戸のポートピア博覧会でお土産物やアイスクリーム、

当時、流行っていたフローズンなど小さなスペースの中、大忙しの

毎日を送っていたのです。

ポートピア博覧会も夜にはきれいにライトアップされ昼と夜と

楽しみ方もそれぞれだったのです。

私も高校生活の青春を謳歌していたのです。

時には贅沢な遊びもこの頃から始まったのかも知れません。

終電間際まで開催されていたポートピア博覧会の会場から帰り

電車に遅れた時にはタクシーでなんてことも1、2度はあったように

思います。

別れの音楽は山口百恵の歌がかかりムードも頂点に・・・・

今でもあの時の歌は印象に残っているのです。

「何億光年 輝く星にも 寿命があると 教えてくれたのは あなたでした」

「季節ごとに咲く 一輪の花に 無限の命 教えてくれたのも あなたでした」

このフレーズを聞くと、当時に戻ってゆく思いがするのです。

時には背伸びをしてポートピアホテルのレストランへ行ったことも

あの頃は懸命に背伸びをしていた自分が懐かしい気もします。

誰でも通る青春時代、誰よりも思い出多いものになった気がします。

当時の、ポートピア博覧会の入門証、今も持っているのです。

社名 かめや・・・・・

今も真田山公園へ行くまでの商店街の真ん中辺りにあるようです。

うどん・そばの会社かめや・・・屋号です。



 明日は、十三栄町商店街!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 09:07 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年09月07日
真田山公園!
 おはようございます。

今日は、真田山公園!です。

先日・・・一週間ほど前の地域の盆踊り大会で何年振りかに

売店を手伝うことになったのです。

自衛隊でも毎年恒例で売店を・・・伊丹でもかなり有名な千僧駐屯地の

盆踊り大会!中には名物のお化け屋敷もありかなり盛大に行われる。

当時の私も上司や同僚に混ざり売店や模擬店の運営と手伝っていたのです。

今年は懐かしさもよみがえり楽しい雰囲気を味わったのです。

それも私の生活の中でいくつか要素があったのを思い出したのです。

高校生の頃から売店のアルバイトをしていたのです。

夏休みには・・・

高校の体育科の先生の紹介で始めたアルバイト。

本来は学生のアルバイトは禁止の学校だったのですが家庭の事情も考慮して

学校食堂の社長が経営する公園の売店のアルバイトをする事になったのです。

中学や高校のクラブで水泳をしていた人なら知っているかも知れません。

大阪にある真田山公園の市営プールの入口にある売店で高校3年間

毎年夏にはアルバイトをしていたのです。

夏休みとあって近くの小学生・中学生たちが毎日のようにプールへ

市営プールとあってかなり料金的には安かったのでしょう。

毎日来る顔ぶれもありかなり賑やかな売店だったのです。

学生の中には去年の夏もここでアルバイトしてた兄ちゃん。

周りの学生の方が覚えているほどアットホームな売店だったのです。

夏でも泳ぎに夢中になり冷えた体で売店へ来る学生の食べるものは

おでん・・・・夏にバカ売れでいつも売り切れ寸前の状態。

時には、味見ように置いてある少し形の崩れた竹輪をサービスに

楽しい夏を毎年過ごしていたのです。

今では市民プールもきれいになり室内プールとして整備されている。

数年前・・・奈良街道への入口あたりで生活をしている時、

毎朝、真田山公園までジョギングに・・・・

公園を一周して再び会社まで帰ってくるのですが今では売店もなく

少しさびしい感じがします。

公園事務所に置いてあった売店も当時のジュース販売機の営業も

今思えば・・・心霊研究所の所長に似ていたような・・・・

今年は野里住吉神社の西之町のだんじりに面影が・・・

最近、懐かしさが蘇ることがあるのです。





 明日は、ポートピア博覧会!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 08:25 | 昔を散策 | この記事のURL
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