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ビギン
 屋根裏に子供部屋が、小さい頃の思い出・・・ 沢山の思い出が、大冒険の始まりの予感が!
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2014年03月25日
真夜中の訪問!
こんばんは真夜中の訪問!になりました。

何だかこの雰囲気は、裸電球で楽しみたいような気分に・・・

屋根裏部屋を作るときを思い出します。

大工さんが電球で作業をしていたんです。

一日の作業を終えると屋根裏に上がり確認・・・

なんとも大きな丸太・・・

 小学生の我輩には見たことも無い大きさに、びっくり。

大工さんにこの家の守り神・・・

そうか・・・これがゴロン棒か・・・

今では、椅子になり、部屋の境界線になり・・・

自然のまんまの形が心地よく感じる。


 では、また。

Posted by ビギン at 00:00 | 冒険 | この記事のURL
2014年03月21日
発見!
おはようございます。
今日で2日目です。
あれから屋根裏に、冒険です。
何だか、古い着物入れ・・・

 たぶん母の嫁入りの時に持ってきた物に違いない。
あけてみる・・・・・
沢山の画用紙が・・・
そうか・・・今までの学校の掲示板に張ってた物か。
いつからだろう・・・
一つ一つ見ていくと、もうこんな時間・・・
つかの間のタイムスリップ。
幼稚園の赤組さんに戻ってた。

 たまに赤ちゃんに戻ることも???
では、また。

Posted by ビギン at 00:00 | 冒険 | この記事のURL
2014年03月20日
始まりました!
 はじめまして。
子供部屋のような、暖かな雰囲気が好きです。
屋根裏って、子供にとって大冒険の場所。

 何だかすごく楽しい場所・・・
大人になっても、子供の頃に戻れる唯一の場所なんです。
そんな場所って意外とみんな持ってて忘れがち・・・
少しずつ、思い出してます。

 では、また

Posted by ビギン at 00:00 | 日記 | この記事のURL
2009年10月23日
区切り!
 おはようございます。

今日は、区切り!です。

屋根裏部屋を掲載しようと思い自分の中で構成を立ててみたんです。

イメージとしては新聞にあるコラムを思い浮かべ、

いろいろな人が、その人なりの感性が持てて、尚毎日飽きないものを・・・

それに、今の生活と自分の思い描く生活のギャップを表現できるよう。

どれくらいの期間掲載できるだろう?

本心は、どれくらいの期間なら続けて行けるだろう?そう考え自分の中で

一年と決め掲載してきたのです。

最初の紹介で一年の期間と報告してみようと思ったのですが、

今まで、3日坊主に終わることが多かった私は心の中に止めることにしたのです。

小さい頃の地域の環境と今の環境のずれ、大人になって忘れてしまったこと、

いろいろなものが当時の私のいた屋根裏部屋に眠っていたのです。

部屋の片隅に置かれたなんでもない箱の中から出てくるものが当時の

生活や環境を思い出させてくれていたのです。

お話も365話を一区切りにどこまで掲載できるか不安の残る中、

それが、昨日の「地域の名物」で目標の365話を無事掲載でき一区切りを

迎えることができた思い出いっぱいです。

掲載してきた、お話も私の小さい頃の生活であったり、ここ数年の生活、

また、小さい頃見た夢と現実の中のことを掲載してきたのです。

そんな馬鹿な話と思われることもあるのでしょう。

しかし、実際にその場で生活をした私には、少なくともそう感じ、

見えてきたものだったのです。

小さい頃、まだ純真さを持っているころの・・・

誰もが見たであろう夢のお話も大人になるにつれ非現実なものになってしまう。

見る人のその時の感性で幾つも違った見え方ができたのではないでしょうか?

掲載する中、大手出版社からの願ってもない好条件での

出版のお声もいただけたのですが、私自身の体力不足から先日御断りを

させていただくことに致しました。

広告掲載をしていただいた各企業・店舗運営者のみなさまに少しでもの

思いもありましたが、366話を持って終了とさせていただきたいと思います。

私自身、うるう年の366話まで、掲載できたことはうれしいの思いで一杯です。



 366話のお話と現在掲載していただいている広告は

しばらくこのまま残しておこうと思います。

自分のためにもまたいつか振り返れる日が来るように・・・・



 約一年、365話のお話の掲載の間みなさまに支えていただき

誠にありがとうございました。




 では、またどこかでお会いしましょう。

Posted by ビギン at 10:43 | 最後に | この記事のURL
2009年10月22日
地域の名物!
 おはようございます。

今日は、地域の名物!です。

私の住む地域にも幾つかの名物があったのです。

大阪で言うなら岩おこし。

これもその一つかも知れません。

野里に伝わる一夜官女祭も関連してくるのでしょうか?

