2009年10月11日
Myラジオ
おはようございます。
今日は、Myラジオです。
学生生活の中で様々なものを作成してきたように思います。
幼稚園・保育園から始まり小学校、中学・高校、中には専門学校・大学と
誰もが進む道の中で幾つもの作品がある、今日は、その中のラジオです。
今では、見かけることも聞く事もなくなりましたが私の頃は技術家庭の
授業があったのです。
女の子は家庭科、小学校でも授業にあった縫製、ミシンも使いかなり本格的な
事まで習う、代わりに男子は、技術、旋盤やいろいろな専門機器を使う
かなり本格的な授業が当時はまだあったのです。
今、思うとハローワークで取り入れている職業訓練。
中学でも馬鹿にできないくらい設備もあり
本格的な授業だったと今では思うのです。
中学3年間でいろいろなものを作成してきた中に、ラジオがあるのです。
ラジオ作成のキットと言ってしまえばそれまでなのかも知れません。
しかし、実際に作ってみると知らなければ作成できないことが
数多くあったのです。
炭素皮膜固定抵抗器、当時ではヒューズと呼んだように記憶にあります。
赤や黄色、茶など色分けをされたもので色を見ながら計算をするのです。
抵抗器の容量によってはクリップを使いはんだ付けをしなければ
ならないものもあり、当時ではかなり難しい電気の基礎知識が
必要だったのです。
一つ一つ計算をして基盤にはんだ付けされてゆく小さな部品、
はんだ付けも松ヤニを使い誰もが懸命に作成をしていたのです。
それは当然、スピーカーから流れるラジオ放送を夢見て懸命に・・・・
可変抵抗器、いわゆるボリュームを最後に取り付けカバーをかぶせると
立派なラジオです。
当時の流行りの型で短波放送のメモリもある人気のタイプ。
作成できた順に電源を入れる。
まだ仕上がっていない人の周りから一つまた一つとスピーカーから流れる
ラジオ放送に歓喜の声が聞こえてくるのです。
中には作成段階のミスで放送の流れないラジオもいくつかあり、
技術室は、賑やかさを増してゆくのです。
放送の流れないラジオを技術の先生に持ってゆく生徒、その前にはテスターを
手に検査に予断のない先生、誰もが懸命にならざるを得ない。
当然、やり直しもあり数日間は、ラジオの話題で教室中持ちきりです。
中には、昼からの授業、イヤホンを制服の袖から遠し
ラジオを聴く生徒まで、多分にもれず、私も授業中にラジオを聞いた
一人ではあるのです。
私の感では、聞かなかった生徒はいなかったのではないかと思うほど、
それに、イヤホンが付いていたなんて、聞くなと言う方が無理。
これも、当然先生方にはお見通しだったでしょう。
中学生活の楽しい思い出の一つになることを、
当時の先生方も願っていたのではないのでしょうか?
今では、聞く事もなくなった授業風景になぜか寂しさを感じるのです。
明日は、将机!です。
では、また。
今日は、Myラジオです。
学生生活の中で様々なものを作成してきたように思います。
幼稚園・保育園から始まり小学校、中学・高校、中には専門学校・大学と
誰もが進む道の中で幾つもの作品がある、今日は、その中のラジオです。
今では、見かけることも聞く事もなくなりましたが私の頃は技術家庭の
授業があったのです。
女の子は家庭科、小学校でも授業にあった縫製、ミシンも使いかなり本格的な
事まで習う、代わりに男子は、技術、旋盤やいろいろな専門機器を使う
かなり本格的な授業が当時はまだあったのです。
今、思うとハローワークで取り入れている職業訓練。
中学でも馬鹿にできないくらい設備もあり
本格的な授業だったと今では思うのです。
中学3年間でいろいろなものを作成してきた中に、ラジオがあるのです。
ラジオ作成のキットと言ってしまえばそれまでなのかも知れません。
しかし、実際に作ってみると知らなければ作成できないことが
数多くあったのです。
炭素皮膜固定抵抗器、当時ではヒューズと呼んだように記憶にあります。
赤や黄色、茶など色分けをされたもので色を見ながら計算をするのです。
抵抗器の容量によってはクリップを使いはんだ付けをしなければ
ならないものもあり、当時ではかなり難しい電気の基礎知識が
必要だったのです。
一つ一つ計算をして基盤にはんだ付けされてゆく小さな部品、
はんだ付けも松ヤニを使い誰もが懸命に作成をしていたのです。
それは当然、スピーカーから流れるラジオ放送を夢見て懸命に・・・・
可変抵抗器、いわゆるボリュームを最後に取り付けカバーをかぶせると
立派なラジオです。
当時の流行りの型で短波放送のメモリもある人気のタイプ。
作成できた順に電源を入れる。
まだ仕上がっていない人の周りから一つまた一つとスピーカーから流れる
ラジオ放送に歓喜の声が聞こえてくるのです。
中には作成段階のミスで放送の流れないラジオもいくつかあり、
技術室は、賑やかさを増してゆくのです。
放送の流れないラジオを技術の先生に持ってゆく生徒、その前にはテスターを
手に検査に予断のない先生、誰もが懸命にならざるを得ない。
当然、やり直しもあり数日間は、ラジオの話題で教室中持ちきりです。
中には、昼からの授業、イヤホンを制服の袖から遠し
ラジオを聴く生徒まで、多分にもれず、私も授業中にラジオを聞いた
一人ではあるのです。
私の感では、聞かなかった生徒はいなかったのではないかと思うほど、
それに、イヤホンが付いていたなんて、聞くなと言う方が無理。
これも、当然先生方にはお見通しだったでしょう。
中学生活の楽しい思い出の一つになることを、
当時の先生方も願っていたのではないのでしょうか?
今では、聞く事もなくなった授業風景になぜか寂しさを感じるのです。
明日は、将机!です。
では、また。