あの、岩見十太郎(本来は重太郎なのでしょうか?)の話も岩おこし!に

関連があるのでしょう、私はそう思っているのです。

しかし、小さい頃の私には昔の言い伝えや物語のようなことにはあまり興味がなく

やはりお饅頭やホルモンといった商店街にある食べ物に興味が多くあったのです。

その多くは今では見ることもなくなったものです。

以前の賑やかだったころの名物といえばやはりホルモン(今でもあります。)が

代表は、ホルモンでしょう。

当時の私は、市場で買い物をするのにもつれて歩くのに大変だったのでしょうか?

極力ホルモンのかたい部分、当時、市場から帰るまで

口の中で噛んでいたのを思い出すことがあるのです。

子供ですから食べている間はおとなしい、また、駄々をこねることもなく

ひたすら噛んでいる、今でもあまり変わらないかもしれません。

ホルモンもいつもでなくいい香りのする時、今でも自宅近くでは

夕飯の時刻になるといい香りがする時がある。

当時の地域の風習だったのでしょうか?

向かいには、ミキサーで作ったジュースにアイスクリームと

子供にはお祭りだったのかも知れません。

そんな商店街に忘れてはいけない名物があったのです。

小さいころから食べなれた「イカ焼き」!老夫婦が出していた小さな店で

夏には「冷やしあめ」があり、昔を懐かしい雰囲気があったのです。

小さい頃のイカ焼きは大きく感じ紙に包んでもらい食べながら

買い物をした記憶が今も残っているのです。

紙に包むのも心得たもので子供の食べやす包み方があるのです。

包む部分が少なすぎると落としてしまし泣く羽目に・・・・・

やはり焼き立てですから持つと熱い、持ち帰るうちにどうしても落ちる。

包む部分が多すぎると今度は紙ごと口の中に、舌についた紙を取りながら

歩くのは大変な思いとせっかくのイカ焼きも台無し。

程よく包まれたイカ焼きには子供の口の周りに

カルビーのおじさんみたいな髭が、生える。

当時の子供の市場での顔にはおいしいが沢山付いていたのが

今でも懐かしく感じるのです。

家の行事や何かあるときには決まってお饅頭。

中でも「淀の川」は今でも少し高価なおもてなしで、子供心に

今日はただ事ではない雰囲気が伝わる。

今でも残っているお店はあるものの当時の雰囲気はなくなった気がする。

一部移転をしたお店もあるがやはり当時のお店の並び方も

懐かしく活気のある雰囲気があったように感じるのです。

あの頃の商店街の雰囲気はどこかに行ったのでしょうか?

そんなことを、ここ数年考えてみたのです。

ある地域に懐かしい声が響き渡る。

以前、屋根裏部屋でも紹介した私の死んだ地域。

再び訪れた私の周りには小さい頃の商店街の声が響き渡り

今でも活気のある商店街が広がっていたのです。

あの雰囲気は、小さい頃の市場の楽しさが残っている気がしたのです。





 明日は、区切り!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 10:49 | 日記 | この記事のURL
2009年10月21日
学生カバン!
 おはようございます。

今日は、学生カバン!です。

数日前、秋祭りの時、見かけた光景でふと懐かしく感じたのです。

夏祭りとは違って秋祭りは少し静かな雰囲気があり、神社の境内も

静かな感じがしていたのです。

そこへ賑やかな笑い声が響き目の前を見てみると

女子中学生の数名の姿があったのです。

私が通っているころとはずいぶん変わった様子で、学生服も

当時の詰襟にセーラー服から今ではブレザーに変化しており

随分おしゃれになったものだと感じたのです。

夜店で手伝いをする仲間と話す中にカバンの話題が上り

去年とカバンの大きさが変わったとの話題に昔が蘇る思いがしたのです。

私が中学へ通う頃を今日は少し思い出してみようと思います。

当時、近所には親戚が多くあり、中学へ通う頃にも

幾つものお下がりがあったのです。

学生服や学生帽、体操服に学生カバン・・・・幾つものお下がりの中で

学生カバンの思い出が鮮明に残っているのです。

当時の通学に持つカバンは、手提げのもので、今の高校生の持つものと

あまり変わりがなかったのですが、お下がりでもらったカバンは

昔の・・・戦時中の漫画によく出てくるタイプのカバンだったのです。

肩からつるすタイプのもので襷がけにし両手がいつでも使えるように

なったものだったのです。

私が中学へ通う頃も学校では販売はしていた記憶がある、

当時、どちらを購入するか選択ができた時代だった記憶があるのです。

幸いにも私の場合お下がりで昔のタイプのカバンを持っていたため

新しいタイプの手提げのカバンを購入したのです。

中学へ通うようになって周りに昔のタイプのカバンが多ければ

お下がりをつかおう、そう話をしたのを覚えているのです。

中学へ通い始めて周りを見ると昔のタイプのものはあまり・・・

というより、ほとんどなく新しいタイプのものがほとんどだったのです。

学年で1〜2名はいたのかも知れません。

話を聞くと私と同様、昔のタイプのカバンをお下がりでもらって

持っている人も多くいたようです。

中学生活で昔のタイプのカバンを使う機会はなかったのですが、

学生を卒業し、社会へ出たころに再びめぐり合う機会があったのです。

当時、自衛官として教育隊へ入隊し前期・後期の教育を受け一般部隊へ・・・

職種がらそのカバンを持つ機会があったのです。

自衛隊では当時そのカバンを通信バック(通信カバン)と呼んでいたのです。

今ではあまり見かけることがないようですが、昔の郵便配達のおじさんを

イメージするとピッタリ当てはまるのかも知れません。

通信の職種の中にもいろいろあり郵便業務も一つの通信科の職種だったのです。

中にはいろいろな電報を入れ肩から下げ配達をする大事な任務。

配達までの間、取られたりなくすことはもちろんあってはならない重要な

ものだけに肩から然りと掛け配達をする通信のカバンだったのです。

ここ数年、私の通勤かばんも肩から掛けるタイプのものが多くなり

中には・・・やはり置き忘れたり失くしてはならない

大事なものが入っているのです。

社会生活を送る中、いつのころか大切に感じる感性が生まれたのでしょう。

個人情報の重要視される中、違う重要なものがあることに気付く機会が

今の私の通勤の風景にあるのかも知れません。

なんでもない、女子中学生の姿に昔を思い出し

いろいろな思いを巡らせた秋祭りだったのです。





 明日は、地域の名物!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 10:16 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年10月20日
お神楽!
 おはようございます。

今日は、お神楽!です。

ここ数年、地域の神社のお祭りに参加する機会に恵まれ

昔を懐かしく思い出すことが多くあるのです。

そんな中、ある不思議な人物と会うことがあったのです。

このブログでも幾つか紹介した神様の話。

ところがある年のお祭りのときです。

懐かし人物?懐かしいというより変わらない姿の人物と会ったのです。

お神楽を舞う神社の上でいつもお菓子を手渡していた人。

昔と変わらない姿で・・・・

今は、神社のお神楽を舞う巫女さんやその席にいる人の顔を見ることなんて

あまりない。

しかし私の小さなころは顔を見ないお祭りはなかったのです。

小さな子どもにもお神楽を舞うところから手を差し伸べて神社からのお菓子を

直接手渡しでもらう、子供の目にはその人の顔が

おぼろげに記憶に残っているのです。

ところが、数年前、神社のお神楽を舞う席に私の目が届いたのです。

その時、巫女さんを制する懐かしい顔の人と目があったのです。

しかも、巫女さんを制する時、まだ待ての声とともに・・・・

心の中に確かに聞こえた声、何を意味しているのか?

しかし、なぜ・・・小さい頃の私の記憶にある人が、その時のイメージのまま

しかも、その制する仕草は、工事現場で見るガラス会社の人に見えたのです。

私の顔を見たとたん巫女さんを制するその人物は私が小さい頃、

いつもお祭りでお菓子を手渡していた、おじさんの姿そのままだったのです。

あれから40年私は年を重ねあの頃の面影はほとんどなくなっているはず、

私に気がついたのだろうか?いや、間違いなく気がついたはずだ・・・

小さい頃のお神楽を舞っていた巫女さんも今はかなり年を重ね

数年前会った時、そのおじさんと同様、まだ、の声がかすかに聞こえた。

私の周りの状態を表しているような気がする。

今でも懐かしい顔を残したまま、お参りをする人を見ているのだろうか?

きっと見ているに違いない、そう感じるのです。





 明日は、学生カバン!です。




 では、また。

Posted by ビギン at 09:19 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年10月19日
文鎮!
 おはようございます。

今日は、文鎮です。

ここ最近、中学の技術の時間に作成したものの中から思い出にあるものを

幾つか紹介してきました。

そのどれもが、今も尚、我が家に残っているのです。

しかし、残念なことにラジオともう一つ残っていないものがあるのです。

残っていないというより屋根裏のどこかにしまったまま

わからなくなっているものが・・・・

小さなもので隙間に入ったのかひょっとすると

ネズミの明けた穴に入ってしまったのか?

金色の真鍮の塊でできた文鎮がどうしても見つからない。

当時、真鍮の塊なんて気にも留めてなかったのですが

今思えば珍しいものだった気がするのです。

旋盤の機械を使い真中に穴をあけねじを作り

そこに持つための取っ手を付け、作成した文鎮!

丸い真鍮の塊を削り習字で使う赤の墨を付け、平らになるよう磨いでゆくのです。

当時の私はなぜか磨ぐときに悩んだ記憶がある。

赤の墨の付いた部分を磨ぐといいのか?

それとも赤の墨の付いていない部分を磨げばいいのか?

まるで狐につままれたような感覚だったことが記憶に残っている。

磨いでゆくうちに、また墨のつかない部分ができ裏返し、万力で挟んでは、

再び磨ぎ始める、少し磨いでは墨に付け、平らになるよう何度も繰り返す。

そのうち、磨ぐ方向が分からなくなり、再びでこぼこになってゆく文鎮に

頭の中はパニック状態に、そんな記憶に残る文鎮も屋根裏部屋から

外に持ち出した記憶はない。

どこかに隠れて出てこない文鎮。

部屋墨でひっそりと様子をうかがっているのかも知れない。

あの時の思い出のまま、静かに。





 明日は、お神楽!です。





 では、また。

2009年10月16日
チリ取り!
 おはようございます。

今日は、チリ取りです。

ここ数日、関東へ出かけていて更新ができてなかったのです。

ブログを楽しみにしてくれている方には本当にに申し訳なく思っています。

今日から再び掲載してゆきます。

あるきっかけで私の転職が余儀なくなったのです。

就職難の中、ご縁がありある建設関連の会社へ勤めることができたのです。

当初は、営業部に所属各地域を回り営業経験を積むと配置換えがあったのです。

私の配置された部署は工事部、文字通り様々な住宅の工事をするのです。

床下のクラックの補修から天井裏の補強、屋根の補修にと様々な工事があり

日々忙しく追われる中、元気に勤務をしたいたのです。

ある日の工事で屋根の上の面土の補修工事があり私も一人前に作業を・・・・

今までにない作業で使う道具もコテの形も特徴のあるものばかり

専門用語では「鶴首」と言われ文字通り鶴の首のように長く

瓦の奥に入り込んだ部分の漆喰の補修に適した道具なのです。

まだ、工事に携わって間のない私の作業といえば、金槌を使い

面土にある古く老化した漆喰を除去する作業にもっぱら追われていたのです。

屋根の上とあってさらに特徴のある道具があったのです。

面土の漆喰の除去の時、漆喰のかけらが転げ落ち下の道を通る人の頭に・・・

そうならないためにチリ取りを使いこまめにかけらを取りながらの作業、

面土の一つ一つ丁寧に除去しながらチリ取りでしかし、日頃使うチリ取りとは

少し違い屋根の上でも使いやすい形と機能を持っていたのです。

先端は帽子のつば、のように丸く突き出ていて瓦の隙間に差し込むと

手を添えていなくても落ちることがない形になっていたのです。

当然チリをためる部分も深みがあり見た形は箱のような四角い形なのです。

工事部では、各人自分の道具を持ち手入れから補修に至るまで自分の管理、

職人に近い職場ですから当然と言えば当然なのでしょう。

私も一人前に道具をそろえ腰袋を付け作業に・・・・・

チリ取りにも各人のお気に入りのものがあり

自分自分で作ったものだったようです。

作業も慣れてくるとその使いやすさのこだわりにきずき始めたのです。

数週間、作業をしてゆく中、私も自分のチリ取りを作ろう、そう決めたのです。

作業の合間に自分の使いやすい大きさ、長さ、厚みをメモに取り作成。

少し悩んだものの自分の作業で使いやすいサイズの形に、

作っていくうちに中学のころ、技術の時間にチリ取りを

作ったことを思い出したのです。

ブリキを形に切り切り口を丁寧に叩いて丸め加工したチリ取りの作成を

懐かしく思い出したのです。

自分のチリ取りを作りながら当時を思い出し、チリ取りの加工をすると

出来上がった形があるものに似ていることに気がついたのです。

作成段階ではサイズの通り作り、出来上がりの形までは

イメージになかったのです。

しかし、出来上がったチリ取りは私がつける、腰袋の形とまったく同じ

大きさと長さ、形になっていたのです。

作り終わった私は不思議と今まで何気なく使っていた腰袋が計算され

作成された形のように思えたのです。

それと同時に自分の使いやすいサイズも間違いではなかった、

思いが込み上げてきたのです。

中学で作成したチリ取りの授業を思い出し、自分の思ったサイズのものが

出来上がった時、中学の技術の時間のありがたさに気付くことができたのです。

なんでもない小さなチリ取りに昔懐かしい思い出が蘇った瞬間です。

あの時の・・・・中学の技術の時間作ったチリ取りは・・・・・

今でも自宅の植木の陰にひっそりとあるようです。





 明日は、文鎮!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 05:29 | 昔を散策 | この記事のURL
2009年10月13日
将机!
 おはようございます。

今日は、将机!です。

前回に引き続き中学の技術の時間の思い出の作品です。

私が通っていた頃の中学では、なぜか大工道具があったのです。

今では珍しく道具袋があり中にはのこぎり・かんな・金槌・のみ・キリ・

折尺・くぎ抜き・金切りのこに至るまで一通りの大工道具を

購入した記憶があるのです。

道具袋には学年と氏名を書く欄があり、かなり本格的なものだったのです。

当時の中学には技術家庭の授業があることは前回も少しお話をしましたが

色々な作品を制作したのです。

その中の一つに『将机』があったのです。

昔の風景、戦国時代のドラマなどでは出てくる松明の明かりのもと

将軍たちが座り戦略会議をしている陣営、その座っている椅子こそ『将机』と

呼ばれるものでそれを作成したのです。

以前のお話にもたびたび出てきた材木工場があったように地域では

こうした取り組みがあったのかも知れません。

小さい頃から材木工場へ切れ端をもらいにゆき、工作に予断がなかったのも

こうした環境からだったのでしょう。

大工道具の一揃えを持っているとは言え、まだのこぎりすら触ったこともない

生徒もたくさんおり授業も一苦労。

切てはいけない部分を切ることもたびたびで、切っている最中に間違いにきずく

なんて事もあり、そのつど技術の先生から指導を受け手直しをするのです。

気の切りくずを集め木工用ボンドと混ぜ「とのこ」と称しては

傷口を埋める作業に懸命になったことも、中にはイスの周りが穴だらけで

どの穴に鉄の棒を通すか判らないほど沢山の穴を開けた学生もいるほど、

中にはその大きな穴を埋めるのに「とのこ」のほか、木の円筒を作る生徒まで

しかし、だんだんと形になるにつれ製作の作業も楽しさを増してくるのです。

中には早く完成して授業中その将机に座る生徒もいて、

その姿は何処となく将軍に見えることも・・・・・

なんとも偉そうででも、作品が仕上がっている以上、

座っても叱られることもなく、うらやましく思う事もある。

座る部分に張る布の長さも適度な長さになっているもの、そうでないものは、

座っても何処となく背伸びをしたように滑稽な感じに見える人、

また、長すぎてふんぞり返りまるでバカ殿様のように見える人、

出来た作品にもいろいろな個性があり

楽しく感じる授業であったことを覚えているのです。

今では中学の後輩の当たる学生の通学姿に道具袋が見えないことを

まわりの人たちはきずいているのだろうか?

当時の技術の楽しさを実際に感じた私はさびしく感じるのです。

土曜日の休みもいい面が沢山ある、それと比例してさびしく感じるものも

多くなったのではないでしょうか?

夏休みの宿題にのこぎりで木材を切って工作する姿が

地域から消えたように感じるのです。





 明日は、チリ取り!です。





 では、また。

Posted by ビギン at 09:56 | 昔を散策 | この記事のURL
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